東大の中でも「神童」と呼ばれた男達の人智を超えた超絶エピソード

これが本物の天才か…

「東大生もこんなもんか」

3月10日、今年も東京大学の合格者が発表された。厳しい競争を勝ち抜き、晴れて東大生になる学生は言うまでもなく優秀な人間ばかり。

地元では天才ともてはやされ、勉強では誰にも負けない、そんな一握りのエリートだけが赤門をくぐることを許されるはずだが……。

「東大生もこんなもんか」

'81年、特別な受験勉強もせずに難なく東大に合格した河東泰之氏(55歳)は当時、全国から選りすぐられた秀才たちと接してみて、率直にそう思ったという。

河東氏は現在、東大大学院数理科学研究科の教授を務める数学者だ。幼い頃から、周囲と頭のデキが違うのは感じていたという。中学高校は名門私立の麻布で過ごすが、自分以上の「才能」に出会うことはなかった。

東大に行けば自分よりも凄い人間に出会えるのではないか、そんな期待もあったが、傑出した「神童」からしてみれば、参考書を片手に必死に勉強をして入学した東大生たちは「ただの人」にしか映らなかった。

もっとも、河東氏がそう思うのも無理はない。中学生のときから、『超積と超準解析』『位相と関数解析』といった大学院レベルの数学の専門書を読んでいたという次元が違う神童だったからだ。河東氏本人が語る。

「物心ついた頃から数学が好きでしたね。でも、学校の授業で学んだことはありません。ノートは一度もとったことがなかった。飛び級ですぐに大学にいければいいのに、と思っていました。

中学生の頃は麻布の先生の紹介で東大生が開いている数学の勉強会に参加しました。その時点で、東大生が講義で学ぶレベルの数学は理解していましたし、問題が解けない東大生に解法を教えたこともあります。

数学だけでなく、暗記も得意でした。教科書を一冊丸々、自然と覚えられたので、試験はほとんどできましたね」

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河東氏は東大入学後、数学研究の道を邁進する。'99年に37歳の若さで東大教授になると、'02年には、その年の優れた数学研究者に贈られる日本数学会賞春季賞を受賞するなど学者としての実績は申し分ない。大人になってからもその神童ぶりを発揮し続けている。

「十で神童十五で才子二十過ぎればただの人」ということわざがあるように、普通の秀才であれば、幼少期は優秀でも年齢を重ねるにつれて、「上には上がいる」ことを思い知らされ、「ただの人」に成り下がってしまう。

しかし、河東氏のように東大教授ともなると、生まれてから定年で退官するまでの65年間、ずっと「神童」と呼ばれ続けている人間が少なくない。

現在、東京大学国際高等研究所で教授を務める物理学者、立川裕二氏(38歳)も桁違いの頭脳を持つ神童だった。立川氏は灘中学・高校在学中に、国際数学オリンピックの日本代表に選出され、二度銀メダルを獲得。

 

その後、当たり前のように東大に進学し、そのまま学者になると35歳以下の理論物理学の権威に与えられるヘルマン・ワイル賞('14年)など世界的な賞を数々受賞した若手の天才教授だ。

中学校時代からの同級生だった経営コンサルタントの岡村聡氏によると、立川氏は天才、秀才が集まる灘においても「完全に別格」の存在だったという。

「灘では中1から高3まで6年間同じ先生に習うのですが、私たちの代の物理の先生は指導要領を完全に無視して大学レベルの解き方などを教えていました。テストも難しく、灘の生徒でも100点満点で平均点が13点ということもあった。

ところが、そんな問題でも立川君は満点を取る。それどころか『先生の解法はエレガントじゃない』と言って激怒するんです。その物理の先生は涙目になってました(笑)。結局、自分の手に負えないから、阪大の物理の教授を紹介していましたね。

また彼には4つか5つ上に同じく灘に通う兄がいました。その兄が東大の受験を控える高3になると、中学生の弟に数学を習っていたんです。

私にも学者になるという夢がありましたが、彼を見て諦めました。それは正しい選択だったなと、今の彼の活躍を見ると改めて思います」

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