皆様、新年早々挨拶が少し遅れました。
申し訳ありません。
本年も、よろしく、お願い致します。
昨年からの課題が手いっぱいで、何か気の利いた
挨拶を用意したかったのですが、映画の紹介から
幕開けしたいと思います。
『劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』
から画像を借りました。
尼子騒兵衛先生には、お会いした時、改めて、お礼と
諸々のお詫びを申し上げたいと思います。
この映像を見て、うれしく思ったことが三つあります。
一つは、土井天鬼の装束は、生駒山修験も同じ感じです。
違いは、ボンタン型道中袴の有無くらいです。
江戸時代、生駒山興福寺僧兵隊が大名と合戦寸前になっ
たとき、尼子先生のご先祖様には、生駒山方に参陣戴いた
義理もあり、ご縁の深いこと限りなしです。
もう一つは、江戸時代、土井天鬼とほぼ同じ白装束姿で
笈を背負い、関東一円に神農印の傷薬や風邪薬を売っ
ていた集団がありました。
この薬は、通称、『風間散』と呼ばれていたそうです。
この方々は風魔小太郎の子孫と言われていましたが、
風魔は、盗賊や海賊などの悪者よりも、薬などの行商や
薬草農家が本業で、各地に広がる親戚筋からの情報で、
地域の諸事情に明るかったのが事実です。
悪人では、風評が祟って風魔は務まらなかったようです。
例えば、新選組で有名な土方の本家です。
土方家の場合、秘伝薬の製法は多摩川に住む河童から
教えられたとの話なのですが、この河童が別の関係で
風魔ネタになります。
ある神社の境内では、昭和の初め頃まで縁日になると
七味唐辛子を売っていたそうで、この方は、正真正銘の
自他ともに認める風魔だったそうです。
チョッとした話ですが、風魔の紹介が出来る切っ掛けと
なりました。
最後に、尼子先生の小説が映画となり、そわそわした
気分がようやく落ち着きました。
この作品が映画化されるかもしれないと聞いていましたが、
数年間も気になって、じりじりしていた訳です。
これからも、多くの皆様に愛され続けている忍たま乱太郎を
描き続けて頂きたいと心より願って止みません。