過去に起きた災害は、将来、再び起きる可能性が高い。9世紀の大津波の痕跡から、東北での巨大な津波の恐れが指摘され始めたところで起きた東日本大震災は、「歴史に学べ」という大きな教訓を残した。歴史をさかのぼることは、めったにない大災害への備えにつながる。過去千年あまり、この国はどんな災害に見舞われ、現代はどんな危機に直面しているのか。
南海トラフ巨大地震による津波の被害が特に懸念されるとして、国の津波避難対策特別強化地域に指定された139市町村のうち、43市町村が東日本大震災以降に公共施設の高台移転を実施・計画していることが、朝日新聞社と関西学院大学災害復興制度研究所の共同調査でわかった。
【特集】南海トラフの被害想定
被災後の暮らし想定
どこへ行くか どう備えるか
同時多発 延焼の恐怖
複合災害 学ぶべき教訓
新たな脅威 高まる都市のリスク
2013年 | 北海道で暴風雪 |
娘を抱いたまま男性が凍死するなど9人死亡。視界が真っ白になるホワイトアウトが影響したとみられた
写真で見る写真を閉じる
暴風雪で境界線が分からなくなった道路=2013年3月、北海道網走市 |
2006年 | 低気圧による暴風と大雨 | 近畿から北海道にかけて暴風や大雨、全国で死者34人、行方不明者16人 |
2006年 | 竜巻 | 北海道佐呂間町などで竜巻被害。死者9人、重傷6人 |
2006年 | 平成18年豪雪 | 前年12月から1月上旬を中心に豪雪、全国で死者152人 |
2004年 | 釧路沖地震 | 負傷者52人 |
2003年 | 十勝沖地震 |
死者1人、行方不明者1人、家屋全壊116棟
写真で見る写真を閉じる
2003年9月26日 十勝沖地震地震発生から2日後の28日午前、出光興産北海道製油所のナフサタンクが炎上、30日朝まで約44時間燃え続けた=9月28日午後8時26分、苫小牧市真砂町で |
2000年 | 有珠山 |
山腹で噴火、道路や耕地、家屋に被害。住民が多数避難
写真で見る写真を閉じる
2000年3月31日 有珠山噴火22年7カ月ぶりに噴火し、黒煙を噴き上げる北海道・有珠山=31日午後1時45分、朝日新聞社ヘリから |
1994年 | 北海道東方沖地震 | 釧路、根室地方で被害。負傷者436人 |
1993年 | 北海道南西沖地震 |
奥尻島を中心に津波と揺れ。死者・行方不明者230人、家屋全壊601棟
写真で見る写真を閉じる
1993年7月12日 北海道南西沖地震 震源域のただなかに浮かぶ奥尻島では死者・行方不明者が200人を超える惨禍となった。青苗地区は680戸の集落の約3分の1が津波に流され、約半数が火災によって焼失。電線、水道管、電話線なども完全に引き裂かれた=13日、奥尻町青苗地区 |
1983年 | 日本海中部地震 | 渡島、櫓山、奥尻で津波と揺れにより被害。北海道で死者4人、全国で104人 |
1982年 | 浦河沖地震 | 日高地方沿岸を中心に負傷者167人 |
1979年 | 台風20号 | ほぼ全国を暴風域に。北海道東部で漁船の遭難が相次ぐ。全国で死者110人、行方不明者5人 |
1977年 | 有珠山 | 大噴火が続き、翌年には泥流で死者2人、行方不明者1人 |
1977年 | 昭和52年豪雪 | 北海道や東北などで大雪、全国で死者101人 |
1973年 | 根室半島沖地震 | 津波と揺れで釧路、根室地方に被害。負傷者26人 |
1970年 | 十勝支庁南部で地震 | 日高地方に被害、負傷者32人 |
1968年 | 1968年十勝沖地震 | 南西部中心に津波被害。死者2人 |
1963年 | 昭和38年1月豪雪 | 前年12月末から2月初めに全国で死者228人、行方不明者3人 |
1962年 | 十勝岳 | 噴石で大正火口縁の硫黄鉱山事務所を破壊。死者4人、行方不明者1人 |
1960年 | チリ地震津波 | 死者・行方不明者15人。家屋全壊38棟、流失158棟 |
1956年 | 発達した低気圧 | 北海道で融雪洪水、漁船遭難、大火もあり、全国で死者47人、行方不明者53人 |
1954年 | 昭和59年豪雪 | 太平洋側にも被害が多発、全国で131人が死亡 |
1954年 | 洞爺丸台風 | 青函連絡船「洞爺丸」が遭難して1139人が犠牲に、死者は全国で1361人 |
1952年 | 十勝沖地震 | 太平洋沿岸に津波被害、死者33人。家屋全壊815棟、流失91棟 |
1944年 | 有珠山 | 翌年にかけて溶岩ドームが成長、昭和新山ができた |
1940年 | 神威岬沖で地震 | 天塩、羽幌、利尻を中心に津波などの被害。死者10人 |
1934年 | 函館市の大火 | 強風にあおられて火災が拡大、全市の3分の1を焼失。2000人以上が死亡 |
1933年 | 三陸沖地震 | 津波被害。死者13人、負傷者54人 |
1926年 | 十勝岳 | 熱い岩屑なだれが積雪を溶かして泥流が発生、死者・行方不明者144人 |
1915年 | 広尾沖で地震 | 帯広地方で被害、死者2人 |
1910年 | 有珠山 | 噴火にともなう泥流で死者1人。明治新山(四十三山)ができた |
1896年 | 明治三陸地震 | 死者約2万2000人、北海道から宮城にかけて家屋流失全半壊1万棟以上 |
1894年 | 根室南西沖で地震 | 根室、釧路、厚岸に被害。死者1人 |
1856年 | 北海道駒ヶ岳 | 噴石や火砕流により、21~29人が犠牲に |
1856年 | 日高・胆振・渡島や東北で地震 | 北海道南岸一帯に津波。函館で浸水 |
1843年 | 釧路・根室で地震 | 釧路で4~5メートルの津波、釧路・根室で溺死46人 |
1834年 | 石狩で地震 | 石狩川河口付近を中心に被害。家屋全壊23棟 |
1833年 | 羽前・羽後・越後・佐渡で地震 | 全国で、死者100人、家屋全壊475棟、津波被害大 |
1822年 | 有珠山 | 火砕流で50~103人が犠牲に |
1792年 | 後志で地震 | 津波により死者5人 |
1741年 | 渡島大島 | 噴火で山が崩れて海になだれ込み、津波が起き、北海道や津軽で約1500人が犠牲に |
1663年 | 有珠山 | 爆発により家屋が焼失や埋没、死者5人 |
1611年 | 慶長の三陸沖地震 | 三陸、北海道で被害。北海道東部でも溺死者多数 |
2011年 | 東日本大震災 |
日本の観測史上最大の地震。死者1万8493人、行方不明者2683人(2013年3月11日現在、総務省消防庁集計)
写真で見る写真を閉じる
2011年3月11日 東日本大震災津波で壊滅した宮城県女川町の中心部=2011年3月13日午前9時7分、朝日新聞社ヘリから 自衛隊のヘリに救助される被災者=2011年3月12日午前11時36分、岩手県陸前高田市、朝日新聞社ヘリから 東日本大震災によって起きた東京電力福島第一原発事故は、史上最悪級のものとなった =2011年3月12日、福島第一原子力発電所、朝日新聞社ヘリから 津波にのみこまれる仙台空港の滑走路。 地震前に飛び立っていた海上保安庁のヘ リコプターから撮影した=2011年3月11日、宮城県名取市、同庁提供 東日本大震災では内陸部でも液状化現象が発 生。道路から土砂が噴き出し、マンホールが飛 び出た=2011年3月11日、宮城県白石市 東日本大震災で堤防が決壊し、下流域の家屋 や田畑に被害をもたらした藤沼湖=2011年4月27日、福島県須賀川市、竹谷俊之撮影 津波で被災した原町火力発電所=2011年10月6日、福島県南相馬市 黒煙をあげて燃えさかる仙台港の製油所=2011 年3月12日、仙台市、朝日新聞社ヘリから |
2008年 | 岩手・宮城内陸地震 |
死者17人、行方不明者6人
写真で見る写真を閉じる
「岩手・宮城内陸地震」で発生した、荒砥沢ダム近くの大規模な地すべり跡地 =10月25日午前11時57分、宮城県栗原市、朝日新聞社ヘリから、河合博司撮影 |
2003年 | 宮城県北部で地震 | 負傷者677人、家屋全壊1276棟 |
2003年 | 宮城県沖で地震 | 負傷者174人 |
2000年 | 東海豪雨 | 愛知、三重、岐阜を中心に記録的な大雨。死者10人、行方不明2人。床上浸水約2万3000棟 |
1994年 | 三陸はるか沖地震 |
八戸を中心に被害。死者3人
写真で見る写真を閉じる
1994年の三陸はるか沖地震の後、青森県八戸市の埠頭(ふとう)で液状化現象が発生、砂が噴き出して噴火口のような穴が 現れた=94年12月29日、青森県八戸市 |
1993年 | 北海道南西沖地震 | 夜中の発生。津波の被害が大きく、死者・行方不明者230人 |
1984年 | 昭和59年豪雪 | 太平洋側にも被害が多発、全国で131人が死亡 |
1983年 | 日本海中部地震 | 秋田、青森、北海道などで被害。津波の被害が大きく、全体で死者104人 |
1968年 | 1968年十勝沖地震 | 津波があり、青森を中心に北海道南部、東北で被害。死者52人、建物全壊673棟 |
1964年 | 新潟地震 | 新潟、山形、秋田を中心に被害。死者26人、家屋全壊1960棟。地盤液状化被害大 |
1963年 | 昭和38年1月豪雪 | 前年12月末から2月初めに全国で死者228人、行方不明者3人 |
1960年 | チリ地震津波 | 南米チリ沖の地震により日本各地に津波が襲来。全国で死者・行方不明者142人 |
1956年 | 発達した低気圧 | 北海道で融雪洪水、関東や東北で大火。全国で死者47人、行方不明者53人 |
1954年 | 洞爺丸台風 | 青函連絡船「洞爺丸」が遭難して1139人が犠牲に、死者は全国で1361人 |
1948年 | アイオン台風 | 東北の太平洋側で大雨。北上川や支流が氾濫。全国で死者512人、行方不明者326人 |
1947年 | 力スリーン台風 | 関東や東北で大雨。全国で死者1077人、行方不明者853人。東北では北上川が氾濫して大きな被害 |
1939年 | 男鹿地震 | 死者27人、家屋全壊479棟など |
1933年 | 三陸沖地震 | 大津波で被害。死者・行方不明者3064人、家屋流失4034棟 |
1914年 | 仙北地震 | 地割れや山崩れ多く、全体で死者94人、家屋全壊640棟 |
1901年 | 八戸地方で地震 | 八戸から青森にかけて津波を含めて被害。死者18人 |
1900年 | 安達太良山 | 噴火で火口の硫黄採掘所全壊。死者72人、負傷者10人。山林耕地被害 |
1900年 | 宮城県北部で地震 | 死者13人、家屋全壊44棟 |
1896年 | 陸羽地震 | 秋田、岩手で被害が大きく、死者209人、家屋全壊5792棟 |
1896年 | 明治三陸地震 | 死者2万1959人、北海道から宮城にかけて家屋流失全半壊1万棟以上 |
1894年 | 庄内地震 | 主に庄内平野で被害。死者726人、家屋全壊3858棟、焼失2148棟 |
1893年 | 吾妻山 | 噴火。火口付近調査中の2人が死亡 |
1888年 | 磐梯山 | 岩屑なだれで山麓の村落が埋没、死者461人。桧原湖、秋元湖などができた |
1867年 | 蔵王山 | 御釜沸騰、硫黄混じりの泥水が増水し、洪水を起こし死者3人 |
1856年 | 北海道や津軽・南部で地震 | 津波が三陸や北海道南岸に襲来。南部藩で溺死26人、八戸藩で死者3人 |
1833年 | 羽前・羽後・越後・佐渡で地震 | 各地で津波。死者約100人。庄内地方で被害が大きい |
1810年 | 出羽で地震 | 男鹿半島の東半分を中心に被害、死者57人 |
1804年 | 象潟地震 | 死者300人以上、家屋倒壊5000棟以上 |
1801年 | 鳥海山 | 登山者8人が噴石で死亡。1804年にかけて噴火 |
1793年 | 陸奥・磐城で地震 | 死者44人以上、沿岸に津波。家屋の流失1730棟余、余震多い |
1793年 | 西津軽で地震 | 死者12人、小津波あり |
1772年 | 陸奥で地震 | 盛岡、遠野、宮古、大槌、沢内で被害。落石や山崩れで死者12人 |
1766年 | 津軽で地震 | 弘前から津軽半島に被害大きく、圧死約1000人、焼死約300人 |
1704年 | 出羽・陸奥で地震 | 死者58人。家屋倒壊435棟、焼失758棟 |
1694年 | 能代地方で地震 | 死者394人。家屋倒壊1273棟、焼失859棟 |
1677年 | 磐城・常陸・安房・上総・下総で地震 | 磐城から房総などで津波。小名浜などで死者・行方不明者130人余、奥州岩沼領で死者123人 |
1659年 | 岩代・下野で地震 | 会津、那須に被害。死者多数 |
1611年 | 慶長の三陸沖地震 | 三陸、北海道で被害。伊達領内で死者1783人、南部・津軽で人馬の死3000余 |
1611年 | 会津で地震 | 会津地方で山崩れ、人家倒壊多数、死者3700人以上 |
869年 | 貞観の地震 | 三陸沖の巨大地震。大津波があり溺死者1000人以上、家屋倒壊、圧死者も多数 |
2013年 | 伊豆大島で土石流 |
台風26号による記録的な大雨で土石流が発生。死者・行方不明者39人
写真で見る写真を閉じる
土石流で倒壊した住宅=2013年10月、東京都大島町 |
2013年 | 埼玉、千葉で竜巻 |
埼玉県越谷市や千葉県野田市などにかけて竜巻が発生。60人余がけが、約1400棟が損壊
写真で見る写真を閉じる
埼玉県越谷市で撮影された竜巻=2013年9月、読者提供 |
2012年 | 北関東の竜巻 | 国内最大級の竜巻により茨城県つくば市で1人死亡。計3カ所の竜巻で50人超が負傷 |
2011年 | 東日本大震災 |
日本の観測史上最大の地震。死者1万8493人、行方不明者2683人(2013年3月11日現在、総務省消防庁集計)
写真で見る写真を閉じる
2011年3月11日 東日本大震災13日の夕方になっても燃え続けるコスモ石油千葉製油所=千葉県市原市、朝日新聞社ヘリから |
2006年 | 低気圧による暴風と大雨 | 近畿から北海道で暴風や大雨。海難事故や山岳遭難が発生。全国で死者・行方不明者50人 |
2004年 | 新潟県中越地震 | 群馬でも負傷者6人、埼玉で負傷者1人 |
2000年 | 三宅島 | 噴火、有毒な火山ガスが大量放出。全島避難 |
2000年 | 三宅島・神津島・新島近海で地震 | 死者1人、負傷者15人、家屋全壊15棟 |
1987年 | 千葉県東方沖で地震 | 千葉を中心に被害。死者2人、負傷者161人 |
1986年 | 1986年伊豆大島噴火 |
外輪山の外側でも割れ目噴火。全島民1万人が島外に避難
写真で見る写真を閉じる
1986年11月 伊豆大島・三原山の大噴火花火のように放物線を描いて溶岩片を噴き上げる。内輪山を越えた溶岩はカルデラに茂るカヤを燃やしながらゆっくり流出した=1986年11月19日 |
1958年 | 狩野川台風 | 死者888人、行方不明者381人。伊豆半島を中心に被害。首都圏でも崖崩れや浸水被害 |
1956年 | 発達した低気圧 | 北海道で融雪洪水、関東や東北で大火。全国で死者47人、行方不明者53人 |
1949年 | 今市地震 | 今市を中心に被害。死者10人、家屋全壊290棟、山崩れも多発 |
1949年 | キティ台風 | 関東地方に大きな被害。全国で死者135人、行方不明者25人。群馬の土砂災害で32人が生き埋めに |
1947年 | 力スリーン台風 | 関東や東北で大雨。全国で死者1077人、行方不明者853人。群馬・栃木で死者・行方不明者1100人以上。利根川・荒川決壊で関東平野水浸し |
1947年 | 浅間山 | 噴火続く。8月の噴火では、噴石や降灰、山火事、登山者9人死亡 |
1940年 | 三宅島 | 噴火。溶岩が集落に。大量の火山灰、火山弾を放出。死者11人 |
1935年 | 台風 | 群馬で死者218人、行方不明者39人。全国で死者・行方不明者377人 |
1932年 | 草津白根山 | 火口付近で死者2人、負傷者7人、硫黄鉱山施設が破壊 |
1931年 | 西埼玉地震 | 死者16人、家屋全壊207棟 |
1930年 | 北伊豆地震 | 2~5月に群発地震。死者272人。神奈川でも死者13人、家屋全壊88棟 |
1930年 | 浅間山 | 活発に噴火。8月の噴火では火口付近で死者6人 |
1924年 | 丹沢地震 | 東京、神奈川、山梨、静岡に被害。死者19人、家屋全壊1200棟余 |
1923年 | 関東大震災 |
死者・行方不明者は、10万5000人余。強風で火災が延焼。沿岸に津波も襲来
写真で見る写真を閉じる
1923年9月1日 関東大震災関東大震災で建物が倒壊した東京・浅草周辺 |
1922年 | 浦賀水道地震 | 東京湾岸で被害。東京、横浜で死者各1人 |
1917年 | 大正6年東京湾台風災害 | 台風による高潮で東京湾岸などで広範囲が浸水。死者・行方不明者約1300人 |
1914年 | 桜島(大正大噴火) | 溶岩流で大間半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人 |
1911年 | 浅間山 | 活発に活動。降灰広範囲。8月の噴火で死者多数 |
1910年 | 関東大水害 |
梅雨前線と2つの台風で大雨。利根川や荒川、多摩川の流域で氾濫が多発。浸水家屋27万戸、被災者150万人
写真で見る写真を閉じる
1910年 関東大水害洪水が押し寄せた亀戸周辺(東京都江東区)=国土交通省荒川下流河川事務所提供 亀戸付近で被災者を見舞う慰問隊=国土交通省荒川下流河川事務所提供 浸水した北千住(東京都足立区)=国土交通省荒川下流河川事務所提供 |
1895年 | 霞ケ浦付近で地震 | 被害は関東の東半分。死者6人 |
1894年 | 明治東京地震 | 死者、東京で24人、川崎・横浜で7人。鎌倉、浦和方面にも被害 |
1855年 | 安政江戸地震 | 下町で被害が大きく、武家屋敷にも大被害。死者は計1万人くらいと推計 |
1854年 | 安政東海地震、安政南海地震 | 32時間の差で発生。関東から近畿まで被害。死者は数千人、家屋倒壊3万棟以上。「稲むらの火」の逸話 |
1853年 | 小田原付近で地震 | 小田原を中心に被害。死者24人、家屋全壊1088棟 |
1783年 | 浅間山(天明噴火) | 大噴火。死者1151人。北麓で土石なだれ、せき止められた河川が決壊して流域の村落を流失。江戸、銚子でも降灰 |
1721年 | 浅間山 | 噴火。噴石で登山者15人死亡 |
1707年 | 富士山(宝永噴火) | 南東山腹で大噴火。江戸にも降灰。川崎で厚さ5センチ |
1703年 | 元禄地震 | 江戸、関東諸国などで被害。房総半島から伊豆半島に大津波。死者は1万人以上 |
1677年 | 磐城・常陸・安房・上総・下総で地震 | 磐城や房総などで津波。水戸領内で溺死36人、房総で溺死246人余などの被害 |
1659年 | 岩代・下野で地震 | 塩原温泉1村がほとんど土砂に埋まり、死者多数 |
1649年 | 川崎・江戸で地震 | 川崎で民家140~150棟倒壊、死傷者多数 |
1649年 | 武蔵・下野で地震 | 侍屋敷、長屋の破損・倒壊。圧死者多数 |
1633年 | 相模・駿河・伊豆で地震 | 小田原で死者150人、箱根で山崩れ |
1615年 | 江戸で地震 | 家屋倒壊多く、死傷者多数 |
1605年 | 慶長地震 | 南海トラフ沿いの巨大地震、津波の被害が大きく、各地で死者多数。八丈島谷ケ里で死者57人 |
1498年 | 明応地震 | 南海トラフ沿いの巨大地震、津波が紀伊から房総に。各地で大被害。鎌倉でも溺死者200人 |
1410年 | 那須岳 | 噴石や埋没で死者180人余。牛馬多数被害 |
1293年 | 鎌倉で地震 | 寺社や家屋倒壊、焼失など。死者は数千人あるいは2万3000人余の説あり |
878年 | 関東諸国で地震 | 相模、武蔵を中心に被害。圧死者多数 |
864年 | 富士山(貞観噴火) | 青木ケ原溶岩流出、人家埋没 |
2011年 | 長野・新潟県境付近の地震 | 東日本大震災によって誘発。死者3人 |
2007年 | 新潟県中越沖地震 |
死者15人、負傷者2346人。家屋全壊1331棟。柏崎刈羽原発に被害
写真で見る写真を閉じる
2007年7月16日 新潟県中越沖地震地震で倒壊した酒造会社の建物=2007年7月16日午後1時13分、新潟県柏崎市で、朝日新聞社ヘリから |
2004年 | 新潟県中越地震 |
死者68人、負傷者4805人。家屋全壊3175棟。避難生活者の死亡も
写真で見る写真を閉じる
2004年10月23日 新潟県中越地震あちこちに亀裂が走り大きな段差ができた関越自動車道=2004年10月24日午前9時45分、新潟県小千谷市で、朝日新聞社ヘリから |
1989年 | 伊豆東部火山群 | 群発地震があり、伊東湾で海底噴火 |
1984年 | 長野県西部地震 | 御岳山の山崩れで被害。死者・行方不明者29人 |
1978年 | 伊豆大島近海地震 | 死者25人、家屋全壊96棟。伊豆半島で被害多い |
1974年 | 前線、低気圧、台風8号 | 5月から8月に全国で大雨。死者145人。7月7日に静岡で七夕豪雨 |
1974年 | 伊豆半島沖地震 | 死者30人、家屋全壊134棟 |
1968年 | 寒冷前線による大雨 | 死者106人、行方不明者13人。岐車では観光パス2台が川に転落、104人が死亡 |
1967年 | 羽越豪雨 | 新潟と山形で大雨。新潟の死者・行方不明者は130人を超えた |
1966年 | 台風24号、26号 | 二つの台風が同日に上陸。死者238人、行方不明者79人。富士山麓で土石流、山梨で死者・行方不明者170人以上 |
1965年 | 松代群発地震 | 1970年まで続く。負傷者15人、家屋全壊10棟 |
1964年 | 昭和39年7月山陰北陸豪雨 | 死者114人、行方不明者18人。新潟地震直後の大雨で新潟でも被害 |
1964年 | 新潟地震 | 新潟、山形、秋田を中心に被害。死者26人、家屋全壊1960棟。地盤液状化被害大 |
1963年 | 昭和38年1月豪雪 |
前年12月末から2月初めに全国で死者228人、行方不明者3人
写真で見る写真を閉じる
1961年6月24日からの集中豪雨長野県内の天竜川とその支流が各地で氾濫、伊那谷地方は大きな被害を受けた。写真は、泥に埋まったままの長野県飯田市川路地区の桑園 |
1961年 | 昭和36年梅雨前線豪雨 | 関東甲信でも大雨。死者302人、行方不明者55人。天竜川の氾濫で伊那谷で100人を超える死者 |
1961年 | 新潟県中越地方で地震 | 局地的な地震。死者5人、家屋全壊220棟 |
1958年 | 狩野川台風 | 死者888人、行方不明者381人。伊豆半島を中心に被害。首都圏でも崖崩れや浸水被害 |
1952年 | ダイナ台風 | 紀伊半島から東海、関東を通過、静岡を中心に被害。死者65人、行方不明者70人 |
1944年 | 東南海地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。静岡・愛知・三重などで死者・行方不明者1223人、家屋全壊1万7599棟、諏訪盆地でも被害。各地に津波。戦時中の地震 |
1935年 | 静岡地震 | 静岡・清水で被害多く、死者9人 |
1930年 | 浅間山 | 活発に噴火。8月の噴火では火口付近で死者6人 |
1930年 | 北伊豆地震 | 2~5月に群発地震。死者272人。神奈川でも死者13人、家屋全壊88棟 |
1924年 | 丹沢地震 | 東京、神奈川、山梨、静岡に被害。死者19人、家屋全壊1200棟余 |
1923年 | 関東大震災 | 死者・行方不明者は、10万5000人余。強風で火災が延焼。沿岸に津波も襲来 |
1915年 | 焼岳 | 噴火。泥流で梓川のせき止め、決壊、洪水発生。大正池生成 |
1914年 | 桜島(大正大噴火) | 溶岩流で大隅半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人 |
1854年 | 安政東海地震、安政南海地震 | 32時間の差で発生。関東から近畿まで被害。死者は数千人、家屋倒壊3万棟以上。「稲むらの火」の逸話 |
1847年 | 善光寺地震 | 死者1万人前後、崩壊土砂でせき止められた川の決壊による水害、各地からの参拝者も多数犠牲に |
1833年 | 羽前・羽後・越後・佐渡で地震 | 各地で津波。死者全体で約100人 |
1828年 | 三条地震 | 死者1600人。家屋倒壊12800棟、焼失1200棟 |
1802年 | 佐渡で地震 | 死者19人、家屋全壊732棟、焼失328棟 |
1783年 | 浅間山(天明噴火) | 大噴火。死者1151人。北麓で土石なだれ、せき止められた河川が決壊して流域の村落を流失。江戸、銚子でも降灰 |
1751年 | 越後・越中で地震 | 死者1500人以上。高田領の死者830人、家屋全壊4294棟 |
1729年 | 能登・佐渡で地震 | 能登半島先端で被害大きく、死者5人。佐渡でも死者、家屋倒壊 |
1721年 | 浅間山 | 噴火。噴石で登山者15人死亡 |
1714年 | 信濃北西部で地震 | 大町以北で死者56人 |
1707年 | 富士山(宝永噴火) | 南東山腹で大噴火。江戸にも降灰。川崎で厚さ5センチ |
1707年 | 宝永地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害も甚大。死者少なくとも2万人、家屋倒壊6万棟、流失2万棟 |
1703年 | 元禄地震 | 江戸、関東諸国などで被害。房総半島から伊豆半島に大津波。死者は1万人以上 |
1666年 | 越後西部で地震 | 高田城破損、死者約1500人、家屋倒壊多数 |
1605年 | 慶長地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害が大きく、伊豆西岸では内陸1キ口以上まで津波。浜名湖付近でも死者多数 |
1498年 | 明応地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波が紀伊から房総に。各地で大被害。静岡でも死者多数 |
1096年 | 畿内・東海道で地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波が、伊勢、駿河を襲う。駿河で寺社・家屋流失400棟余 |
864年 | 富士山(貞観噴火) | 青木ケ原溶岩流出、家屋埋没 |
2000年 | 東海豪雨 |
東海地方で記録的大雨、7万棟が浸水。死者10人、行方不明者2人
写真で見る写真を閉じる
2000年9月11~12日 東海豪雨東海豪雨で水につかった車=9月13日、名古屋市西区あし原町で |
1995年 | 焼岳 | 山頂の南東の安房卜ンネル建設に伴う工事現場で水蒸気爆発、水蒸気と土砂が噴出。4人が犠牲 |
1962年 | 焼岳 | 中尾峠側の山腹に新火口。多量の噴石、降灰、付近の山小屋で負傷者2人。泥流も |
1961年 | 北美濃地震 | 福井、岐車、石川に被害。死者8人 |
1959年 | 伊勢湾台風 |
伊勢湾や紀伊半島沿岸で甚大な被害。死者4697人、行方不明者401人。家屋全壊約4万棟
写真で見る写真を閉じる
1959年9月 伊勢湾台風伊勢湾台風で浸水した名古屋市内。人々はボートやいかだで移動した=1959年9月27日、名古屋市港区 伊勢湾台風による高潮で浸水した名古屋市港区の市街地=1959年9月28日、朝日新聞社機から |
1958年 | 狩野川台風 | 死者888人、行方不明者381人。伊豆半島を中心に被害。首都圏でも崖崩れや浸水被害 |
1953年 | 台風13号 | 愛知、三重、京都、滋賀、大阪、福井で大被害。死者393人、行方不明者85人 |
1953年 | 南山城の大雨 | 京都、三重県境で豪雨。死者・行方不明者430人 |
1952年 | ダイナ台風 | 紀伊半島から東海、関東を通過、静岡を中心に被害。死者65人、行方不明者70人 |
1952年 | 吉野地震 | 死者9人 |
1946年 | 南海地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。死者1330人、家屋全壊1万1591棟。静岡から九州で津波 |
1945年 | 三河地震 |
死者2306人、家屋全壊7221棟。津波も
写真で見る写真を閉じる
1945年1月13日 三河地震三河地震で倒壊した家屋と住民ら=1945年1月、愛知県西尾市で、西尾市提供 |
1944年 | 東南海地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。静岡・愛知・三重などで死者・行方不明者1223人、家屋全壊1万7599棟。各地に津波。戦時中の地震 |
1935年 | 静岡地震 | 静岡・清水で被害多く、死者9人 |
1914年 | 桜島(大正大噴火) | 溶岩流で大隅半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人 |
1909年 | 江濃地震(姉川地震) | 滋賀、岐阜で死者41人、家屋全壊978棟 |
1899年 | 紀伊半島南東部で地震 | 木ノ本、尾鷲で死者7人 |
1891年 | 濃尾地震 | 日本最大の内陸地震。死者7273人、建物全壊14万棟余 |
1889年 | 明治22年大水害 | 8月と9月の台風で奈良県十津川村で土砂災害、伊勢湾で高潮被害。多数の犠牲者 |
1858年 | 飛越地震 | 飛騨北部、越中で被害大。飛騨で死者203人、潰家319棟 |
1855年 | 飛騨白川・金沢で地震 | 山崩れ。死者12人。金沢城で石垣に被害 |
1854年 | 安政東海地震、安政南海地震 | 32時間の差で発生。関東から近畿まで被害。死者は数千人、家屋倒壊3万棟以上。「稲むらの火」の逸話 |
1854年 | 伊勢・伊賀・大和などで地震 | 各地で死者多数。伊賀上野付近で死者約600人など |
1847年 | 善光寺地震 | 死者1万人前後、各地からの参拝者も多数犠牲。飛騨でも山崩れで圧死者が数十人 |
1833年 | 美濃西部で地震 | 大垣北方の村々で山崩れ多く、死者11人 |
1718年 | 信濃・三河で地震 | 死者50人余 |
1707年 | 富士山(宝永噴火) | 南東山腹で大噴火。江戸にも降灰。川崎で厚さ5センチ |
1707年 | 宝永地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害も甚大。死者少なくとも2万人、家屋倒壊6万棟、流失2万棟 |
1686年 | 遠江・三河で地震 | 遠江の関所、三河の城で被害 |
1662年 | 東海・近畿・北陸一帯で地震 | 美濃、伊勢、三河などで被害。美濃で家屋被害多数 |
1605年 | 慶長地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害が大きく、各地で死者多数 |
1586年 | 天正地震 | 飛騨、美濃、伊勢、近江など広域で被害。死者5500人以上 |
1554年 | 白山 | 1556年にかけて噴火。小規模火砕流、噴石、社堂破壊 |
1498年 | 明応地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波が紀伊から房総に。各地で大被害。伊勢大湊で溺死者5000人など |
1361年 | 畿内・土佐・阿波で地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。各地で強い揺れ、津波で死者多数 |
1099年 | 南海道・畿内で地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。興福寺、摂津天王寺などで被害。土佐で津波 |
1096年 | 畿内・東海道で地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波が伊勢、駿河を襲う。京都の諸寺に被害 |
887年 | 五畿・七道で地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。京都で家屋倒壊多く圧死者多数。沿岸部は津波で溺死者多数 |
864年 | 富士山(貞観噴火) | 青木ケ原溶岩流出、家屋埋没 |
762年 | 美濃・飛騨・信濃で地震 | 被害不詳 |
745年 | 美濃で地震 | 美濃で仏寺、民家などが多く倒壊 |
684年 | 白鳳地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。諸国で家屋倒壊、津波。死傷者多数 |
2013年 | 立山連峰で雪崩 |
富山県の立山連峰・真砂岳で雪崩が発生。山スキーの7人が死亡
写真で見る写真を閉じる
真砂岳の雪崩。手前に写る人がいる場所と斜面の間には谷があり全員無事だった=2013年11月、読者提供 |
2007年 | 新潟県中越沖地震 | 死者15人、負傷者2346人。住宅全壊1311棟。富山でも負傷者1人 |
2007年 | 能登半島地震 |
石川を中心に被害。死者1人、家屋全壊686棟
写真で見る写真を閉じる
2007年3月25日 能登半島地震地震の激しい揺れで全壊した興禅寺=25日午後2時43分、石川県輪島市門前町走出(はしりで)で、朝日新聞社ヘリから |
2004年 | 平成16年7月福井豪雨 | 福井や岐阜で大雨。堤防決壊で浸水害多数。死者4人、行方不明者1人 |
1981年 | 昭和56年豪雪 |
前年12月から3月にかけて大雪。死者133人、行方不明者19人
写真で見る写真を閉じる
1980~81年 昭和56年豪雪福井市の小学校ではPTAが総出で屋根の雪おろし=1981年1月15日 |
1977年 | 昭和52年豪雪 | 前年12月から2月にかけて大雪。死者101人、負傷者834人 |
1964年 | 昭和39年7月山陰北陸豪雨 | 鳥取西部から島根東部、石川、富山で豪雨。死者114人、行方不明者18人 |
1963年 | 越前岬沖地震 | 敦賀湾、若狭湾沿岸などで小被害 |
1963年 | 昭和38年1月豪雪 | 北陸地方を中心に大雪。前年12月末から2月初めに全国で死者228人、行方不明者3人 |
1961年 | 昭和36年梅雨前線豪雨 | 四国、近畿、東海、関東甲信、北陸で大雨。死者302人、行方不明者55人 |
1961年 | 北美濃地震 | 福井、岐阜、石川に被害。死者8人 |
1959年 | 伊勢湾台風 |
伊勢湾や紀伊半島沿岸で甚大な被害。死者4697人、行方不明者401人。家屋全壊約4万棟
写真で見る写真を閉じる
1959年9月 伊勢湾台風伊勢湾台風で浸水した名古屋市内。人々はボートやいかだで移動した=1959年9月27日、名古屋市港区 伊勢湾台風による高潮で浸水した名古屋市港区の市街地=1959年9月28日、朝日新聞社機から |
1953年 | 台風13号 | 愛知、三重、京都、滋賀、大阪、福井で大被害。死者393人、行方不明者85人 |
1952年 | 大聖寺沖地震 | 福井、石川で死者7人 |
1948年 | 福井地震 |
規模のわりに被害大きく、死者3769人、家屋全壊3万6184棟。気象庁が震度階級に7を新設
写真で見る写真を閉じる
1948年6月28日 福井地震福井市を中心にM7.2の大地震が襲った。市内は地震とともに発生した火災で壊滅状態になった |
1933年 | 能登半島で地震 | 七尾湾沿岸の被害大きく、石川で死者3人、負傷者55人。富山でも負傷者2人 |
1914年 | 桜島(大正大噴火) | 溶岩流で大隅半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人 |
1900年 | 福井県鯖江付近で地震 | 負傷者6人、家屋などに被害 |
1892年 | 能登半島で地震 | 死者1人、負傷者5人 |
1891年 | 濃尾地震 | 日本最大の内陸地震。死者7273人、家屋全壊14万棟余 |
1858年 | 飛越地震 | 飛騨北部、越中で被害大。飛騨で死者203人、家屋倒壊309棟 |
1855年 | 飛騨白川・金沢で地震 | 山崩れ。死者12人。金沢城で石垣に被害 |
1833年 | 羽前・羽後・越後・佐渡で地震 | 各地で津波。死者全体で約100人、輪島で47人。能登で大破、流失家屋約345棟 |
1799年 | 加賀で地震(金沢地震) | 金沢城下で家屋全壊26棟など。全体で死者21人 |
1729年 | 能登・佐渡で地震 | 能登半島先端で被害大きく、死者5人。佐渡でも死者、家屋倒壊 |
1662年 | 寛文近江・若狭地震 | 北陸や近畿、東海で被害。死者800人以上 |
1640年 | 加賀大聖寺で地震 | 越前、加賀の境で被害。死傷者多数 |
1586年 | 天正地震 | 飛騨、美濃、伊勢、近江など広域で被害。死者5500人以上 |
1554年 | 白山 | 1556年にかけて噴火。小規模火砕流、噴石、社堂破壊 |
863年 | 越中・越後で地震 | 山崩れ、家屋損壊、圧死者多数 |
2011年 | 台風12号による大雨 |
紀伊半島を中心に大雨。和歌山、奈良、三重などで死者82人、行方不明者16人
写真で見る写真を閉じる
2011年9月 台風12号川の増水で倒壊した建物。家の前にあった橋は流された=2011年9月3日、奈良県黒滝村赤滝 |
2009年 | 台風9号による大雨 | 東西日本の広範囲で被害。避難中に流されるなど兵庫県佐用町で20人、計27人が犠牲に |
1995年 | 阪神大震災 |
活断層による直下型地震。死者6434人、行方不明者3人。家屋全壊約10万棟、全半焼約7000棟
写真で見る写真を閉じる
1995年1月17日 阪神大震災地震発生から12時間以上たっても燃え続ける神戸市長田区の市街地。朝日新聞社ヘリから 地震のため阪神高速道路の橋げたが落ち、危うく中ぶらりんで止まった観光バス=1995年1月17日、兵庫県西宮市甲子園 |
1990年 | 前線、台風19号 | 台風が和歌山に上陸、本州を縦断。死者42人、行方不明者2人 |
1961年 | 第二室戸台風 | 暴風と高潮の被害が大きく、死者194人、行方不明者8人 |
1961年 | 昭和36年梅雨前線豪雨 | 四国、近畿、東海、関東甲信、北陸で大雨。死者302人、行方不明者55人 |
1959年 | 伊勢湾台風 |
伊勢湾や紀伊半島沿岸で甚大な被害。死者4697人、行方不明者401人。家屋全壊約4万棟
写真で見る写真を閉じる
1959年9月 伊勢湾台風伊勢湾台風で浸水した名古屋市内。人々はボートやいかだで移動した=1959年9月27日、名古屋市港区 伊勢湾台風による高潮で浸水した名古屋市港区の市街地=1959年9月28日、朝日新聞社機から |
1953年 | 台風13号 | 愛知、三重、京都、滋賀、大阪、福井で大被害。死者393人、行方不明者85人 |
1953年 | 南山城の大雨 | 京都、三重の府県境で豪雨。死者・行方不明者430人 |
1953年 | 南紀豪雨 | 紀伊半島などで豪雨。和歌山で1000人を超える死者・行方不明者 |
1952年 | 吉野地震 | 奈良、大阪、京都、兵庫、滋賀などで死者9人、負傷者136人 |
1952年 | 梅雨前線 | 近畿地方に大雨、大阪で被害大きく、全体で死者67人、行方不明者73人 |
1950年 | ジェーン台風 | 大阪湾で高潮。大阪、兵庫、和歌山などで大きな被害。死者398人、行方不明者141人 |
1946年 | 南海地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。死者1330人、家屋全壊1万1591棟。静岡から九州で津波 |
1945年 | 阿久根台風 | 全国で暴風雨、死者377人、行方不明者74人。兵庫では200人を超える死者 |
1944年 | 東南海地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。静岡・愛知・三重などで死者・行方不明者1223人、家屋全壊1万7599棟。各地に津波。戦時中の地震 |
1938年 | 大雨 | 兵庫の被害が特に大きく、死者708人、行方不明者217人 |
1936年 | 河内大和地震 | 奈良、大阪の府県境で揺れ強く、死者9人 |
1934年 | 室戸台風 |
大阪の被害が特に大きく、死者2702人、行方不明者334人
写真で見る写真を閉じる
1934年9月21日 室戸台風29人の死者が出た弥刀小学校の校舎倒壊現場で後片付けをする人たち=1934年9月21日、大阪府弥刀村 倒壊した学校で遭難者を救助する人たち=1934年9月21日、大阪市東成区 室戸台風で倒壊した四天王寺の五重塔=1934年9月22日、大阪市天王寺区 暴風で倒壊した気象台の高さ39メートルの無線塔=1934年9月22日、大阪市大正区 |
1927年 | 北丹後地震 | 京都、兵庫、大阪で死者2925人、負傷者7806人。家屋の全半壊多数 |
1925年 | 北但馬地震 | 死者、兵庫で421人、京都で7人など |
1916年 | 神戸などで地震 | 神戸、明石、淡路北部で被害。死者1人 |
1914年 | 桜島(大正大噴火) | 溶岩流で大隅半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人 |
1909年 | 江濃地震(姉川地震) | 滋賀、岐車で死者41人、家屋全壊978棟 |
1899年 | 紀伊半島南東部で地震 | 木ノ本、尾鷲で死者7人 |
1899年 | 別子鉱山台風 | 四国縦断の台風で四国、岡山、兵庫などで1000人以上が犠牲。別子鉱山で大被害 |
1891年 | 濃尾地震 | 日本最大の内陸地震。死者7273人、建物全壊14万棟余 |
1889年 | 明治22年大水害 | 8月と9月の台風で奈良県十津川村で土砂災害、伊勢湾で高潮被害。多数の犠牲者 |
1854年 | 安政東海地震、安政南海地震 | 32時間の差で発生。関東から近畿まで被害。死者は数千人、家屋倒壊3万棟以上。「稲むらの火」の逸話 |
1854年 | 伊勢・伊賀・大和などで地震 | 伊賀上野、奈良などで死者。全体で死者は1500人を超える |
1707年 | 宝永地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害も大きい。死者少なくとも2万人、家屋倒壊6万棟、流失2万棟 |
1662年 | 東海・近畿・北陸一帯で地震 | 美濃、伊勢、三河などで被害。美濃で家屋被害多数 |
1605年 | 慶長地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害が大きく、各地で死者多数 |
1596年 | 畿内などで地震(慶長伏見地震) | 伏見城の天守大破、「地震加藤」の逸話で有名。家屋倒壊、死者多数 |
1586年 | 天正地震 | 飛騨、美濃、伊勢、近江など広域で被害。死者5500人以上 |
1498年 | 明応地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波が紀伊から房総に。各地で大被害。伊勢大湊で溺死者5000人など |
1361年 | 畿内・土佐・阿波で地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。各地で強い揺れ、津波で死者多数 |
1185年 | 近江・山城・大和で地震 | 社寺、家屋の倒壊、死者多数 |
1099年 | 南海道・畿内で地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。興福寺、摂津天王寺などで被害。土佐で津波 |
1096年 | 畿内・東海道で地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波が伊勢、駿河を襲う。京都の諸寺に被害 |
976年 | 山城・近江で地震 | 仏寺などの被害多く、清水寺では死者50人以上 |
887年 | 五畿・七道で地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。京都で家屋倒壊多く圧死者多数。沿岸部は津波で溺死者多数 |
684年 | 白鳳地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。諸国で家屋倒壊、津波。死傷者多数 |
2005年 | 台風14号、前線 |
九州、中国、四国で長時間の暴風雨。宮崎などで人的被害多く、死者26人、行方不明者3人
写真で見る写真を閉じる
2005年9月 台風14号台風14号で住宅街に流れ込んだ土砂を取り除く住民たち=9月7日、広島県廿日市市宮島町で |
2005年 | 福岡県西方沖地震 | 死者1人、負傷者1204人。山口で負傷者1人 |
2004年 | 台風23号、前線 |
岡山、京都、香川、愛媛など西日本を中心に土砂災害。死者95人、行方不明者3人
写真で見る写真を閉じる
2004年10月 台風23号による土砂崩れ土砂崩れで壊れた住宅では行方不明者の捜索が続いた=10月21日午前、岡山県玉野市で |
2004年 | 台風16号 | 瀬戸内を中心に高潮被害。死者14人、行方不明者3人 |
2001年 | 芸予地震 |
広島、愛媛、山口で被害大きく、死者2人、負傷者288人、家屋全壊70棟
写真で見る写真を閉じる
2001年3月24日 芸予地震芸予地震で被害の大きかった呉市内の急傾斜地。家の屋根には青いシートが目立つ=3月30日午後、広島県呉市で、朝日新聞社ヘリから |
2000年 | 鳥取県西部地震 |
鳥取、島根、岡山で被害大きく、負傷者182人、家屋全壊435棟
写真で見る写真を閉じる
2000年10月6日 鳥取県西部地震鳥取県境港市では民家の倒壊被害が出た |
1999年 | 台風18号 | 熊本など九州北部や中国地方瀬戸内海沿岸で高潮被害。死者31人 |
1999年 | 福岡豪雨 |
活発化した梅雨前線により西日本で豪雨。広島では土石流や崖崩れで31人死亡、福岡では地下街に濁流が流れ込み1人死亡
写真で見る写真を閉じる
1999年6月29日 福岡豪雨飲食店従業員の女性が死亡した地下の排水作業をする消防隊員=1999年6月29日、福岡市博多区 一面冠水したJR博多駅前=1999年6月29日、福岡市博多区 |
1993年 | 台風13号 | 九州を中心に各地で暴風や大雨。死者・行方不明者48人 |
1982年 | 昭和57年7月豪雨と台風10号 | 長崎を中心に記録的な豪雨。広い範囲に被害。死者427人、行方不明者12人 |
1972年 | 昭和47年7月豪雨 | 熊本、高知で被害大。中国地方では浸水害多発。死者421人、行方不明者26人 |
1967年 | 昭和42年7月豪雨 | 長崎、広島、神戸などで大雨。死者351人、行方不明者18人 |
1962年 | 梅雨前線による大雨 | 九州、中国地方西部などで大雨。死者110人、行方不明者17人 |
1961年 | 前線、台風26号 | 九州から近畿にかけて浸水や土砂災害多発。死者78人、行方不明者31人 |
1961年 | 第二室戸台風 | 死者194人、行方不明者8人 |
1951年 | ルース台風 | 山口で土砂災害、鹿児島で強風や高潮被害。死者572人、行方不明者371人 |
1949年 | 安芸灘で地震 | 呉で死者2人、下松市で負傷者2人 |
1949年 | デラ台風 | 愛媛で漁船が多数遭難、旅客船の沈没で死者多数。死者252人、行方不明者216人 |
1948年 | 低気圧 | 九州北部で大雨。長崎、佐賀で特に被害大。死者121人、行方不明者126人 |
1946年 | 南海地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。死者1330人、家屋全壊1万1591棟。静岡から九州で津波 |
1945年 | 阿久根台風 | 全国で暴風雨、死者377人、行方不明者74人。兵庫では200人を超える死者 |
1945年 | 枕崎台風 | 死者2473人、行方不明者1283人。広島で2000人を超える犠牲者。戦後まもなくで防災体制も整っておらず大被害 |
1943年 | 鳥取地震 | 鳥取で死者は1000人を超え、家屋全壊は7000棟を超えた |
1943年 | 鳥取沖で地震 | 2日連続であり、両方で負傷者11人、建物倒壊68棟 |
1942年 | 周防灘台風 | 気象情報が規制された戦争中の災害。山口県などで死者・行方不明者1158人 |
1914年 | 桜島(大正大噴火) | 溶岩流で大隅半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人 |
1905年 | 芸予地震 | 広島、呉、松山付近で被害大きく、広島県で死者11人、負傷者160人 |
1899年 | 別子鉱山台風 | 四国縦断の台風で四国、岡山、兵庫などで1000人以上が犠牲。別子鉱山で大被害 |
1872年 | 浜田地震 | 石見東部で被害大きく、海沿いでは隆起や沈降、小津波。死者約550人、全壊約5000棟 |
1857年 | 伊予・安芸で地震 | 宇和島、松山、広島などで被害。郷町で死者1人、郡中で死者4人 |
1854年 | 安政東海地震、安政南海地震 | 32時間の差で発生。関東から近畿まで被害。死者は数千人、家屋倒壊3万棟以上。「稲むらの火」の逸話 |
1711年 | 伯耆で地震 | 因幡、伯耆で死者4人 |
1710年 | 伯耆・美作で地震 | 伯耆で死者75人、家屋倒壊1092棟、美作で死者2人 |
1707年 | 防長で地震 | 佐波郡で死者3人、家屋倒壊289棟 |
1707年 | 宝永地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害も大きい。死者少なくとも2万人、家屋倒壊6万棟、流失2万棟 |
1686年 | 安芸・芸予で地震 | 広島中西部で被害大きく、死者2人、家屋損壊147棟 |
1676年 | 石見で地震 | 津和野城に被害。家屋倒壊133棟、死者7人 |
880年 | 出雲で地震 | 神社、仏寺、民家などの倒壊や破損が多数 |
2005年 | 台風14号、前線 | 九州、中国、四国で長時間の暴風雨。宮崎などで人的被害多く、死者26人、行方不明者3人 |
2004年 | 台風23号、前線 | 岡山、京都、香川、愛媛など西日本を中心に土砂災害。死者95人、行方不明者3人 |
2004年 | 台風16号 |
瀬戸内を中心に高潮被害。死者14人、行方不明者3人
写真で見る写真を閉じる
2004年8月 台風16号高潮につかった道路。住民は水の中を歩き、周囲には動けなくなった車が放置された=8月31日午前8時35分、高松市松福町1丁目で |
2001年 | 芸予地震 |
広島、愛媛、山口で被害大きく、死者2人、負傷者288人、家屋全壊70棟
写真で見る写真を閉じる
2001年3月24日 芸予地震愛媛県今治市内では、マンション駐車場の柱が壊れ、車が押しつぶされた |
2000年 | 鳥取県西部地震 | 鳥取、島根、岡山で被害大きく、負傷者182人、家屋全壊435棟。香川で負傷者2人 |
1995年 | 阪神大震災 | 活断層による直下型地震。死者6434人、行方不明者3人。家屋全壊約10万棟、全半焼約7000棟 |
1993年 | 台風13号 | 九州を中心に各地で暴風や大雨。鹿児島では土砂災害などで死者33人。死者・行方不明者48人 |
1982年 | 昭和57年7月豪雨と台風10号 | 長崎を中心に記録的な豪雨。広い範囲に被害。死者427人、行方不明者12人 |
1972年 | 昭和47年7月豪雨 |
熊本、高知で土砂災害の死者多数。中国地方では浸水害多発。死者421人、行方不明者26人
写真で見る写真を閉じる
1972年7月5日 豪雨による山崩れ高知県香美郡(現香美市)土佐山田町繁藤で集中豪雨による山崩れが発生、約10万立方メートルの土砂が国鉄土讃線の繁藤駅になだれ込んだ |
1968年 | 日向灘地震 | 高知、愛媛で被害が多かった |
1961年 | 前線、台風26号 | 九州から近畿にかけて浸水や土砂災害多発。死者78人、行方不明者31人。大分では、電車が崖崩れで土砂に埋まり31人が死亡 |
1961年 | 第二室戸台風 | 死者194人、行方不明者8人 |
1960年 | チリ地震津波 | 南米チリ沖の地震により各地に津波。全国で死者・行方不明者142人。高知で負傷者1人 |
1949年 | デラ台風 | 愛媛で漁船が多数遭難、旅客船の沈没で死者多数。死者252人、行方不明者216人 |
1946年 | 南海地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。死者1330人、家屋全壊1万1591棟。静岡から九州で津波 |
1945年 | 枕崎台風 | 死者2473人、行方不明者1283人。広島で2000人を超える死者・行方不明者。戦後まもなくで防災体制も整っておらず大被害 |
1934年 | 室戸台風 |
室戸岬での911.6ヘク卜パスカルは観測史上最低。近畿、中国、四国を中心に被害。死者・行方不明者約3000人
写真で見る写真を閉じる
1934年9月21日 室戸台風29人の死者が出た弥刀小学校の校舎倒壊現場で後片付けをする人たち=1934年9月21日、大阪府弥刀村 倒壊した学校で遭難者を救助する人たち=1934年9月21日、大阪市東成区 室戸台風で倒壊した四天王寺の五重塔=1934年9月22日、大阪市天王寺区 暴風で倒壊した気象台の高さ39メートルの無線塔=1934年9月22日、大阪市大正区 |
1914年 | 桜島(大正大噴火) | 溶岩流で大隅半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人 |
1905年 | 芸予地震 | 広島、呉、松山付近で被害大きく、広島で死者11人、愛媛で負傷者17人 |
1899年 | 別子鉱山台風 | 四国縦断の台風で四国、岡山、兵庫などで1000人以上が犠牲。別子鉱山で大被害 |
1857年 | 伊予・安芸で地震 | 宇和島、松山、広島などで被害。郷町で死者1人、郡中で4人 |
1854年 | 安政東海地震、安政南海地震 | 32時間の差で発生。関東から近畿まで被害。死者は数千人、家屋倒壊3万棟以上。「稲むらの火」の逸話 |
1789年 | 阿波で地震 | 徳島で家や蔵などに被害。香川でも堤防などに被害 |
1707年 | 宝永地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害も大きい。死者少なくとも2万人、家屋倒壊6万棟、流失2万棟 |
1686年 | 安芸・芸予で地震 | 広島中西部で被害大きく、死者2人。松山で城の石垣破損など |
1649年 | 安芸・芸予で地震 | 松山城、宇和島城に被害。民家も破損 |
1605年 | 慶長地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害が大きく、各地で死者多数 |
1596年 | 畿内などで地震(慶長伏見地震) | 伏見城の天守大破、「地震加藤」の逸話で有名。家屋倒壊、死者多数 |
1498年 | 明応地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波が紀伊から房総に。各地で大被害。伊勢大湊で溺死者5000人など |
1361年 | 畿内・土佐・阿波で地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。各地で強い揺れ、津波で死者多数 |
1099年 | 南海道・畿内で地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。興福寺、摂津天王寺などで被害。土佐で津波 |
887年 | 五畿・七道で地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。京都で家屋倒壊多く圧死者多数。沿岸部は津波で溺死者多数 |
684年 | 白鳳地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。諸国で家屋倒壊、津波。死傷者多数 |
2012年 | 九州北部豪雨 |
熊本、大分、福岡で死者21人、行方不明者8人。九州北部を中心に被害
写真で見る写真を閉じる
2012年7月11~14日 九州北部豪雨田植え後の棚田にも土砂崩れが発生していた=7月15日午前11時15分、福岡県うきは市、朝日新聞社ヘリから |
2010年 | 霧島山 | 新燃岳で噴火 |
2005年 | 台風14号、前線 | 九州、中国、四国で長時間の暴風雨。宮崎などで人的被害多く、死者26人、行方不明者3人 |
2005年 | 福岡県西方沖地震 |
死者1人、負傷者1204人
写真で見る写真を閉じる
2005年3月20日 福岡県西方沖地震歩道には割れたガラスが散乱していた=20日午前、福岡・天神で |
2004年 | 台風16号 | 瀬戸内を中心に高潮被害。死者14人、行方不明者3人 |
1999年 | 台風18号 | 熊本など九州北部や中国地方瀬戸内海沿岸で高潮被害。死者31人 |
1999年 | 福岡豪雨 |
活発化した梅雨前線により西日本で豪雨。広島では土石流や崖崩れで31人死亡、福岡では地下街に濁流が流れ込み1人死亡
写真で見る写真を閉じる
1999年6月29日 福岡豪雨飲食店従業員の女性が死亡した地下の排水作業をする消防隊員=1999年6月29日、福岡市博多区 一面冠水したJR博多駅前=1999年6月29日、福岡市博多区 |
1993年 | 台風13号 | 九州を中心に各地で暴風や大雨。鹿児島では土砂災害などで死者33人。死者・行方不明者48人 |
1991年 | 雲仙岳 |
出現した溶岩ドームが崩落して火砕流発生。43人が犠牲に。泥流による災害も発生
写真で見る写真を閉じる
1991年6月 雲仙・普賢岳噴火6月16日朝、山頂部を見せた普賢岳。地獄跡火口側の新火口から噴き出した溶岩ドームが再び盛り上がり、約70メートルの高さに成長していた |
1982年 | 昭和57年7月豪雨と台風10号 | 長崎を中心に記録的な豪雨。広い範囲に被害。死者427人、行方不明者12人 |
1979年 | 阿蘇山 | 噴火。死者3人、重傷2人 |
1972年 | 昭和47年7月豪雨 | 熊本、高知で土砂災害の死者多数。中国地方では浸水害多発。死者421人、行方不明者26人 |
1968年 | えびの地震 | 死者3人。前年から地震が続いていた |
1967年 | 昭和42年7月豪雨 | 長崎、広島、神戸などで大雨。死者351人、行方不明者18人 |
1966年 | 台湾東方沖で地震 | 与那国島で死者2人 |
1962年 | 梅雨前線による大雨 | 九州、中国地方西部などで大雨。死者110人、行方不明者17人。佐賀県太良町で大規模な土砂災害 |
1961年 | 前線、台風26号 | 九州から近畿にかけて浸水や土砂災害多発。死者78人、行方不明者31人。大分では、電車が崖崩れで土砂に埋まり31人が死亡 |
1961年 | 第二室戸台風 | 死者194人、行方不明者8人 |
1961年 | 日向灘で地震 | 宮崎、鹿児島で死者2人 |
1960年 | チリ地震津波 | 南米チリ沖の地震により各地に津波。全国で死者・行方不明者142人。沖縄で死者3人 |
1958年 | 阿蘇山 | 噴火。死者12人、負傷者28人 |
1957年 | 諌早豪雨 | 梅雨前線が活発化、長崎、熊本、佐賀で大雨。死者586人、行方不明者136人 |
1953年 | 梅雨前線 | 九州北部で大雨。死者748人、行方不明者265人。熊本では死者・行方不明者が500人を超えた。福岡、佐賀、大分、山口でも甚大な被害 |
1953年 | 阿蘇山 | 噴火。観光客死者6人、負傷者90人余 |
1951年 | ルース台風 | 山口で土砂災害、鹿児島で強風や高潮被害。死者572人、行方不明者371人 |
1949年 | ジュディス台風 | 佐賀など九州各地で被害大。死者154人、行方不明者25人 |
1949年 | デラ台風 | 愛媛で漁船が多数遭難、旅客船の沈没で死者多数。死者252人、行方不明者216人 |
1947年 | 与那国島近海で地震 | 石垣島で死者1人、西表島で死者4人 |
1946年 | 南海地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。死者1330人、家屋全壊1万1591棟。静岡から九州で津波 |
1945年 | 阿久根台風 | 全国で暴風雨、死者377人、行方不明者74人。兵庫では200人を超える死者 |
1945年 | 枕崎台風 | 死者2473人、行方不明者1283人。広島で2000人を超える死者・行方不明者。戦後まもなくで防災体制も整っておらず大被害 |
1941年 | 日向灘で地震 | 大分、宮崎、熊本で被害。死者2人 |
1922年 | 島原で地震 | 島原半島、熊本で被害。長崎で死者26人 |
1914年 | 桜島(大正大噴火) | 溶岩流で大隅半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人 |
1911年 | 奄美大島近海で地震 | 喜界島、沖縄島、奄美大島に被害。死者12人 |
1889年 | 熊本で地震 | 熊本市を中心に被害、県全体で死者20人 |
1854年 | 安政東海地震、安政南海地震 | 32時間の差で発生。関東から近畿まで被害。死者は数千人、家屋倒壊3万棟以上。「稲むらの火」の逸話 |
1792年 | 雲仙(島原大変肥後迷惑) | 噴火。5月に強い地震で眉山が大崩落、有明湾になだれ込み、津波が発生。死者約1万5000人 |
1779年 | 桜島(安永大噴火) | 噴石と溶岩流。死者150人余 |
1771年 | 八重山地震津波 | 石垣島での被害が特に多く、全体で死者約1万2000人 |
1723年 | 肥後・豊後・筑後で地震 | 肥後で家屋倒壊980棟、死者2人 |
1707年 | 宝永地震 | 南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害も大きい。死者少なくとも2万人、家屋倒壊6万棟、流失2万棟 |
1703年 | 由布院・庄内で地震 | 山奥の村で家屋倒壊273棟 |
1663年 | 雲仙岳 | 溶岩流出。翌春、九十九島火口から出水、氾濫、死者30人余 |
1625年 | 熊本で地震 | 地震で熊本城の火薬庫爆発。死者約50人 |
1596年 | 別府湾で地震(慶長豊後地震) | 湾内にあった瓜生島(沖ノ浜)が陥没し死者708人、と伝えられる |
【合田禄】三陸沖で発生、陸奥国(現在の東北地方)を津波が襲い、仙台平野の内陸数キロまで達した。死者は推定1千人以上、マグニチュード8.3とされる。
各地に津波が来たという伝承があるほか、最近の津波堆積(たいせき)物調査でも、内陸まで津波が押し寄せた痕跡が確認されている。
国は東日本大震災の後、貞観地震の伝承があったにもかかわらず対策に生かせなかったとして、めったに起きない地震でも、最大の規模を想定して対策をとる方針に切り替えた。
【野呂雅之】安土桃山時代の首都を襲った直下型の大地震で、マグニチュードは推定7.5以上。京都から淡路島まで大きな被害を及ぼし、太閤(たいこう)秀吉の居城である伏見城は倒壊、城内だけで約300人が犠牲になった。
その10年前、天正地震の揺れを経験した秀吉は築城にあたり、手紙で「なまつ大事」と指示している。
「なまつ(鯰〈なまず〉)」とは地震のこと。耐震に気を配れという意味であり、この手紙が地震と鯰を関連づけた最も古い史料だ。
秀吉は地震後、大坂城に移り、執政をつかさどった。「地震考古学」を提唱した地震学者の寒川旭さん(67)は「大坂と伏見。いわば首都機能の分散であり、築城にあたっての指示といい、リアリズムに根ざした秀吉の対応には見習うべきものが多い」と話す。
伏見地震は長く語り継がれ、謹慎中の加藤清正が救援のため伏見城に駆けつけて秀吉に謹慎を解かれた逸話は、明治になって歌舞伎の「地震加藤」になった。
だが、戦後は「関西には地震がない」という誤解が広まり、伏見地震が顧みられるようになったのは阪神大震災後のことだ。
【合田禄】房総半島沖の相模トラフで発生し、マグニチュードは8級とされる。南関東の相模湾沿岸から房総半島にかけて、強い揺れと津波で1万人以上が死亡した。津波の被害は房総半島の沿岸で大きく、2800人以上が水死し、5千軒以上の家屋が流失した。九十九里浜では、津波が川沿いに海岸線から2~3キロの内陸まで入り込んだ。
相模湾沿岸や房総半島南端では震度7だったとみられ、小田原では城下町が全滅し、東側の東海道の宿場も川崎付近までほとんど全滅した。箱根などでは山崩れや地割れが相次いだ。江戸も強く揺れ、江戸城や大名屋敷の石垣や門が壊れた。
房総半島の各地に供養塔や波切地蔵が残り、惨状を伝えている。現在、千葉県や神奈川県、東京都では、元禄地震を想定した津波対策が実施されている。
【森直由】東海、東南海、南海の三つの地震の震源域が同時に動いたとされ、マグニチュードは推定8.6。津波が紀伊半島から九州までの太平洋岸や瀬戸内海を襲い、死者は2万人とみられる。
三重県埋蔵文化財センターによると、県内で確認された宝永地震の石碑は4基。このうち2基が三重県南伊勢町にある。
南伊勢町の甘露寺には、犠牲になった約80人の三十三回忌に合わせて1739年、墓地の入り口に供養塔が建てられた。約9メートルの津波が来たと書かれ、「もし後の世でこのようなことが起きたら、みんなで屋根より高い山の頂上に逃げ、決して引き返してはならない」「高潮はすぐに襲ってくるので、逃げる途中で命を失ってしまう。だから後の世の子や孫に、この一大事を知らせるために、事細かく知らせておく」などと記されている。
地元の古文書などを調べている元小学校長の仲西栄助さん(70)は「昔の人の教訓を伝えることが、今を生きる私たちの役目だ」と話す。東日本大震災後、手作りの紙芝居で、地震や津波の教訓を伝えている。4作品をまとめた絵本も作り、町内の小中学校に配った。「これからも紙芝居をつくり、子どもたちへ教訓を広げていきたい」
【合田禄】南海トラフ沿いの巨大地震である宝永地震が起きた49日後、富士山の南東斜面から大噴火し、16日間、断続的に噴火を繰り返した。東側のふもとでは、火口付近から落ちてきた高温の石で家屋が焼失。火山灰が大量に積もったところでは家屋が倒壊した。
火山灰は偏西風に乗って関東地方に広く降り注ぎ、川崎市で厚さ5センチ、100キロ以上離れた房総半島にも届いた。その後も大量の噴出物が山や谷にたまり、洪水が頻発した。
国は2004年、宝永噴火並みの規模の噴火が起きた場合を想定した被害予測を公表した。神奈川県のほぼ全域で降灰し、横浜市では最大10センチ前後、東京都心部でも最大2~10センチの降灰が見込まれる。
都市部での火山灰の影響は大きく、路面でのスリップなどによる公共交通機関のまひや、送電線からの漏電が予想されている。
【熊井洋美】8月、北海道南部の松前町から南西60キロの日本海上にある無人の火山島・渡島大島が突然噴火。じわじわと山体崩壊が起き、海に流れ込んだ大量の土砂の影響で、北海道の日本海沿岸部約130キロが津波に襲われた。
当時の松前藩の報告によると、溺死(できし)者1467人、流失家屋791戸、漁船の遭難は1521隻に上る大災害だった。北海道大学・地震火山研究観測センターの西村裕一助教(地震学)は、感染症などによる犠牲も含め2千人以上の死者が出たと分析する。
津波が駆け上がった地点の標高は15メートルに達したとされる。2代目住職が津波にのまれた八雲町熊石地区の無量寺には、背中に穴が三つ開いた慰霊地蔵がある。寺によると、海の遺体をやすで突いて引き上げたことを記すものだという。
火山による津波被害は、国内では他に北海道駒ケ岳の山体崩壊(1640年)、長崎県の雲仙岳眉山の山体崩壊(1779年)が記録に残り、小規模を含めると10例以上になる。
渡島大島噴火には未解明な部分が多く、西村さんらは昨年から現地調査に取り組んでいる。「(地震と違って)噴火開始から避難までに時間の余裕はあるが、海に面する地域では、津波発生の可能性も踏まえて火山ハザードマップ作りを考えてもいいのではないか」と話す。
【東山正宜】4月24日、沖縄県八重山諸島の石垣島や宮古諸島の沖が震源とみられる大地震が発生。大津波が石垣島や周辺の島を襲い、計1万2千人が死亡した。壊滅した集落もある。地震の規模は評価が分かれるが、マグニチュード7.4~8.5と推定されている。
琉球王朝への報告書には、津波の高さが最大「28丈2尺(約85メートル)」と記されている。ただ、地元住民らでつくる八重山明和津波研究会は、津波を受けたとされる墓地や、逆に被害がなかったとの記録が残る集落の標高を調べた結果、津波が陸地に駆け上がった高さ(遡上〈そじょう〉高)は最高30メートルほどだったとしている。
石垣島の海岸や近くの陸地には、津波で沖合から運ばれた最大10メートルほどのサンゴの塊「津波石」がいくつも残る。うち四つは今年3月に国の天然記念物に指定された。
研究会のメンバーで市文化財課の島袋綾野さん(40)によると、当時、丘の上の畑にいて助かった住民の子孫の家には、早起きは三文の徳ならぬ「早起きしないと津波にのまれる」という家訓が残されているという。
【合田禄】経過や被害についての詳細な史料が残っている中で国内最大の噴火。4月、浅間山から鳴動が聞こえ出し、噴火が始まった。7月に本格的な噴火に入り、火砕物が山を下って家屋の焼失や倒壊などを引き起こした。
火砕流や噴出した岩の塊は地表の土石を巻き込んで川を流れ下り、火口から13キロ離れた旧鎌原村のほとんどが破壊された。利根川流域を中心とする関東平野にも被害をもたらし、約1500人が死亡したとされる。
噴火を伝える古文書は数多く残っている。各地に被災の記憶や復興の功績を伝える石造物もあり、供養祭も200年以上にわたって続いている。
【東山正宜】5月21日、長崎県島原半島の雲仙岳が噴火した後に地震が起き、隣にある標高700メートルの眉山が突然崩れた。大量の土砂が島原城下を押しつぶして有明海になだれ込み、大津波が発生、対岸の熊本(肥後)を襲った。大きな被害を与えたうえ、折り返した津波が再び島原を襲い、計1万5千人が死亡したとされる。
島原半島の土石流被害を「島原大変」、熊本の津波被害を「肥後迷惑」と呼ぶ。肥後藩主の細川家は、幕府に3万両の救済金の借用を願い出たという。島原半島から生き延びた僧侶らが爆発の様子を見取り図にしており、幕府への被害報告として多くの写しが描かれたとみられている。
【合田禄】長野市から長野県飯山市にかけて延びる長野盆地西縁断層で発生、マグニチュードは推定7.4。善光寺では折しも、秘仏の御開帳が行われる観光シーズンで、周辺の宿屋には7千~8千人の観光客が泊まる夜だった。
地震で多くの民家が倒壊し、火災は3日間続いた。土砂災害は4万カ所以上で発生したとされる。崩れた土砂は民家をのみ込み、川の流れをせき止めた。せき止められた川の上流では水害が起きたほか、せき止めが決壊して洪水が起き、下流の地域を襲った。全壊や焼失した家は約2万戸、犠牲者は計8千人を超えた。
揺れによる1次災害だけでなく、火災や土砂崩れ、洪水など多様な2次災害で被害が拡大するという教訓を残した。
【長田豊】高知県須崎市の県道脇に、「宝永津浪溺死(できし)之塚」と刻まれた石碑がひっそりとたつ。側面には、宝永地震(1707年)と安政南海地震(1854年)の2度の教訓を記した碑文が残る。
石碑が建てられたのは安政地震の2年後の1856年。碑文によると、須崎では宝永の大地震と津波で400人以上が亡くなり、いかだを組むように流れ着いた遺体を池のほとりに埋葬した。
さらに、150年忌に合わせて改葬の準備を進めていた安政元年、また大地震で津波が起きたが、「昔の事を伝え聞き、記録もあったので」多くの人が山林に逃げ登って助かったという。
後段では、約150年間で2度の大地震が起きたことを強調し、「後世もしこのようなことが起きた際の心得にもなるようにと衆議して」石碑を建てたと伝えている。
長年、雑草に囲まれて顧みられなくなっていた石碑は約20年前、地元住民の手できれいに整備され、易しい表現で内容を伝える案内板も設置された。
高知県立歴史民俗資料館(南国市)では現在、この石碑を含む県内24カ所の地震・津波碑を紹介する展示をしている。須崎市出身の岡本桂典学芸課長(56)は「展示資料を小学校の教材に活用したいという要望もある。碑の教訓をしっかり後世に伝えていきたい」と話す。
【森直由】岐阜県の山間部にある旧根尾村(現・本巣市)付近を震源に、10月28日午前6時38分、マグニチュード8.0の地震が発生した。死者7273人のうち、岐阜県(4889人)と愛知県(2339人)が9割以上を占める。
地震とともに高さ約6メートルの崖が村に出現した。地震を起こした根尾谷断層だ。断層を保存し、震災の風化を防ごうと1992年に「地震断層観察館」が建てられた。年間約2万人が訪れる。
地元に濃尾地震を経験した人はもういない。代わりに元小学校長の宮脇俊治さん(70)らボランティアガイドの男性2人が、地震の教訓や被災者の体験談を来館者へ伝えている。
宮脇さんによると、村では145人が犠牲になり、791戸のうち無事だったのは8戸のみ。発生の翌11月下旬に約1メートルの雪が積もり、村は食糧不足に陥った。村人同士で食べ物を分け合い、長い冬を乗り切った。宮脇さんは「災害のとき、近所づきあいが非常に役立つ。普段からのつきあいを大切にしてほしい」と話している。
【東山正宜】1月12日、桜島(鹿児島市)が噴火し、火山灰は東北地方まで飛んだ。流れ出た溶岩が大隅半島と隔てていた海峡を埋め、桜島は陸続きになった。死者58人、噴出量は約20億立方メートルと、国内では20世紀以降最大規模の噴火だ。
島内はその135年前の安永噴火が伝承として残されており、多くの住民は事前に避難して無事だった。だが、当時の鹿児島測候所は噴火の可能性を否定し続けた。逃げ遅れた住民が冬の海を泳いで対岸に渡ろうとして20人以上が行方不明になった。
噴火の10年後、東桜島小学校に建てられた碑には「住民は理論に信頼せず、異変を認知する時は、未然に避難の用意、尤(もっと)も肝要」と刻まれている。科学を信用せず、自主避難の大切さを訴える内容だ。「科学不信の碑」とも言われる。
【清水謙司】広島県廿日市市宮浜温泉1丁目の特別養護老人ホームそばに供養塔がたっている。1945(昭和20)年9月17日、この地域を含めて、県内で2012人が亡くなった枕崎台風による災禍を伝える。
広島への原爆投下から約1カ月。鹿児島県枕崎市付近に上陸した台風で、広島県大野村(現・廿日市市)の川で大規模な土石流が発生した。下流にあった大野陸軍病院が直撃を受け、入院していた被爆者や原爆調査に来ていた京都大の研究員ら156人がのみ込まれた。
「山津波」は、病院の対岸にある同県宮島でも発生。世界遺産・厳島神社にも大量の土砂が押し寄せた。急傾斜地が多い同県呉市では、千戸を超す家屋が流失するなどして1100人以上が犠牲になった。
当時、看護師として大野陸軍病院に派遣されていた守屋ミサさん(91)=茨城県在住=は、手記を発表するなどして悲劇を語り継いできた。「原爆の後の台風のことはそれほど知られていない。台風でも戦争に関係した犠牲者が多く出た。マスコミは9月17日を忘れず報道してほしい」と願う。「土砂災害危険箇所」が全国最多(約3万2千カ所)の広島県では今も、ホームページに枕崎台風の概要を掲載している。
【森直由】1959年9月26日午後6時すぎ、和歌山県の紀伊半島に巨大台風が上陸。愛知、三重両県の伊勢湾沿岸などで被害が出た。死者・行方不明者5098人。95年の阪神大震災まで戦後最大の自然災害だった。
被害の主な原因は高潮。台風が通過した名古屋港では、26日午後9時半ごろ、3.89メートルの高潮が発生。名古屋市南区で1417人が犠牲になり、最大の被災地となった。
この台風をきっかけに61年、災害対策基本法が制定された。国などは伊勢湾級の高潮に耐えられる高さの堤防建設を計画。名古屋港の沖合約10キロに64年、海面からの高さ6.5メートル、総延長7.6キロの高潮防波堤がつくられた。高潮が防波堤を越えた場合の「最終防衛ライン」として、同じころに海面近くの陸上に高さ6~6.5メートル、全長26キロの防潮壁も建てた。
防波堤は完成から半世紀近くたち、最大約1.5メートル沈下。巨大地震による津波も想定し、最大3メートルほどかさ上げして高さ8メートルに補強する工事が進む。
◇
【山田史比古】名古屋市立白水小学校(同市南区)では、全校児童2337人のうち142人が犠牲になった。校舎から水がひくのに2週間以上かかり、授業が再開したのは10月19日だった。
校庭の一角には犠牲者の冥福を祈り、二度と惨禍を繰り返さないという誓いを込めて65年に「友情の碑」が建てられた。台座の高さは当時の浸水の水位と同じ2.75メートル。その上に子ども2人を抱えて逃げる母親の像がある。
白水小では毎年9月下旬、地元のお年寄りを招いて4年生が当時の体験談を聞いたり、碑の前で全校集会を開いて犠牲者に黙祷(もくとう)を捧げたりしてきた。教務主任の豊島斉教諭(45)は「子どもたちに地元で起きた水害について学んでもらい、これから災害があったときに生かしてほしい」と話している。
【合田禄】1910年、梅雨前線による雨と、8月11日に房総半島沖を通過した台風に加え、14日に静岡県沼津付近に上陸した台風のため関東地方は豪雨に見舞われた。
利根川や荒川などで氾濫(はんらん)が相次ぎ、上流域では土砂災害もあって、関東地方で769人が死亡、78人が行方不明となった。流失家屋は2796戸にのぼった。
東京では現在の北区、荒川区、足立区、葛飾区、台東区、墨田区、江東区などで浸水。宮村忠・関東学院大名誉教授(河川工学)によると、当時は川が氾濫することを前提としていた地域もあったが、市街地への流入を防ぐ隅田堤の一部が決壊、被害が広がったという。
この水害を受け、政府は20年かけて全長22キロ、幅500メートルの人工河川「荒川放水路」を造った。堤防も増え、氾濫が繰り返されてきた地域にも市街地が形成されるようになった。宮村名誉教授は「水害は減ったが、建設からかなりの時間が経っている堤防もある。維持管理に力を入れることが必要になっている」と指摘している。
【野呂雅之】1934年9月21日、高知県室戸に上陸した台風は中心気圧911.6ヘクトパスカル。強い勢力を保ちながら北上、朝8時すぎに大阪で瞬間風速が60メートルを超え、観測機器を取り付けていた気象台の鉄塔が倒れた。
国内で過去最大の超大型台風。暴風と高潮の被害で大阪府内の死者・行方不明者は1888人にのぼり、全国の6割を占めた。
すさまじい暴風で学校の古い木造校舎が倒壊。府内の死者数の37%にあたる676人は小中学生だった。35年に発刊された大阪市風水害誌によると、市内の小学校244校の7割以上が全壊・大破した。
これを教訓にして地震や火災にも強い鉄筋の校舎づくりが進み、現在の学校耐震化につながっている。
当時の気象予報の精度は低く、暴風警報が発令されても学校が休校にならないこともあった。いまの注意報、警報制度の原型ができたのは、室戸台風の発生翌年だ。
【東山正宜】福岡市のJR博多駅周辺は最近十数年間でも2回、付近の川があふれ、地下街や駅ビルが被害を受けた。
1999年6月29日、梅雨前線の活発化による豪雨に見舞われた。福岡市を流れる御笠(みかさ)川があふれて市中心部が冠水。JR博多駅ビルなど81の地下施設に水が流れ込み、近くの商業ビルでは逃げ遅れた飲食店従業員の女性(当時52)が死亡。市全体で3478戸が浸水した。
1時間に約80ミリの非常に激しい雨が福岡市や上流で降ったことに加え、上流域の急速なベッドタウン化で雨水が地中にしみ込まなくなったことで、川の水位は通常状態から4時間で一気に危険水位を超えた。
御笠川は2003年にも氾濫(はんらん)し、97の地下施設と2916戸が浸水した。
その後、福岡市は御笠川の川底を深くしたり、周辺の土地を買って川幅を広げたりして、流せる水量を毎秒400トンから890トンに倍増させた。野球のグラウンドを1.8メートル掘り下げて大雨の時に臨時の「貯水池」になるようにしたほか、地下に最大直径5メートルの雨水管を13キロ整備して、氾濫を防ごうとしている。
また、雨水が地表を伝って一気に川に流れ込まないように、上流の自治体と連携し、雨水が地中にしみ込む側溝を増やしている。
市の担当者は「三たび浸水させないためにハードのほか、水位情報を携帯に送ったり、避難訓練したりといったソフト面も組み合わせて被害をなくしたい」と話す。