ドーピングの話で盛り上がったん? | さかもとサンのブログ

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なんかいろいろをそれなりの期間やっている人が思っていることなどを記事にしているブログです。

有名人がプロ転向するとかドーピングしてしまうの残念とか悲しいとか、なんだかそんなのが昨日あたりXで盛り上がってた感じなのですが(見る専のアカウントのタイムラインに流れてた) 皆さん他人の人生に関心持ちすぎですね。
ドーピングステロイドテストステロン以前に

他人の人生に口出し過ぎかなぁ

なんて思ってます。
その人が悩んでいろんなところに相談して覚悟を決めた人生なのだからそれで良いじゃないか、という寛容な心が必要な気がしますけどね。

もともとそんなに関心を持っていない方なので私はどうとも思わないかな。
プロ目指すんだなぁ、頑張るんだなぁ、というぐらいにしか思いません。
私が他人に関心なさすぎなのかしら。

その人の進む道に自分が合わないと思ったらそっと去ればいいんですよ。
その方がお互いに疲れないし、余計な苦しみや悩みは持たなくて済むものです。

私はもともとドーピング問題について調べ物をしてたりしたので、その観点からの話を聞きたい人が間違って存在しているかもしれないので一応感想を置いておきます。

プロに転向する、その世界でドーピングをしながら体を作ることでしか勝てないのであれば、それをやるのはスポーツ哲学としては「あり」です。

ボディビルがスポーツかどうかというところに疑問を持つかもしれませんが、一応皆さんスポーツだというのでスポーツと考えた場合、勝つために最大限のできる努力をするのはスポーツとしては当然のことであり、義務でもあります。

ドーピングが許されている世界で努力をする、その努力の中にドーピングが含まれているのであれば悪いことでも何でもない、至極真っ当なことですとも。

それをそういう風に捉えられないのがアンチドーピングの掲げている理念の問題点です。
アンチドーピングの点から語るのは良いけれども、それはアンチドーピングを掲げている世界の中だけです。
アンチドーピングに関係ない世界にまで口を出す権利はないはずです。

それを自分たちの考えが絶対に正しい、我々が正義だと思っていることが問題であると、私は考えております。
価値観の違う正義を振りかざすのは違うと思います。

それと、アンチドーピングの世界にとどまることに魅力を感じられなかった、またはアンチドーピングの人にも相談したかもしれないけれども、アンチドーピングの世界の人たちが思いとどまらせるまでの説得ができなかった可能性もあるのではないでしょうか。

まだまだドーピングしなくても頑張れる、やれることはある、筋肉の魅力を追い求められる、それを打ち出せなかったのがアンチドーピングの世界なんじゃないですかね。
もうアンチドーピングの世界に魅力がないんですよ。

ということは逆に考えれば、これを機にアンチドーピングでももっとすごい体を作れるよ、魅力的な体を作れるよ、筋肉を追い求められるよというものを作り出す努力が必要になってくるということでもあります。
不健康だからドーピングはダメ、じゃ説得力が足りないんですよ。
それ以上のアンチドーピングの世界で生きていくならではの魅力、それが必要です。

その魅力、ありますか?

ないから今回みたいな盛り上がり方をするんじゃないかなと思います。

まあ、私は関心のない世界ですが、ドーピング問題の話題だけは昔取り扱っていたので一応気になる人がいた場合の話を置いておきます。

私個人は正直どうでもよいです。
プロ目指すなら頑張ってください、それだけですね。
知らんけど。
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