豊臣秀吉
『独眼竜政宗』観てたら~豊臣秀吉の配役が勝新太郎・・・さん
ちょーおまーいくらなんでもカッコよすぎっしょ~この秀吉~~
って事でカキカキ
こんなん秀吉のイメージじゃな~いこりゃ戦国武将勝新太郎だ
でもホントかっこ良いなぁ なんとなく私的には柴田勝家(しばたかついえ) のイメージなんですが・・・あれ賛成すくなさそう
まぁ個人的な秀吉像はおいといて(そのうち描くこともあるかと)
シーンは第二十四話「天下人」から~小田原征伐にかなり遅れて参陣した政宗
と秀吉の初対面より
※豐臣秀吉(とよとみひでよし)
織田信長 の草履取りから関白太政大臣まで上り詰めた立身出世の見本の大英雄
当初の姓は木下藤吉郎秀吉(きのしたとうきちろうひでよし)
近江淺井氏攻略に功があり、天正元年(1573)淺井氏旧領を与えられ
翌年、羽柴筑前守秀吉(はしばちくぜんのかみひでよし)を称する。
天正10年(1582)の本能寺の変で主君織田信長 が惟任光秀(これとうみつひで) に討たれるとこれをいち早く征伐。
以降織田旧領を掌握する形で一大勢力となり天下の過半を掌中とする。
天正14年(1586)朝廷より豐臣姓を賜り、豐臣秀吉を称す。
天正18年(1590)3月、惣無事令に反した北條氏征伐のため小田原攻めを発動し、これを機に東国諸大名に大動員をかける。
この時先鋒の徳川家康
が3万余、北陸の前田利家
・上杉景勝
勢が3万5千、瀬戸内・紀伊水軍1万、秀吉本隊14万、計22万という空前絶後の大軍勢を率いて小田原城へ歩を進めた。
(対する北條氏政
・氏直率いる北條軍は5万程度といわれる)
ルイス・フロイスはこのあまりの大軍勢を見て、これでは補給がままならず攻囲軍の方が衰弱し餓えに苦しむだろう・・・いや実際に餓えていると自身の常識に則った所感を書き残し、秀吉は北條に勝てそうにないので言葉巧みに謀略を用いて開城へ導いたのだと論評している。
しかし実際には秀吉はこの時長束正家
をして50万石の兵糧を買い付けさせており(これは22万の兵なら優に2年分以上の兵糧となる)、その補給路も東海道・中山道はもとより海路より陸揚げを遺漏無く行う経済力を有していた。
様子見していた伊達政宗
ら諸侯が秀吉に降ったのも、この圧倒的な経済力を見せ付けられた為だろう。
関白となった秀吉の傍らには石田三成 ・淀殿 が常に付き従っている印象があるのですが、独眼竜政宗においても例外ではなく必ずといっていい程登場してくれるのが個人的に嬉しい
この他に独眼竜政宗では豊臣秀次 をよく笑う人物として陣内孝則さんを配して目立だたせているのですが、秀次 の今後を知ってるとチョットせつなくなります
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