こんにゃちは

フキゲンをごきげんに変える、パワフルな女性を増やすコーチ、Mica (ミカ)です。

 

 

今日もブログに来て頂きまして、ありがとうございます★

 

 

 

 

ごきげんな感情に溢れ、彩られた人生。

フキゲンな感情に翻弄され、疲弊した人生。

 

 

 

あなたは、どちらの人生を送りたいですか?

 

 

ごきげんな人生をゲットして、

大切な人と、笑顔の時間を積み重ねたい!

 

という方へ

このブログを書いています。

 

 

 

 

 

 

日本の教育現場で、

物事をややこしくする要因のひとつが

 

 

「行動に心が伴っていない」

という叱り文句

 

 

である、という話がありました。

 

 

 

 

行動には、

心が伴っていないといけないのか?

 

心が伴っていなければ、

行動に意味がないのか?

 

 

全くそんなことはないですよね。

むしろ、心が伴っていないのに、

行動を変えることが出来ること。

それこそがすごいです。

 

 

 

 

 

 

大嫌いだった姑の、

(また、姑@犬猿の仲時代の例ですが)

行動や言動を、善意で解釈する。

 

姑に優しくする。

 

彼女が好きなもの、

大切なものを知ろうとする。

それを一緒に大切にする。

 

 

この行動を開始した当初の私も、

その行動に、心なんて、

全くもって伴っていませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

そんな私@行動開始当初、は、

「心が伴っていないからダメだ」

と責められるべきなのか?

 

 

そんなことはないですよねえ。

そんな風に責められたって、

「あなたはそうなんですね」以上、

終了です。

 

 

私は、

心を変えることが出来ないので

 

まず、

行動から変えることを始めました。

 

 

 

 

 

たとえば、

学校生活でも、子どもたちには、

「行動を変えること」を教える方が

「きれいな心を持つこと」を教えるよりも、

ずっとシンプルです。

 

 

嫌いな子がクラスにいても、

嫌いだと表明したりしないで、

礼儀正しく、挨拶したり、

普通に言葉は交わす。

でも、別に、

無理に仲良くする必要はない。

 

 

そんな風に、

心と行動が伴っていないことを、

OKとする方が

人間関係がスムーズに運ぶことが、

容易に分かります。

 

 

それを子どもたちに教えることこそが

教育現場に必要なのではないか?

 

 

「心の教育」、つまり

「優しさ」だとか「思いやり」だとか

そういうものを持って接しましょう、

という教育は

なんだかかえって、分かり難いし、

さらに、物事を複雑にしているのではないか。

 

 

 

 

そういえば、

長女子&次女子が通っていた幼稚園では

相手が嫌な思いをすることをしたら、

「ごめんね」というんだよ、ということを、

子どもたちは教えられていました。

 

 

ですので、

園児たちの「ごめんねー」が、

そろいもそろって、ちょっと癖のある、

型通りの言い方でして。

 

 

それを聞くたびに、母たちは

 

「心が伴っていない、

 あの”ごめんね”は、

 いいんだろうか」

 

と、話題にしていたものです。

 

 

いいんですよねえ。

そうやって、

「こういう時は、こうするものだ」という、

ざっくりとした型を憶えて

たまに予測不可能なことが起ったら、

微調整していく。

 

 

その方が、人間関係における作法が、

スムーズに入っていく気がします。

 

 

 

 

 

 

 

いかがでしょうか。

 

 

「行動に心は伴わなくていい」

 

 

そんな風に考えれば、

行動を変えることは、

案外簡単に運ぶかもしれません(^^)

 

 

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今年も読んで下さり、ありがとうございます♡

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MICA(ミカ)