週末の過ごし方
「品がある」は、どこから来た?
2025.01.08
大人になると、身なりや振る舞いに「品がある」ということが褒め言葉に感じられる。「品がある」と言ってもイメージはいろいろだ。控えめだが上質な素材の装い。さりげない他者への配慮。場を踏まえた適切な振る舞い。人だけではなくモノや空間に関して「品がある」と感じることもある。
イギリスには「アンダーステイトメント」と言って、紳士は何が起ころうと控えめに振る舞う美学がある。そこにはダンディズムと知的なひねりを加えた独特の人間像が浮かび上がってくる。日本で言う「品がある」に似ている気もするが、より明確な規範がある。では、「品」とは何か?となると答えられない。
若いころに、あるイベントで海外VIPの受付をするバイトをしたことがある。背の高い男性に名前を告げられたが、招待リストを探しても名前が見つからない。こちらは焦って探すが、先方は「ゆっくりしてください」と、悠然とされている。実は称号にプリンスがついていらして「P」の項目を探したら、お名前が見つかった。にっこり笑い「ありがとう」と去って行った姿に、私の知らない類いの方だと感じた。立場から生まれる品なのかもしれない。一方、立場や背景に関係なくとも「品がある」方もたくさん目に浮かぶ。
そもそも「品」という概念は、儒教から来ている。人の本性についての議論から生まれて、役人のランク分けにまで応用された思想だ。「品」は“種類”を意味する。日本では、仏教の生前に積んだ功徳九種を「九品」と翻訳したことから、複雑なニュアンスが含まれるようになった。ここから人やモノに「品がある」と見分ける文化ができあがった。
このように神仏習合する日本の文化では、分別する垣根は溶け込み曖昧になっていく。身分制度や確固たるマナーがない現代ならなおのことだ。それでも、人やモノに「品がある」と感じるとしたら、「何かが違う」という畏敬の念に近いのかもしれない。人には混沌に見えたとしても、「あるべきところに、あるべきものがある」ことで、美しく秩序が働いている。それこそ究極の「品」ではないか。日本語で「品がある」と言うとき、私たちは秩序の美を察知しているのかもしれない。
Text: Sayaka Umezawa(KAFUN INC.)
Photograph: Catherine Ledner(Getty Images)