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「100ミリ以下は影響なし」 渡邉京大教授の南相馬講演 と危険なプロジェクト <放射線健康講演会 「今の生活で大丈夫?」>と題して、渡邉正己・京大放射線生物研究センター特任教授の講演が5月28日、南相馬市内で行われた。 「現状では内部被ばくはほとんど問題にならない」 「外部被ばくについて、100ミリシーベルト以下の被ばくでは人体への影響は出ない」 「子どもより大人の影響が大きいとする証拠はない」 それにしてもこれが市の主催する企画なのだ。一体、どういうことだろうか? 確かに、国の福島復興加速化方針やリスクコミュニケーションの意図がこういうものだというのは間違いない。また、2011年に南相馬市内で指定された特定避難勧奨地点152世帯の解除を、国が、この7月にも行おうとしていることとも大いに連動しているだろう。確かにそうだが、この渡邉特任教授の講演内容の異様さは、それにとどまるものではなそうだ
汚染水漏えい、4号機プール燃料取り出しと厳しい問題が続く東京電力福島第一原発の収束作業。今回は、1~3号機の作業に従事する斉藤貴史さん(仮名)にお話を聞いた。 斉藤さんは、もともと全国の建設現場を渡り歩き、事故後の福島第一原発の現場に入っている。 私たちの周辺で、いま現在、放射線や被ばくを問題にする場合、その単位は、毎時何マイクロシーベルトというレベルだろう。が、斉藤さんが携わる現場は、時間当たりミリシーベルトという桁の違う世界だ。そういう現場に身を置く斉藤さんの言葉は重い。そして被ばくによる犠牲者がいるという衝撃的な話も。 さらに、高線量の現場が、露骨な格差社会になっている実態が語られる。一方で、線量計の警告音に怯え、健康被害の不安を抱えながら、現場に向かう作業員たち。他方で、安全なところから指示を出し、次々と交代して行くゼネコンの社員たち。そのあり様はあまりに対照的だ。賃金や待遇にとど
東京電力福島第一原発事故の収束作業の現場で働く草野光男さん(仮名 50代 いわき市)からお話を聞いた。草野さんは、事故以前から福島第一原発をはじめ全国の原発で長らく働いてきた。 草野さんは、汚染水問題などに関する国や東電の公式発表と、現場で作業する者の意識のかい離を指摘する。とくに4号機プールで11月中旬から始まる使用済み核燃料の取り出し作業について、その危険性を訴え、「クレーン操作に日本の運命がかかっている」と話す。また、避難住民が多く暮らすいわき市で、地域の中で生じている軋轢について、「かつての戦争のときと同じだ」と憂う。 (インタビューは、9月中旬、いわき市内) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ オリンピック騒ぎに暗澹たる気持ち ――まず、安倍首相が国際オリンピック委員会で、「状況はコントロールされている」「汚染水は完全にブロックされている」
国・環境省が進める除染が、飯舘村で行き詰まっている。 6月25日、飯舘村飯野出張所で開催された、飯舘村小宮地区を対象にした「除染作業実施のための住民説明会」を取材した。環境省福島環境再生事務所が、小宮地区の除染を開始するに当たって、除染の進め方を地区住民に説明し、同意を取り付けようというもの。小宮地区は130世帯。全世帯が県の内外に避難をしている中、この日は約80人が参加した。 (飯舘村二枚橋の田圃で行われている除染の現場) 飯舘村の除染は国の直轄で行うとされている。2011年9月段階での「飯舘村除染計画書」では、住環境の除染について、2011年度中に着手し、2年程度で終了するとしていた。また、2012年5月段階の住民説明会では、2012年度に村の西半分、2013年度に東半分の除染を実施するとしていた。しかし、現在のところ、除染に着手できているのは、全20地区のうち、二枚橋・須萱と臼石の2
(あった。あった。――住民はみな自分の家を探し、見つかると喜んだ。津波で流された請戸を模型で復元した「記憶の街ワークショップ for 浪江町」/なみえ3.11復興のつどい/3月16日 二本松市内) 被災から3年目に入った福島。マスコミを通して伝えられるのは、国や県、行政が進める「復興」。しかしそれは、依然として約15万人の人びとが先の見えない避難生活を送っている実情とはかけ離れている。 本稿では、2万人が全町避難を余儀なくされている浪江町で、住民自身の思いを汲んだ復興の取り組みを始めている鈴木大久さん(53 南相馬市、仙台市に避難)にお話しを聞いた。 鈴木さんは、浪江町で代々続く味噌の製造元を経営、事故以前、町の商工会などの活動を通して、青年らとともに町の活性化に取り組んできた。原発事故後は、町の復興計画策定委員を務め、さらに、住民自身による復興のための団体を立ち上げて動いている。 国や県
地元の建設会社社長の鈴木さん(仮名)に飯舘村の除染の実態を聞いた。鈴木さんは、地元の職人の親方として、仲間を率いて、一所懸命に除染作業に取り組んでいる。 「手抜き除染」という問題が大きく報道されている。が、これとは対照的に、鈴木さんらの仕事ぶりは、職人の誇りにかけていっさい手を抜かないものだ。むしろ、そうであるがゆえに、除染にたいする見方は厳しく、その矛盾を指摘している。 鈴木さんが、事故前に携わった原発内作業の実態も含めてお話を伺った。 〔取材は12月から今年1月にかけて〕 〔飯舘村二枚橋にある寺の除染。この日の気温は日中でも氷点下2~氷点下1度。空間線量率は毎時0.8マイクロシーベルト前後で飯舘村の中では比較的低い地域。2012年12月〕 【Ⅰ】 原発での仕事 ――原発の仕事は長かったのですか? 鈴木:地元の職人は、どっちかに分かれるんだね。原発に行くか、火力に行くか。 自分は、なる
〔「7000人の復興会議」・いわき市会議 10月14日〕 福島原発事故をめぐる問題は、依然として多岐にわたる。事故そのものの収束作業にかかわる問題、子どもをはじめ被ばくしている人びとの健康をめぐる問題、家や土地を失った人びとに対する損賠賠償の問題など。そうした多岐にわたる問題の大きな一つとして、事故以来、全住民が避難を余儀なくされている町の再建・復興の問題がある。浪江町、双葉町、大熊町、富岡町では、「仮の町」という構想をめぐる議論が本格化してきている。 本稿では、双葉町の取り組みを中心に見て行きたい。 【Ⅰ】 「仮の町」とは 「仮の町」構想とは、福島第一原発事故によって高濃度の放射能に汚染され、長期にわたって帰還できない状態の自治体と住民が、集団で移転しようという構想。全域が避難区域となっている浪江町、双葉町、大熊町、富岡町が、「仮の町」構想を検討している。 住民の数は、浪江が2万1千人、
木田節子さん、58歳。原発立地町の富岡町で暮らしていた。息子さんは原発作業員として働いている。原発事故後、警戒区域にされたために、家に帰ることができず、茨城県水戸市で避難生活を送る。 木田さんは、家と故郷を失ったショックと避難生活の中で、引き籠りになっていた。その木田さんが、ひとつの講演をきっかけに、「原発は間違い」と確信し、再稼働に反対する行動を始めた。つい5カ月ほど前のことだ。 帰れなくなっている故郷への強い思い、原発の是非をめぐって意見の合わない息子さんとの葛藤、いままで真実を知らされてこなかったことへの悔しさ。原発立地地域から、声をあげ始めた人の言葉は、聞く者の心を揺さぶる。 【6月30日~7月1日、いわき市内でおこなわれた「ふくしまフォーラム」での木田さんの発言と、木田さんへの取材でうかがったお話を、筆者の責任で整理・編集した】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
福島第一原発から北西に14キロ、南相馬市小高区と浪江町の境に、(有)エム牧場の経営する浪江農場がある。 政府が進める避難区域再編によって、警戒区域にされていた浪江農場まで行けるようになった。原発爆発後もこの牧場に留まり続けている農場長の吉沢正巳さん(58)を、5月末に訪ねた。 車を降りると目に入るのは、なだらかで広々とした緑の斜面、そこで草を食む茶色の牛の群れ。牛の糞の臭いと鳴き声、ハエやアブの羽音、頬を伝う柔らかい風・・・。 束の間、心地よさに浸るが、それを破るように、携帯していた線量計の警告音が鳴りだす。 ここは、第一原発の排気塔が見える距離、事故から1年以上経っても空間線量が4~5マイクロシーベルト/毎時という汚染地帯。300頭の牛も、吉沢さん自身も、激しく被ばくしている。 この状況の中で、吉沢さんは、牛たちとともに、懸命に生きぬいてきた。吉沢さんは、警戒区域の設定にも、牛の殺処分指
91年、中部電力浜岡原発の作業員だった嶋橋伸之さんが、白血病で亡くなった。享年29歳。 母・美智子さん(74)は、それまで原発に疑問を抱くことなどなかったが、伸之さんの死を契機に、国と電力会社の責任を告発する闘いに立ち上がった。 嶋橋美智子さんを迎えて、8月18日、郡山市内で、「嶋橋美智子さんのお話しを聞くつどい」が開催された。(主催は、実行委員会) 美智子さんは、放射能に苦しめられている福島の子どもたちを守るために力になりたいと申し出て、この夏、郡山から北海道へのサマースクールに参加している。その出発を前に、郡山において講演を行った。 以下は、18日の講演を中心に、関連報道を加えてまとめた。 白血病の宣告、壮絶な闘病から死まで 孫受け会社で「核計装」 嶋橋伸之さんは、81年春、横須賀市内の工業高校を卒業後に中部電力の下にある孫請け会社に就職した。 中部電力の原発や火発の保守・点検を行う元
(双葉町民の避難所であり、役場機能も移転している埼玉県加須市の旧・騎西高校) 上掲の井戸川双葉町長退任の記事と合わせて、昨年3月に行ったインタビュー記事を再度掲載する。 本サイトでは2012年4月1日付で掲載、また『変革のための総合誌 情況』(2012年5・6月号 情況出版)に掲載された。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 双葉郡民を国民と思っているのですか ―― 双葉町・井戸川町長に聞く 原発事故で放射能がまき散らされた双葉町は、依然として、高濃度の汚染状態にある。今も、町民約6,900人が避難生活を強いられている。 政府は、除染作業で出る汚染土などを保管する中間貯蔵施設を、その双葉町を初めとする強制避難地域に設置しようという案を提示している。 この政府の方針にたいして、「どうして双葉郡〔※〕が引き受けなければならないのか」と、厳しい態度で臨んで
10月の飯舘村。小高い山々、その間に広がる田畑。 たびたび冷害に襲われながら、米と野菜と牛と花の複合経営に取り込み、豊かな村をつくってきた。 しかし、いま一面に広がるのは、耕作の断念を余儀なくされ、荒れ果てた田畑だ。 いうまでもなく放射能汚染のためだ。 雨どいの下 100ミリ 10月11日、短時間だが、「愛する飯舘村を還せ!! プロジェクト」の佐藤健太さんに、飯舘村を案内してもらう機会があった。 佐藤さんのご自宅を見せてもらった。 佐藤さんは今、福島市内に避難を余儀なくされている。 飯舘村の自宅には、3匹の犬たちが。大喜びで出迎えてくれた。イノシシの猟犬だそうだ。福島市内から、お父さんと交代で、餌を与えに通っている。 家の雨どいの下の放射線量を測定した。 見えにくい写真だが、102マイクロシーベルト/時と表示されている。 誤作動ではない。これが10月11日現在の数値。 事故以前だったら、原
(車両のサーベイを受けている。サーベイに当っているのは、中国電力から応援にきた放射線管理員。Jヴィレッジ・除染場) 反貧困の社会運動に長年とり組んできた大西さん(仮名)が、現在、福島第一原発と第二原発の事故収束作業に従事している。 その大西さんから、昨年末から今年2月にかけて、お話を聞いた。 〔インタビューはいわき市内。掲載に当たって、特定を避けるための配慮をした。〕 お話が多岐にわたる中で、編集上、4つの章に整理した。 【Ⅰ】【Ⅱ】【Ⅲ】では、高線量を浴びる現場で、放射線管理員として作業に携わっている状況の報告。被ばく労働、雇用や就労、地域との関係などの実態が語られている。 【Ⅳ】では、原発労働者の立場から、反原発・脱原発の運動の現状にたいして、鋭角的な問題提起が行われている。 事故収束作業に従事する労働者へのインタビューや、ライター自身が中に入るという形で書かれたルポはある。しかし、原
(壁にチョークで「原発さえなければ」と・・・/詳細は本文へ/長谷川健一さんが講演で使用した画像より) 高濃度の放射能に襲われた飯舘村。その飯舘村の前田地区で、酪農を営み、区長を努めてきた長谷川健一さん(58)。現在は、地区の人びとともに、伊達市内の仮設住宅に避難している。長谷川さんは、いま、全国を行脚して、フクシマを伝えている。12月9日、福島市内で、長谷川さんの講演が行われた。 長谷川さんは、スーツで決めているが、話し出すと、声は低く野太く、抑揚があり、訛りも強い。そして、そのお話からは、誰よりも飯舘村を愛し、酪農に打ち込んでいたことがよく分かる。あの日以来の極限状況下の出来事、村民を守るために必死に行動する姿が、眼前に浮かびあがり、そのときの苦しみと悲しみと憤りの気持ちが、心に染みた。 〔主催は、「国際環境NGO FoE japan」。集会では、FoE japanの「避難の権利」確立の
2011年5月から2016年3月まで、原発事故被災地の現実と声を報告してきた。 5年を区切りに、このブログからの発信はいったん終了したいと思う。 もちろん福島の問題はまだ5年であり、現在進行形であり、いろいろな意味で問題はこれからだ。 私は、引き続きこの問題に向き合い、また形を変えて発信を続けたいと思う。 この記録を、多くの人びとに活用していただければ幸甚だ。 「『放射線の影響ではない』というなら、何が原因なのかを知りたい。『原発事故の影響ではない』と証明できるなら、はっきり証明をしてほしい」 小児甲状腺がんの患者と家族が声をあげた。 東京電力福島原発事故後の県民健康調査で小児甲状腺がんと診断された5人の子どもとその親(5家族7人)が、「311甲状腺がん家族の会」を結成した。 3月12日、都内で行われた記者会見には、患者の父親2人がインターネット中継で福島から訴えを行い、また、都内の会場で
遠藤俊一さん(仮名)、南相馬市在住、41歳。福島第一原発事故の1年前まで、合計で約15年間、福島を中心に、全国の原発作業に従事していた元原発労働者。 遠藤さんは、原発内の過酷な作業と被ばく労働の実態、下請けいじめと労災隠しが常態化する現状、そして今回の事故原因にもかかわる欠陥隠蔽と報告書改竄という事実を、赤裸々に語ってくれた。 遠藤さんの話からは、「俺たちは使い捨てにされている」という深い憤りと、同じ働く仲間を思う気持ちが伝わってくる。 インタビューの後半には、津波と放射能の被害で苦しむ南相馬市の復興への思いにも話は及んだ。 4時間近くのインタビューを、できるだけ再現するように努めた。やや長いが、是非、読んでいただきたい。 なお、東京電力による圧力などを鑑み、仮名を使用し、素顔の撮影は避けた。 〔インタビューは、9月上旬 南相馬市内〕 【Ⅰ】 被ばく労働の実態 【Ⅱ】 下請けいじめと労災隠
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