中学校に入るに当たり、人から悪い扱いを受けないための護身という意味が強かったのですが、真面目な優等生としてスタートすることにしました。
小学校の時は細かいいたずらやケンカの毎日だったので、出来が悪い子供のイメージが強かったようで、直接知らない生徒からは勉強もできず運動神経も悪いと思われていたらしいのですが、勉強はクラス上位で、スポーツも兄のおかげで同年代よりできるようになっていました。
全体朝礼の時など、しゃべりまくって校長の話を聞いてなかったりしたので、その様子を見て無駄に正義感の強い生徒に目をつけられていました。
中学校からは、勉強を頑張ることだけでなく、生活態度やクラスメートへの対応も優等生として振る舞うように努めました。
小学校の時、他のいじめっ子と混ざっていじめてた相手にも、申し訳ないと思っていたので中学校からは助けるようにしていました。
小学校からのイメージが抜けない相手からは永遠に顔を見る毎に嫌いと言われましたが、それ以外はまあ上手く渡り合えるようになっていました。
先生が好きというわけではなかったのですが、授業中に隣のやつから話しかけられても普通に無視していました。
あとは、小学校時代によく遊んでいた友達が中学校で隣町から恐れられるくらいの番長になり、幸い雑魚の不良からからまれて困ることはなかったのです。
当時はひどく荒れていて、笑えるくらいでした。
教室のカーテンはスルメみたいに裂かれていて、壁紙もはがされ、ダンプ松本とかデーモン閣下のポスターがはってあり、廊下ではシンナーを吸う奴がいたり、窓の外を見たら友達が教師を殴っていたりという感じでした。
兄は目立ってたからか不良グループからよく絡まれたり痛い目に合っていたようです。
僕は運良く何の被害も受けずにいました。
クラブはこちらも兄の影響で卓球部に入り、1年の間にエースになり、地区大会でベスト16くらいまで行きましたが、学年が上がるごとに外での試合に勝てなくなり士気を失いました。
人より自主練とかトレーニングとか頑張っていたのに、たまにきたやつに負けたりするのが、当時は才能がないということにして諦めたのでした。今ではまた違う分析があるのですが、それはおいおいにしたいと思います。
ただ、当時プロの制度があるわけでもなく、究めて全国で上位に入れたところで、仕事として成り立たないよなっていうのが一番の理由で、中学卒業とともに卓球は辞めることにしました。
それまで自分の力で積み上げたものや、自分発信で成し遂げた物が無かったので、他の全てを犠牲にしても一つのことを極めたいという気持ちが強かったです。
たまたまフォークギターをかじっていた兄の影響もあり、世の中的にもシンセサイザーが話題になっていた事もあり音楽を本気でやろうということになりました。
初めは兄とお金を出し合い10万円ほどのシンセサイザーを買って、色々なアーティストの使っている音色にできるだけ似た音を作ることに没頭しました。
ただ、幼い頃に母と兄と僕が同時にピアノ教室に習いに行った際、僕が幼すぎて何も弾けないままだったこともあり、鍵盤演奏にはかなりのハンデがありました。中学校の時点で、クラスの半数以上が僕よりもピアノがうんとうまかったのです。
はじめから負けの勝負を選ぶべきではないので、誰もやりたがらなかったベースを選びました。
当時学校の男子生徒の半数以上はエレキギターをやっていましたが、ベースは1人だけで。自分を入れても2人だけでした。
もちろんもてたい目立ちたいでみんなやっているわけですが、僕はそんなことより確実にプロになる方法ばかり考えていました。
初めて自分の意志で決めたことでした。
確かな勝算を見越していました。とにかく基礎練習から、耳コピ、読譜などひとがやりたがらない地味な練習もしました。そう、バンドマンというよりスタジオミュージシャンを狙っていました。
中2から堅実な目標に向かって頑張れば勝算があると思っていました。
初めて自分で考え決めたことでした。
自分の中では高校や大学は必要なく、できれば音楽系の専門学校に行きたいと思っていました。
しかし親には反対されました。高校くらいは行けと。
全く理解ができませんでした。音楽家になるのになぜ高校か。
親は教師だからか
子供には大学まで行かせる義務があったのかもしれません。
強く悔やまれます。家出をしなかった事を今でも悔やんでいます。
晩年の父の様子だったらいつか理解してもらえるなんて期待も無駄に終わるのです。
あのまま突き進んでいたら、今とは違った苦労はあっただろうけど、早く、バブルが弾ける前に仕事を確保できたと思います。
親の言う通りにして失敗しても親は何の責任も取らないどころか反省すらしません。いまでも人生を返せと言いたいです。
そんな親が教師で、生徒に進路指導何かやっているのか。
中3で家出しても死なずになんとか生活できたと思うんです。
実際後に自身の人生が実際に歩みを始めるのは親から離れてからでした。
親もとにいた10何年かは完全に無駄な時間でした。ドブに捨てた。
なぜ自身の心に逆らい親元に残ったか。
怖かった。一人で生きていける自信すら与えられなかった。悔やまれる。
後のことは改めて書きますが、後に音楽の道に進むことになるのですが、駆け出しの頃は8年ほど年下に、頭を下げて、馬鹿にされ、今から始めてももう無理やとか言われながらのスタートでした。
何のために10年のハンデを自分に課したのか。
高校を出るときも親と同じやりとりになり、大学に嫌々行くことになりました。中2から音楽以外やりたくなかったのに、なぜ親に負けたのか。父は死ぬまで詫びなかった。今でも許してない。