美術(東洋・西洋・仏像)、書籍(思想・哲学・文学)、映画に対する評論を書いています。
「ぼくたちは見た ─ガザ・サムニ家の子どもたち」(日本、2011年)【あらすじ】1400人という多くの犠牲を出した、2008年から2009年にかけてのイスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区への攻撃。ガザ南部の農業地帯ゼイトゥーンに住むサムニ家の子どもたちは、一族が一度に29
都築政昭『土門拳と室生寺 四十年詣でのはてに見えたもの』(ベスト新書、2001年)──────・序章「数えきれない室生寺行」(7) 古寺巡礼は、みずからの出自を再確認するためのものだった。 しかし「抹香臭い」という表現を用いているところに、当時の文人の仏教認識
(古すぎて画像なし)田村圓澄『古代史選書2 飛鳥・白鳳仏教論』(雄山閣出版、1975年) これも片づけをしながら発掘した本。 ガチの学術書である。 5月に読んだ『古代朝鮮と日本仏教』の底本みたいなものだろうか。 12年前に読んだらしい(もちろん覚えていない)。
濱田武士「日本漁業の真実」(ちくま新書、2014年)──────・「はじめに」(3)・第1章「日本漁業の視座」(15) ちょうど10年前の本なので、直近のデータも調べてみたが、漁獲量がどんどん下落している。 2010年が531万トン、ピークだった80年代は1200万トンもあった
挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」(東京国立博物館、会期 2024/10/16 - 12/08) 会期末が近い平日に見にいった。 平日でこれほどか、ってくらい人がいるわけだが。 さかのぼれば2017年、ミュシャ「スラヴ叙事詩」の展覧会でも同じことを書いたものだが、
「孤立からつながりへ ~ローズマリーの流儀~」(原題:Rosemary’s Way、オーストラリア、2020年)【あらすじ】オーストラリアに定住した難民や移民の中には、社会とのつながりをもてずに孤立した人生を過ごしている女性たちがいる。警察とコミュニティの橋渡し役を務める
「ピース・バイ・チョコレート」(原題:Peace by Chocolate、カナダ、2021年)【あらすじ】シリア内戦により難民となったテレクは家族と共にカナダへ移住。一家の受け入れ先は、故郷のダマスカスに比べてはるかに小さな街だったが、内戦で宙ぶらりんになった医学部卒業を目
「永遠の故郷ウクライナを逃れて」(原題:In the Rearview、ポーランド・フランス・ウクライナ、2023年)【あらすじ】ウクライナの市民が恐怖の紛争から逃れる避難の旅路を追った観察記録である。監督は自ら車を運転し、地雷原や軍事検問所を通過しながら、人々の移動を手助
「ザ・ウォーク ~少女アマル、8000キロの旅~」(原題:The Walk、イギリス、2023年)【あらすじ】アマルと呼ばれる高さ3.5メートルの人形が、同伴者のいない難民の子どもの苦境を知ってもらおうと、ヨーロッパを横断する旅にでる。道中でアマルは、同じような境遇にある難
「学校をつくる、難民の挑戦」(原題:The Staging Post、オーストラリア・インドネシア、2017年)【あらすじ】オーストラリア政府がボートで到着したすべての庇護希望者を強制収容する事態となり、インドネシアのチサルア村で数年を過ごすことになったハザラ系アフガニスタ
加藤典洋『日本の無思想』(平凡社新書、1999年) 部屋の掃除をしていたら発掘したが、以前に読んだのが社会人1年目の終わりごろで。 内容はまったく記憶していなかったが(だから読み返そうと思ったのだけど)、当時の自分が「愚論の連続」なんて書き込みを残していて、最
「ミュージアム コレクションⅡ かわりゆくもの、かわらないもの ―TRANSITION」(世田谷美術館、2024/10/26 - 2025/01/13) 「北川民次」と同時開催されていた、抽象画に移った三人の画家を取り上げた所蔵品展。 全体的な感想になる。 抽象画ってつまり、なんだろうか
「生誕130年記念 北川民次展―メキシコから日本へ」(世田谷美術館、2024/09/21 - 11/17) 結構大規模な回顧展だったのだが、正直なところ、よくわからないままだった。 個展を見れば、その人が何を目指したのか、どうしてこのような表現になったのか、といった、作家にと
中村光世『哲学に御用心 認識の謎を探る』(ナカニシヤ出版、1997年)──────・第1章「知覚と存在の関係」(3)・第2章「知覚の本性」(73)・第3章「意識、思考、自由」(155) 部屋を片づけていたら出てきたので、なんとなく眺めていたら、どうもこれ、大学の講義テ
西澤哲『子ども虐待』(講談社現代新書、2010年)──────・「プロローグ」(9) 「トラウマ」という言葉は、日本では1995年の阪神大震災を契機に認知されるようになったらしい。 トラウマ概念のルーツは、西洋では19世紀半ばまで遡ることができるそうだが、当時の西洋
創建1200年記念 特別展「神護寺 ―空海と真言密教のはじまり」(東京国立博物館、会期 2024/07/17 - 09/08) 十数年来、展覧会を経巡っていると、この程度の内容はもはや見飽きた、というのが正直なところ。 値上げもやむをえない情勢であることは理解しているが、以前で
・当初の社会主義思想が空想的であることに終始したのは、つまりは、それを具体的に論ずるための社会的要素が成熟していなかったため。 その前提は、資本主義的な大工業生産の成立。 大工業と呼ばれるものは、ようやく1800年ごろにイギリスで姿を現した。 フランスはそれ
・経済学とは、生産と交換に関する諸法則を研究する科学、と定義されている。 今はそこまでシンプルなものでもなさそうだし、「経済学なんて意味がない」と話す経済学者もいるくらいなので、学問としての定義が曖昧なままなのだろうか。 マルクスの場合は、経済学といいな
・剰余価値の発見はマルクスの成果だったと述べられる。 (剰余価値って今となっては常識的だと思うのだが、調べたところ、体系的に論じたところにマルクスの成果があったそうで、それ以前から古典経済学では言及されていたらしい)・剰余価値が資本に還元されて、さらに再
エンゲルス(粟田賢三 訳)『反デューリング論 ――オイゲン・デューリング氏の科学の変革――(上・下)』(岩波文庫、1984年)・初版が1877年で、最後の改版が1895年。 初版が上梓されてから数年で各国の版が出ていたらしく、社会主義思想の当時の勢威を窺わせる。 この
「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ」(東京ステーションギャラリー、会期 2021/07/17 - 09/26)・「木彫り熊ねえ……、Wikipediaにも載ってない人だしなー、どんなもんかね」 とか思いながら見に行ったが、とんでもなかった。・3階はキャリアとしては前半の
「特別展 国宝 聖林寺十一面観音 ―三輪山信仰のみほとけ」(東京国立博物館、会期 2021/06/22 - 09/12)・国宝の仏像にすばらしい作品は多いが、これほどに偉大さを感じさせる像はない。 「神聖」といった表現はあたらない。 仏教も然り、神道はいうまでもないが、もと
「生誕120年記念 篁牛人展~昭和水墨画壇の鬼才~」(大倉集古館、会期 2021/11/02 - 2022/01/10)・篁牛人は「たかむら・ぎゅうじん」と読む。 中国人かと思ったぜ。・戦前から戦後にかけて活動した日本画家。 現代アートの要素ももちろん取り入れているわけだが、現代ア
サントリー美術館 開館60周年記念展 千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処の天子」(サントリー美術館、会期 2021/11/17 - 2022/01/10)・四天王寺の所蔵品を中心にした展示だったが、四天王寺って7回も燃えているのか。 7世紀の布の残欠なんかが残っているの
「【開館55周年記念特別展】奥村土牛 ―山﨑種二が愛した日本画の巨匠 第2弾―」(山種美術館、会期 2021/11/13 - 2022/01/23)・日本画家。 1990年に101歳で亡くなったが、38歳でようやく院展に当選したそうで、経歴としてはかなり遅い。・40〜60歳ごろの文章に、 「色彩
特別展「ポンペイ」(東京国立博物館、会期 2022/01/14 - 04/03)・ポンペイ展やギリシア展は定期的に開催されているが、前回のポンペイ展は2016年、六本木で開催されていたものだろうか。 結構大きな壁画なんかも来ていた記憶がある。・前回のポンペイ展でも疑問に感じたこ
「Miquel Barceló ミケル・バルセロ展」(東京オペラシティ アートギャラリー、会期 2022/01/13 - 03/25)・現代芸術への偏見が吹き飛んだ展覧会。 というか、衝撃を消化しきれなくて、あんまりメモを残せていなかった……ので、個展でありながら不十分なことしか書けない
「最後の印象派、二大巨匠 シダネルとマルタン展」(SOMPO美術館、会期 2022/03/26 - 06/26)・冒頭でマルタン作の、野原を歩く少女の絵があったが、見覚えがあるなあ、と思って。 同じ美術館で2015年に開催されていた、「最後の印象派」展の出展作だろうかね。 今回と同
「篠田桃紅展」(東京オペラシティ アートギャラリー、会期 2022/04/16 - 06/22)・いかにも現代芸術である。 つまり中身がからっぽで、好きじゃないやつ。 実物を見ないと批判もできないので、一応ちゃんと見た。・この人は前衛書から始まり(前衛の書ってなんだよって話
「空から見た港区 ~東京タワーができる頃~」(港区立郷土歴史館、会期 2022/04/23 - 06/19)・企画展と常設展をまとめて見たが、おそろしい物量!! さすが港区、潤沢な税収を生かして充実した展示をしている。 3時間使っても見きれなかった。 パネル展示だけじゃなく
「牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児」(東京ステーションギャラリー、会期 2022/04/16 - 07/10)・二人とも聞いたことのない画家だった。 この美術館はおもしろい企画展をやってくれるので好きっすね。 大きい美術館と違って、毎回、展覧会を企画してい
「生誕150年 板谷波山 ―時空を超えた新たなる陶芸の世界」(出光美術館、会期 2022/06/18 - 08/21)・泉屋博古館で板谷波山を見る前の記録(遡りながら書いているのでこうなった)。 この日は1時間ちょっとしかなかったので見きれなかった。 コロナで閉館時間が早くなっ
「松岡コレクション めぐりあうものたち Vol.1」(松岡美術館、会期 2022/04/26 - 07/24)・来たのは2度目だが、おおざっぱな感想を言えば、焼き物も絵画も一級品はないんだよなあ、という(失礼な)感想になる。 所蔵品展なので。・今回は五行思想を絡めて焼き物を展示す
船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン(上・下)』(文春文庫、2016年)・上巻は途中までメモを書いていなかったので、ほぼ下巻について書いたことになるが。 福島原発の事故処理に関する本。・当時の首相だった菅直人の対応がベストだったとは言えないけれど、しかし、
企画展を連続して見たので、2本まとめて。「TOPコレクション メメント・モリと写真 死は何を照らし出すのか」(東京都写真美術館、会期 2022/06/17 - 09/25)・写真とはそこにあるものを過去にしてしまうものだから、おのずから、そこには「死を想え」(メメント・モリ)っ
・小布施の北斎館である。・北斎といえば浮世絵のイメージかもしれないが、正直、浮世絵は印刷物なので、ネットで画像を見たって何が変わるものでもないというか。 構図がすごいって話であって、筆の質感がすごいってわけではないので。 摺師の人がすごいとは思うけどね。
「まれびとと祝祭 ―祈りの神秘、芸術の力―」(高島屋史料館TOKYO、会期 2022/03/02 - 08/21)・東京の高島屋でこんなのやってるんだ、って感じだったが、展示室は婦人服コーナーの隅っこにあった。 こんな場所気づくか!・こういったまれびとなんかの風俗はおもしろいね
「令和4年度第2期所蔵品展 特集:井上文太 Inspirations」(横須賀美術館、会期 2022/07/02 - 09/25)・横須賀までやってきた目的は運慶展だったのだが、トーハクの運慶展どころか(2017年)、2011年に金沢文庫で開催していた内容よりもしょぼかったという……。 金沢文庫
司馬遼太郎『胡蝶の夢(全4巻)』(新潮文庫、1996年)・小説の体裁はとっているが、司馬による鋭敏な日本文化論として読まれるべき作品。 こんな論じ方ができるのは、歴史小説家である司馬だけだと思う。 彼の代表作のひとつにあげてもよい傑作。・「胡蝶の夢」はいうまで
杉山登志郎『発達障害の子どもたち』(講談社現代新書、2007年)・インクルーシブ教育を是とする論調が正義とされている気がするが、子供のためには何が正解なのか、という問いが抜けている印象がある(インクルーシブ教育という考えを否定するつもりはない)。 本書冒頭の
・戒壇院の四天王が展示されているってことで、数年ぶりに訪問。 前回来たのは東大寺ミュージアムができて間もないころで、法華堂の修繕中だからって、不空羂索観音もこちらで展示されていたときだ。 いつだっけ、と思って調べれば2011年なので、実に11年ぶり……、いや、
「展覧会 岡本太郎」(大阪中之島美術館、会期 2022/07/23 - 10/02)・キャリアの最初から最後まで展示されていて、太郎の作品の全貌がわかる。 パリ時代の試行錯誤から、戦後に岡本太郎らしい作風に転じていくところとか、そういうのが一気に見られるのはよかった。 一点
「特別展 陶技始末 ―河井寬次郎の陶芸」(中之島 香雪美術館、会期 2022/06/18 - 08/21)・民藝運動に加わっていた陶芸家。・板谷波山なんかと比べたら、さすがに落ちる。 レベルが高いことは感じるのだけども。・最初は中国陶器を模して、のちに民藝運動に参加してから
「ライアン・ガンダー われらの時代のサイン」(東京オペラシティ アートギャラリー、会期 2022/07/16 - 09/19)・なんか久しぶりに、ああ、現代アートだなあ……って感想。 100円の価値もなかったね。・作品のタイトルとかキャプションが何もなかったので、目録を見ないと
「企画展 昭和のはじめの渋谷」(白根記念渋谷区郷土博物館・文学館、会期 2022/08/30 - 10/23)・常設展もまとめて。 渋谷の歴史についての雑感って感じ。・渋谷区ができたのがちょうど90年前の、1932年。 90年前の渋谷の写真を掲載していたのがこの企画展。 90年前って
「鈴木大拙展 Life=Zen=Art」(ワタリウム美術館、会期 2022/07/12 - 10/30)・現代芸術を中心とするっぽい美術館で、なんでこの企画、って感じだったが。・しかし、この内容で1500円は高いっすね。 自分みたいに鈴木大拙の思想とか、大乗仏教にある程度以上の理解が持てて
特別展「大勾玉展 -宝萊山古墳、東京都史跡指定70周年-」(大田区立郷土博物館、会期 2022/08/02 - 10/16)・地区の博物館だろうと侮っていたら、おそろしい物量と最新の研究成果に基づく解説! 時間の調整に失敗して1時間しかなかったから、消化しきれるはずがなかった
「版画×写真 ― 1839-1900」(町田市立国際版画美術館、会期 2022/10/08 - 12/11)・版画と写真の関係性とか、歴史的な展開ってところに焦点を当てた展覧会。 これはおもしろかった。・写真って1839年にゲダレオタイプが登場して、それからほどない41、2年には焼き増しが可
「新宿の弥生時代 ~教科書の弥生時代と比べてみると~」(新宿歴史博物館、会期 2022/09/17 - 12/04)・展示されている戦前の教科書を読むとおもしろかったのだけど。 神代の出来事が事実って前提になっているから(内容が日本書紀の要約だし、読んでて笑った)、縄文時代
「アーツ・アンド・クラフツとデザイン ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」(府中市美術館、会期 2022/09/23 - 12/04)・名称は知りつつもちゃんと調べたことがなかった、アーツ・アンド・クラフツ運動。 アールヌーヴォーみたいなもんでしょ? と思っ
「特別展 生誕150年記念 板谷波山の陶芸 ―近代陶芸の巨匠、その麗しき作品と生涯」(泉屋博古館東京、会期 2022/11/03 - 12/18)・同じく生誕150年ということで、出光美術館でも板谷波山の展示を見たのが、同年22年7月のこと。 コロナ期間だったため、出光は以前よりも
「加耶 ―古代東アジアを生きた、ある王国の歴史―」(国立歴史民俗博物館、会期 2022/10/04 - 12/18)・長らく行きたいと思っていた国立歴史民族博物館である。 大阪の国立民族学博物館と並んで膨大な物量に圧倒される(そっちよりも物量があるかも)。 しかし、成田エク
「日中国交正常化50周年記念 兵馬俑と古代中国 ~秦漢文明の遺産~」(上野の森美術館、会期 2022/11/22 - 2023/02/05)・全然コメントするものがないわけだが。 この規模の展覧会って、ぶっちゃけつまらないのが多いんだよなー。 とりあえず日本に持ってきました、って
「佐伯祐三 自画像としての風景」(東京ステーションギャラリー、会期 2023/01/21 - 04/02)・佐伯さんの名前は以前から知っていて、ブリヂストン美術館ではじめて見たときには、 「ユトリロっぽいなあ……」 という感想を抱いたものだったが、実際にユトリロの影響が甚大
「諏訪敦 眼窩裏の火事」(府中市美術館、会期 2022/12/17 - 2023/02/26)・はじめて見たのだが、超絶うまくてビビった。 超写実主義ってジャンルなんだろうかね。 驚きの700円で見られたんだけど、これは安かったんじゃないですか!・3部構成になっていて、1部は家族のこ
「合田佐和子展 帰る途もつもりもない」(三鷹市美術ギャラリー、会期 2023/01/28 - 03/26)・まったく知らなかったが、とにかくすごい人だった。 本物の芸術家。 この前に見た佐伯祐三の個展でも感じたが、もうちょっと日本の芸術家を知らないといけないね。・というより
令和4年度所蔵資料展「戦前の新宿 ―1834(天保5年)~1940(昭和15年)―」(新宿歴史博物館、会期 2023/01/14 - 04/09)・もはや大規模な展覧会に飽きて、地区の小さいところを回るようになってしまっている。 地域の歴史博物館って案外おもしろいもので。 常設展は見た
「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」(東京都美術館、会期 2023/01/26 - 04/09)・以前やっていた(2019年)、ウィーン分離派の続きみたいな展覧会。 クリムトの作品は以前の展覧会のほうがよかった。 シーレの個展であれば、作品はもうちょ
同時期に、フランス・ブルターニュに関する展覧会が2箇所で開催されていたので、まとめて書く。「画家たちを魅了したフランス〈辺境の地〉 ブルターニュの光と風」(SOMPO美術館、会期 2023/03/25 - 06/11)・5階がサロンのアカデミックな作品、4階が印象派とその周辺、3階
特別展「東福寺」(東京国立博物館、会期 2023/03/07 - 05/07)・ほぼ文書と絵で、あとは最後に仏像があるだけ。 以前の展覧会と比べれば、この程度の展覧会か……、というのが正直な感想。・東福寺という寺名は、東大寺と興福寺から一文字ずつをもらっているとか。 だから
「土門拳の古寺巡礼」(東京都写真美術館、会期 2023/03/18 - 05/14)・大判で土門拳の写真が見られる、というだけなんだけども。 展示されている仏像はほぼすべて見たことがあった。・しかし実物を知っていると、極度に接近して撮影する彼のスタイルって、良し悪しだよなあ
「吹きガラス 妙なるかたち、技の妙」(サントリー美術館、会期2023/04/22 - 06/25)・古代ローマのガラスは透明感のないガラスで。 これは清のガラスと同じだが、金属器や石器をガラスで再現するという意図があったらしい。 ガラスというものの現代のイメージが透明のそれ
「甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性」(東京ステーションギャラリー、2023/7/1 - 8/27)・作品を見た記憶はあるが、個展ははじめて。 後年は映画業界にも転身したが(そういう経歴があるのでちゃんと評価されていない感じがある)、画家である。 系譜とし
特別展「春の江戸絵画まつり ほとけの国の美術」常設展「色彩のイマージュ」常設展「現代美術コレクション 2000-2020」常設展「牛島憲之の街歩き」(以上、すべて府中市美術館、会期 2024/03/09 - 05/06)・1時間しかなかったので深くは見られなかったが。・金沢の照円寺が
高木俊朗『インパール』(文春文庫、2018年)・インパール作戦だけに限った話でもないが、兵士を大量に死なせた連中が裁かれないままだったのは、禍根を残したよなあ、と思う。 日本人は戦後、自分自身を正しく裁くべきだった。 極東軍事裁判があったから、日本人同士の訌
司馬遼太郎『街道をゆく34 大徳寺散歩、中津・宇佐のみち』(朝日新聞社、1982年)・後半の中津・宇佐はメモっていなかったので、大徳寺だけ。 (ちょうどこの年、旅行で宇佐に立ち寄っていたので、急いで後半だけ先に読んでいた)・戦後すぐの話だが、司馬が京都で新聞記
鈴木大拙『浄土系思想論』(岩波文庫、2019年)・阿弥陀というものを、今の人間は求められるのだろうか? 無理だと思う。 つまり、浄土思想は現代において存在しうるのか、という話になるのだが。・反省によって娑婆と極楽が生まれる、と大拙が述べるのは、これってつまり
岡本太郎『沖縄文化論 ――忘れられた日本』(中公文庫、1996年)・映画「岡本太郎の沖縄」の原作にあたる著作だけど(先に映画を見ていた)、これを読むとわかるが、映画はあくまでも太郎の記述を追体験しているだけなのだな、と。 だからあの映画を見ても、太郎がその瞬
小林哲夫『高校紛争 1969-1970 「闘争」の歴史と証言』(中公新書、2012年)・高校紛争も全国的に広がっていたはずだが、大学紛争と比べれば全然語られることがない。 Wikipediaにも個別の記事がないし。 紛争が発生していた学校の個別の記事にはわずかに記載があったり
宮本輝『約束の冬(上・下)』(文春文庫、2006年)・2000年代に入ってからの作品がほんとにすごいわけですが。 これもめちゃくちゃ感動した。 産経新聞での連載を途中まで読んでいた記憶があるが、当時は作者の作品を何冊も読みすぎていて、少々食傷気味になっていたこと
小林篤『足利事件 冤罪を証明した一冊のこの本』(講談社文庫、2009年)・冤罪事件を調べれば真っ先に出てくるような有名な事件。 日本の冤罪の定番パターン、人質司法という人権侵害をやらかした上で、嘘の自供を引き出す毎度の流れでしょ、と思っていたのだが、どうもそ
宮本輝『避暑地の猫』(講談社文庫、1988年)・小学生で読んだときは、もっとおもしろく読んだものだが……。 物語としてはおもしろいけれど。・宮本輝にしてはめずらしく? 人間の悪意に正面から取り組んだ作品。 しかし1980年代の作品に多いのだが、キャラクターが生き
司馬遼太郎『ひとびとの跫音(上・下)』(中公文庫、1995年)・分類としては小説とされているが、これを他と同じ小説ということは難しい。 あえて分類するならば、これは一人称を意識的に欠落させた、司馬の私小説だといえようか。 『街道をゆく』に似た文体であるが、そ
宮本輝『草花たちの静かな誓い』(集英社文庫、2020年)・1990年代以降の著者の作品に顕著な傾向だが、ミステリーというか、謎をちりばめないとストーリーを組めないんですかねえ……、ってことを思ってしまう(読んでてつまらないということではない)。 とはいえ、ミステ
倉田百三『法然と親鸞の信仰(上・下)』(講談社学術文庫、1977年)・法然の「一枚起請文」と、親鸞の「歎異抄」について、彼らの伝記をまじえながら著者がその思想を論じていく、という内容。 総括的なことはあとで書くとして、「一枚起請文」は短いのでそのまま転記する
宮本輝『星宿海への道』(幻冬舎文庫、2005年)・戦後の貧しかった日本の情景が頭に思い浮かばないと、物乞いの母と一緒に暮らしていた雅人の姿も感じ取りにくいかもしれない。 その貧しさが、どれくらい貧しかったのかということも。 悲惨であっても、不思議と明るい親子
田村圓澄『古代朝鮮と日本仏教』(講談社学術文庫、1985年)・古代朝鮮の仏教が日本に及ぼした影響、という観点での研究が少ないのはその通りだと感じる。 とはいっても40年前の本なので、その後の研究は進んでいると思うが。 別の本で読んだ話になるが、古代日本で半跏思
佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件』(文春文庫、1999年)・極左の人間を殉教者にしないように(安保闘争の樺美智子さんみたいに祀り上げられることになるので)、警察には火器の使用を禁じていたのがおかしい。 犯人は銃砲店から略奪した火器を撃ちまくっているのに、
髙橋義夫『沖縄の殿様 最後の米沢藩主・上杉茂憲の県令奮闘記』(中公新書、2015年)・上杉の殿様の話はどうでもよく(集めた資料を整理した、というくらいの内容なので)、明治初期の沖縄の民情に興味があった。・当時の沖縄はとんでもなく貧しい。 それぞれの間切が個別
広瀬和雄『前方後円墳の世界』(岩波新書、2010年)・殯とはつまるところ、死というものを確定させるための儀式であったのではないか。 (儀式と呼べるほどに仰々しいものでもなかったかも) 南西諸島の遺習である風葬・洗骨の印象を重ねてしまっていたが、殯は風葬から洗
横山紘一『十牛図・自己発見への旅』(春秋社、1991年)・まず前提として、「十牛図」の各段階。 01.尋牛 02.見跡 03.見牛 04.得牛 05.牧牛 06.騎牛帰家 07.忘牛存人 08.人牛倶忘 09.返本還源 10.入鄽垂手 参考:Wikipedia「十牛図」 (なお、「解釈」
「独裁者たちのとき」(ベルギー・ロシア、2022年) 独裁者の登場を、誰が望んだのか。われわれ、人民であろう。 アーカイブに記録された四人の国家指導者、スターリン、ヒトラー、ムッソリーニ、そしてチャーチル。快哉の狂濤をなして彼らを迎えるのは当時の人民である。
「ニューオーダー」(メキシコ・フランス、2020年) 〝新たな秩序〟の対岸に見晴らされる現行の秩序、あるいは旧套の秩序とは、何を礎石として成立するものなのか。それは民主主義的な意思決定にもとづき運営される社会である。あるいは法により治められた国家といってもよ
「ダミアン・ハースト 桜」(国立新美術館、2022/3/2 - 5/23) 現代芸術とよばれる世界にながらく興味を持つことができなかった。現代芸術とは、原語である〝contemporary art〟の原意を酌んで、「同時代的な問題意識を投影した作品群」 とでもそれを定義するのが適切であ
進んでも進んでも、そこには一物の影もない。何かを手にするとは、その何かを手放すためなのだと知る。闇を払おうとも新たな帳が手繰り寄せられるだけであり、何かを乗り越えるとは新たな何かに蹴躓くことだけを意味している。見いだすすべてはその価値を喪い、この身を苛む
夭(おさな)くして才覚の認められた上村松園を批判する声が当時にもあったらしい。前世紀初頭ごろの話であったろうか、曰く、「松園の絵は京人形のように美しいが、しかし心がない」 といった批評の言葉であった。 それはひとり上村松園という画家にだけ向けられた讒言で
われわれ人間に生きる意味はあるのか、という問いをたえず繰り返している。人間、と一般化しているが、ひるがえって自己という存在がこの世にあるべき意味を私は問うているのである。その自問に対し、私はどうしても積極的な回答を見出すことができずにいる。この数年来の
灰谷健次郎『兎の眼』(角川文庫、1998年) 教育、――誰かに何かを〝教える〟ということは、何も学校という特殊な空間にだけ限られた話ではない。それは人と人とが関係するということのうちに必然的に組み込まれた営為であり、人から人へと知識が伝播されることなくし
「異端の鳥」(チェコ・スロバキア・ウクライナ、2019年) 作中時期の明示はないが、おそらく一九四三年の冬から、ドイツが敗戦を迎える四五年五月までのおおよそ一年半という期間に、ユダヤ人であるヨスカ少年の辿った彷徨の旅路は、ユダヤとは何であるのか、それもユ
さらには芸術表現における精神の自由という問題を、ボスと現代芸術家とを対照させながら考えてゆきたい。ボスの絵画は豊かであり自由である、と私は先に書いた。すなわちボスと対置する現代芸術家が不自由であり貧しいものであることを私は述べたいのである。これは芸術作
ヒエロニムス・ボスの《快楽の園》に刺激を受けてこれを書いている。《快楽の園》の図像学を読みながら私の感じたこと、それはボスの絵画より溢れ出す自由と豊かさということであった。それは理性という光明を浴した近代以降の人々がまさしくその光輝の眩さゆえに絶望的に
神原正明『「快楽の園」を読む ヒエロニムス・ボスの図像学』(講談社学術文庫、2017年) 理性主義的であることが、あまりにも貴ばれすぎている。理性的であるとは合理的に、すなわち万人が相互に了解しうる共通の原理である論理に基づき事態の正否を分別し、樹ち立て
「タレンタイム~優しい歌」(マレーシア、2009年) 身近なひとには優しく、しかし他者には冷然と傲岸と厳しい眼(まなこ)を向ける。それはあまりにもありふれた人間の性向であって、ことさらに省みられることもない人間の悪意のひとつの発露である。それは確かに悪意の
いますこし密教の思想的な特色を探るために、中国仏教の代表である禅との対比を試みたい(禅は日本文化とも融合し、日本で色濃く残存しているために、ともすれば日本的仏教であるとの見解を持つものもあるかもしれないが、日本仏教の窮極とは浄土宗的な、つまりはきわめて
ツルティム・ケサン/正木晃『増補 チベット密教』(ちくま学芸文庫、2008年) インドからチベットへと直輸入された後期密教のみならず、中国を経由し、空海によって日本へと丸ごと移入された中期密教ですらも、禅や浄土に親しむ私にとっては肌になじまぬものを感じさ
地図を持たずに歩みだすことの困難は誰もが知っているにもかかわらず、ひとびとは人生を描く一片の地図も持つことなく平然とその歩みを進める。その歩みがどこから始まり、そしてどこへと続いてゆくのか。今の自分は、進むべき道程のどこに立っているのか。一直線に死へと
菩薩半跏像(奈良・中宮寺、七世紀) 三年ぶりに会う彼女は変わることなく、しかしかつてとは異なるすがたで私の前に現われた。 大晦日も間近に寄せるその日、私は友人と斑鳩の中宮寺を訪れた。ひとりで訪ねたときのように、ゆったりとした心持ちで彼女と向き合えたわけで
精神の自由であるべきことについて考えたい、と思っている。自由とは述べても、それは欧米のごとく政治的抑圧に対する個人の自由のことではない。それよりもはるかに実存的の問題であり、あるいは真に個人的な自由にかかわる問題である。これを論ずるためには、まずは多く
「家族を想うとき」(イギリス・フランス・ベルギー、2019年) 社会はわれわれに要求する。人間性などという不合理なものは即座に捨ててしまえ、と。かかる要求を呑まぬ人間に待つものは困窮であり社会的不自由である。要領よく生きることのできる人間は、そうした要求をう
「少女は夜明けに夢をみる」(イラン、2016年) 誰もがみずからの幸福を願っている。 更生施設に収容されたイランの少女たちは、そのことごとくが犯罪者である。薬物、強盗、売春、浮浪、さらには父親殺し。しかしそれはおのれの欲望を満たすための犯罪ではなかった。生き
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