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  • 能満寺古墳 長南町芝原

    2024年の古墳納めは、能満寺古墳。 千葉県指定史跡 能満寺古墳(のうまんじこふん) 昭和50年11月14日 指定 能満寺前にある旧熊野神社跡地内丘上に位置する全長73.5メートルの前方後円墳である。 昭和22年明治大学考古学研究室によって発掘調査された。後方部から、舟型木炭槨(木炭で木棺を被覆するもの)が検出され、銅鏡、銅鏃、鉄製鉇(やりがんな)、ガラス玉等が出土した。 築造年代は、墳丘の形、埋葬方法及び出土遺物から、5世紀初頭のころと推定されている。東日本における発生期の古墳であり、この時期の古墳としては県内最大規模のものである。 平成3年3月 千葉県教育委員会 長南町教育委員会 能満寺古…

  • 油殿2,3,4号墳 長南町豊原

    油殿古墳群の続き。 油殿2号墳 油殿3号墳 油殿4号墳 油殿古墳群(あぶらでんこふんぐん) 千葉県指定史跡(昭和52年3月8日指定) 油殿古墳群は埴生川(一宮川水系)に臨む俗称「油殿」と呼ばれる独立丘上に所在しています。古墳群を形成する4基の古墳は、北西から南東方向に伸びる尾根筋にほぼ縦列に配置されています。墳丘の土台となる尾根上面の標高は約27mで、周囲の住宅地とは約10mの比高差があります。 1号墳は主軸長93mの傑出した規模を誇る前方後円墳で、南東約1.5kmにある能満寺古墳とともに地域の首長墓として位置付けられる古墳です。後円部墳頂は独立丘全体の最高点(標高34m)であり、また、3方向…

  • 油殿1号墳 長南町豊原

    夕暮れ時に油殿古墳群を訪れた。 千葉県指定史跡 油殿古墳群(あぶらでんこふんぐん) 長生郡長南町豊原 昭和52年3月8日指定 油殿古墳群は、前方後円墳2基、円墳2基からなる古墳群で、一宮川の支流、埴生川の北側の独立丘陵上に位置する。 1号墳は、昭和49年に早稲田大学の調査により、全長93メートル、後円部径50メートル、前方部幅24メートルの前方後円墳であることが明らかとなった。 2号墳は墳丘長約30メートルの前方後円墳、3,4号墳は墳丘径約10メートルの円墳である。 1号墳は、古墳時代前期(4世紀頃)の築造で、近接する能満寺古墳よりやや新しい時期のものと考えられる。長生地域では、古墳時代中期以…

  • 米満横穴墓群Ⅴ-3,2支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 尾根上の塚 米満横穴墓群Ⅴ-3支群の1基目 米満横穴墓群Ⅴ-3支群の2基目 米満横穴墓群Ⅴ-3支群の3基目 米満横穴墓群Ⅴ-2支群の1基 米満横穴墓群Ⅴ-1支群の進入路を探索したが断念。この日はここまで。 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅴ-4支群 (その2) 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 米満横穴墓群Ⅴ-4支群の6基目 米満横穴墓群Ⅴ-4支群の7基目 米満横穴墓群第Ⅴ支群【千葉県長南町】第Ⅲ支群南側の丘陵には第Ⅴ支群が広がっています。こちらも急斜面の上にあり困難をともなう探索でしたが、やはり米満横穴墓群は期待のさらに上を我々に見せてくれます。第2小支群はほぼ埋没してましたが、第4小支群では分布図の数より多い7基を発見できました。 pic.twitter.com/OmRG9m4Hzc — ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2024年12月28日 千葉県長生郡長南町 米満横穴墓群辿り着くのが大変なので、あまりおすすめはできませんが、行く度に新たな…

  • 米満横穴墓群Ⅴ-4支群 (その1) 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。昼食後、米満横穴墓群Ⅲ,Ⅳ支群の南側のⅤ-4〜2支群を探索。 米満横穴墓群Ⅴ-4支群の1基目 米満横穴墓群Ⅴ-4支群の2基目 米満横穴墓群4-5支群の3基目 米満横穴墓群Ⅴ-4支群の4基目 米満横穴墓群Ⅴ-4支群の5基目 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅳ-1支群 (再訪) 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。米満横穴墓群Ⅳ-1支群を再訪。 米満横穴墓群Ⅳ-1支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-1支群の2基目 ピッツァとパスタのお店で昼食 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-11支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。尾根上をⅢ-11支群まで西に移動。 米満横穴墓群Ⅲ-11支群の1基目 米満横穴墓群Ⅲ-11支群の2基目 無事、下界に生還 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-6支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 米満横穴墓群Ⅲ-6支群の1基目 米満横穴墓群Ⅲ-6支群の2基目 米満横穴墓群Ⅲ-6支群の3基目 町道の西側の尾根上の塚 横穴墓10基・塚10基が調査された町道 文献 総南文化財センター 1998 『総南文化財センター調査報告38:千葉県長生郡長南町米満横穴墓群』総南文化財センター にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-7支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 米満横穴墓群Ⅲ-7支群の1基目 米満横穴墓群Ⅲ-7支群の2基目 米満横穴墓群Ⅲ-7支群の3基目 米満横穴墓群Ⅲ-7支群の4基目 米満横穴墓群Ⅲ-7支群の5基目 米満横穴墓群Ⅲ-7支群の6基目 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-8支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 米満横穴墓群Ⅲ-8支群の1基目 米満横穴墓群Ⅲ-8支群の2基目 横穴墓を調査する探検隊 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-9,10支群 長南町米満

    昨年の古墳納めに、房総半島のほぼ中央に位置する長南町の米満横穴墓群を、墳友と探索した。米満横穴墓群の探索は昨年4月に続いて2回目。米満横穴墓群は、太平洋に注ぐ一宮川水系三途川北岸の丘陵斜面に展開する県内最大規模の横穴墓群。ちば情報マップでは「7群140基。平成9年に町道改良工事に伴う発掘調査を実施、横穴墓10基・塚10基を調査。」 米満横穴墓群Ⅲ支群の西側(10小支群)からアプローチ 米満横穴墓群Ⅲ-10支群の1基目 米満横穴墓群Ⅲ-10支群の2基目 米満横穴墓群Ⅲ-10支群の3基目 米満横穴墓群Ⅲ-9支群の1基 本日はフォロワーの皆様と総勢5人で千葉県長南町米満横穴墓群の探索をしてきました。…

  • 愛宕古墳 (再訪) 春日部市西金野井

    春日部市の愛宕古墳を再訪。 2年前に訪れていたことをすっかり忘れていた。 にほんブログ村

  • 鷲塚古墳 境町塚崎

    清水遺跡の現地説明会の前に近くのショッピングモールに保存された鷲塚古墳で時間調整。 桜山古墳群内 鷲塚古墳(わしづかこふん) 桜和古墳群は、古墳時代前期から中期(3世紀末〜5世紀ごろ)にかけてこの地を支配していた豪族の墳墓群であり、かつては12基以上の古墳を数えた。利根川築堤による採土で湮滅し、現存するのはこの鷲塚古墳(円墳)とおたま塚古墳(円墳、西方約50メートルに地下保存)のみである。 南方にあった古墳から人骨や直刀などの遺物が出土したとの、昭和30年の新聞記事があるが、遺物などの所在は不明である。平成3年に境町教育委員会が行った調査では、鷲塚古墳周溝から器台1基が出土し、境町歴史民俗資料…

  • 山川古墳群 土浦市常名

    常名天神山古墳の約80m北の台地の南縁に古墳2基が遺存する山川古墳群を探索した。1990年(平成2年)に、この台地の常名地区に、川口運動公園にかわる新しい運動公園建設の計画(土浦市総合運動公園基本計画)が策定され、1991年3年3月に試掘調査、1993年度から本調査が実施された。山川古墳群第1次調査(1995年)では古墳4基(山川4〜7号墳、5世紀の円墳)及び方形周溝墓3基(山川31〜33号墳、4世紀の方形周溝墓)を発掘した。山川古墳群第2次調査(2003年)では古墳6基(山川2,3,8,9,10,11号墳)を発掘した。山川古墳群第3次調査(2005年)では山川7,8,12〜30,31号墳を発…

  • 常名天神山古墳発掘調査現地説明会 (12/22) 土浦市常名

    12月22日に開催された常名天神山古墳の土浦市(上高津貝塚ふるさと歴史の広場)・筑波大学合同調査現地説明会に参加した。昨年度から、常名天神山古墳の発掘調査を学生の実習を兼ねて実施とのこと。 市指定文化財 常名天神山古墳 史跡 平成3年(1991)3月1日 指定 この古墳は、桜川に面する台地の端に西面して築造されている前方後円墳である。その規模は、全長約70メートルであるが、一部削り取られているため、本来は約90メー トルもの長さがあったものと思われる。後円部の直径は約45メートル。高さは後円部6.87メートル、前方部4.25メートルである。後円部には常名(ひたな)神社が祀られ、前方部にも小さな…

  • 清水遺跡 現地説明会 (12/22) 境町塚崎

    12月22日に開催された茨城県境町の清水遺跡の現地説明会に参加した。清水遺跡は、境町の南西部、利根川左岸の標高約13mの低地上に位置する。調査区の東側は、平成18年度に首都圏中央連絡自動車道(圏央道)建設事業、昨年度に境町利根川左岸河川防災ステーション事業に伴い、茨城県教育財団が調査して、縄文時代・古墳時代・平安時代の複合遺跡であること、特に古墳時代前期に大規模な集落が営まれていたことがわかった。今年度は、古墳時代前期の坩(かん)が出土。出土した坩は高さ32cm、腹囲96cmとかなりの大型。また、現地説明会の直前に小さな山形土偶が出土。 発掘情報いばらき 清水遺跡 (調査期間:2024年9月1…

  • 下侍塚古墳 発掘調査現地説明会 (12/14) 大田原市湯津上

    12月14日に開催された下侍塚古墳の発掘調査現地説明会に参加した。上侍塚古墳の調査は10月で終了し、11月からは下侍塚古墳の調査が行われている。現地説明会の2日前の12日に、NHKの栃木NEWS WEBが『大田原 「侍塚古墳」東日本では珍しい埴輪の破片が複数出土』と「円筒埴輪」とみられる(突帯や透かし孔が確認できる)破片が複数出土したことを報じ、期待が高まった。下侍塚古墳は4世紀後半の築造とされていて、この時代の東日本の前方後方墳から円筒埴輪の出土はこれまで1例しか確認されていなかったとのこと。しかも、この埴輪片の出土が最初に発見したのは11月23日の発掘体験の体験者とのこと。羨ましい。 S3…

  • えと展ー巳を考古学するー 那珂川町なす風土記の丘資料館

    那珂川町なす風土記の丘資料館で開催中の令和6年度特別陳列「えと展ー巳を考古学するー」を鑑賞した。令和7年(2025年)の干支(えと)は巳年、 十干十二支(じっかんじゅうにし)は乙巳(きのとみ)。本展は、干支、十干、十二支の由来や、「巳」にちなんだ動物である「蛇」について、考古資料や歴史・自然資料のほか、民俗資料などから紹介する。 那珂川町なす風土記の丘資料館 12月7日(土)より「特別陳列えと展―巳を考古学する―」が開催されます😀令和7年の干支・巳(ヘビ)に関する考古資料・民俗資料等を展示する予定です。ヘビ好きな方はもちろん、苦手な方もヘビの意外な一面を見つけることが出来るかもしれません🐍ぜひ…

  • 死者と生者の古墳時代 栃木県立博物館

    栃木県立博物館で開催中の第140回企画展「死者と生者の古墳時代~下野における6・7世紀の葬送儀礼~」を初日に鑑賞した。 古墳が隆盛を極めた時期から、古墳が作られなくなる時期への過渡期の6・7世紀、なぜ古墳時代の人々はお墓やお葬式を重視したのか、そしてどのように古墳は消えていったのか、本展示では、埋葬される「死者」と、葬送儀礼を行う「生者」の関係に焦点を当てながら、その謎に迫る。形象埴輪群像、飲食儀礼を示す土器、横穴式石室の副葬品などの資料を通して、下野地域とその周辺の葬送儀礼を紐解く。 第1章 埴輪が語る葬送儀礼 第2章 ものを食べる死者と生者 第3章 横穴式石室と死者の埋葬 第4章 古墳の終…

  • 古墳時代の草加地域 草加市立歴史民俗資料館

    草加市立歴史民俗資料館で開催された秋季企画展「古墳時代の草加地域」を鑑賞した。残念なことに企画展は撮禁だった。なお、常設展示は撮影OK。 登録有形文化財 草加市立歴史民俗資料館(旧草加小学校西校舎) 所在地:草加市住吉1丁目11-1 29号 かつての草加市は、一部の台地を除けば一面に豊かな水田が広がる稲作地帯でした。 しかし、昭和三十年代からの急激な都市化現象は、そこに住む人々の暮らしまで一変させ、営々と築き受け継がれてきた貴重な歴史、民俗等の文化遺産を消失させつつあります。 草加市立歴史民俗資料館は、この失われつつある郷土の文化遺産を収集、保管、展示するため、昭和五十八年十一月一日に開館しま…

  • 公開シンポジウム「考古学が解明する邪馬台国の時代」 日本考古学協会

    9月8日に開催された日本考古学協会主催の公開シンポジウム「考古学が解明する邪馬台国の時代」にオンラインで参加(聴講)した。 プログラムは、 「歴史考古学からみた倭王権の形成」岡村秀典 「三角縁神獣鏡と親魏倭王」福永伸哉 「『邪馬台国の時代』と古墳〜権力基盤継承の観点から〜」岡林孝作 「纒向王権と邪馬台国論」寺林薫 「弥生研究からみた邪馬台国の時代」石川日出志 討論「考古学が解明する邪馬台国の時代」司会 宮本一夫 公開シンポジウム「考古学が解明する邪馬台国の時代」開催のお知らせ 一般社団法人 日本考古学協会 文化財の鉛同位体比分析(事例:銅鏡の原料産地推定) 日鉄テクノロジー 漢委奴国王…

  • フランス山 横浜市中区新山下

    県立神奈川近代文学館のある港の見える丘公園(フランス山)を散策。 フランス山の風車 フランス山の風車 1896(明治29)年にフランス領事館とその官邸が建設された時、このフランス山には井戸水を汲み揚 げるための風車が設置されました。風車が設置されたのは、レンガ造り井戸の遺構が残されている場所です。 残念ながら、フランス領事公邸で使用されていた風車の形は、写真などの資料が残されていないため判りません。しかし、同時代に使われていた「フェリス女学院の赤い風車」 や 「ヴィラ・サクソニアの風車」の写真から、多翼型の風車であったろうと思われます。なおフランス山の風車は、フランスに残されている資料から、1…

  • 池上本門寺 (再訪) 大田区

    池上本門寺を再訪。 日樹聖人の五輪塔 大田区文化財 日樹聖人の五輪塔(にちじゅしょうにんのごりんとう) この塔は本門寺山内最大の五輪石塔で、総高約4メートル、戦災による破損がいちじるしく、造立年記銘は見えないが、上から三段目の火輪斜面に「日樹(花押)」の署名が刻まれている。 したがって、本塔は、日樹が不受不施事件で信州に流される寛永7年(1630)より前の造立である。 しかも、地輪をはじめ、塔の全面に数百名の奉加者の名を刻みつけてあることは、日樹とその信者層、ひいては江戸初期の池上本門寺外護者の実態と、不受不施史研究上、極めて有力な資料である。 昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会 前田利…

  • 堤方権現台古墳 大田区池上

    東京都の未訪問の古墳の1つの堤方権現台古墳を訪れた。 池上永寿院万両塚 芳心院墓所 芳心院墓所 万両塚に埋葬されている「芳心院殿妙英日春大姉」は、 徳川家康と側室お万の方の孫にあたり、紀州徳川家初代藩主頼宣の娘、鳥取池田家初代藩主池田光仲の正室です。 宝塔背面の銘文には、芳心院の家系・人となり・信仰の深さと「逆修七分全得」(生前に墓をつくるなどの善行を積めば、七の功徳全てを得ることができる)のために生前に建てた自分のお墓であったことが記されています。 宝塔内部からは、法華経巻子本八巻と火葬骨の収められた青銅製の骨蔵器が発見されました。自身の法華経信仰を三百年後の私たちに伝えてくれる貴重なお墓で…

  • 公卿塚古墳跡 本庄市北堀

    埼玉県古式古墳調査報告書で報告された7基の古墳のうち、未訪問だった東富田古墳群の公卿塚古墳跡を訪れた。公卿塚古墳は古墳群内では最大規模の円墳だったが、現在は墳丘が失われている。また、埼玉県内最初期の埴輪をもつ古墳として知られる。Google Mapだと、跡地には公家塚家祖先霊璽があったようだが、なかった。文献[3]では「円墳、径65m、石製模造品・玉・埴輪・土師器、造出し、周堀確認」 公家塚家祖先霊璽の跡地? 文献 埼玉県県史編さん室 1986『埼玉県古式古墳調査報告書 埼玉県県史編さん室 - 週末は古墳巡り』埼玉県県史編さん室 本庄市教育委員会 1991 『本庄市埋蔵文化財調査報告19:本庄…

  • 浅間山古墳 上里町神保原町

    旭・小島古墳群の古墳巡りの続き。 上里町神保原町の浅間山古墳 浅間山古墳(せんげんやまこふん) 町指定文化財 昭和37年2月2日指定 浅間山古墳は、上里町東部から本庄市西部の本庄台地の先端部に広がる旭・小島古墳群を構成する1基です。墳形は、直径約38m、高さ約6mの円墳と考えられます。主体部は、角閃石安山岩を使用した胴張両袖型横穴式石室です。石室の規模は、全長約9.48m、埋葬部にあたる玄室は長さ6.48m、奥壁幅2.2m、最大幅2.4m、天井部高2.5mです。入口にあたる羨道は長さ約3m、幅1.2m、高さ1.8mです。 出土遺物は、昭和2年に玄室の一部が露出した時に出土した直刀2、鉄鉾1、金…

  • 蚕影山古墳、山の神古墳 本庄市小島

    旭・小島古墳群の古墳巡りの続き。 本庄市の遺跡番号136の蚕影山古墳。文献[2]の蚕影山古墳、円墳、径20m、須恵器、横穴式石室、葺石、周堀確認。文献[3]のNo.82の蚕影山古墳古墳、円墳、径19m、横穴式石室、角閃石、葺石、須恵器。 本庄市の遺跡番号137の山の神古墳。文献[2]の山の神古墳、円墳、径30m、埴輪・土師器、葺石、周堀確認。文献[3]のNo.83の山ノ神古墳、円墳、径41m、土師器、葺石、円筒埴輪・形象埴輪。 文献[3]より 市指定文化財(記念物)/本庄市 埼玉県本庄市 山の神古墳 蚕影山古墳 古墳探訪記 蚕影山古墳-山の神古墳【埼玉県本庄市】 - ぺんの古墳探訪記 文献…

  • 元屋敷4,5号墳 本庄市小島

    本庄市の旭・小島古墳群を巡った。 本庄市の遺跡番号139の元屋敷5号墳。文献[2]の小島諏訪神社古墳、円墳、径27m、神社境内、埴輪、葺石、周堀確認。文献[3]のNo.77の小島諏訪神社古墳、円墳。 第80回伊勢神宮式年遷宮記念 諏訪神社 御由緒 本庄市小島4-4-14 □ 御縁起(歴史) 小島は、利根川の右岸に位置する。集落は本庄台地上にあり、低地から 見ると島のようであったので小島の名が付けられたという。地内には、多数の古墳(旭・小島古墳群)が存在していたが、昭和三十年代後半からの急激な宅地造成によって、その数も激減してしまった。 当社は、そのうちの一つの円墳上に祀られる。創建については伝…

  • 小笠原信嶺公廟所古墳 本庄市中央

    本庄市の古墳の続き。 本庄市の遺跡番号141。文献[1]の「三夜堂古墳、円墳」 本庄市指定史跡 小笠原掃部太夫信嶺公夫妻の墓 公は徳川氏の家臣で、もと印塔は古墳上に築かれてい信州松尾城主、天正18年 (1590年)豊臣氏の関 東攻めにより、本庄氏滅亡の後当城を賜わり、同年9月入城し本庄領一万石を領した。慶長3年(1598年) 2月19日、52才にし て逝去した。法名徹抄道也大居士、なお公の墓石宝篋印塔は古墳上に築かれている。 昭和33年3月28日 本庄市教育委員会 市指定文化財(記念物)/本庄市 小笠原信嶺公廟所古墳-愛宕神社古墳【埼玉県本庄市】 - ぺんの古墳探訪記 埼玉県本庄市中央 開善寺…

  • 仲町愛宕神社古墳 本庄市中央

    群馬県立歴史博物館に行く前に本庄市の古墳に寄り道。 本庄市の遺跡番号142、仲町愛宕神社古墳。文献[1]の「北原愛宕山古墳、円墳、径24m、埴輪」 第60回伊勢神宮式年遷宮記念 愛宕神社 御由緒 本庄市中央1-5-2 □ 御縁起(歴史) 本庄城の城跡から見て、南西500メートルほどの所にある愛宕山と呼ばれる古墳の上に当社は鎮座し、石段の脇には神木の大欅(おおけやき)が枝を広げている。この古墳は、愛宕山の西方500メートルほどの所にある古墳と夫婦塚であるといわれ、彼方の古墳の上には寺坂町の天神社が建つ。 当社の位置は、臨済宗妙心寺派の寺院である開善寺の旧寺領の南東端に当たる。開善寺は、天正18年…

  • 埴輪―本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉まで― 本庄早稲田の杜ミュージアム

    本庄早稲田の杜ミュージアムで開催中の企画展「埴輪―本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉まで―」を鑑賞した。本庄市とその周辺地域は、埼玉県内で最も早く埴輪を導入した地域として知られ、その後も埴輪をもつ古墳が数多く築かれ、また埴輪窯跡も数か所に所在するなど埴輪づくりがとても盛んな土地だった。本展では、本庄市や周辺地域で出土した埴輪のなかから、とくに注目すべき資料を体系的に集成し、当地域での埴輪の出現から終焉までの姿を紹介する。 【開催中】埴輪-本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉まで-|イベント|本庄早稲田の杜ミュージアム 常設展示 #展覧会 #埼玉県 #本庄市 【埴輪】本庄早稲田…

  • りんりんロードでめぐる文化財 上高津貝塚ふるさと歴史の広場

    上高津貝塚ふるさと歴史の広場で開催された第27回企画展「りんりんロードでめぐる文化財」を最終日に鑑賞した。「りんりんロード」は「つくば霞ヶ浦りんりんロード」のことで、 旧筑波鉄道の廃線敷と霞ヶ浦を周回する湖岸道路を合わせた全長約180kmのサイクリングコースとして、2016年11月25日に開通式が行われ、2019年11月に国が指定するナショナルサイクルルートにも指定された。筑波鉄道は1918年(大正7年)に開通し、土浦駅から岩瀬駅までの18駅間を運行していたが、自家用車の普及とともに1987年(昭和62年)に廃線。廃線跡はつくば霞ヶ浦りんりんロードとして生まれ変わった。 本展は「つくば霞ヶ浦り…

  • 埴輪展 山武市歴史民俗資料館

    山武市歴史民俗資料館で開催中の令和6年度企画展「埴輪展」を鑑賞した。撮禁なのが残念。 山武市歴史民俗資料館 令和6年度企画展「埴輪展」後期開催のお知らせ 山武市公式ホームページ 山武市歴史民俗資料館 令和6年度企画展「埴輪展」 山武市公式ホームページ https://t.co/xH7QFolxGG pic.twitter.com/6XOPgloMub — 山武市歴史民俗資料館【公式】埴輪展後期開催中 (@sammu_rekimin) 2024年4月17日 山武市歴史民俗資料館では令和6年度企画展「埴輪展」の後期が開催中です!前期の埴輪に加え、埴輪クイズも展示の一角に設けていますので、ぜ…

  • 茂原市内の古墳時代ー国府関夏身遺跡、中原遺跡、山崎横穴群等ー 茂原市立美術館・郷土資料館

    茂原市立美術館・郷土資料館で開催された市史編さん事業展示 第1回テーマ展「茂原市内の古墳時代ー国府関夏身遺跡、中原遺跡、山崎横穴群等ー」を鑑賞した。茂原市内には、国府関夏身遺跡や猿袋中原遺跡などの集落や、地域の有力者の墓域の横穴墓が400基以上存在する。本展では、埋葬された副葬品(須恵器の壺や甕)、日常生活で使っていた土器、木製品などを展示。 「茂原市内の古墳時代」茂原市立美術館・郷土資料館 バーチャルミュージアム(65) 千葉県茂原市の公式サイトへようこそ! 茂原市史編さん事業について 千葉県茂原市の公式サイトへようこそ! 房総の古墳を歩く/伊甚国の古墳 にほんブログ村

  • 水子貝塚発掘調査 現地説明会 (12/7) 水子貝塚公園(富士見市水子)

    水子貝塚で32年ぶりに実施された発掘調査の現地説明会に参加した。水子貝塚は、荒川低地が海だった縄文海進期(今から約6,000年前)の縄文時代前期を代表する遺跡で、1969年に国の史跡に指定、縄文ふれあい広場として整備され1993年に水子貝塚公園が開園した。開園から30年が経過し、富士見市は将来の再整備を見据えた史跡水子貝塚保存計画を2022年度に、整備基本計画を2023年度に策定。本年度は、新たな資料や発掘成果の追加を目的に発掘調査を実施している。 先月、ららぽーと富士見の掲示板で見つけたポスター 水子貝塚発掘調査 現地説明会|富士見市 水子貝塚で32年ぶりの発掘調査を、現地で説明します。20…

  • あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)― 加曽利貝塚博物館

    加曽利貝塚博物館で開催中の令和6年度企画展示 加曽利貝塚E地点・B地点発掘100周年記念「あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)―」を鑑賞した。加曽利貝塚博物館では、加曽利E式土器の変遷と地域性の解明を目的に、房州半島の資料を集成する連続企画展「 あれもEこれもE加曽利E式土器」を2018年から開催してきた。今回は総集編として、過去6回の展示の注目点に新たな例を加え、今まで蓄積した情報を整理した。 千葉市:令和6年度企画展示「加曽利貝塚E地点・B地点発掘100周年記念「あれもEこれもE―加曽利E式土器(総括編)―」」について 企画展「あれもEこれもE-加曽利E式土器(総括編)」、本日から開…

  • 加曽利貝塚 発掘調査現地説明会(11/30) 千葉市若葉区桜木

    今年も加曽利貝塚の発掘調査現地説明会に参加した。今年は、本格的調査としては57年ぶりとなる北貝塚の発掘調査の2年目。北貝塚の中央部から東北東の貝層範囲に届くように、幅10m、長さ50mの調査区(No.41)を設定。No.41調査区は、中央部で昭和41年の調査区(No.15)の一部にかかり、貝層範囲で昭和37年の調査区(No.2)を内包する。今年度の調査は、小竪穴、竪穴住居跡群(中期)の確認、柱穴群(後期)の分布と時期の確認、貝層の堆積状況と時期の確認を目的とする。 今年掘られた50cm幅のサブトレンチ 公園の一部はナラ枯れによる倒木の恐れで通行不可 千葉市:令和6年度 加曽利貝塚発掘調査につい…

  • ミミズク土偶の世界 岩槻郷土資料館

    岩槻郷土資料館の企画展「ミミズク土偶の世界~埼玉のミミズク土偶大集合~」を開催初日に鑑賞した。真福寺貝塚(さいたま市岩槻区)、をはじめとして、埼玉県内の各地で出土した「ミミズク土偶」や関連資料約140点を展示。 さいたま市/岩槻郷土資料館で企画展「ミミズク土偶の世界 ~埼玉のミミズク土偶大集合~」を開催します 【岩槻郷土資料館】企画展「ミミズク土偶の世界 埼玉のミミズク土偶大集合」を開催します真福寺貝塚(岩槻区)、をはじめとして、埼玉県内の各地で出土した「ミミズク土偶」や関連資料約140点を展示します。11月16日(土)から1月26日(日)まで。詳しくは https://t.co/l9Pw12…

  • 真福寺貝塚 現地説明会(11/16) さいたま市岩槻区城南

    今年も真福寺貝塚の発掘調査の現地説明会に参加した。真福寺貝塚は、縄文時代後期前葉から晩期中葉(約3,800〜2,600年前)まで営まれた貝塚を伴う集落遺跡と低湿地の泥炭層遺跡から成る。さいたま市教育委員会は、平成28年度から毎年、発掘調査を実施していて今年で9年目。私が真福寺貝塚の発掘調査の現地説明会に参加するのは、6年連続6回目。今年は、昨年調査したに西側の水辺の活動域の南側の調査区の谷部の泥炭層地点の調査を実施中。 国史跡 真福寺貝塚(しんぷくじかいづか)指定年月日 昭和50年7月19日所有(管理)者 岩槻市本町六丁目一番一号所在地 岩槻市城南三丁目地内 真福寺貝塚は、縄文時代後期から晩期…

  • 綿貫観音山古墳 (再訪) 高崎市綿貫観音山

    群馬県立歴史博物館で企画展を鑑賞後に綿貫観音山古墳を再訪。初めて横穴式石室の中に入れた。 観音山古墳の埴輪 国宝群馬県綿貫觀音山古墳出土品 指定:令和2年9月30日 観音山古墳では、墳頂と墳丘中段のテラス面に埴輪が多量に並べられていました。一方で、内堀と外堀の間にある中提(ちゅうてい)には壊輪は並べられていなかったようです。 後円部墳頂では、家・大力(たち)・盾(ゆき、矢入れ具)・鶏(にわとり)の埴輪が、前方部墳頂では家・盾・鶏の埴輪が並べられていました。そして、墳頂の平坦面を一周するように円筒・朝顔形埴輪が立て並べられていました。 中段のテラス面では、石室の入口向かって左側から前方部にかけて…

  • 陸軍岩鼻火薬製造所射場跡 高崎市綿貫町

    群馬県立歴史博物館の開館時間まで「群馬の森」を散策した。「群馬の森」は「旧東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」跡地に建設された自然公園。 我が国ダイナマイト発祥の地 陸軍岩鼻火薬製造所射場跡 ここから見えるコンクリート製のトンネルのようなものは、「射場跡」(昭和10年完成)です。かつて群馬の森一帯は、明治15年から昭和20年まで操業した陸軍の火薬製造所でした。黒色化薬や無煙火薬が製造され、この射場は小火器専用として使用されたものです。 (出典: みやま文庫「陸軍岩鼻火薬製造所の歴史」) 第22回岩鼻火薬製造所と軽便鉄道 - 高崎市公式ホームページ 岩鼻火薬製造所について資料はないか。 レファレン…

  • 東京砲兵工廠跡の煉瓦基礎 文京区

    東京ドーム脇の後楽園スタヂジアム跡地に保存された旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ。 旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ 明治4年(1871年)に建設された旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ。昭和12年(1937年)、旧後楽園球場建設の際は、基礎のあまりの強固さにグランド部分は取り除くのを見合わせていたが、平成12年(2000年)竣工の東京ドームホテル建設を進めるにあたり、地下5mの深さより出土、採取。 現在地は旧後楽園球場のセンター位置にあたる。 市兵衛河岸 市兵衛河岸(いちべえがし) 河岸とは、物資輸送のために水ぎわに作られた物揚場(ものあげば)などの施設のことであ…

  • リリイベ (11/23) ららぽーと立川立飛

    11月23日に「ららぽーと立川立飛」で開催されたラフxラフの新曲「超めっちゃ"キュン"でしょ?」の発売記念リリースイベント(リリイベ)に参加した。前回の「ららぽーと富士見」のリリイベと明星大学の学園祭は7人バージョンだったが、今回は8人のフルバージョン。「TIFxFNS」の決勝後の初ライブ。眩しいくらいに輝いていた。この日のセトリは吉村萌南さんが担当。この日はラフxラフのプロデューサーの佐久間さんの誕生日。みんなでお祝い動画を撮影。 明日はタワーレコードららぽーと立川立飛店さんにてリリイベです!♡https://t.co/cwgefV3a5Z観覧無料なのでお時間ある方はライブだけでもぜひ!!み…

  • 橘樹歴史公園 川崎市高津区千年

    今年5月18日にオープンした橘樹歴史公園をオープン後に初めて訪れた。 史跡 橘樹官衙遺跡群(千年伊勢山台遺跡[橘樹郡家跡]) 橘樹評(たちばなひょう)の倉庫跡(SB0031) この倉庫跡は、橘樹郡家正倉院(ぐうけしょうそういん)地区Ⅱ期(7世紀後葉〜8世紀初頭)の橘樹評の倉庫跡と推定されています。南北3間、東西3間の高床の掘立柱建物(総柱建物)で、令和元年(2019)に実施した確認調査において、この建物が東西約5.94m(20尺)、南北約5.94m(20尺)の規模であり、隣接する3棟の倉庫と同規模であることが判明しました。この建物は、北側に隣接する倉庫跡(SB0030)と異なり、建物を支える1…

  • 影向寺の文化財 現地特別公開 川崎市宮前区野川本町

    川崎市教育委員会主催の令和6年度指定文化財等現地特別公開事業として特別公開された影向寺の文化財を見学した。本特別公開事業は、日頃、保存や保護のため公開されていない川崎市の指定文化財を所有者のご理解とご協力をいただき特別に公開するイベント。今年は橘樹歴史公園のオープンを記念して、影向寺の文化財を特別公開した。 影向寺(ようごうじ) 当寺は、天台宗に属しています。縁起によれば、天平11年(739)光明皇后がご病気のおり、聖武天皇は夢告(ゆめのおつげ)で武蔵国橘樹郡橘郷、すなわちこの地に霊石(れいせき)のあることを知り、早速、当時の高僧行基を使わし祈願させたところ霊験あらたかで、皇后のご病気も快ゆさ…

  • 星友祭 明星大学

    11月2日から4日に開催された明星大学学園祭 星友祭の中日(11月3日)に訪れた。この日(星友祭2日目)のステージショー(場所:ソルブランステージ)は、午前中が「お笑いライブ」でネルソンズ、鬼越トマホーク、マユリカの3組、午後がアイドルグループ「ラフ×ラフ」のライブ。推しの初学園祭ということで駆けつけた。 【情報解禁】今年の星友祭2日目のステージショーは、アイドルグループ「ラフ×ラフ」によるショーに決定しました!詳細はこちら👇開催日 11月3日(日)※2日目開場 14:30〜 開演 15:00〜場所 明星大学日野キャンパス ソルブランステージ●観覧無料● pic.twitter.com/zBg…

  • 万蔵院台古墳群 日野市百草

    大栗川左岸の多摩市と日野市の市境に立地する万蔵院台古墳群を探索した。 万蔵院台2号墳? 万蔵院台3号墳? 倉沢里山を愛する会 会報「アリスの丘・風の丘ファーム」NEWS LETTER No.10, 2001年9月1日発行 古墳なう 日野市/万蔵院台古墳群 万蔵院台の庚申塔 日野市指定有形民俗文化財 万蔵院台の庚申塔(四基)平成21年9月17日指定 庚申信仰は「庚申の晩に眠ると、身中の三尸(さんし)の虫が昇天して天帝にその人の過失を告げる」という中国の信仰と、日本の日待ち、月待ちの信仰が融合したものとされる。江戸時代に庶民の間に浸透し、庚申の晩に人々が集まり、眠らずに一晩を過ごす庚申講が行われた…

  • 塚原古墳群1号墳 (再訪) 多摩市和田

    塚原古墳群1号墳を再訪した。 文献 多摩地区所在古墳確認調査団 1995『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』 にほんブログ村

  • 庚申塚古墳 (再訪) 多摩市和田

    庚申塚古墳を再訪した。 庚申塚古墳(こうしんづかこふん) 和田の台地には6〜7世紀頃の豪族の墓(古墳)が多数造られたが、現在その大部分が地上から姿を消している。この古墳は当時の姿を残す貴重な遺跡である。 多摩市教育委員会 文献 多摩地区所在古墳確認調査団 1995『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』 にほんブログ村

  • 安部公房展 県立神奈川近代文学館

    県立神奈川近代文学館で開催中の開館40周年記念企画の特別展「安部公房展――21世紀文学の基軸」を鑑賞した。今年生誕100年を迎えた安部公房(1924~1993)。本展は初公開・初展示を含む約500点の資料により、時代の先端をとらえ続けた表現者・安部公房の全貌に迫るとともに、21世紀の今日において安部作品のテーマが持つ意味を問い直す。 安部公房展──21世紀文学の基軸 私の蔵書の新潮文庫と第四間氷期の英語版 【安部公房展】10月12日(土)から特別展「安部公房展――21世紀文学の基軸」が始まりました!今年生誕100年を迎えた安部公房。小説、戯曲の執筆から安部公房スタジオの活動まで、時代の先端をと…

  • 臼井塚古墳 多摩市百草

    稲荷塚古墳の西約50mに位置する臼井塚古墳。1952年(昭和27年)に初めて稲荷塚古墳と臼井塚古墳が発掘調査された。臼井塚古墳はその後は調査されていない。臼井塚古墳の墳形や規模は不明。全長約5mの横穴式石室を検出。 古墳なう 「臼井塚古墳」 文献 多摩地区所在古墳確認調査団 1995『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』 多摩市遺跡調査会調査団 1996 『多摩市埋蔵文化財調査報告39:稲荷塚古墳』多摩市教育委員会 たましん歴史・美術館歴史資料館 2010「特集 多摩川流域の七世紀代古墳」『多摩の歩み』第137号 たましん地域文化財団 東京都立埋蔵文化財調査センターから、稲荷塚古墳、臼井塚古墳ま…

  • 稲荷塚古墳 (再訪) 多摩市百草

    7年ぶりに多摩市の稲荷塚古墳を訪れたら、なんかスッキリしていた。 東京都指定史跡 稲荷塚古墳(いなりつかこふん) 全国的に珍しい八角形境。幅2mの周溝の内側に径34m・2段の墳丘を築き、2段目に切石造りの横穴式石室がある。7世紀の古墳。近畿以外で八角形墳が発見されたのは初めてである。 多学市教育委員会 東京都指定史跡 稲荷塚古墳(いなりづかこふん) 古墳とは、土を盛り上げてつくられた墳丘をもつ有力者の墓で、3世紀の末頃から8世紀の初め頃に かけての約400年間に、全国で15万基ほどつくられたといわれています。この稲荷塚古墳は、7世紀の前半頃につくられたものとみられ、古墳の形は全国的にも珍しい八…

  • 多摩の“なんで!?”な出土品 (再訪) 東京都立埋蔵文化財調査センター

    東京都立埋蔵文化財調査センターで開催中の企画展「多摩の“なんで!?”な出土品」は3月に鑑賞したが、鑑賞の手引きができたとのことで再訪した。関東考古学フェアスタンプラリーのスタンプもゲット。 【鑑賞の手引き刊行】令和6年度企画展示「多摩の“なんで!?”な出土品」の鑑賞の手引きができました!当館にて配布の他、以下のページからPDFをご覧いただけます。ぜひ、この冊子を手に、残りの展示期間もお楽しみください!https://t.co/93ojETSjN6 pic.twitter.com/TcS6XU9vBr — 東京都立埋蔵文化財調査センター (@tokyo_maibun) 2024年10月1日 特別…

  • 矢を放て!~関東の弓矢、一万年~ 大田区立郷土博物館

    大田区立郷土博物館で開催中の特別展「矢を放て!~関東の弓矢、一万年~」を鑑賞した。また、ラストチャンスの展示解説に参加することができた。 大田区ホームページ:特別展「矢を放て!~関東の弓矢、一万年~」のご案内 10/8(火)〜12/1(日)迄、大田区立郷土博物館にて開催される特別展『矢を放て!~関東の弓矢、一万年~』に、太田神社に奉斎されている八幡大菩薩像が展示されます。那須与一宗高公が源平合戦で奉持した御神像で、史上初の“出開帳”となります。この機会に是非御観覧くださいhttps://t.co/BThiYxopxf pic.twitter.com/z23TwT92H0 — 太田神社 宮司 一…

  • 高句麗 広開土王碑「多胡碑記念館本」をみる 高崎市多胡碑記念館

    高崎市多胡碑記念館で開催中の第46回企画展 『高句麗 広開土王碑「多胡碑記念館本」をみる』を鑑賞した。 本展では、多胡碑記念館が収蔵する高句麗 広開土王碑の貴重な拓本を、記念館の吹き抜け部と展示室に展示し、武田幸男氏(故人、東京大学名誉教授)の調査報告をもとに、拓本の特徴を解説する。 多胡碑記念館 第46回企画展 高句麗 広開土王碑(こうくり こうかいどおうひ)「多胡碑記念館本」をみる - 高崎市文化財情報 - 高崎市公式ホームページ 多胡碑 (終了しました)多胡碑記念館 令和6年度 春の展示「未来に託す多胡の古碑‐平成・令和の保存修理写真展‐」 - 高崎市文化財情報 - 高崎市公式ホームペー…

  • 台所(キッチン)の考古学-食にまつわる道具の歴史ー 飛鳥山博物館

    飛鳥山博物館で開催中の企画展「台所(キッチン)の考古学-食にまつわる道具の歴史ー」を鑑賞した。本展は、 古代の台所とそこで活躍した道具の変化、そして道具にこめられた人々の知恵と工夫について紹介する。 旧石器時代に「焼く」「蒸し焼きにする」から始まった調理方法は、土器を発明した縄文時代に「煮る」、稲作を開始した弥生時代に「炊く」、古墳時代に「蒸す」が加わった。調理に使われた石や土器などの遺物や炉跡などの遺構から当時の調理方法を解き明かす。 秋期企画展 台所(キッチン)の考古学ー食にまつわる道具の歴史ー(北区飛鳥山博物館)|東京都北区 🔥本日から🔥本日から当館特別展示室にて、令和6年度秋期企画展「…

  • 新収蔵・収蔵資料展2024 明治大学博物館

    明治大学博物館で開催中の 企画展「新収蔵・収蔵資料展2024」を鑑賞した。本展は、2022・2023年度の購入資史料・関連収蔵資料の公開を主な目的として、考古部門からは女子埴輪頭部(伝茨城県出土)と関連の古墳時代資料、刑事部門からは捕者関係の新収資料や江戸に係わる絵図面など、 商品部門はテーマ展「記録写真にある資料」を展示する。 企画展「新収蔵・収蔵資料展2024」開催のお知らせ 明治大学 本日から企画展「新収蔵・収蔵資料展2024」が始まりました!今回の展示は商品・刑事・考古の合同展示となります。11月と12月には各担当者によるギャラリートークも👀詳しくは当館HPをご確認ください。htt…

  • 寒川町遺跡発掘発表・講演会 (11/2) 南部文化福祉会館(南部公民館)

    11月2日に寒川町の南部文化福祉会館(南部公民館)で開催された寒川町遺跡発掘発表・講演会に参加(聴講)した。 発表遺跡(寒川町教育委員会) 「大(応)神塚古墳令和5年度調査について」小林秀満 講演会(かながわ考古学財団) 「奈良・平安時代の人びとが眺めた寒川」齋藤葵 「縄文人は誰と葬られたのかー墓地にみる社会集団-」阿部友寿 【寒川町&財団 共催イベント開催!】毎年恒例の寒川町&財団の共催イベント開催の季節がやってまいりました。今年は寒川町が令和5年度に調査を実施した大(応)神塚古墳の発表会と財団職員による奈良・平安時代と縄文時代の寒川に関係する人々をテーマとした講演会の3本立てです。 pic…

  • 発掘された海老名のお宝 海老名市立郷土資料館

    海老名市立郷土資料館で開催中の企画展「発掘された海老名のお宝〜この10年の発掘調査成果から〜」第二弾「古墳時代〜中近世」を鑑賞した。「古墳時代中〜後期の変化がわかってきた」として、上浜田古墳群の太鼓塚古墳(5号墳)の住宅建設に伴う発掘調査、2号墳の墳丘盛土流出による緊急調査、上今泉横穴墓群の擁壁工事に伴う第3次調査の成果や、古墳時代の竪穴住居跡の移り替わりとして、「炉」から「カマド」への変化、甕(かめ)の形が徐々に長くなり、蒸すための甑(こしき)が使われるように変化が紹介された。また、古墳時代のお宝として、ミニチュア土器、須恵器、小型銅鏡、石製模造品・臼玉を展示。「古代の政治 律令体制の痕跡」…

  • 布をまとう―古代人の衣― 行田市郷土博物館

    行田市郷土博物館で開催中の企画展「布をまとう―古代人の衣―」を鑑賞した。本展は、各地の遺跡に残された糸をつむぐ道具・布を織る道具(木製品・石製品など)や、古墳時代の衣装をよく表している人物埴輪を取り上げて、古代の人びとがどのように布をつくり、どのように布をまとっていたのかを紹介する。 静岡県浜松市山ノ花遺跡の椯(たたり)状木製品、埼玉県行田市小敷田遺跡の桛(かせ)や綛(かせ)かけ、神奈川県逗子市池子遺跡群の経巻具/布巻具・緯打具等の原始機(げんしばた)の部材、埼玉県行田市池守遺跡の日本最古級の中筒受け等の地機(じばた)の部材などの木製品や、沖ノ島祭祀遺跡の御金蔵(4号遺跡)出土と伝わる「金銅製…

  • 古墳時代の装い−おしゃれな古代人− 埼玉県立さきたま史跡の博物館

    埼玉県立さきたま史跡の博物館で開催中の企画展「古墳時代の装い−おしゃれな古代人−」を鑑賞した。本展では、人物埴輪や、人物埴輪が身に着けている装飾品の実際の出土例を展示し、古墳時代の人々の装い、髪型や衣装、身に着けているアクセサリーなどについて考える。 企画展「古墳時代の装いーおしゃれな古代人ー」 - 埼玉県 /開催まであと10日❗️\令和6年度企画展「古墳時代の装い-おしゃれな古代人-」を10月5日(土)~12月1日(日)で開催します❗️人物埴輪や装身具などから古墳時代の「装い」や「おしゃれ」を考える展示となっております。ぜひお越しください✨#さきたま史跡の博物館 pic.twitter.co…

  • 講演会「文京の弥生時代を探る」 (11/9) 文京区民センター

    11月9日に文京区民センターで開催された文京区の令和6年度文化財講演会「文京の弥生時代を探る」に参加(聴講)した。日本の弥生時代の探求は、文京区界隈の遺跡から始まった。本講演会では、のちに発見地の地名(向岡弥生町)から命名された「弥生式土器」ゆかりの地・文京において、最近の発掘調査や研究成果から、改めて弥生時代を探る。講師は、明治大学文学部専任教授 石川日出志氏と早稲田大学人間科学学術院名誉教授 谷川章雄氏。 内容は、谷川章雄氏の講演「最近の文京区の発掘成果」、石川日出志氏の講演「文京界隈の弥生時代遺跡」と、講師2名による質疑応答・対談という構成。文京区界隈の遺跡の様相は、ここ20~30年の発…

  • 弥生人は二度死ぬ-再葬墓ってなに?- 群馬県立歴史博物館

    群馬県立歴史博物館で開催中の企画展「弥生人は二度死ぬ-再葬墓ってなに?-」を鑑賞した。 あつぎ郷土博物館の特別展「ドグウ集まれ!」を鑑賞してから本展を鑑賞すると時代が繋がって理解が深まるかも。 第111回企画展「弥生人は二度死ぬー再葬墓ってなに?ー」 群馬県立歴史博物館 【次回予告】第111回企画展「#弥生人は二度死ぬ-再葬墓ってなに?-」10/5(土)~11/24(日)東日本の弥生人は再葬墓というちょっと変わった墓を造っていました。再葬墓って何?遺骨で首飾りを作るってどういうこと?秘められた弥生人の想いに迫ります。詳細はこちら→https://t.co/ZDf5UAiOMF pic.tw…

  • ドグウ集まれ! あつぎ郷土博物館

    あつぎ郷土博物館で開催中の特別展「ドグウ集まれ!」を鑑賞した。本展では、国指定重要文化財を含む土偶及び関連資料約120点を展示。土偶は縄文時代を代表する遺物で、縄文時代の精神文化に関わる道具として用いられていたと考えられる。厚木市内には多数の縄文時代の遺跡があるが土偶が出土することは稀で、6遺跡から中期4点、後期3点、晩期2点、計9点の土偶が出土しているが、いずれも体の一部分のみの破片で、土偶全体が分かる資料はない。本展では、厚木市内では珍しい土偶を県内外からお借りして一堂に集め、土偶を通じて豊かな縄文時代の文化を紹介する。 特別展「ドグウ集まれ!」/厚木市 #あつぎ郷土博物館 にて開催される…

  • 上依知5号墳,8号墳 厚木市上依知

    上依知古墳群の2基を散策。 上依知5号墳 上依知古墳群 この地の周辺には8基の古墳が存在していた。その内の1基は少し離れた場所にある。 これらの内3基が発掘調査されいずれも自然石を用いた横穴式石室を有する円墳であった。 6世紀後半から7世紀代につく られたものと考えられている。 昭和40年代後半から始った国道129号線建設工事に伴い4基の古墳が消滅し、その後の宅地開発により2基が消滅した。 現存するこの古墳には次の三塔が建つ。 七塚供養塔 塚供養のため大正9年森田駒吉が建立 塚神 細山氏が建立、年月不詳、他の塚上にあったが国道建設により移設 馬頭観世音 昭和3年森田駒吉が建立、他の塚上にあった…

  • 吹上貝塚 和光市白子

    新河岸川の支流の白子川左岸(和光市白子)の舌状台地に位置する吹上貝塚。 吹上貝塚 この貝塚の発掘調査は昭和35年4月に行われた。 発掘された遺跡は縄文中期(今からおよそ4〜5,000年前)に属し、貝層の下に良好な一群の土器を伴った三つの住居跡が、ほぼ東西に約二十メートルの距離をおいて並んでいた。このうち西側のものは二つの住居跡が複合しており、古いものが埋められた後、一部重複して次のものが造られていた。両者とも径約5メートルのほぼ円形にちかい形をしている。東側に位置するものは直径約7メートル、短径約5メートルのかなり大型の楕円形の住居跡で、何回かにわたり、拡張改築された形跡を示していた。 出土遺…

  • 午王山遺跡 和光市新倉

    2020年に国の史跡に指定された午王山遺跡。 和光市指定文化財 記念物 史跡 午王山遺跡(ごぼうやまいせき) 平成25年4月25日指定 午王山遺跡は、標高約25mの独立丘上にあり、旧石器時代から中世までの複合遺跡です。その中で、特に弥生時代の環濠集落として広く知られています。 環濠集落とは、ムラを外敵から守るため、断面V字状の濠が住居群を囲うように振り廻らされている集落です。この午王山遺跡では、環濠が二重に廻ることが発掘調査でわかっています。そのほか遺跡の西端では丘の斜面を断ち切るように別の一条の環濠が一部分検出されていることから、環 濠は三重に廻る可能性もあります。 濠の規模が最大のものは最…

  • 新田圦樋 志木市下宗岡

    志木市下宗岡の新田圦樋(いりひ)と篭嶌門樋(かごしまもんぴ)を見学。 新田圦樋 篭嶌門樋 志木市指定文化財 篭嶌門樋(かごしまもんぴ) 江戸時代の絵図にも記され、『武蔵国郡村誌』(明治8年刊)には「籠嶋圦樋(かごしまいりひ)」と記載されていた木製の樋門が、明治28年(1895)5月に、石積みで建造されたアーチ型樋門です。アーチの石組みは、五角形の切石積みであり、西洋の石造り建築に顕著な方式で、日本古来のアーチとは異なっています。入間郡宗岡村が埼玉県の補助を得て建設したもので、当時は、木製の観音開きの戸が取り付られており、戸の上の石の面壁に「篭嶌門樋」と刻まれています。 新河岸川の旧堤防に造られ…

  • 水越門樋 富士見市下南畑

    富士見市の煉瓦製の樋門巡りの続き。 水越門樋 水越門樋( みずこしもんび) この煉瓦製の樋門は、明治37年(1904)に水越排水に新河岸川からの逆流を防ぐために造られたものです。 通水口の断面形はかまぼこ状のアーチ型、扉は水の流れに反応して開閉する観音開き構造となっています。煉瓦の積み方は、長面の段と短面の段を交互に積むイギリス積みと呼ばれるものですが、通水口上のアーチづくりには短面を縦に三段、上端部は短面を縦に一段積み、意匠性を出しています。表面に「水越門樋」、裏面に「明治三十七年二月」の銘板がつけられています。 煉瓦製の樋門は、明治時代中頃〜大正時代にかけて埼玉県内に数多く造られた、県を代…

  • 山形樋管 富士見市下南

    富士見市に残る2基の煉瓦製の樋門を見学した。 山形樋管 山形樋管(やまがたひかん) この煉瓦製の樋門は、明治37年(1904)に氷川排水に新河岸川からの逆流を防ぐために造られたもの です。 通水口の断面形は箱状、扉は引き上げ式の構造となっています。新河岸川に面した表面のみが残っています。 煉瓦の積み方は、長面の段と短面の段を交互に積むイギリス積みと呼ばれるものですが、上端部は短面を縦に一段積み、意匠性を出しています。 煉瓦製の樋門は、明治時代中頃〜大正時代にかけて埼玉県内に数多く造られた、県を代表する近代化遺産です。富士見市内にも荒川と新河岸川沿いに七基以上造られましたが、現在は二基が残るだけ…

  • コロボックルの碑 (再訪) 富士見市山室

    ららぽーと富士見の近くの 「コロボックルの碑」を再訪した。前回は夕日(逆光)で碑文が撮影できなかったのでリベンジした。 有形文化財 コロボックルの碑 昭和五十年十一月一日指定 コロボックルの碑(貝塚稲荷旧跡碑)は大正元年に建立されたものですが、碑文に記された建立の事情こそ富士見市の文化財保護の原点を示すものです。 建立の五年前、東京帝国大学の学士十数名がこの地を訪れました。彼等は貝塚山から採集された土器や石器を見て「いにしえのコロボックルが残したものである」と説明しました。「コロボックル」とはアイヌの伝説に出てくる先住民であり、当時は、縄文土器や石器はコロボックルが残したものという説がとなえら…

  • 八龍神社 那珂川町久那瀬

    川崎古墳の南東150m、武茂川右岸の崖線上に立地する八龍神社。 にほんブログ村

  • 川崎古墳 那珂川町久那瀬

    那珂川町指定史跡の川崎古墳を見学。 川崎古墳 川崎古墳は、馬頭町大字久那瀬字川崎に所在し、那珂川とその支流武茂(むも)川の合流点近くの低段丘上に築造された古墳時代後期の前方後円墳です。この周辺には、北側に北向田古墳群、その東側の丘陵には唐の御所横穴墓(国指定史跡)を中心とする和見・北向田横穴墓群、東側の台地上には三枚畑古墳群などがあり、川崎古墳はその中心的存在をなしています。 本墳は前方部を西に向けて造られ、全長は約49メートル、後円部の径は約21メートル、後円部の高さは約4.5メートル、前方部と後円部の頂部間は約24メートルで、前方部が約1メートル程低くなっています。前方部幅は30〜35メー…

  • 佐良土上の原古墳 大田原市佐良土

    大田原市佐良土の光丸山奥之院の参道脇の佐良土上の原古墳。人気がなくてちょっと怖い。 光丸山奥之院 佐良土上の原古墳 古墳なう 大田原市「佐良士上の原古塚」 にほんブログ村

  • 上侍塚古墳・上侍塚北古墳 合同現地説明会 (10/27 その2) 大田原市湯津上

    大田原市では、令和元年(2019年)度から国の補助を受け、東山道駅路跡及び関連遺跡発掘調査事業を実施。今年と来年は上侍塚北古墳を発掘調査。上侍塚北古墳は上侍塚古墳の北に接するように位置する。今回の調査では、上侍塚北古墳の正確な大きさと築造年代を明らかにする。 ②S0東トレンチと②'S0東トレンチ拡張部 ④S25東トレンチ ⑥E0南トレンチ ③S25西墳丘トレンチ ⑤西くびれトレンチ ①S0西墳丘トレンチ 大田原市が発掘調査をしている湯津上の前方後方墳「上侍塚北古墳」の発掘調査現地説明会に来ています。後方部東トレンチ内、括れ部西トレンチ内からは築造時に墳丘に埴輪のように並べられていた、赤く彩色さ…

  • 上侍塚古墳・上侍塚北古墳 合同現地説明会 (10/27 その1) 大田原市湯津上

    10月27日に開催された上侍塚古墳・上侍塚北古墳 合同現地説明会に参加した。上侍塚古墳の現地説明会は今年6月に続いて今年度2回目。今回は大田原市が発掘調査している上侍塚北古墳と初の合同開催。公益財団法人とちぎ未来づくり財団文化財センターが、「いにしえのとちぎ発見どき土器わく湧くプロジェクト」事業として、栃木県の委託を受け、侍塚古墳(上侍塚古墳・下侍塚古墳)の発掘調査を令和3年(2021年)度から実施している。今年度は5月から調査が始まり6月29日に第1回の現地説明会が開催された。今回は6〜10月の上侍塚古墳の発掘調査の成果が公開された。今年度調査の目的は、前方部の墳丘の葺石と段と裾部の状況の確…

  • 草刈古墳群(その3) 市原市ちはら台西

    ちはら台公園の古墳散策の続き。 草刈11号墳、前方後円墳、全長約50m 草刈11号墳の後円部の墳頂から前方部、その先には、左から保護区1号墳、草刈13,10,9号墳 保護区3号墳 保護区2号墳 にほんブログ村

  • 草刈古墳群(その2) 市原市ちはら台西

    ちはら台公園の古墳散策の続き。 草刈8号墳 草刈7号墳 保護区21号跡 草刈6号墳 保護区24号跡 にほんブログ村

  • 草刈古墳群(その1) 市原市ちはら台西

    ちはら台公園に保存された保存された草刈古墳群を散策。 保存区1号墳 草刈13号墳 草刈10号墳 草刈9号墳、奥に10号墳 手前から草刈9,10,13号墳(草刈8号墳の墳頂から撮影) 左から草刈13,10,9号墳(草刈11号墳の後方部の墳頂から撮影) 左から保護区1号墳、草刈13号墳 草刈古墳群 ちはら台ニュータウンでは、大昔の家の跡や「古墳」と呼ばれるお墓など、人々の生活のあとがたくさん見つかり、各時代にわたって多くの人々が暮らしていたことがわかりました。 草刈古墳群は、この中でもっとも古墳がまとまっていたところで、前方後円墳とそれを囲むようにつくられた大小の円墳がみつかりました。この前方後円…

  • 諏訪台10,11号墳 市原市諏訪

    諏訪台古墳群の続き。 諏訪台10号墳、円墳、径約40m 諏訪台11号墳、前方後方墳、全長39m 千葉港方面の眺望 千葉県市原市諏訪 諏訪台10号墳・11号墳 古墳探訪記 市原市諏訪台古墳群 趣味の案件 諏訪台10号墳【千葉県市原市】 - ぺんの古墳探訪記 諏訪台9号墳-11号墳【千葉県市原市】 - ぺんの古墳探訪記 文献 [1] 市原市埋蔵文化財調査センター 2015 『市原市埋蔵文化財調査センター調査報告書31:市原市諏訪台古墳群・天神台遺跡2』市原市教育委員会 [2] 市原市埋蔵文化財調査センター 2016「邪馬台国時代のいちはら」『ここまでわかった市原の遺跡 第4回遺跡発表会』参…

  • 諏訪台9号墳 市原市諏訪

    弥生時代から平安時代9世紀頃までの間に310余基の墳墓が累々と造られた天神台遺跡・諏訪台古墳群。そのうち、 諏訪台9,10号墳と11号墳の一部が諏訪神社の境内に保存されている。 諏訪神社 諏訪台9号墳、前方後方墳、全長35.3m KD-07 諏訪神社/市原歴史博物館 諏訪台古墳群/市原歴史博物館 天神台遺跡(弥生)/市原歴史博物館 千葉県市原市諏訪 諏訪台9号墳 古墳探訪記 市原市諏訪台古墳群 趣味の案件 諏訪台9号墳-11号墳【千葉県市原市】 - ぺんの古墳探訪記 文献 [1] 市原市埋蔵文化財調査センター 2015 『市原市埋蔵文化財調査センター調査報告書31:市原市諏訪台古墳群・…

  • 神門5号墳 市原市惣社

    東日本で最古の古墳、前方後円墳が定型化する前の前方後円形(纒向型前方後円墳、全長42.6m)の神門5号墳。 県指定史跡 神門5号墳(ごうと5ごうふん) 市原市惣社5丁目5-1 邪馬台国時代、西暦3世紀になると、汎列島規模で地域間の交流が活発になります。この時期、国分寺台地区の中台遺跡、南中台遺跡、長平台遺跡、天神台遺跡などでは、近畿地方(奈良県、滋賀県周辺)や北陸地方(福井県周辺)、東海地方(愛知県、静岡県周辺)、北関東地方(茨城県、栃木県周辺)などの特徴をもった土器が出土し、こうした地域からの移住や交流の地として、国分寺台地区は東日本でも拠点的な地域となりました。そして、これら遺跡群を中核と…

  • 国分寺薬師堂 市原市惣社

    国分寺薬師堂を参拝。 市原市指定文化財 国分寺薬師堂附厨子 昭和62年3月1日指定 国分寺薬師堂は、桁行三間・梁間三間のいわゆる三間堂といわれ る形式で、正面に一間の向拝(庇)が設けられています。また、周囲には、高欄を付ける切目縁がめぐります。屋根は、茅葺の入母屋造で、建物内部には、内陣天井に植物文様の絵、外陣に竜及び飛天が 描かれています。 また、内陣の須弥壇に置かれた厨子は、手の込んだ唐様に作られ、金・朱・緑の彩色が施されています。 清浄院国分寺に伝わる縁起によれば、元禄年中、当地に移り住んだ僧快應が寺の荒廃を憂い、一念発起して、建立の計画を立て、浄財を募るなど、再建に向けて尽力したことが…

  • 上総国分寺跡 市原市惣社

    上総国分寺跡の七重塔跡と西門跡を見学。 七重塔跡 上総国分寺跡 国指定史跡 昭和4年12月17日指定 市原市惣社1丁目7番地1他 国分寺は、天平13(741)年、聖武天皇の詔によって、国の平和と繁栄を祈るために全国60か所余りに建てられた僧寺と尼寺からなる国立寺院で、地方の仏教や文化繁栄の中心となりました。上総国分寺は、諸国の中でも規模が大きく、その中心部の伽藍が良く整ったわが国を代表する国分寺の一つとされています。寺域は、北東と南西で谷や古墳を避けて造営されているため四角形ではなく、南北478m、東西が 北辺254m・中央345m・南辺299mを測り、面積は13.9万㎡におよび、武蔵、下野の…

  • 稲荷台1号墳跡 市原市山田橋

    2年前にオープンした市原歴史博物館の常設展示のセンターを務める「王賜」銘鉄剣が出土した稲荷台1号墳の跡地を訪れた。跡地は稲荷台1号墳記念広場として、3分の1サイズの模擬古墳が整備されている。稲荷台1号墳は径28m程度の円墳。 稲荷台1号墳記念広場 「王賜」銘鉄剣出土跡 この広場は、稲荷台1号墳の所在地で、昭和51年12月から翌年の3月にかけて発掘調査されました。実際の古墳はすでに消滅しましたが、 正面に3分の1で墳丘を復元しました。 稲荷台1号墳から出土した鉄剣より、王賜で始まる銀象嵌の銘文が、X線撮影によって発見され「王賜」銘鉄剣と名付けられました。 碑文 (表) 王賜◻︎◻︎敬◻︎ (裏)…

  • フランス積みの煉瓦塀 文京区本郷

    本郷1丁目のフランス積みの煉瓦塀。「建築計画のお知らせ」着工予定2026年4月。消滅の危機? ここにも煉瓦塀 通りの反対側にも もう1つ先にも 文京区保護樹木のクスノキ 弓町本郷教会 にほんブログ村

  • 真砂遺跡 文京区本郷

    文京区ふるさと歴史館で常設展示を鑑賞した後で、真砂遺跡(まさごいせき)の調査地点を訪れた。 真砂遺跡(まさごいせき) 本郷4-8-3 「文京区男女平等センター」の建っているこの地に、江戸時代の宝永元年(1704)から安政5年(1858) までのおよそ150年間、唐津(佐賀県)藩主・小笠原氏の中屋敷、そして幕末まで上田(長野県)藩主・松平氏の中屋敷があった。 現在の建物を建築するにあたり、昭和59年に発掘し調査した結果、数々の遺構と遺物を検出し、当時の武家屋敷とそこで働く人々の生活を知る貴重な資料を得ることができた。この遺跡をもとの町名にちなんで「真砂遺跡」と命名した。 出土品で最も多かったのは…

  • 異形の美学 東京大学総合研究博物館

    東京大学総合研究博物館で開催中の特別展示『異形の美学-菱川法之博士 究極のチョウ&アンモナイトコレクション』を鑑賞した。 本展は、日本蝶類学会会長・菱川法之博士が「異形の美学」を持って長年にわたり収集し、東京大学総合研究博物館へ段階的に寄贈されている、世界有数の異常型・極珍種のチョウ類コレクションおよび異常巻アンモナイトコレクションから、選りすぐりの珍奇かつ貴重な標本を一堂に展示・公開する。 異形の美学−菱川法之博士 究極のチョウ&アンモナイトコレクション 東京大学総合研究博物館 [展示] 特別展示『異形の美学-菱川法之博士 究極のチョウ&アンモナイトコレクション』―本部博物館事業課開催日時:…

  • さまざまな人物埴輪 明治大学博物館

    明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション59「さまざまな人物埴輪」を鑑賞した。明治大学博物館が所蔵する関東地方の人物埴輪を展示。化粧や服の彩色、さらに特殊な方法で作られた埴輪など、ちょっとマニアックな視点も交えて紹介。 出展資料一覧 赤い水玉模様の服を着た男子埴輪 茨城県小美玉市玉里舟塚古墳 笑う男子埴輪(レプリカ)茨城県小美玉市玉里舟塚古墳(原品は茨城県立歴史館蔵) 縞模様が描かれた人物埴輪の足 茨城県小美玉市玉里舟塚古墳 右手を上げる女子埴輪(レプリカ)伝埼玉県本庄市(原品はイギリス・大英博物館蔵) 武人埴輪の足 茨城県小美玉市玉里舟塚古墳 上下別々に作られた武人埴輪の上半身(…

  • 「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」 袖ケ浦市郷土博物館

    袖ケ浦市郷土博物館で開催中の袖ケ浦の古墳時代をテーマとした企画展「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」を鑑賞した。袖ケ浦市内には516を数える遺跡と572基の古墳が存在するとのこと。本展では、近年までに発掘調査を実施した袖ケ浦市内の古墳や、古墳群を主に紹介する。会期は12月8日まで。 郷土博物館企画展「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」開催します - 袖ケ浦市公式ホームページ 郷土博物館 企画展II「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」 マイ広報紙 企画展「袖ケ浦古墳大辞典~袖ケ浦の古墳時代~」袖ケ浦市郷土博物館 10/5〜12/8 https://t.co/vW2hsvTCu1 …

  • 旧鉄道連隊材料廠煉瓦建築 千葉経済大学

    千葉経済大学総合図書館で企画展を鑑賞後、旧鉄道連隊材料廠煉瓦建築を見学。 千葉県指定有形文化財 旧鉄道連隊材料廠煉瓦建築 この煉瓦建築は、明治四十一年、鉄道聯隊材料廠の機関車の修理工場として建築されたもので、その後昭和二十年旧日本国有鉄道が大蔵省から借り受けて、レール等の修理工場として使用、昭和六十年から千葉経済学園の所有となったものである。 千葉県内に数少い明治年間創建の大規模な煉瓦建築の一つであり、特に内部の東西方向に二列に連った十連の雄大なアーチ構造は、全国的にも他に比類がなく、この建物の主な特色となっている。 従って、我が国明治期の煉瓦建物構造を知る上で極めて重要であり、近代建築史及び…

  • 六本木クラブの煉瓦塀 港区六本木

    JFEホールディングス六本木クラブの煉瓦塀。 永坂 永坂 ながさか 麻布台上から十番へ下る長い坂であったためという。長坂氏が付近に住んでいたともいうが、 その確証はえられていない。 駐車場の煉瓦塀 六本木ヒルズ森タワー にほんブログ村

  • 白鳥橋の都電遺構公開 (10/15,16) 文京区水道

    10月15日、16日に開催された白鳥橋の都電遺構公開に参加した。東京都建設局施行の「神田川整備工事(その43)その2」において、神田川に架かる白鳥橋の舗装を撤去したところ、都電の遺構である敷石とレール(複線分)が発見された。発見されたのは早稲田から厩橋間を走っていた都電39系統の遺構。1968年(昭和43年)9月29日に廃止されたので56年ぶり。 神田川白鳥橋で発見された都電の遺構を公開|東京都 【都電遺構の公開について】東京都建設局施行の工事において、神田川に架かる白鳥橋の舗装を撤去したところ、都電の遺構が発見されました。発見された遺構を公開します。詳細は、以下URLからご確認ください。ht…

  • 特別展「はにわ」 東京国立博物館

    東京国立博物館で10月16日から開催された特別展「はにわ」を初日に鑑賞した。 挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」/Special Exhibition Celebrating the 50th Anniversary of the Designation of the Warrior in Keikō Armor as a National Treasure Haniwa: Tomb Sculptures of Japan /史上初!国宝 #挂甲の武人 とその仲間5体勢揃い!\本日発表!今秋開催の #はにわ展 では、埴輪として初めて国宝となった「埴輪 挂甲の武人」が登場!… p…

  • 柳の井戸 港区元麻布

    東京の名湧水57選の「柳の井戸」 柳の井戸 自然に地下から湧き出る清水である。 東京の市街地ではこのような泉が比較的少ないためか、古くから有名で、弘法大師が鹿島の神に祈願をこめ、手に持っていた錫杖を地面に突きたてたところ、たちまち噴出したものだとか、ある聖人が柳の枝を用いて掘ったものであるとか、信仰的な伝説が語りつがれてきた。 とくに現在のわれわれとしては、大正十二年の関東大震災や昭和二十年の空襲による大火災の際に、この良質な水がどれほど一般区民の困苦を救ったかを心にとどめ、保存と利用にいっそうの関心をはらうべきも のと思われる。 昭和四十九年一月(平成二十六年十二月建替) 港区教育委員会 東…

  • 学び舎に残る歴史〜煉瓦棟と千葉の戦跡〜 千葉経済大学総合図書館

    千葉経済大学総合図書館で開催中の企画展「学び舎に残る歴史〜煉瓦棟と千葉の戦跡〜」を鑑賞した。開催当初は8月23日までの予定だったが、好評につき10月31日まで延長された。会期中に希望すれば、旧鉄道連隊材料廠(煉瓦棟)の内部も見学させて頂ける。普段は事前申し込みが必要とのこと。 【期間延長】企画展示「学び舎に残る歴史 ~煉瓦棟と千葉の戦跡~」開催期間変更のお知らせ 千葉経済大学 旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築/千葉県 千葉市:旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築(県指定文化財) 千葉刑務所矯正展の後に訪れた、千葉経済大学敷地内に残る旧鉄道連隊材料廠の機関車修理工場の煉瓦造りの軒下部分に上敷免の上の字が確認出来…

  • 「旅するはにわー房総の埴輪にみる地域間交流ー」 市原歴史博物館

    市原歴史博物館の特別展「旅するはにわー房総の埴輪にみる地域間交流ー」を開催初日に鑑賞した。常総の下総型埴輪と山武型埴輪、総武の埴輪の分布域や特徴、特に総武の埴輪の供給源となった埼玉県鴻巣市の生出塚窯、市川市の山倉1号墳出土の埴輪の調査研究の成果として産地を生出塚埴輪窯と特定した分析方法(見た目の類似、胎土の分析、ハケメの分析)、山倉1号墳の埴輪製作に関わった13人の工人、そのうちの一人のエース工人Fなど、興味をそそる展示内容。 【開幕】令和6年度特別展「旅するはにわ-房総の埴輪にみる地域間交流-」を開催!/市原歴史博物館 山倉1号墳出土埴輪/千葉県 人物埴輪(山倉1号墳)/市原歴史博物館 ノー…

  • 天真寺の煉瓦塀 渋谷区南麻布

    南麻布の天真寺の煉瓦塀。 南部坂 南部坂 なんぶざか 有栖川宮記念公園の場所が赤坂からうつってきた森岡城主南部家の屋敷であったために名づけられた(忠臣蔵の南部坂は赤坂) ドイツ連邦共和国大使館 東京 ⇔ ベルリン - 友好都市提携30周年 - Goethe-Institut 日本 今年のドイツ大使館の壁展示のテーマは、ベルリンと東京の友好都市提携30周年です。まず初めに、大使館入口の掲示板上と、南部坂に面した壁に大きな1枚が貼られました。ぜひ前を通りがかった際にはご覧いただけると嬉しいです😀 pic.twitter.com/YZkxXlB1kI — ドイツ大使館🇩🇪 (@GermanyinJa…

  • 駐車場の土留めの煉瓦 渋谷区南麻布

    南麻布の駐車場の土留めの煉瓦にあの刻印。 東京市電気局の徽章の刻印? 広尾の庚申塔 港区指定有形文化財 歴史資料 広尾の庚申塔 庚申信仰は、庚申の日の夜に体内に住む三尸虫(さんしちゅう)が、眠っている間に体内を抜け出して、天帝にその人の罪科を報告して生命を縮めるといわれているため、眠らずに一晩を明かすもので、講の形をとって地域住民の交際の場となっていました。庚申塔は庚申信仰を具象的に表現する塔として、室町時代後期以後各地で盛んに建てられま した。 三基とも方形角柱の笠塔婆型で、塔身が太く、堂々としています。社伝によれば、広尾稲荷神社の別当寺であった千蔵寺の住持祐道の代に、講の人々の浄財を得て立…

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