子宮頸ガンを懸命に治そうとしない姉を見て笑う弟のブログ
姉こっこが亡くなって、明日でちょうど1年になる。亡くなる前後からこっち半年ほどの記憶がほとんどないのだが、この時期になって、姉の末期のことを断片的に思い出してきた。 しかし、脳裏をよぎるのは強烈な悔恨。 なんであんなこと
こっこの死からやがて一年。どうしようもない喪失感に襲われることもまだ時々ありますが、基本的に元気に明るく過ごしています。さて、一昨年の11月、こっこが亡くなる2ヶ月ほど前のことですが、気功教室のとあるイベントで、「1年後の自分に手紙を書く」
報告が大変遅くなりました。我が姉こっこ、残念ながら、帰らぬ人となりました。享年46歳でした。 私も妻むっちゃんも、必ず治ると心底信じていたので、あまりに突然のことに、ただただ呆然としています。時々、姉がいるはずの所にいないことで、
引越しを終えたものの、当の本人は未だ病院。引越し完了を告げに行った際は、ますます病状は悪化、もう先行き短い人にしか見えなかった。そして、沖縄に戻ると同時に、担当医から電話があった。「こういうことをお電話でお伝えするのは申し訳ないのですが、あ
昨年10月の話になるが、姉の口から信じられない爆弾発言があった。あまりに病状が改善しないので、「ちゃんとやることやってる?」と尋ねたところ、「やってるよ」と答えたのだが、「何をやってんの?」とさらに突っ込んで聞くと、こ「病院ではトイレに行く
姉こっこの引越し話はずいぶん前からでていたが、9日にようやく入居の目処がたった。…ほんとは昨年末に予定されていて、飛行機も合わせてとっていたのだが、直前に日程変更。「不動産との行き違い」が原因だったそうだが、こういう連絡の不備
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。 去った年末から年始にかけて、母親とずっと過ごしていました。延べ10日間ほど一緒にいたにも関わらず、母親の口から姉の様子をうかがう言葉は一度もなかった。。。
先日、東京の気功教室に参加するため上京した。私が参加するのが目的なのはもちろんのこと、姉の参加の補助も兼ねていた。 ところが、教室の前々日未明、姉からまた入院したと連絡が入った。腎ろうの管がまた詰まり、輸血の必要性もあったからだそ
こっこ「引っ越しすることになったら、手伝ってもらえる?」弟「もちろん!」こ「ありがとう よろしく」というやりとりがあってしばらくして、姉こっこの引っ越し先が決まった。歩くのに不自由が出ていた当時から、なぜ4階に住もうとしたのかがそもそも謎な
「医師が一通り説明をし終えると、それまで黙って聞いていた看護師長が口を開いた。我々夫婦に不審な眼差しを向けて・・・」 などと気を引くような締め方をして、ずいぶん日を置いてしまいましたが、「医師と面談1」の続きです。 &n
実家岡山に、身内同然の他人がいる。 ちょうど一年前、父の最期の看取りを一緒にしてくれた唯一の他人だ。 その方の、実のお父様が昨日亡くなった。死因は、肺ガンだった。 今日の告別式に私は参列した。&nb
東京で姉こっこがお世話になっている診療所から電話があった。最近、ヘルパーさんや訪問医の方々が姉の家に出入りしてくださるようになって、やたらと私に東京から連絡が入ることが増えた。大体は手続きや書類上の話ではあるのだが、当然のごとく、毎回姉の状
先日、妻むっちゃんと共に、姉こっこがお世話になっている東京の病院に行ってきた。看護師長から、「医師から直接お話させていただきたい」と電話で言われていたからだ。(過去記事「え? 余命1カ月半?」参照) 西洋医学を真っ向から否定する治
先日、姉が気功教室に参加したそうだ。入院中の病院から抜け出して(笑) 本人、まったく死ぬ気はないなあ(笑)(笑) ところで、その教室の終わった頃合い、同じく東京で気功教室に通う私の大親友から電話があった。 &n
妻むっちゃんと晩酌しながら語った。 このブログに足跡を残してくれる人がびっくりするくらい多いこと、温かいコメントをくださる方がいること、メールで励ましてくれる方がいること。 ただ好きで書いているだけなのに、こんなにも多く
気功はすごい。マジですごい。 私個人の体験で言えば、中年太り一歩手前だった下っ腹が引っ込み、猫背は真っすぐに、邪気で重かったまぶたはパチリと開き、ポジティブになり、笑顔が増え、鏡に映る自分の顔を直視できるようになり、自分が幸せにな
前々回の記事でお話しした看護師長から頂いたお電話では、以下のようなやりとりが続きました。 看「医師の方からお伝えしたいこともありますので、近いうちに来院していただけませんか」 弟「は、はあ・・・」
先月からヘルパーさんたちに入って頂くようになってから、ケアマネージャーの方から時々姉の状況を報告していただくようになった。私などよりよっぽど姉に親身で、どちらが身内なのかもはや区別がつかない。ありがたいなぁと思う反面、姉の依存心の拠り所とな
再入院と言っても、もういくつ「再」をつけていいか分からないくらい入退院を繰り返している姉こっこ。先日また、腎ろうが外れたことと極度の貧血が原因で入院した。 病院的には、患者の体調が体調なので入院の度になるべく長く入れておこうとする
先月、私は沖縄から東京に行ってきた。自分自身のために気功教室に参加するためだ。 とは言え、姉のことが気がかりでない訳では当然ない。共依存関係にならない程度に気を配る。この塩梅は実に難しい。 私が上京する数日前、妻むっちゃ
子宮頚ガン末期で余命あと6ヶ月(2016年8月現在)と西洋医学に宣告された姉こっこ。出血が止まらない。身体に異物が入ることを拒んでいるので輸血も極力避けて来たのだが、さすがに過度の貧血で歩行もままならず、観念して輸血を受け入れたのが8月のこ
姉こっこから、いつもコメント下さるガン夫の妻さんへ伝言です。「励ましのお言葉、大変ありがとうございます! いずれ私に関わって下さった医療関係者の方々には、「奇跡」を見せて差し上げることになるでしょう。 ガン夫の妻さんにも、今後とも温かく見守
3日前、またもや姉から「入院することになった」と連絡が入った。 担当のケアマネージャーさんとの話し合いで来ていただくことになった訪問医に、「貧血がひどいから病院に行った方がいい」と言われ、そのまま輸血のため入院することになったのだ
姉こっこが発病して以来、私と妻ムッちゃんは、姉のためにいつでも時間を作れるような仕事に転職することとなった。…と言えば美談に聞こえるが、姉をきっかけに、うだつの上がらない状況をどうにか打開しようと動き始めた、というのが事実に近
お陰さまで、姉こっこ、なんとか退院できました。約3週間ほどの入院でした。 仕方ないこととはいえ、病人だらけの病院はまさに邪気まみれ。私がお見舞いに行っただけでも、痰、咳、生あくびが頻繁に出て体が拒否反応を示す。気功でエネルギーが上がったから
気功でガンは治る。 私も姉もそう確信している。 私がこのブログを書き始めたのは、姉が治る過程をリアルタイムで追うことで、気功の凄さを証拠付けたいと思ったからだ。 姉は確かに、気功を信じている。しかし
姉こっこの今回の入院は長引いている。 貧血の治療で輸血を行い退院した数日後に、足付け根の極度の痛みで再入院したのが先々週。病院をこよなく嫌うこっこがこれだけベッドに留められるのは、日本に帰ってきて初めてである。 先日、ド
西洋医学的ガン治療を否定する立場でありながら、腎ろうがあるがために通院せざるを得ない姉。 医師の提案する治療法をことごとく拒絶し自分に都合のよい治療しか受け入れることのない姉が、病院でいい顔をされる訳がない。にも関わらず、これまで
長い間ブログの更新をしていなかったが、私の姉こっこはまだ生きている(笑) しかし、その状態はと言えば、西洋医学的には死に向かってまっしぐら気功的・エネルギー的に言えば、その辺のサラリーマンよりもよっぼど健康的という、なんとも我が姉
先日、姉こっこから電話があった。こ「いま病院で診察終わったところなんだけど〜♪」病院嫌いの姉にしては声が明るい。これは何かいいことがあったな!?こ「勇気出して腫瘍の検査してもらったんだ」弟「うん どうだったの?」こ「腫瘍、小さくなってた!
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