山で桑の実を採っていたら盗賊に出くわした蔡順。 何で桑の実を分別してるの?という盗賊の質問に「熟したのは母親に。まだ硬いのは自分用に」と説明しました。盗賊は親思いの蔡順に感動して米や肉を分けてくれました。 これ牛肉ね。 御伽草子の蔡順。カゴの横に牛の肉。お米が見当たらないわね。
社寺巡りをしていると、お堂や社殿に彫刻が施されているのを見ますよね!日本の神話や中国の仙人、鳥や動物。その中でも中国の孝子たち、「二十四孝」の彫刻に絞って見ていきます。
虎に立ち向かう勇気ある少女、楊香。それにしても顔の部分の破損が多いですね。 楊香は走ってたりバンザイしてたり虎を抱え込んだり、いろんなパターンがありますが。 雨引観音の楊香。滑河観音の楊香も、こんな感じで祈るポーズだったのかな。
姑にけなげに尽くす姜詩の奥さん。3人いるうち、右側の嫁と中央の姑の顔がありません。 右側で柄杓を手にしているのが姜詩のお嫁さん。 手の下で二つ丸っこいものが見えてますね。鯉二匹ですね。 二十四孝の欄間や蟇股の彫刻では小柄な人だと下から見上げても見えないアイテムがいくつかありますが、姜詩の鯉もその一つですね。あとは郭巨の釜、陸績のミカンなど床や地面に転がっているものは背が高くないと見にくいです。 「二十四孝諺解」より 国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA 滑河観音の彫刻も左手には水を汲む桶を持ってたものと思われます。
上半身裸になり、父親が蚊に悩まされずに安眠出来るよう、体を張る呉猛。 この彫刻だけ見ても、どんな親孝行なのかさっぱりわからないですよね。お父さんのそばで子どもが寝てる、としか見えません。 呉猛の腕が取れてしまっていますが、おそらく下の絵のように顔を覆うような感じだったと思われます。 二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースよりこういう住環境で、蚊が呉猛を集中攻撃している図を想像してくださいねー。爆睡しているお父さんへの怒りがふつふつと沸いてくるはずです。
皇帝という立派な立場でありながら、母親の世話は人任せにしないで自ら行う漢文帝。 破損していますが漢文帝の後ろの童子?は真ん丸なものを運んでいるように見えますね。なんでしょね。母親の薄太后は下の千手院観音堂の彫刻同様、右手に軍配みたいな扇を持って座っているようです。 鹿沼市千手院観音堂の漢文帝。ボケボケ~。童子は何を運んでいるのかわかんないしー。 二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースより
生き別れの母にようやく会うことが出来た朱寿昌。 子どもの肩を借りて、杖をついた老母が家から出てきました。朱寿昌は旅の荷物を脇に置いて、恭しく姿勢を低くしています。 子どもの顔は破損していますね。 「二十四孝諺解」13朱寿昌 ARC古典籍ポータルデータベースより
唐夫人の右側は黄山谷。 病床の親御さんは脱走してしまった様子。右側の枕に頭を乗せて臥せっていたものと思われます。 背景の板に残る、黄山谷の肩から上のシルエット。このうつむき加減は黄山谷ね。 ↑ この黄山谷の持っている尿器は注ぎ口のついた小さな器のようですね。 飯綱神社の黄山谷。お母さんは床についてます。でもあまり重病そうには見えない。 「ごはんまだなのー?」とか文句言ってそう。
建物の外周、この位置にある彫刻は唐夫人。参拝客がみんな見上げる良い位置ですよね。 歯がなくなって物を噛めなくなった姑に乳を飲ませる唐夫人。 なぜ女同士とはいえ、セクハラじみた「唐夫人」が二十四孝彫刻の中で人気のある題材だったのかしら。
年老いた両親に老いを自覚させまいと、子どもの振りをして派手な格好で踊る老莱子、70歳。意味わかりませんよね。 両親は老莱子の気持ちを汲んで、喜んでいるふりしてるに違いありません。誰が見たってわかるでしょ。右端に本当の子どもがいるから、年齢差は歴然。肌ツヤも声もね。 こちらは千手院観音堂の老莱子。太鼓叩かされている子はバイト代貰ったのかな。 「戯綵娯親」と書いてゲンジツトウヒと読む。嘘です。 「戯綵(ぎさい) 親をたのしましむ」。子供の着るような派手な服を着て親を喜ばせる、という意味です。
中央の「観世音」の額の奥、ここの蟇股にも彫刻があります。 真正面からだと蟇股の彫刻は全然見えないですね。 斜め左方向から覗くと、見えるのは王裒ですね。お墓に何か語りかけている風情。頭上には怖い顔の雷神が。 王裒の母親は雷が嫌い。そんな母親の死後、雷が鳴るたびに王裒は母親のお墓へ飛んで行って「私がいるから大丈夫」と励ますのでした。 中野市右衛門 二十四孝 王裒 ーーー お堂が建てられた当時は「観世音」の額を飾ってなかったのかしら。最初から額の裏だったとしたら王裒かわいそう。 額の右側にも人物が二人見えますが、これは全部の二十四孝彫刻を紹介した最後に考察を綴ろうと思います。
内陣の左側から。閔子騫ですね。 閔子騫の王道の構図になります。右側に赤ちゃんと幼児を連れて追い出される継母、左側には怒っている父親、間に入って夫婦仲を修復しようとする健気な閔子騫が中心で正座しています。 主役なのに目立たない閔子騫。服の色が後ろの大木と同じ色なので保護色になってしまってますね。 中野市右衛門 二十四孝 閔子騫 国立国会図書館デジタルコレクションより 八千代市飯綱神社の閔子騫。
成田市の坂東28番札所、滑河観音(なめがわかんのん)。平地にある社寺はそれだけで有難いと思う今日この頃。 成田線滑川駅からてくてく歩いていきました。15~20分くらい。 こちらの本堂の外陣と内陣の蟇股に二十四孝彫刻があると・・・龍元洞さんのブログで知りました。龍元さんありがとうございます。 明日から一点ずつご紹介していきます。 重要文化財の仁王門。
「ブログリーダー」を活用して、小心さんをフォローしませんか?
山で桑の実を採っていたら盗賊に出くわした蔡順。 何で桑の実を分別してるの?という盗賊の質問に「熟したのは母親に。まだ硬いのは自分用に」と説明しました。盗賊は親思いの蔡順に感動して米や肉を分けてくれました。 これ牛肉ね。 御伽草子の蔡順。カゴの横に牛の肉。お米が見当たらないわね。
親の遺した大木を伐って三兄弟で分けようとした田真兄弟。 伐られるのを悲しんだ大木はあっという間に枯れてしまいます。 伐るのをやめたら途端に復活します。伐ったら祟りがありそうですね。
すすんで母親の下の世話をした黄山谷。姜詩も見習ってほしいわね。 女性には手を汚さないお仕事をさせています。 怒涛のような汚水。
今日は丁蘭です。パッと見、漢文帝か丁蘭かで悩みます。 椅子に座っているのは母親の木像なのですが、大きさが丁蘭夫婦とあまり変わりなく衣装に彩色もされているので人形っぽくないですね。 八千代市飯綱神社の丁蘭。母親の似姿が小さくて壇の中に鎮座しているので木像だとわかりやすいですね。 こちらは後日ご紹介する漢文帝。椅子に座っている女性は右手に扇を持っているし、お付きの人もいます。母親の薄太后に飲み物?を運ぶ漢文帝ですね。
僕まだ子供だもんね~、70の高齢男性なんかじゃないもんね~と踊る老莱子。 でも後ろに本物の子どもがいるから、違いは一目瞭然だと思うの。 お父さんお母さんはまだまだ若いんですよ!って思わせるためにあえて幼児のふりをする老莱子。どだい無理な話よね。両親おそらく100歳近いんだもの。年齢相応に静かな余生を過ごさせてあげましょう。
大舜、楊香、孟宗、郭巨などと同じように良く二十四孝の社寺彫刻で取り上げられる唐夫人。 乳児と姑に母乳をあげるのって衛生的にも問題ありよね。 この子は乳児には見えないけど。
借金を負う董永を助けたのちに天に戻っていく織姫。 「董永」の彫刻は彩色すると一段と華やかになりますね。
タケノコを食べたいという母親のため、雪の中タケノコ掘りに来た孟宗。 にょきにょき生えてきたタケノコを掘り起こし、母の待つ家へ。 彩色してあると雪の存在が一目でわかりますね。地面も白くてもよかったかも。
大舜、楊香に続いて同じく人気のあるメンバー郭巨。 親に殺されそうになった大舜。虎から命がけで親を守った楊香。そして老母を生かすために幼いわが子を殺害しようとした貧しい郭巨夫婦。 黄金の釜を掘りだして生活はリッチに。 やっぱりお天道様は見てくれてるね!親孝行って大事ね!なんて思ってそうな夫婦。
二番目は楊香。 恐ろしい虎にも怯まず父を守る楊香。 我関せずのお父さん。
トップはこの人。大舜。象が一頭にカラフルな鳥が4羽。 象の鼻に何やら穴の開いた物体が。こちらの蟇股彫刻にはところどころ同様のものが見受けられます。何かの虫の巣とか脱皮した殻とか? 昔撮った写真はこちら。象の後ろ脚近くにいる黄色っぽい鳥は見えてませんでした。 写真もボケボケ。再訪してよかった。
以前撮った写真がどれもパッとしなかったので、あらためて訪れました。 山門の奥、階段の上に見えるのが観音堂です。 蟇股には綺麗に彩色された二十四孝の彫刻があります。一面に6つ、全部でちょうど24。 お堂の正面右から3つ目は大舜です。ここから左へ、順番にご紹介していきます。
いよいよラスト。張孝兄弟。 右側の二人が張孝と張礼の兄弟。左側の青い服の二人が盗賊ですね。張孝兄弟の一人を殺して食べようとします。 兄弟のもう一人の方は「自分の方が太っているから自分を殺して食べろ」と盗賊を説得しています。 御伽草子の張孝・張礼。 国立国会図書館デジタルコレクションより ーーー 松山市 繁多寺鐘楼 天井画二十四孝 終 ーーー
残り二組はどちらも兄弟です。今日は田真兄弟。 父親が亡くなり、財産は兄弟3人で分割。親が遺した木も伐って兄弟3人で分けようね~、と話してたら木が一晩で枯れてしまいました。じゃあ伐るのやめよっか、と決めたら木が復活したというお話。 結局親の遺産を兄弟で分けるのをやめて、3家族で暮らすことにしたそうです。いや、そこはきっちり分けたほうがあとあと面倒にならなくていいでしょう。
黄山谷。 母親の下の世話を妻や使用人にはさせず、汚物も自ら始末した黄山谷。 御伽草子の黄山谷。 国立国会図書館デジタルコレクションより
今日から最上段に入ります。一番左は陸績。 テーブルの上の鉢には、たくさんみかんが入ってます。 でも転がってるみかんはありませんね。今からでもいい!描き足してほしい! 御伽草子の陸績。みかん三つ転がってます。籠盛みかんはナシ。 葛飾戴斗の陸績。テーブルの上に山盛りみかん。陸績の袂からみかんが二つ、こぼれ落ちてます。 1822年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵
残り少なくなってきました。20番目は黄香。 寝苦しい暑い夜、父の為に布団を扇いで涼しくする黄香。 お父さんの姿はありませんね。
曽参らしき人の右側には王裒。 雷が嫌いだった母親のお墓を雷神から守る王裒。雷神もピンポイントで王裒の母親のお墓を狙わなくてもよさそうなものですが。 御伽草子の王裒。お墓の造りがよく似てますね。
さて問題の18番目がやってきました。 ・・・誰? 繁多寺鐘楼天井画24枚で23枚のタイトルはすぐにわかりましたが、唯一悩んだのがこの男性。 二十四孝は、実は26人のメンバーがいます。こちらの天井画で出てきていないメンバーは「仲由」「江革」「曽参」の三人です。 消去法で行くと、まず「江革」ではなさそうですよね。江革はお母さんを背負ったり車に乗せて運んでいるシーンが多いですからね。 ということで「仲由」か「曽参」、どちらかということになるのですが。 どちらも決め手は持ち物です。曽参なら薪、仲由なら米袋か米俵。 なのにこの男性は手ぶらでございます。 じゃあどうして私がこの人を曽参だと思うのかというと…
明ましておめでとうございます。今年も二十四孝の世界を堪能していきます。 さてしばらく投稿をお休みしていましたが、松山市繁多寺鐘楼の天井画も上から二段目に入りました。郭巨ですね。 間引きされそうになった赤ちゃん。土中から黄金の釜が出てきて命拾いしました。 郭巨夫婦が若々しい。 御伽草子の郭巨。釜の形がよく似てますね。こちらの郭巨は生活に疲れてる感じ。
亡くなった親に似せた木像を作り、死後も敬った丁蘭。 国立国会図書館デジタルコレクションより 丁蘭父母を失いて 木像を作り これを拝しける 隣家に張叔といふ者木像を打ちけり 妻この由を丁蘭に告ぐ大に怒り張叔を打ちければ 役人丁蘭を捕らへけるこの時木像泪を流しければ 役人その孝に感じて許しけり ーーー この挿絵には出てこないけれど説明版には隣人の張叔さん登場。 ーーー 玉蘭貞秀画 二十四孝 (終) ーーー
農作業する大舜。象と小鳥がお手伝い。 国立国会図書館デジタルコレクションより 大舜父親頑なにして後添ひの妻も心悪しき者なり 弟の象(せう)といふを愛して大舜を殺さんとすること 度々なれど これを少しも恨まずただ父母の心にかなはざることを悲しむ 後に上げられて天子となる ーーー 何度も殺されかけても親孝行しましょう、って無茶な話。
生き別れだった母とようやく会うことが出来た朱寿昌。 国立国会図書館デジタルコレクションより 朱寿昌七才の時父その母を去りて 後の妻を迎へける この人 常に孝行を尽くし それより五十年を経て 父母みまがりてより真の母を尋ねしに いまだ息災にてめぐり逢ひ 喜び合ふこと限りなしこれ孝行の徳なりけり ーーー もっと早く会いたかったよねー。
郭巨。フライドポテトみたいな黄金がどっさり。 国立国会図書館デジタルコレクションより 郭巨母を養ふに我が子は妨げなりとて 夫婦云ひ合わせ 我が子を埋めんとしたりけるに黄金の釜を掘り出しけり これより家富みて心のままに母を養ひけるとぞ ーーー 生活が苦しくて老母に満足な食事もさせてあげられない。若夫婦は解決策を話し合い、一人息子の殺害を計画。穴を掘ってたら黄金が出てきたのでリッチな生活ができるようになりました。 この話から何を教訓として学べばよいのでしょう。
息子の呉猛が蚊の大軍に襲われている中、父は爆睡。貧しくて蚊帳がないというか、壁もないというか。 国立国会図書館デジタルコレクションより 呉猛幼くして母を失ひ 父に仕へけるが 家貧しくして蚊帳を吊る事ならねば父のそばに臥してある 裸になり己が身を蚊に喰わせて父を眠らせける ーーー 現代なら児童虐待で炎上案件ですね。
体温で氷を解かし、鯉を捕まえるお王祥。鯉は池から顔だけ出してるパターンもありますが、こちらは元気に高く飛び出すパターンですね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 王祥継母に仕へて孝行なり あるとき鯉の羹をのぞみけるに池には氷張り満ちて 捕るべきやう(な?)し 王祥嘆きて その上に臥しければ 氷解けて鯉二匹出ければ 捕りて母にすすめけるとぞ ーーー 氷を割る道具を持っていこうとは思わなかったんですね。
姑に乳を飲ませる唐夫人。 国立国会図書館デジタルコレクションより 唐夫人この人 常に姑に仕へて孝行なり 姑年老いて歯も無く食事心に任せざれば 夫人乳を含ませて養ひける 姑これを喜ぶこと限りなく 身終はりけるとぞ ーーー 歯がなくても御粥とかスープのほうがいいと思うの。
おもてなしで出されたミカンを黙って袖の中に入れて持ち帰ろうとした陸績。 国立国会図書館デジタルコレクションより 陸績六歳の時 袁術といふ人のもとへ行き 馳走に出たる橘を袖に入れけるを袁術咎めければ 持ち帰りて母へ与へたしと云ひけるにぞ 孝行の名あらはれける ーーー 袁術にとがめられて、「母へのお土産にしようと思って」と言い訳をしたら孝子として後世まで褒めたたえられた陸績。「母への土産」は本心からだったのか、咄嗟に思い付いたアドリブだったのか、真相は闇の中。
鹿の格好をして鹿の群れに入り、猟師に射られそうになった剡子。 国立国会図書館デジタルコレクションより 剡子二親目を患ひけるが鹿の乳を用れば癒ゆべしといふによりあるとき鹿の皮をかぶり 鹿の群れゐる中へ入りて 乳を得んとしけるが 狩人 真の鹿と思ひ弓にて射んとしければ急に声をかけて 逃れぬといへり ーーー 何してんのー?と猟師に呆れられてる剡子。
江革。物騒な国から母を連れて脱出していましたが、状況が落ち着いたので故郷に帰りました。お母さんは幌付きの車に乗ってご満悦。 国立国会図書館デジタルコレクションより 江革親に孝行なる人なり あるとき国の内に戦起こりければ 親を伴ひ 他へ逃げけるが ほどなく乱治まり それより親を車に乗せて連れ帰りけるとなんこのことを聞きて 世の人その孝行を誉めけるとぞ ーーー 虫食い部分は他のサイトの画像を見て確認させていただだきました。
崖の上の董永。さよなら天女さま。織姫は薄い色の雲の上に乗ってるように見えます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 董永父死して葬りの手当てなく その身を奉公に売りけるに 天女 天下りて妻となり数多の絹を織りて 主人へ返し董永を助けけり ーーー 長いお話を短い文章にまとめる能力が求められますね。
孔子の愛弟子、子路。 国立国会図書館デジタルコレクションより 子路 孔子の弟子にて十哲の人也 若き時貧しくして 米を負ひて賃銭を取りて父母を養ひけるが 後に楚の国に仕えて富貴となり何事も心にかなはざる事なし しかれども今は父母なし 昔の事を思ひ出してつねに泣きけ(り?) ーーー こういう文章読むと句読点の有難さを感じます~。
薪を担いで山道を駆け下りる曽参。 国立国会図書館デジタルコレクションより 曽参孔子の御弟子にて大孝行の人なり あるとき山へ入り 木を伐りてありけるが 折節母の親しき人来たりければ もてなしたく思へども曽参がゐざれば 早く帰れかしと指を噛みければ 曽参山にありて胸にこたへ 早速帰り来たりとぞ ーーー 左に見えるのが母の待つ我が家ですね。お客さん帰っちゃう前に曽参は家に着けたかな。
二番目は閔子騫。 国立国会図書館デジタルコレクションより 閔子騫継母に仕えて孝行なり 継母これを憎み 実の子には綿を入れ閔子騫には葦の穂を入れて着せける 父これを知りて離縁せんとしけるに今の母を置き給はば我一人寒し 又去り給はば三人とも寒からんと諫めてとどめけり ーーー 文章が書いてある飾り枠は毎回形が違います。大体こういう枠に書こうとすると最初はゆったり目で書いてて、文末になると窮屈になっていくものですね。もうちょっと右から書き始めればよかったかな~。
玉蘭貞秀(1807~没年不明)、玉蘭斎(ぎょくらんさい)貞秀・歌川貞秀といろんな名前のある絵師さんの二十四孝をご紹介していきます。国立国会図書館デジタルコレクションには残念ながら15枚しかありませんでしたが。 母の薄太后に食事を運ぶ漢文帝。 国立国会図書館デジタルコレクションより 漢文帝漢の文帝はすでに天子にましますゆへ 百官仕え奉るにより何一つ事欠き給ふことなしといへども母君に孝行にましまして常の食事も自ら試みてすすめ他人の手にかけ給ふことなし ーーー 国立国会図書館デジタルコレクション書誌情報での古典籍区分は「錦絵」となっていました。錦絵とは「浮世絵の多色刷り木版画の総称」だそうです。やっ…
久しぶりに行徳の徳願寺に行きました。 4年前の記事は 前回よりは多少鮮明な画像が撮れました。 右手では猟師が矢をつがえようとしています。鹿のお腹の下にもぐりこんでいる怪しい男。 輪郭を描くとこんな感じなのかな? 呑気に鹿の乳しぼりをしている剡子。鹿の扮装をしているのかどうかはよくわかりません。