黄山谷。 母親の下の世話を妻や使用人にはさせず、汚物も自ら始末した黄山谷。 御伽草子の黄山谷。 国立国会図書館デジタルコレクションより
社寺巡りをしていると、お堂や社殿に彫刻が施されているのを見ますよね!日本の神話や中国の仙人、鳥や動物。その中でも中国の孝子たち、「二十四孝」の彫刻に絞って見ていきます。
貧しい暮らしの中、老母が自分の食事を孫に分け与えているのが気の毒だから、という理由で我が子を殺害しようとした郭巨。 国立国会図書館デジタルコレクションより 郭巨 貧乏思供給 埋児願母存黄金天所賜 光彩照寒門郭巨は。河内と云所の人也。いゑ貧して母を養へり。妻一子を生て。三歳になれり。郭巨が老母。彼孫をいつくしみ。わが食事を分与けり。或時郭巨つまに語様は。貧ければ。母の食事さへ心に不足と思ひしに。其内を分て孫に給はれば。乏かるべし。是偏にわがこの有し故也。所詮汝とふうふたらば。子二度有べし。母は二度有べからず。とかく此子を埋(うづみ)て母を能養度思ふ也と。夫婦云ければ。つまもさすがかなしく思へ共。…
亡き母を雷から守ろうとする王裒。 国立国会図書館デジタルコレクションより 王裒 慈母怕聞雷 氷魂宿夜臺阿香時一震 到墓遶千廻王裒は営陰といふ所の人也。ちちの王義。ふりよのことによりて。帝王よりはつと(法度)にをこなはれ。死するを恨みて。一期のあひだその方へはむかふて。座せざりしなり。父の墓所にゐて。ひざまづき礼拝して。かしはの木に取付てなきかなしむ程に。涙かかりて木も枯たると也。母は平生かみなりをおそれたる人なりければ。母むなしくなれる後にも。らいでんのしける折には。いそぎ母の墓所へゆき。王裒これにありとてはかをめぐり。死したる母にちからをそへたり かやうにししてのちまでかうかうをなしけるをも…
布団を仰いで涼しくしている黄香。 国立国会図書館デジタルコレクションより 黄香冬月温衾煖 夏天扇枕涼児童知子職 千古一黄香黄香は。安陵といふ所の人也。九歳のとき母にをくれ。父に能くつかへて。ちからをつくせり。されば夏のきはめてあつき折には。まくらや座をあふひですずしめて。又ふゆのいたつてさむき時には。ふすまのつめたきことをかなしんで。わが身をもつてあたためてあたへたり。 かやうにかうかうなるとて太守劉讙といひし人。ふだをたてて。かれがかうかうをほめたるほどに。それよりして人みな黄香こそかうかう第一の人なりとしりたるとなり ーーー 「田」の字柄の服着てますね。 このお父さんは杖をついていません。…
天女が機織りボランティアに来てくれた董永。 ボランティア期間は終了し、織姫はお連れの二人と天に帰ります。 国立国会図書館デジタルコレクションより 董永 葬父貸方兄 天姫陌上迎織絹償債主 孝感尽知名 董永は。いとけなき時に母にはなれ。家まどしくして。常に人にやとはれ。農作をし ちん(賃)をとりて日を送たり。父さてあしもたたされば。小車をつくり父を乗て。田のあぜにをいて養たり。ある時父にをくれ。葬礼をととのへたく思ひ侍れども。もとよりまどしけれは叶はず。されば料足十貫に身をうり。葬礼をいとなみ侍り。偖(さて)かの銭主のもとへ行けるが。みちにて一人の美女にあへり。かの董永がつまになるべしとて。ともに…
父を守るため、虎にも臆せず立ち向かう勇敢な楊香。 国立国会図書館デジタルコレクションより 楊香深山逢白額 努力搏腥風父子倶無恙 脱身纔甲中楊香はひとりの父をもてり。ある時父とともに山中へゆきしに。たちまちあらき虎にあへり。楊香父のいのちをうしなはんことをおそれて虎を追さらんとし侍りけれども。かなはざる程に。てんの御あはれみをたのみ。こいねがはくは。わがいのちをとらにあたへ。父をたすけて給へと。心ざしふかくして。いのりければ。さすが天もあはれとおもひ給ひけるにや。今までたけきかたちにて。とりくらはんとせしに。虎にはかに尾をすべてにげしりぞきければ。父子ともに虎口のなんをまぬがれ。つつがなくいゑに…
彫刻にもよく取り上げられる唐夫人。 国立国会図書館デジタルコレクションより 唐夫人孝敬崔家婦 乳姑晨盥梳此恩無以報 願得子孫如唐夫人は。しうとめ長孫夫人としたけ。よろつしよくじ(食事)。は(歯)にかなはざれば。つねに乳をふくめ。あるひはあさごとに髪をけつり。そのほかよくつかへて。数年やしなひはんべり。ある時長孫夫人わづらひつきて。このたびはし(死)せんと思ひ。一門一家をあつめていへる事は。わが唐夫人の数年のおんをほうぜずして。いましせん事のこりおほし。わが子孫唐夫人の孝義をまねてあるならば。かならずすゑもはむじやう(繁昌)すべしといひ侍り。かやうにしうとめにかうかうなるは。古今まれなるとて。人…
姜詩というより、姜詩の奥さんが主役だと思うの。 国立国会図書館デジタルコレクションより 姜詩の母親。どこそこのおいしい水が飲みたいだの、魚を生で食べたいだの贅沢を言います。姜詩は実の息子なんだから水汲みなんか自分がやればいいのに、厄介事は妻に押し付けます。で、姜詩は親孝行でした、なんて奥さん割に合わない話よね。 姜詩の奥さんは大抵柄杓を持って水を汲もうとしています。 飯綱神社の姜詩。柄杓と桶と鯉二匹。 岩﨑家廟堂。姜詩の奥さんが水汲みしているところを姑が見張ってます。やーねー。
テキストを入力していて物悲しくなる、老莱子。 国立国会図書館デジタルコレクションより 老莱子戯舞学嬌癡 春風動綵衣 双親開口笑 喜色満庭圍らうらいしは。二人のおやにつかへたる人なり。されば老莱子七十にして。身にいつくしき衣をきて。おさなきもののかたちになり。舞戯。又おやのためにきうじをするとて。わざとけつまづきてころび。いとけなきもののなくやうになきけり。このこころは。七十になりければ。としよりて。かたちうるはしからざるほどに。さこそこのかたちを。おやのみ(見)給はば。わがみのとしよりたるを。かなしくおもひ給はんことをおそれ。またおやのとしよりたると、おもはれざるやうにとのために。かやうのふる…
氷を体温で溶かして鯉を捕まえる漁法(?)を編み出した王祥。 国立国会図書館デジタルコレクションより 王祥 継母人間有 王祥天下無至今河水上 一片臥氷摸王祥は。いとけなくして母をうしなへり。父またつまをもとむ。其名を朱氏といひ侍り。けいぼのくせなれば。父子の中をあしくいひなして。にくまし侍れ共。うらみとせずして。けいぼにもよく孝行をいたしける。 かやうの人なる程に。本の母冬のきはめてさむき折ふし。なま魚をほしく思ひける故に肇府と云所の河へ。もとめに行侍。されども冬の事なれば。こほりとぢて。いを(魚)みえず。すなはち衣をぬぎてはだかになり。こほりの上にふし。いをなき事をかなしみゐたれば。かのこほり…
母と子の強い絆のお話。曽参。 国立国会図書館デジタルコレクションより 曽参 母指纔方噛 児心痛不禁負薪帰未晩 骨肉至情深曽参ある時山中へ薪を取に行はんべり。母留主にゐたりけるに。したしき友来れり。これをもてなしたくおもへども。そうしんはうちにあらず。もとより家まど(貧)しければかなはず。曽参がかへれかしとて。みづから指をかめり。曽参山に薪をひろひゐたりが。にはかにむなさはぎしけるほどに。いそぎいゑにかへりたれば。ははありすがたをつぶさにかたり侍り。かくのごとくゆびをかみたるが。とをきにこたへたるは一たん(一段)かうかうにして。親子のなさけふかきしるしなり。そうじて曽参のことは。人にかはりてここ…
前妻の子である閔子騫に冷たく当たり、家を追い出される継母と、その子二人。 国立国会図書館デジタルコレクションより 閔子騫 閔子有賢郎 何曽怨晩娘尊前留母在 三子免風霜びんしけん。いとけなくして母をうしなへり。父またつまをもとめて。二人の子をもてり。彼(かの)つま我子をふかくあいして。まま子をにくみ。寒き冬も。あしのほを取て。きる物にいれてきせ侍るあひだ。身も冷て。たえかねたるをみて。ちち後のつまをさらんとしければ。閔子騫がいふやうには。彼つまをさりたらば。三たりの子寒かるべし。今我一人さむきをこらへたらば。おとうとのふたりはあたたかなるべしとて。ちちをいさめたるゆへに。これをかんじてけいぼも。…
孟宗。この絵の季節は初夏ではなく、真冬です。 国立国会図書館デジタルコレクションより 孟宗 泪滴朔風寒 蕭々竹数竿須臾春笋出 天意報平安孟宗は。いとけなくして父にをくれ。ひとりの母をやしなへり。母年老てつねにやみいたはり。食のあぢはひもたびごとにかはりければ。よしなき物を望り。ふゆのことなるに竹子をほしくおもへり。則孟宗竹林に行もとむれ共。ゆきふかき折なれば。などかたやすく得べき。ひとへに天道の。御あはれみをたのみ奉るとて。祈をかけて大きにかなしみ。竹によりそひける所に。にはかに大地ひらけて。たけのこあまた生出侍りける。大きによろこび。則とりてかへり。あつものにつくり。母にあたへ侍りければ。母…
亡くなった親の像を生きている人のように大切に敬った丁蘭。 国立国会図書館デジタルコレクションより 丁蘭 刻木為父母 形容在日新寄言諸子姪 聞早孝其親丁蘭は。河内の野王と云所の人也。十五のとし母にをくれ。永わかれをかなしみ。母のかたちを木像につくり。いける人につかへぬるごとくせり。丁蘭がつま。ある夜のことなるに。火をもつて木像のおもてをこがしたれば。かさのごとくにはれ出。うみちながれて。二日を過しぬれば。つまのかしらの髪が。刀にてきりたる様になりて落たる程に。おどろひてわびことをする間。丁蘭もきどくに思ひ。もくざうを大道へうつしをき。つまに三年わびことをさせたれば。一夜の内に雨かぜのをとして。木…
大舜の次は漢文帝。 国立国会図書館デジタルコレクションより 漢文帝 仁孝臨天下 巍々冠百王漢廷事賢母 湯薬必親嘗 漢の文帝は。漢の高祖の御子なり。いとけなき御名をば。恒(ごう)とぞ申し侍りき。母 薄(はく)太后に孝行也。よろづの食事をまいらせらるる時は。まづみつからきこしめしこころみ給へり。きやうだいもあまたましましけれども。此みかどほど。仁義ををこなひ孝行なるはなかりける。此故に。陳平周勃などいひける。臣下達 王になしまいらせたり。それより漢の文帝と申し侍りき。然に孝行の道は。上一人より下(しも)万民まで。あるべき事なりとしるといへども。身にをこなひ。心に思ひ入ことはなりがたきを。かたじけな…
トップは大舜。 大舜 隊々耕春象 紛々耘草禽嗣尭登宝位 孝感動天心大舜はいたつて かうかう(孝行)なる人なり。ちちの名は。こそう(瞽䏂)といへる。一たん(段) かたくなにして。はは(母)は かだましき人なり。おとと(弟)は おほひに おごりて。いたづら人なり。しかれども大舜は。ひたすら孝行をいたせり。ある時歴山と云所に。耕作しけるに。かれが孝行をかんじて。大象がきたつて。田をたかやし。又鳥飛きたつて田の草をくさきり。かうさくのたすけをなしたるなり。扨其時天下の御あるじをば。尭王と名づけ奉る。ひめぎみまします。あねをば。蛾皇と申し。いもとは女英と申し侍べり。尭王すなはち舜の孝行なることをきこしめ…
さて明日からは御伽草子 第13冊 (二十四孝)をご紹介していきます。 岩波文庫「御伽草子」の解説には、”郭居敬の「全相二十四孝詩選」に基づいて和訳を加え、草子化したもの” ”二十四孝の代表作として後代にも大きな影響を与えた”と書かれています。 花迺家文庫(花廼家文庫)の押印。 国立国会図書館デジタルコレクションの説明には 「室町物語。異国物、孝行譚。中国古代の孝子の事蹟を24話に纏めて各1図を添えたもの。絵巻、奈良絵本、屏風絵などもあるが、近世初期の嵯峨本を始め多くの版本が行われた。 当館本は、横本の書形で23編の作品を組で版行したいわゆるお伽草紙の第13編であるが、最終巻に大坂の書肆渋川清右…
さていよいよラストになります。建物内側、中央には「観世音」の額が掛けられています。 見上げると、観世音の額の奥に、蟇股の左右部分が見えます。 額の左側から蟇股を覗くと、王裒が見えます。 額の右側から見上げると二人の人物が見えます。右に少年、その左に成人男性。男性は首が破損しているように思えます。 子どもは両手で何か捧げ持っているようです。 これは庾 黔婁だとは思うのですが、庾 黔婁なら祭壇があるはずですね。 二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースより 飯綱神社の庾黔婁。 燭台や香炉などの置かれた祭壇があれば庾黔婁確定なんですが、額の陰でよく見えない。私のポンコツ写真ではなん…
滑河観音の本堂。 本堂の階段を上り、まず見上げる一番良い位置には額があります。中央に白っぽい「滑河山」の扁額。その右側には坂東二十八番御詠歌の額。 この滑河山の額の後ろにも二十四孝の彫刻が隠れています。センター位置なのに、すこぶる見にくい場所に大舜が。 ほとんどの人が気づかない、舜の笑顔。 舜の左側の丸っこいのは象ですね。破損していますが象の上と右には鳥がいます。 象の顔はどこかな~。 舜も日の目を見たいでしょうね。「滑河山」の額を左にずらしてもらうわけにはいかないかなあと思っているかも。 滑河山の額の右側には御詠歌の額があるので、大舜の彫刻の右側部分はほぼ見えません。蟇股の右端がちらっと見え…
タケノコ掘りは楽しそう。でも真冬は勘弁。昔は彩色してあったようなので、雪景色だとすぐにわかったことでしょう。
亡き母に似せて作った木像を実の親のように大切に扱った丁蘭。 お供え物を運ぶ丁蘭に比べて母親がかなり小さいので木像なんだろうな、と推測できます。 こちらは「二十四孝諺解」の「丁蘭」。この母親は丁蘭とそれほど大きさが変わらないし、たたずまいが生きている人のようなので漢文帝と似てますね。でも壇の上に安置してある感じはします。 二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースより ちなみにこちらが二十四孝諺解の「漢文帝」。 侍女が扇を持つてそばに立っていたり、母親の服装が豪華。でも主役の漢文帝は丁蘭とあまり服装は変わらないような。漢文帝の後ろにいる人は奥さんだったり少年だったり。丁蘭の方は大…
父親の寝床を仰ぐ黄香。お父さんを連れてくる子のほうが重労働に見えます。 二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースより 野趣豊かな寝床。蚊が心配。
私が彫刻を普通に見上げるとこんな感じ。右側に手を合わせる男性、左にはもう一人。 ちょっと離れた高い位置から撮影すると二人の間に・・・。 釜があることがわかるんですよね~。昔の人って今より小柄な人が多かったはずなのに、みんな見えたの?郭巨の釜が?
盗賊と米俵の組み合わせなら蔡順ですね。「なんで桑の実を二つの籠に分けてるの?」と盗賊に尋ねられて、蔡順は「熟した実は母に、まだ未熟なものは自分用に」と答えました。それを聞いて盗賊は感心して、肉と米俵を蔡順に与えました。 蔡順は左手に何か持っていた様子です。桑の実か、もしくは籠か。 二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースより 千手院観音堂の蔡順。滑河観音の彫刻も肉や籠が昔はあったんでしょうね。
鹿に変装して目の悪い両親のために鹿のミルクを集めにいった剡子。 よーく見ると鹿皮を身にまとってますね。おそらく下の絵のように、右手には矢を握っていたはずです。 剡子の彫刻には猟犬もしばしば登場します。右端の人はリードを持ってるようです。 針金かな? もともとは犬の首輪にひっかけてあったんでしょうね。
袁術のおうちにお邪魔して、出されたミカンをこっそり袂に入れて持ち帰ろうとした陸績。別れの挨拶するときにミカンが転がり出て袁術に咎められました。母が好きなのでお土産にしようと思って、と陸績が言い訳をしたら袁術は「親孝行な子だ」と感心します。 中央の男性が袁術だと思われます。袁術の左側にももう一人誰か座っているようですね。女性かしら。 ミカンはここですね。 二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースより ミカンに彩色。
これも人物全員、顔が消滅。 雲の上の天女たちは二人なのか三人なのかしら。顔が残っていればよくわかるのにね。 二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースより
現地では理解できなかった彫刻、田真兄弟。両脇の人物は存在がわかりますが、中央の人物は輪郭のみ。 本来はこの絵のように人物が彫られていたと思います。彫刻の方はスペースの関係で幹が大胆に曲がってますね。 二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースより
遠く離れていても、母親と心を通わせる曽参。山中で薪を採っていたとき、胸騒ぎを感じたので「母に何かあったのか」と急いで帰宅しました。 曽参の母親は指を噛んでいるように見えます。 息子よ、早く帰ってきて~のおまじない。指ガブ~。 曽参の背後にはトレードマークの薪。 下の絵のように、二つの束を結んで一つにしているようです。 二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースより
さてこちらの彫刻は主役が不在です。盗賊っぽい二人はほぼ無傷なのにね。 手掛かりはここに見える小さな手だけ。 飯高神社の張孝兄弟。 滑河観音の彫刻も、こんな感じで兄弟が向かい合ってるんじゃないでしょうか。 「肉付きの良い僕を食べてください」「いいえ、僕を」と譲り合う兄弟。「じゃあ二人とも」とは言わなかった根は優しい悪者。
真冬に生魚を食べたいと言い出した母親の為に水辺に来た王祥。水辺は本によって池だったり川だったりします。この彫刻では橋があることで、ここが川や池などの水のある場所だと表現しているんでしょうね。 で、その水は凍っていたので王祥は体温で氷を解かして魚を捕まえようとします。この行動を良い子が真似したら大問題になりそうです。 二十四孝のお話は「真似しちゃだめ」系のお話が多いです。
「ブログリーダー」を活用して、小心さんをフォローしませんか?
黄山谷。 母親の下の世話を妻や使用人にはさせず、汚物も自ら始末した黄山谷。 御伽草子の黄山谷。 国立国会図書館デジタルコレクションより
今日から最上段に入ります。一番左は陸績。 テーブルの上の鉢には、たくさんみかんが入ってます。 でも転がってるみかんはありませんね。今からでもいい!描き足してほしい! 御伽草子の陸績。みかん三つ転がってます。籠盛みかんはナシ。 葛飾戴斗の陸績。テーブルの上に山盛りみかん。陸績の袂からみかんが二つ、こぼれ落ちてます。 1822年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵
残り少なくなってきました。20番目は黄香。 寝苦しい暑い夜、父の為に布団を扇いで涼しくする黄香。 お父さんの姿はありませんね。
曽参らしき人の右側には王裒。 雷が嫌いだった母親のお墓を雷神から守る王裒。雷神もピンポイントで王裒の母親のお墓を狙わなくてもよさそうなものですが。 御伽草子の王裒。お墓の造りがよく似てますね。
さて問題の18番目がやってきました。 ・・・誰? 繁多寺鐘楼天井画24枚で23枚のタイトルはすぐにわかりましたが、唯一悩んだのがこの男性。 二十四孝は、実は26人のメンバーがいます。こちらの天井画で出てきていないメンバーは「仲由」「江革」「曽参」の三人です。 消去法で行くと、まず「江革」ではなさそうですよね。江革はお母さんを背負ったり車に乗せて運んでいるシーンが多いですからね。 ということで「仲由」か「曽参」、どちらかということになるのですが。 どちらも決め手は持ち物です。曽参なら薪、仲由なら米袋か米俵。 なのにこの男性は手ぶらでございます。 じゃあどうして私がこの人を曽参だと思うのかというと…
明ましておめでとうございます。今年も二十四孝の世界を堪能していきます。 さてしばらく投稿をお休みしていましたが、松山市繁多寺鐘楼の天井画も上から二段目に入りました。郭巨ですね。 間引きされそうになった赤ちゃん。土中から黄金の釜が出てきて命拾いしました。 郭巨夫婦が若々しい。 御伽草子の郭巨。釜の形がよく似てますね。こちらの郭巨は生活に疲れてる感じ。
真冬にタケノコを収穫することができた孟宗。 無事収穫しての帰り道ですね。 鍬の右側には二つ、左側には一つタケノコを結わえているようです。 葛飾戴斗の孟宗。これを参考にしたのかな。 明日から一週間ほどお休みします。皆さまよいお年を!
大舜の右上の位置には閔子騫。 前妻の子である閔子騫に薄着をさせて、つらく当たっていた後妻が追い出されそうになっているところ。自分が産んだ二人の子は重ね着をさせてモコモコ状態。 御伽草子の閔子騫。 国立国会図書館デジタルコレクションより
母親が鯉を食べたいというので真冬に鯉を捕りに行った王祥。水面は氷で固く閉ざされていました。 王祥が服を脱いで氷の上に横たわると、体温で穴が開いて鯉が飛び出して来ました。
大舜の左上は朱寿昌。 生き別れの母親を探し、ついに巡り合えた朱寿昌母子。 意外と恰幅の良いお母さんでしたー。
今日は董永。 董永は親孝行。でも貧しくて、亡くなった父親の葬儀費用も人に借りました。天は董永を助けるために織姫を遣わしました。織姫は織物をせっせと織って、董永の借金を返済したのちに天に帰っていきました。 こちらは「二十四孝教近道」の董永。 天に帰る織姫を見送る董永。董永の脇には天女の置き土産の反物があります。 でも繁多寺の織姫は余った反物を持って帰ってしまうようです。 董永「その反物も置いて行ってもらえませんかねー。売って生活の足しにしたいので」 織姫「やーよ。あとは自力でなんとかしなさいね」
大舜の右隣りは丁蘭。 亡き両親の姿を木像に彫って、朝に夕に食事を供え敬った丁蘭。 この絵では女性っぽいですが丁蘭は男性です。 奥さんは丁蘭を冷ややかに見つめます。 時間の無駄よね、とでも言いたそう。
このところ風邪でダウンしておりました。ようやく体調復活しました。 さて二十四孝の書籍では巻頭に登場することが多い大舜。 象や小鳥と一緒に農作業をする少年。 家族に虐げられながらも恨むことなく誠意を尽くした大舜。やがて皇帝にスカウトされ、名君となります。 御伽草子の大舜とほぼ同じ構図ですね。
大舜の左隣は老莱子。 年老いた両親に年齢を感じさせまいとして、老莱子は幼児のようにふるまって泣きわめいたり派手な着物で踊ったりするのでした。 写真が不鮮明なせいか、ギャラリー全員怒ってるように見えます。(本当はニコニコと老莱子を見つめる場面) 太鼓叩いている人(普通は子どもが叩いているんですが、この絵では成人に見えますね)も冷めた表情。 見守る三人がみんな武器になりそうな杖やらバチやら持っていて不穏な気配を感じます。 房種さん挿絵の老莱子。 「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より 70歳の息子が子どものフリして踊る姿を見て、微笑ましい表情の両親。 飯高神社の老莱子。変な親孝行のために子…
下から二段目の右端は楊香。 楊香はかわいい女の子・・・には見えませんね。どうみても屈強な青年。 手持ちの中国の二十四孝の本を見ると・・・ こちらも青年として描かれてるようですね。右側の説明文にも「女」という文字は出てきません。一方、中国の辞典サイトで楊香について検索すると 「扼虎救父,杨香,晋朝人。顺阳(今河南淅川县东南)人。杨丰之女。(以下略)」 杨丰(父親の名前)の女(むすめ)、と書かれているものがあります。一方、特に「女」とは書かれていないものも多いです。実際のところ楊香ちゃんは男性だったのか、女性だったのか、どちらなんでしょうね。 日本の書籍でも「楊香は一人の父を持てり」とのみ書かれて…
下からも右からも2番目の位置にある唐夫人。 高齢で歯が悪いのか抜けちゃったのか知りませんが、そんなお姑さんに自ら乳を飲ませる唐夫人。野菜などをすりつぶしたのを食べてもらえばよさそうなもの。 子どもが怒ってます。この子もとっくに乳離れしてそうな年齢に見えるけど。
大舜の下には漢文帝。 皇帝自ら母親の世話をしました、という美談ですね。皇帝は衣服もラフな格好に着替えずに、正装のまま介護をした、と。着替えればいいじゃないの、と思う(笑)。でも普段着に着替えたら絵にならないわね。 皇帝が身なりも崩さず皇太后の世話をする、というところが大事なのね。 御伽草子の漢文帝。 建物の間取りもよく似てます。
下から二段目の左端は姜詩。 姑に美味しいお水を飲ませるために遠くまで汲みに通ったお嫁さん。姑の実子である夫の姜詩は「汲んで来い」と指図しただけ~。なのに二十四孝に「姜詩」として名が残る。理不尽だわ。 親孝行が天に通じて家の真ん前に水が湧きだしました。さらに、鯉を食べるのが好きな姑のために毎朝鯉二匹が水際にやってきてくれました。 柄杓小さいわね。不鮮明ですが、水の中には魚影が二つ。 御伽草子の姜詩。 多分この絵を参考にしたんでしょうね。
最下段右端は呉猛。 一瞬、殺人現場かと思いましたが二人とも生きてます。右の少年が呉猛です。呉猛の身体の回りにたくさんある黒くて小さいものは蚊です。横でスヤスヤ寝ているのは父親です。 真冬にタケノコをゲットできた孟宗や、氷の割れ目から魚が飛び出してきた王祥みたいに天は奇跡を起こしてくれなかったので呉猛は悲しそうです。 「呉猛」は話を知らないとどんな場面かわからないですよね。昔の人はみんなこの絵を見て「呉猛だ!」とわかったんでしょうか。わかったんでしょうねえ。 夜中、父親が蚊に刺されないように呉猛は自分の着物を父親に掛けて、自分は裸で蚊に刺されまくるという感動的(?)なお話です。「親孝行な子だ」と…
最下段、右から二つ目は庾 黔婁。 この図の最下段1~4(剡子、蔡順、庾 黔婁、呉猛)と最上段21~24(陸績、黄山谷、田真兄弟、張孝兄弟)は二十四孝の書籍では後ろのほうで登場することが多いメンバーですね。 崖の上みたいなところで北斗七星に祈る庾 黔婁。ここが星を眺める絶好のポイントなんでしょうか。祭壇の上には燭台や供物が並んでいます。さらに童子二人が道具を運んでいます。 御伽草子の庾 黔婁。 全体的な構図、沖にある島の感じも似てますね。
二番目は閔子騫。 国立国会図書館デジタルコレクションより 閔子騫継母に仕えて孝行なり 継母これを憎み 実の子には綿を入れ閔子騫には葦の穂を入れて着せける 父これを知りて離縁せんとしけるに今の母を置き給はば我一人寒し 又去り給はば三人とも寒からんと諫めてとどめけり ーーー 文章が書いてある飾り枠は毎回形が違います。大体こういう枠に書こうとすると最初はゆったり目で書いてて、文末になると窮屈になっていくものですね。もうちょっと右から書き始めればよかったかな~。
玉蘭貞秀(1807~没年不明)、玉蘭斎(ぎょくらんさい)貞秀・歌川貞秀といろんな名前のある絵師さんの二十四孝をご紹介していきます。国立国会図書館デジタルコレクションには残念ながら15枚しかありませんでしたが。 母の薄太后に食事を運ぶ漢文帝。 国立国会図書館デジタルコレクションより 漢文帝漢の文帝はすでに天子にましますゆへ 百官仕え奉るにより何一つ事欠き給ふことなしといへども母君に孝行にましまして常の食事も自ら試みてすすめ他人の手にかけ給ふことなし ーーー 国立国会図書館デジタルコレクション書誌情報での古典籍区分は「錦絵」となっていました。錦絵とは「浮世絵の多色刷り木版画の総称」だそうです。やっ…
久しぶりに行徳の徳願寺に行きました。 4年前の記事は 前回よりは多少鮮明な画像が撮れました。 右手では猟師が矢をつがえようとしています。鹿のお腹の下にもぐりこんでいる怪しい男。 輪郭を描くとこんな感じなのかな? 呑気に鹿の乳しぼりをしている剡子。鹿の扮装をしているのかどうかはよくわかりません。