2024年が明けまして、気づけば半月以上が経っておりました。 遅くなりましたが、ブログ更新のスタートを切ることも出来ましたので、本年もどうぞよろしくお願いいたします! 新年のスタートも遅かったのですが、それ以前からブログの更新は途絶えており
がんサバイバーでオストメイトとなった母とその娘のライフより。身体障害者でアルコホリックとイネイブラーの1人娘元ACの筆者が抱えてきた生きづらさは「ひとり当事者研究」により楽になるが、母がステージ4のがんに。母の人生最終段階に私は―――。
腸閉塞(イレウス)の母の食事とQOL―ストーマ(人工肛門)造設から半年。お正月を通り抜け
2024年が明けまして、気づけば半月以上が経っておりました。 遅くなりましたが、ブログ更新のスタートを切ることも出来ましたので、本年もどうぞよろしくお願いいたします! 新年のスタートも遅かったのですが、それ以前からブログの更新は途絶えており
お久しぶりです! 通い介護のミドルケアラーで、ひとり当事者研究者(いこ専門家)のいこです。 最近ブログを書くことが遠のいていますが、私は元気です!母も抗がん剤の副作用による肌の痒みに多少煩わされてはおりますが、お陰様で体調は安定しており、元
「母に食べさせたい!」想いは―――重みから解放された今|退院後の日々ごはん
お久しぶりです!通い介護のミドルケアラーで、ひとり当事者研究者(いこ専門家)のいこです。気づけば9月も後半。暑すぎた夏はついに過ぎ去って、一気に秋の気配に。日中も爽やかな風が、母の家の中にも吹き込んでくるようになりました。そうは言っても、地
小さな母(がんサバイバー)とその娘の歩み|母と手を繋ぎ―――自分でできるが自信に繋がる
退院後の母はあまりにも痩せ、弱っていました。当時の母の体重は29㎏台で、30㎏にも達していませんでした。身長は147㎝で小柄だといえ、あまりにも痩せすぎです。前回外来時に計測した体重30㎏(今の時点ではもっとあると思いますが)でのBMIは13.9で、世界保健機構(WHO)の評価では最も低い値の「痩せすぎ」となります。
母の抗がん剤にソワソワ、モヤモヤ……一般名と商品名?医療用語に混乱しました。
この初夏、ステージ4の大腸がんと宣告された母ですが、手術では癌を摘出することはできず、頼みの綱は抗がん剤だけとなりました。母の初めての化学療法(抗がん剤治療)は、4週間程前に始まって、今2クール目に入っています。終わりのない(!?)化学療法はまだ始まったばかり。今回は、そんな母の化学療法開始時の私の混乱と学びについてお話ししたいと思います。
母娘の通い同居生活にバテまして……寝不足解消のため時間割変更しました。
母が最初の入院を終えてからのおよそ2週間を、母の家に泊まり込み、母の生活リズムに合わせ、母とべったりの通い介護(というより通い同居生活)をしていました。その間、新たな自分に出会うなどうれしいことも。ですがその反面、軟弱者のために暑さのせいかちょっと息切れ……。また、自分の時間のあまりの無さに僅かながら不満も感じ始め……。今回は、そんな私と母の通い同居生活のお話しです。
母がステージ4のがんだと宣告されたあの日と余命|がん家族の気持ち
母がステージ4のがんだと宣告されたのは、今から62日前のこと。その一週間前に行われた大腸内視鏡検査の直後すでに、がんであることは間違いない旨を伝えられていたので、私も母も母が大腸がんであることは組織検査の結果を聞く前からすでに分かっていました。ですが、まさかそのがんが「ステージ4」だなんて考えもしなかった。急を要しているような、深刻そうな先生の口調から、母のがんがそれほど浅いものではないことは察しがついていましたが、それでもステージ2、悪くてステージ3、どうかステージ3まで達していませんようにと祈る思いで私はいたのです。ところが、実際は私の予想をはるかに飛び越え「ステージ4」だということが告げられます。
通い介護が始まり―――ケアラーの負担を考える|家族の健康と調和
現在母は入院中。せっかくですからこのまとまったお休みの間に、母が40日間に及ぶ入院を終えてから先日再び化学療法(抗がん剤治療)のために入院するまでの2週間余りの期間のことを、じっくり振り返ってみたいと思います。というのも、こんな風に落ち着いてブログを綴る時間など、この度の母との密着ライフの中では、1秒たりとも作ることができませんでした。母の家に泊まり込み、母の生活のリズムに合わせて料理、洗濯、掃除といった家事を行い、その合間に介護関係の様々な契約書類にサインをしたり、母の痛む腰をさすり、などしていると、私の24時間はほとんど全て、母のためだけに捧げられる時間となります。
通い介護の始まりでケアラー人生が幕を開け――どうなる?自分本位の私の人生
母が退院して2週間ちょっとが経ちました。母はこの初夏、大腸がんでステージ4と宣告され、その翌日に入院。手術を受けたもののがんは摘出できませんでした。ストーマ(人工肛門)は予定通り造設され(ここまでのことはプロフィールですでにお話ししていますので、よかったらご一読ください。)、手術後、母の生活は一変。それに伴い、私の生活も一変しました。
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2024年が明けまして、気づけば半月以上が経っておりました。 遅くなりましたが、ブログ更新のスタートを切ることも出来ましたので、本年もどうぞよろしくお願いいたします! 新年のスタートも遅かったのですが、それ以前からブログの更新は途絶えており
お久しぶりです! 通い介護のミドルケアラーで、ひとり当事者研究者(いこ専門家)のいこです。 最近ブログを書くことが遠のいていますが、私は元気です!母も抗がん剤の副作用による肌の痒みに多少煩わされてはおりますが、お陰様で体調は安定しており、元
お久しぶりです!通い介護のミドルケアラーで、ひとり当事者研究者(いこ専門家)のいこです。気づけば9月も後半。暑すぎた夏はついに過ぎ去って、一気に秋の気配に。日中も爽やかな風が、母の家の中にも吹き込んでくるようになりました。そうは言っても、地
退院後の母はあまりにも痩せ、弱っていました。当時の母の体重は29㎏台で、30㎏にも達していませんでした。身長は147㎝で小柄だといえ、あまりにも痩せすぎです。前回外来時に計測した体重30㎏(今の時点ではもっとあると思いますが)でのBMIは13.9で、世界保健機構(WHO)の評価では最も低い値の「痩せすぎ」となります。
この初夏、ステージ4の大腸がんと宣告された母ですが、手術では癌を摘出することはできず、頼みの綱は抗がん剤だけとなりました。母の初めての化学療法(抗がん剤治療)は、4週間程前に始まって、今2クール目に入っています。終わりのない(!?)化学療法はまだ始まったばかり。今回は、そんな母の化学療法開始時の私の混乱と学びについてお話ししたいと思います。
母が最初の入院を終えてからのおよそ2週間を、母の家に泊まり込み、母の生活リズムに合わせ、母とべったりの通い介護(というより通い同居生活)をしていました。その間、新たな自分に出会うなどうれしいことも。ですがその反面、軟弱者のために暑さのせいかちょっと息切れ……。また、自分の時間のあまりの無さに僅かながら不満も感じ始め……。今回は、そんな私と母の通い同居生活のお話しです。
母がステージ4のがんだと宣告されたのは、今から62日前のこと。その一週間前に行われた大腸内視鏡検査の直後すでに、がんであることは間違いない旨を伝えられていたので、私も母も母が大腸がんであることは組織検査の結果を聞く前からすでに分かっていました。ですが、まさかそのがんが「ステージ4」だなんて考えもしなかった。急を要しているような、深刻そうな先生の口調から、母のがんがそれほど浅いものではないことは察しがついていましたが、それでもステージ2、悪くてステージ3、どうかステージ3まで達していませんようにと祈る思いで私はいたのです。ところが、実際は私の予想をはるかに飛び越え「ステージ4」だということが告げられます。
現在母は入院中。せっかくですからこのまとまったお休みの間に、母が40日間に及ぶ入院を終えてから先日再び化学療法(抗がん剤治療)のために入院するまでの2週間余りの期間のことを、じっくり振り返ってみたいと思います。というのも、こんな風に落ち着いてブログを綴る時間など、この度の母との密着ライフの中では、1秒たりとも作ることができませんでした。母の家に泊まり込み、母の生活のリズムに合わせて料理、洗濯、掃除といった家事を行い、その合間に介護関係の様々な契約書類にサインをしたり、母の痛む腰をさすり、などしていると、私の24時間はほとんど全て、母のためだけに捧げられる時間となります。
母が退院して2週間ちょっとが経ちました。母はこの初夏、大腸がんでステージ4と宣告され、その翌日に入院。手術を受けたもののがんは摘出できませんでした。ストーマ(人工肛門)は予定通り造設され(ここまでのことはプロフィールですでにお話ししていますので、よかったらご一読ください。)、手術後、母の生活は一変。それに伴い、私の生活も一変しました。
お久しぶりです! 通い介護のミドルケアラーで、ひとり当事者研究者(いこ専門家)のいこです。 最近ブログを書くことが遠のいていますが、私は元気です!母も抗がん剤の副作用による肌の痒みに多少煩わされてはおりますが、お陰様で体調は安定しており、元
お久しぶりです!通い介護のミドルケアラーで、ひとり当事者研究者(いこ専門家)のいこです。気づけば9月も後半。暑すぎた夏はついに過ぎ去って、一気に秋の気配に。日中も爽やかな風が、母の家の中にも吹き込んでくるようになりました。そうは言っても、地
退院後の母はあまりにも痩せ、弱っていました。当時の母の体重は29㎏台で、30㎏にも達していませんでした。身長は147㎝で小柄だといえ、あまりにも痩せすぎです。前回外来時に計測した体重30㎏(今の時点ではもっとあると思いますが)でのBMIは13.9で、世界保健機構(WHO)の評価では最も低い値の「痩せすぎ」となります。
この初夏、ステージ4の大腸がんと宣告された母ですが、手術では癌を摘出することはできず、頼みの綱は抗がん剤だけとなりました。母の初めての化学療法(抗がん剤治療)は、4週間程前に始まって、今2クール目に入っています。終わりのない(!?)化学療法はまだ始まったばかり。今回は、そんな母の化学療法開始時の私の混乱と学びについてお話ししたいと思います。
母が最初の入院を終えてからのおよそ2週間を、母の家に泊まり込み、母の生活リズムに合わせ、母とべったりの通い介護(というより通い同居生活)をしていました。その間、新たな自分に出会うなどうれしいことも。ですがその反面、軟弱者のために暑さのせいかちょっと息切れ……。また、自分の時間のあまりの無さに僅かながら不満も感じ始め……。今回は、そんな私と母の通い同居生活のお話しです。
母がステージ4のがんだと宣告されたのは、今から62日前のこと。その一週間前に行われた大腸内視鏡検査の直後すでに、がんであることは間違いない旨を伝えられていたので、私も母も母が大腸がんであることは組織検査の結果を聞く前からすでに分かっていました。ですが、まさかそのがんが「ステージ4」だなんて考えもしなかった。急を要しているような、深刻そうな先生の口調から、母のがんがそれほど浅いものではないことは察しがついていましたが、それでもステージ2、悪くてステージ3、どうかステージ3まで達していませんようにと祈る思いで私はいたのです。ところが、実際は私の予想をはるかに飛び越え「ステージ4」だということが告げられます。
現在母は入院中。せっかくですからこのまとまったお休みの間に、母が40日間に及ぶ入院を終えてから先日再び化学療法(抗がん剤治療)のために入院するまでの2週間余りの期間のことを、じっくり振り返ってみたいと思います。というのも、こんな風に落ち着いてブログを綴る時間など、この度の母との密着ライフの中では、1秒たりとも作ることができませんでした。母の家に泊まり込み、母の生活のリズムに合わせて料理、洗濯、掃除といった家事を行い、その合間に介護関係の様々な契約書類にサインをしたり、母の痛む腰をさすり、などしていると、私の24時間はほとんど全て、母のためだけに捧げられる時間となります。
母が退院して2週間ちょっとが経ちました。母はこの初夏、大腸がんでステージ4と宣告され、その翌日に入院。手術を受けたもののがんは摘出できませんでした。ストーマ(人工肛門)は予定通り造設され(ここまでのことはプロフィールですでにお話ししていますので、よかったらご一読ください。)、手術後、母の生活は一変。それに伴い、私の生活も一変しました。