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多摩川を歩く(その37)(二子玉川⑦:兵庫島) 2022.9.27
(写真は、兵庫島の「枯れ流れ」)”思い出のニコタマ”でだいぶ寄り道をしてしまいましたが、今回からは、本来の”多摩川沿いを歩く”に戻ります。自宅の新横浜から、市営地下鉄のあざみ野駅で東急田園都市線に乗り換え、「二子玉川駅」で下車します。南北朝時代の1358年、「新田義興」(にったよしおき:新田義貞の次男)は、「足利尊氏」の死去に乗じて、鎌倉攻略のため進軍します。しかし、義興は多摩川の矢口の渡しで謀殺され、義興の家来の「由良兵庫助」(ゆらひょうごのすけ)も壮絶な死を遂げました。そして、この「兵庫助」の死体は、多摩川の増水時に、矢口の渡しから、上流のこの河川敷の島に流れ着きました。村人達は、災いを恐れて、「兵庫助」をこっそりとこの島に供養しました。これが、「兵庫島」の名前の由来です。(新田義興が多摩川の矢口の渡...多摩川を歩く(その37)(二子玉川⑦:兵庫島) 2022.9.27