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↓↓【前回の記事】↓↓ 【当時の話】 両親のアポなし凸にちょっと怯んだ私は、毎月行っていた実家に数ヵ月に一度なら行けるか?とか、LINEは1ラリーくらいなら耐えられるか?とか妥協点を探っていました。 でもこちらが妥協をしたところであちらはいつもの調子で来るわけで。もうね、この約束の行き違いって、この回だけじゃなくて!私との約束をしておいて、どこかに行っているというのはかなり多いです、というか、約束の前にはほぼ予定を入れていて、時間通りに帰ってこれるかは計算に入れてないない感じです。 これが母からの約束(主に自分が行きたいところへのおでかけ)だと、きっちり時間通りですしともすれば同じく時間通りに…
【当時の話】 スマホの名義変更が済んで、すこしだけ胸が軽くなりました。毎月行かなくていいし、「携帯代取りに来てください」という無機質に見えていろんな感情が入っているメールをもう確認しなくてすむんですもん。けどそのまま平和的にフェイドアウトできないのがうちの両親です。これも毒親あるあるかも? というか、なぜ家の前で待ち伏せ?(もちろんアポなし)この時は「何してんの?どうしたの?」と聞いたら「あんたが来ないから心配して...」と言っていましたが、母の顔は明らかに不機嫌で「心配」というよりは「気に入らない」という表情でした。ちなみに私、母の使う「心配」って言葉が苦手です。だって私の身を案じてるんじゃ…
【当時の話】 以前母が倒れた時、母は携帯電話を持っておらず結構難儀したので、私が母に携帯をプレゼントし、父がそれを羨ましがっていたのでついでに父の携帯も新しく契約した、というのがそもそもの発端でした。しばらくは快適な携帯ライフ(?)を過ごしていたのですが、父も母も使いこなせておらず(のちに母はメールが打てるようにはなった)、父に至っては「電話帳に友人を登録したい」という理由だけで月に何度も呼ぶ事もあり…。(父からしたら「仕事を与えてやってる、親子の関わりを増やしてやってる」という理由らしい)機種変もプランの変更も私がいないとできず、両親と子供2人連れてショップに行くのもまたしんどくて、「あー名…
【当時の話】 「親と縁を切りたい」なんて言われたって、そりゃあ理解できないとは思います。両親とのエピソードなんかは既に色々話していたとはいえ、絶縁するほどだなんて夫は思っていなかったでしょうし、夫からしたら「君が会いたくないのはいいけど、子供達の権利をないがしろにはしないでほしい」という思いがあったと思います。 私としてはこの時は、 ○私は両親に二度と会いたくない ○子供達も会わせたくない、とはいえ子供達が会いたいと言ったら会わせる方向で ○子供達とうちの両親が会うときは、私は同席しない という気持ちでいました。ただ、子供達がうちの両親と会うときに私が同席しないと、子供達が怪我したりするんじゃ…
【当時の話】 これも許せないエピソードのひとつです。もちろん他にも色々あっての絶縁なのですが、この時に私は「この人にとって、私も娘もただのアイテムで盾でおもちゃのようなものなのだ」と思いました。決して大切に扱うこともないし、尊重することもケアをすることもない、自分をよく見せたり攻撃から守ったりするために盾にさせて壊れても知らんぷり。それほどに、母は自分を守りたいのだなと思いました。 その他に、たまたまエレベーターで一緒になった娘と月齢の近い女の子とそのママに話しかけて、「あらあ、うちの孫と年齢近いのにそんなことできるの~、うちの孫はできないのよね、ほんと何にもできないの~」と孫サゲをしたり、自…
【当時の話】 このエピソードは、どうしても私が許せないもののひとつです。当時の娘は身長体重共に標準でしたが、よく「大きいね」といわれるタイプでした(誉め言葉として受け取っています)。 はっきり言ってデブでもないし、みっともない格好もしていません。なのにどうしてこの言葉を母は使うのか。 考えられるとしたら、ひとつは謙遜です。「いやいやうちの孫なんて~」ってやつです。でもこれ、なんで私の娘に母がやるの?娘の事を謙遜するとしたら、育てている私や夫ではないの?と思ってしまいます。もし母が謙遜していたとしたら、「うちのろくでもない娘(私)が育てた子供だから、たいしたことないの~だからデブでみっともないの…
【当時の話】 この施設は一階建てのやや広めのスーパー、レジのすぐ先は出入り口(外は駐車場)、娘は好奇心旺盛でちょろちょろするタイプなので私はすぐ「外!車!」と手にしたものを放り投げて外に飛び出しました。外を見渡しても子供の影はなく、近くに警備員さんに聞いても子供は見てないと言っていたので、一旦店内に戻って「いるならここかも」という所に行きました。それがお菓子コーナー、果物コーナー、アン○ンマンコーナーでした。ほんとにありがとう、アン○ンマン...! 多分私が離れてすぐに娘はさーっとアン○ンマンコーナーに向かったんだと思いますが(レジからの距離的に)、母は引き留めなかったんだと思います。戻ってく…
【当時の話】 母に会うたびに体調を崩しても精神を削られても、それでも娘や息子を母に会わせていたのは、それが私の子供達と母の権利であると思っていたからです。母が孫に、孫が母に会いたいと思う気持ちや会う機会を私の一存でなくしてしまうのは、やはり違うのではないかと思っていました。 それと、母が私を養育していた頃は母にも精神的余裕がなく、子供が可愛く思えなかったのではないか、だから私や兄にきつく当たっていたのではないかと思っていた所もあるので、夫婦二人になって多少なりともゆとりがうまれた今なら、自分の子育て時代を思い出しながら孫に優しい表情を見せてくれるのではないかとそう思っていました。そんな風に少し…
【当時の話】 娘の出産は40週を越えても陣痛が来ず、入院して促進剤を使っても一日目は出てこず、丸二日かけてほぼ眠れずに挑んだ、めちゃくちゃ体力削った出産でした。そんな時にアポなし訪問はやめてくれー!(実は義母もアポなしでやってきた) ↑の通り、産後半年位は比較的普通にやりとりしていたのですが(週1のメールと月1、2回家に来ていた)、特に何か言ったり言われたりしたわけでもないのに、すごく疲れていました。産後ホルモンバランス乱れている時に会うもんじゃないですね...。私偏頭痛持ちなのですが、この頃は毎月偏頭痛起こしてました。 体調が悪いのと子供の事に意識が行っていたので、あんまり親の話とか聞いてい…
【当時の話】 今でも夫と「あの甘いよの言い方、すごい圧だったよね」と思い出してしまうほど、この戌の日のお参りは印象に残っています。 つまり母は「自分は子供が小さいときは働きたくなかったが、私がそれを言うのは甘え!」と思っているということです。確かに母は、私が小さい頃は父の借金のお陰でフルタイムで働かざるをえない状況ではあったので、働かずに子供のそばにいてやれなかった事実はありますが、 私「子供が3歳くらいまで家で一緒に~」→母「甘いよ、私があんたの状況の時はね、働きたくなくても働かなきゃならなくて、子育ても大変だったけどそれなりにやってたんだから!楽しようと考えるな!」 と思ってるってことです…
【当時の話】 落ち込む夫をみて私も悲しかったし、同時に母が恥ずかしくて情けなくてどうしようもなかったのですが、この時は縁を切るとかいうよりも精神的な距離をはかろうと思っていました。物理的には離れてるし、必要最低限プラスアルファくらいでコンタクトを取っていれば「悪くない関係」くらいで保てるんじゃないかと思っていたんです。(必要最低限だと文句を言ってくる恐れがあったので) 今から思えば自分の家や夫を傷つけているのだから、この頃に絶縁をしていても良かったのかもしれません。でも義母にも「お母様はお元気なの?」と会うたびに聞かれていたので、それに答えなければという変なプレッシャーから、母とは連絡くらいは…
【当時の話】 母相手に謙遜した私がいかんのですが(母は私が下手にでると高圧的になるので)、「うん、ほんとね」って言って、夫がなんて思うかとか想像できなかったんでしょうね。家建てる為にめちゃくちゃ頑張ってくれた夫に申し訳なかったです。 お家に母を招いた時も母は悪態ばかりついていましたが、母からしたらそれらの言葉は私のみに向けられたものなんですよね(軽口といえば軽口)。夫を傷つけるつもりも悪く言ってるつもりもなくて。でも私たち夫婦の大切な家や家具に「あ、もういいそういうの」とか「うん、趣味ではないね」とか「何がいいかわからない」とか言われたら夫だって私だって傷つくわ! 夫はショックを受けながらも母…
【当時の話】 この父の発言がしばらーく引っ掛かっていました。私は「家が建ったので良かったら遊びにきませんか?」とお誘いしたはずなのですが、どうしてこの返答になったのでしょうか。(母伝いにお誘いしたので、伝言ゲームがうまくいってないだけかも) 父は将来歩けなくなったり、足腰弱ってきた時に我が家にお世話になって介護してもらおうと思ってるって事なのかな?んで、私は「父(と母)のために家を建てたので、我が家で暮らしませんか?」というお誘いをした、ということになってるんでしょうか。 でもこの発言、ゾッとしますね。父は借金大王でいつだって「なるようになる」と言っていたのに、いざというときは子供(もしくは私…
本日二本目の記事です。 【当時の話】 新婚当初の母は、うちの夫にむちゃくちゃ絡んできていました。それがね、何か甘えてる感じなんですよ。私母があんな馴れ馴れしく人にしゃべってたりするの初めてで...実家に行けば「夫くんが食べると思って~」とか行ってお総菜やお菓子を用意してたり、「夫くん何食べるの?夫くんの好きなの食べようよ」と外食のお店を決めたりしていました。そこまでだったら「まあ、家族になりたてだし、夫が気を使わないように距離を縮めてくれてるのかな?」と思ってたのですが、一緒に出掛けたりするようになるとだんだん「ねえ、お腹すいたからもうここら辺でお店探して!」「私助手席乗せてくれる?後ろつまら…
☆本年もよろしくお願いいたします☆ 【当時の話】 この、何て言うんでしょうか、暖簾に腕押し感というか、大昔から繰り返している不毛なやりとりがあって、私からどんなアプローチの仕方をしても結局返ってくる答えが一緒で悔しい思いをしてきて、その後時間が経ってから「よし、あれから大分経ってるしこれから言う内容も状況も全然問題ないし、もう大丈夫だろう」と思ったのに、結局同じ不毛な流れになって同じ断られ方をして、なぜ断られてるかもやっぱりわからなくて...という既視感のある絶望と言いますか。 でもこれ、今となってようやくわかったんですよね。要は「○び太のくせに生意気だ」ってやつと同じです。「子供のくせに」な…
【当時の話】 結婚もしたし、私も落ち着いたので両親も今までよりも柔和になって、もう少し風通しの良い関係になれるといいな、と本気で思っていました、この時は。 今までやいのやいの言っていたのは、私が結婚せず気ままにふわふわ暮らしているのが心配だからで、結婚して地に足のついた生活をすればもう心配もかける事ないし、両親も安心して自分達の事だけを考えられるから関係は良好になるだろう、と本気で思ってたんです、この時は。 でもね、違ったんです。違ったってことは、文句を言われていたのは私が独身だからでも気ままに仕事してふわふわ一人暮らししてるからでもなかったってことです。結婚しても文句言われるんです。じゃあ、…
【当時の話】 結婚式はとてもよかったですが、引っ掛かっているのは新婦の手紙を書く事になったのと(結婚式のプランで司会の人にごり押しされ、断れず)、母の↑の発言です。こういう発言って「いやお母さん照れてるのよ~」とか「謙遜してるだけじゃないの~?」とか言う方がいるんですが、自分の照れ隠しで子供サゲするのはおかしくない?って話ですよね。 総じてうちの母に言えることですが、自分のプライドとか立場とかを守るために、子供の事を平気で貶めるんです。自分アゲ子供サゲなんです。何故なら自分より子供は永遠に立場が下だと思ってて(言うことも聞くもの、何をしても文句を言わせない立場)、子供=自分を持ち上げる御輿だと…
【当時の話】 母が倒れたのと父が倒れたのは同じ年で、確かに高齢の母からしたら不安になってしまうのもわかるのですが、ぶっちゃけ29歳まで彼氏がいることにめちゃくちゃ文句言ってたくせに、自分の心を安定させたいためだけに「結婚の予定ないの?」「いい人いないの?」と見事な手のひら返しをしてくるんですよ。子供のライフイベントも、人一倍嫌がっていて、「何で結婚式なんかするんだ、みっともない」「人様に見せるものでもないでしょうが」とずっと言われていました(結婚式の打ち合わせの話をすると、毎回こう言われていた)。 母にとっては私の結婚式は「自分が人前にでなくてはならないから」やって欲しくない、ってことだったん…
本日二本目の記事です。 【当時の話】 親の放つ言葉の呪いとは本当に恐ろしい、この呪いは今でも私を苦しめています。私の先輩ママ友にも子供(女の子)に「お前デブなんだから」と笑いながらいう人がいたんですが、言われているその女の子は、「この人に何言っても無駄だし、人前で歯向かっても後が恐いしな」みたいに視線を落としてへらへらっと笑ったんですよね。何だか他人事とは思えなくて、ママ友に直接は言えませんでしたが、女の子本人には会うたびに所作や容姿などを誉めるような言葉をかけるようにしていました。何かが変わるわけではないかもしれないですが...(今は疎遠になっています)。 そのママ友のように「うちの母と似て…
【当時の話】 物理的な距離をとれるのはとても心強いことなんですが、それさえすれば大丈夫、心の平穏は保たれる、というほどの効果はこの頃はなかったように思います。 ただ結婚式とか引っ越しとかで忙しかったので考えずに済んでいたという感じでした。 それでも結婚とかのライフイベントには実家との関わりはつきものなので...その度にモヤモヤはしていました。夫の両親と両家交えての食事会などの時は、最中は全く普通なのですが(顔はこわばっている、特に母)終わってからの怒涛の愚痴ラッシュがね...。 もう結婚して家も出ているのに、電話や会う予定が近づく度に頭の中に母がじわじわとはびこり、精神的には全く距離をとれてい…
【当時の話】 この頃、毒親という言葉は知っていましたがどちらかというと「命にかかわる身体的な虐待をする親」なのだと思ってました。今は精神的虐待とか教育虐待とか色々言葉が出てきて、自分に当てはまるものがまだまだあるような気がします。 ↑この「実はそんなに毒親でもないのでは?」って思考は本当に害悪というか、これも歪みなのかわからないですけど、「自分がされてめちゃくちゃ傷ついた事、気持ち」を全然自分自身が尊重できていないんですよね。親が毒親かどうとかより、親からめっちゃいやな事をされてそれが今でも影響していて息苦しいのなら、もう毒親と呼んで切り離す準備をしてしまっていいんじゃないかと思う今日この頃で…
【当時の話】 前回の話で母の中で「女」にカテゴライズされたと書きましたが、その日を境に↑のような容姿や体型など「女性」の部分をめちゃくちゃディスられるという事がはじまりました。中学生では制服以外のスカートを履くと「太い足なんか出しやがって」と言われ、もちろんズボン以外買ってもらえませず、髪を伸ばす事も禁止されていました。(伸びてくると、うっとおしいから切るようにと散髪代金をくれてました) それを踏まえて高校に入ってからはすぐ週5でバイトを始め、私服や下着、自転車、化粧品など欲しかったものを買いそろえていましたが、それも母は気に入らなかったようで(お前が好きなものなんて買うな、生意気に、と言われ…
【当時の話】 母は私が小学校一年の時から、ランドセルを開けては手紙やメモ、交換日記などを確認して内容について私に言ってきていました。これ、翌日の授業の準備の手伝いでランドセル開けたのかな?と思ったのですが、教科書とかはそのままいじってなかったんですよね。私入学当初は弄られキャラでよく泣いていたので、学校の先生から親に連絡がいっていたのかもしれません。それで学校での様子を知りたくてランドセルを...という事かな?それなら、学校どう?とか聞けばいいだけの話ですね。この頃の母は仕事で遅かったので、学校の話を聞いたり言ったりする習慣はありませんでした。 あと、徹底的に私の友達付き合いを否定してきていま…
【当時の話】 これ以前に、職場の年上の方(お子さんのいる女性)に母の話をして「お母さんだってつらいのよ~」「どこのお家も多少はあることだよ」と言われたことがありました。(包丁の一件も「あ、おおげさおおげさ!お母さん本気じゃない!」と言われました) その時私は「いくら包丁を突きつけられても母の行動は共感されるもので、私は母に反抗的な子供ってだけでつらい気持ちに共感はされないのか?」と思い、それ以降は母の話を他人にするのはやめました。 100歩譲って母もつらいということは理解するとして、自身がつらいときは子供を恫喝しても良いって?それはただのサンドバッグでは? 子供が泣けば「泣くな!」、楽しくはし…
【当時の話】 この頃は自分の気持ちとか主張を受け止めてもらえないと、秒速で絶望していました。絶望してすぐに諦めるのですが、親に自分の気持ちを受け止めてもらえなかった時よりも、夫や友人に受け止めてもらえなかった時の方がダメージが大きく、時としてそれが怒りに変わることも多かったです。夫にはよくぶちギレていたのですが、大分後に田房永子さんの本に出会って、「ああ、そういうことだったのか」と安堵しました。 最近は本当にキレなくなったんですよ!!当時は本当に余裕がなかったんです...些細な事で瞬間的にパーンとキレて、「ああ、母親そっくりだ...!」とめちゃくちゃ自己嫌悪に陥ってあっぷあっぷの最中にまた何か…
【当時の話】この出来事について思うのは「母はどうしたかったのか?」なんですが(十中八九八つ当たりだとは思うんですが)、母はただ怒りにまかせて後先何も考えず喋ってるだけで、「包丁は持ち出したけど、ただの冗談でしょ~」ぐらいの軽い感じかなと思ってます。子供からしたら冗談じゃ済まされないですけど! こういうのは大抵原因は別のところにあって、イライラしている時に子供がトリガーを引いてしまっただけだったりしますよね。(あとは年齢的に更年期だったかも) 実際母はこの行動を覚えておらず、私が詳細を話して「覚えてないの?」と言うと 「だからなんだ」 「何か腹がたってたんだろう、知らんけど」 「古い話なんていち…
【当時の話】 私が小学校の三年~四年あたりが、母は一番不安定だったような気がします(↑の頃です)。学校から帰ってくるとたばこを吸っていたり(母は喫煙者ではない)、電子レンジに箱ティッシュが入っていたり(暖めていたっぽい)、今回のように包丁を持ち出していきなりぶちギレてくることも度々ありました。こういう展開になる度に、私は母にどう対応すればいいか頭のなかでぐるぐる考えながら、言葉を発していました。恐らくこの頃から「母の機嫌を損ねないような発言」をするようになっていたと思います。それでもキレる時は避けられないのですが...。 大人になってから、どうやらこの頃は父と母がゴタゴタしていたという事を兄か…
【当時の話】 買い物に行ったときの状況は思い出せなかったのですが、ひき肉と何かを間違えたこと、それと怒りに満ちた顔で下唇を噛みしめながら、ひき肉のパックを床に叩きつけて何度も両足で踏みつけている母の姿ははっきり思い出しました。 兄はあんまりこういう時動揺しなかった気がします。今思えばそれはそれで良くない状態だったんじゃないかなあ、年も結構上だったので色々わかっていたのかもしれません。 ↓↓ポチッと応援よろしくお願いします! ↓↓こちらもポチッと応援よろしくお願いします! ランキング参加中毒親育ち ランキング参加中(実は)毒親持ち... ランキング参加中漫画ブログ
【当時の話】 何で家に竹刀があったのかわからないけど、当時の母は私が言うことを聞かないとよく竹刀を持ち出して脅してきました。これが怖くて...この耳元で風を切る音がなんとも言えず恐くて震え上がっていました。 まあ、母からしたら「仕事に遅れたくないから」って事だと思うんですけどね。でも他にやり方あったでしょうに。 後にこの件に関して母に「何で竹刀まで持ち出してきたの?」と聞いたことがあります。母の返答は「あの時代はあれが普通だった」というものでした。 ...え、えぇ~!!? ↓↓ポチッと応援よろしくお願いします!!
【当時の話】 「何で私はこの考えに至ったのだろう」とか「何でこの状況になったんだ?」とか考え出して、すっごい嫌なもの思い出しちゃってしばらく暗い気持ちになるのですが、それだけじゃいかん!ともっともっと嫌なものに向き合いまくって、色々処理できなくなって脳のメモリーがパンクして終わる、というのを四半世紀程くりかえしています。 この時も思い出してから長いこと落ち込みました。 最近はアウトプットを覚えたので、少しだけ処理が早くなりました(多分)。 ↓↓ポチッと応援よろしくお願いします!
【当時の話】 これまでに幼児と関わったことがほぼなく、こんな出来事も初めてでした。 嫉妬や不公平だという思いと同時に「子供は泣いてもやさしくするものではない」みたいな認知の歪みが無意識にあったのだと思います。 感情的にカッとなるというより、ヒヤリとした冷たい感情が涌き出た感じです。(分かりにくい) ↓↓ポチッと応援よろしくお願いします!
改めまして、松村いこいです。 このブログは自身の体験を元に描いております。お見苦しい点もあるかと思いますが、よかったら読んでください!ブログ初心者で右往左往しておりますので、更新は不定期です...!よろしくお願いいたします! ↓↓ポチっとしてもらえたら、励みになります!応援よろしくお願いします!
母方の祖母は家庭科の先生だった。 そしていわゆる毒親だったらしく、 夫婦喧嘩でカレーの入った鍋をぶちまけ、 それを子供に片付けさせるような人だったらしい。 全て母から聞いただけなので、どこまで本当なのかはわからない。 私の中での祖母は「怖い人」だった。 一度着せ替え人形で遊んでもらったことがあるが、 ものすごーく緊張していた記憶しかない。 今考えると、母から「おばあちゃんは怖い人」と聞かされていたかもしれない。 母はそんな祖母に馬鹿にされ否定されて育てられてきたと言っていた。 「あんたは下手。」「あんたにできるわけがない。」 と言われていたらしい。 だから母は裁縫が大の苦手、というよりやりたく…