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ご訪問頂きありがとうございます。 Geminiが故人の良い思い出を振り返ると心の整理が進むかもと勧めてくれたので、父の思い出を振り返ってみます。良い思い出だけではなく、良くない思い出も含めて。 幼い頃は父の膝に座るのが好きだったような記憶があります。そうして一緒にテレビを見ていたのかな? しかしいつの頃からか、食事の時間以外は父は部屋に閉じこもって持ち帰った仕事をするようになりました。そして多分小学校に上がった頃からだと思うのですが、母が私をいじめるようになりました。父は部屋に閉じこもっているから母はやりたい放題。私はいつしか母を好き放題やらせている父を、母の共犯者と見なすようになり、父に心を…
コスモスと言えば、父を思い出します。幼かった頃に住んでいた家の裏手には、小さな川が流れておりまして。秋になると、川沿いの細道の入り口から家の建つ少し先位まで、小さなコスモス街道が出現しました。コスモスの種をまいたのは父。じょうろを手にして、せっせと水やりをしていた姿を思い出します。ネガティブヴァンパイアとなってしまった父には、亡くなるまで散々振り回されてばかりだったんですが。今となっては、笑顔ばか...
父の月命日のメンチカツ 16日が父の月命日で、好きな揚げ物を作ってあげようと思っていたが、なかなか面倒で簡単にテイクアウトのSUSHIと刺身の盛り合わせにし…
いつも 訪問 & 応援ありがとうございます♡ ↓ ↓ ↓にほんブログ村↓ ↓ ↓ナチュラルガーデンランキング月下美人の 開花した お花の記録をど...
私の父は生前、よく料理をする人でした。 昭和15年生まれでは珍しかったんじゃないかと思います。 サラリーマンだったので働いていたころは休日に、 お盆やお…
6月16日(日曜日)。🌧☁。なぜか起床9時。今日は(少なくとも予報では)雨、雨、雨。朝から暖房が入っているし、きのうの最高気温は14度だったそうで、もしかしたら地球がひっくり返ってしまったんじゃいないかと思ってしまうくらいの低温。何でも長期予報によると、カナダ南西部の沿岸地方では40%から60%の確率で「平年以下」の夏になるらしい。やれやれ、この調子だったらエアコン設置を急ぐ必要はないじゃないの、もう。今日は父の日。ワタシの父がまだ生きていたら今年109歳。世を去ったのは77歳になる年で、札幌から東京の病院に転院して、そのまま帰らぬ人になった。その年ワタシは44歳で、(母の時と同様)何とか臨終に間に合って、葬儀は東京では珍しい大雪の日。東京生まれの東京育ちながら、戦争中に召集されて旭川の第7師団に将校とし...父親に肯定されて育った女の子は自分の手で幸せを掴める
父が働いて、母が家計管理をしてくれたお陰だから今の私があると働いてから気がついたら30代のOLです。奨学金もなく大学まで行かせてくれた父。小さい頃から働いて家…
トラウマセラピストの花丘ちぐさです!愛着障害のある人は、何が正しいのかわからなくて懊悩しますね。以前、そんなセッションが続いたことがあったので、何か意味がある…
今朝、目が覚めたときは身体のあちこちがイタクテ痛くて…ヘンテコな夢を見ている間布団の中でもがいてたみたい。(時々こういう目の覚め方します(^^;)どうやら知り合いの娘さんの結婚披露宴らしいんですが…古い知り合いのどの人の娘さんかも不明。場所もまるで学校み
”フーチャンプルの炒飯&猫のしーちゃん(*^。^*)”>>>し-ちゃんの大阪弁
し-ちゃんの大阪弁が可愛いと思う。 古臭いと思う。。。(m´・ω・`)m ゴメン… だけど、可愛いから毎度笑ってしまう。 私の父は神戸っ子だったはずだ…
子供の頃 夏休みには お昼寝すると 決められていた 我が家のお昼寝は 家族全員が畳の上に 川の字になって タオルケットをかけて ねる 夏だというのに 夕方以降は 何か羽織らないと寒いくらいの 天井のバカ高い(ハシゴをかけても届かない) 家だったけれど 昼間はそれなりに暑い 田舎の家には クーラーなど 当然のようになく あるのは扇風機が一台のみ それを いろんな部屋に移動させては使っていた けれど 寝ている時に扇風機をかけると 風邪をひくからと(は 母の持論) 扇風機はかけずに じとじと汗をかきながら 家族で畳の上に寝転んで タオルケットまで かけていた (足で蹴っ飛ばしていたけど) そんなだか…
今日は途中から雨が上がり良かった☀️ 今日はハローワーク後 母に頼まれた焼き鳥 駅で売ってた船橋屋のくず餅 お昼にはケンタッキーを持参して母のとこへ行って来た😀 父も、ケンタッキーが大好きだった❤️ お年寄りは揚げ物や辛い物は苦手なイメージあるけど、父は辛い物も大好きで、...
あれは小学4年の夏休みプール登校に、遠い子供たちは、自転車で行ってもいい許しがでる。炎天下のなか子どもの足で50分はかかる通学路を、自転車で行けることは天国だった。でも、私の自転車はというとお下がりのお下がりぼろぼろの、しかも緑色。ある日父がペンキで、赤色に塗ってくれるという。錆びたハンドルやベルは銀色に。新しい自転車を買ってもらえるみたいで嬉しかった。しかし仕上がったそれは、まるでカッコ悪いウルトラマンのような、女子の自転車とは程遠かった。「乗りたくない」一目見てそう思ったが、言えなかった。案の定「変な自転車!消防自動車みたい。消防自転車!笑消防自転車ーー!」その日から中学に上がるまでその自転車が嫌でならなかった。自分のなかだけの胸の奥がツンとなる記憶でしたがもうじゅうぶん経年劣化しました。今は、心から...父の思い出ー消防自転車ー
昨日の日曜日 久々に電車に乗って 名古屋へ行きました。 ホームから改札口への階段を見て「この階段 戦前から使われているんだ。」と、父の事を思い出しました。もちろん世の中には古い建物など、いっぱいあります。が、コロナが収まりを見せた日曜日、名
皆さんこんにちは、からあげです。 4月に入りましたね。晴れ続きで暖かいですが 家の中は寒く、暖房をつけたり消したりしています。 さて、先の記事のお料理の結果ですが、 無事にごった煮が完成いたしました。 盛り方が雑なのはご愛嬌。 ちなみにコリアンタウンのうどんのでんぷんしつでとろみが 出るかなぁなんて考えていたらどろどろでうどん同士がくっついて きしめんになってしまいました。コリアンタウンのきしめんの誕生です。 味は美味しかったのですが、以前鍋にこの麺を使用した時には ちゃんと下茹でをしたのでツルツルしこしこだったのですが、 今回は下茹でを無視したのでこのうような結果に、リベンジだ。 この日は誕…
3月といえば 桃の節句 お雛様 こんなわたくしも かつては 小さな女の子だったのですけれど 桃の節句を祝ってもらったことがありません お雛様は あるにはあるが ネズミに齧られていて どうにも痛々しいというか お気の毒である だから我慢しなさい というのが父の言い分(言い訳?)で 雑食ネズミの食欲のせいで この歳になるまで お雛様とは ほぼ無縁で暮らす事とあいなりました 今でこそ、お雛様に未練も何もありませんよと 嘯いておりますが 子供の頃はやはり お雛様に、そして桃の節句という甘い言葉に 憧れがありました そこで、まだまだ幼き頃 その時分はまだ 年をとってからできた娘に大甘だった父に ネズミに…
今週のお題「かける」 2023/02/03【2323:フサフサ】に掛けて、年齢と共に欠けていくもの… 「髪は長い友達」という昭和のCMを覚えている方はいるだろうか… あのCMのおかげで「髪」という漢字を覚えることができた。 あの頃、我が家のドレッサーには、育毛剤「カロヤン」が歯磨き粉同様、欠かせないものとなっていた。 父の髪事情 私が小学校高学年の頃であったと記憶している。 珍しく早く帰宅した父。 「おかえり~~」 いつものように母と食卓テーブルでおしゃべりをしていたところに 父がやって来て「おい、何か気づかないのか」と言う。 「なに?」・・・ 自分の頭を指さす父 視線を移した瞬間、お腹を抱え…
今週のお題「手づくり」 私がまだ幼かった頃 着ている服の多くは母の手作りで 遊んだおもちゃのいくつかも 父が手作りしてくれた そんな二人の娘ならば 手作りの申し子であるに違いない と思いきや この私 二次元はまだましとして 三次元では 悪い意味で予想を裏切る 摩訶不思議なものができてしまう さて、父が作る玩具だが 竹を切り出して作る 竹馬だとか竹トンボだとか (学校の友達に話しても、何それ? と言われてしまう) 一昔前の子供が遊んでいたようなものが多かった 確かに それらで遊んだ記憶はあるのだけれど 今 それらの玩具は 一つとして残っていない ただ 父が作った本棚が 私の手元にある ほぼ真四角…
最近、冬瓜(とうがん)をよくいただく。冬になると冬瓜よね〜。 ‼️ 違う・・・。 ヨメの父は冬瓜が大好きであった。豚肉やエビやイリコを入れて自分で炊いていた。その後ろ姿をよく思い出す。 半そでシャツにステテコはいてた・・・。 夏、・・・だった。 どーゆーこと❓ 早速ググる。 『冬瓜の名前の由来は、冬に収穫するという意味ではなく、貯蔵性が高く、夏に収穫したものが冬までもつという意味です。一般的な冬瓜の旬は6~9月頃までです。栄養成分で比較的多いのは、余分なナトリウム(塩分) を体外に排出して血圧を正常に保つ働きをするカリウム。腎臓での老廃物 の排泄を促す作用もあるので、むくみの解消にも役立ちます…
Uターン主婦のネロリです。いつもご訪問いただき、ありがとうございます。今日の東京もいいお天気でしたが、わたしは旅行の片付けや、大物洗濯で外出することなく一日終わりました。たった1泊の旅行だったのに、久しぶりだったせいか疲れてしまい、ダラダラしていました。旅慣れている方は、そんなことないのでしょうか。そんな中、花屋さんから素敵なアレンジメントが届きました。福岡にいる末妹からです。今日は亡き父の誕生日...
今年もポポーの収穫の時期が来ました。 日持ちがしないので、市場にはあまり出回らないそうです。食べられたことありますか? 見かけはアケビやマンゴー、 味はバナナ…
昨年の4月26日に父が91歳で亡くなりました。高齢で体力が衰弱し、肺炎を患ったものと思われます。以下に、棺に納めた亡き父への手紙の一部を紹介します。 お父さんの還暦の祝いに南柏の「しちりん」で一杯やりましたね。魚介類をしちりんで焼いてビールを飲んだのを覚えています。何を話したかはすっかり忘れてしまいましたが、お父さんのうれしそうな顔がおぼろげながら浮かんできます。 学生時代には、お父さんの勤務先がある有楽町で、ランチバイキングをご馳走してくれましたね。中華だったかな。ごちそうさまでした。 芝浦にいた頃は、よく怒られて押し入れに閉じ込められました。台風が来たら飛ばされそうなトタン屋根の家で暑さ寒さに耐え、10年以上もよく我慢しましたね。風呂場では、ネズミがチョロチョロしていました。大きな台風で屋根が飛ばされた時、水道局の守衛さんが泊まる部屋に避難して、お母さんと一緒に不安な夜を過ごしましたね。私は怖いもの知らずで、ろうそくの灯りと大人たちのいつもとは違う様子にワクワクドキドキしたものでした。 松戸に越してからは、親しかった友達と別れ、環境になじめず、体調不良と精神的な不安定で小学校に行け
20代で余命宣告された後に逆転!病気のお陰で好きを仕事にできた父
今日は父の日なので、父のことを書いてみます。 父は、重い病気のため、20代で余命宣告されました。 しかし、余命1年、と言われた後に始めた趣味が、名医や仕事を呼び寄せ、逆転ともいえる人生を送りました。 人生って、何が起こるか本当に分かりませんね。 このレベルの話は、ちまたに溢れているでしょう。 だけど、ネットの片隅に、父のことを書き残しておきたいな、と思ったんです。 私には子供がおらず、私が死んだら、父の物語を覚えてる人が、誰もいなくなってしまうから。 駐在員になるほど英語ができたのは、病気のお陰 誕生と同時に余命宣告。「いつ死ぬか分からない」人生 余命宣告されても前向きなのは「メメント・モリ」…
「お父さんはどうでもいい。お母さんが肝心。」と、 父はツレの父親との握手は早々に、母親の手を何度も握りしめ、「頼みます。頼みますよ。」と頭を下げていた。 35年前か・・・。 父は長男で、母は、父の両親、弟、妹が暮らす中に飛び込んだ。同居の大変さを父は十二分に知っていたのだろう。それで自分の娘には苦労をさせたくはないと・・・。何度も頭を下げていた。 ふと、思い出したんだ。 娘が結婚するからか。 コロナ禍のため、お相手のご両親に直にお会いするのは結婚式のとき。 時代だな。 結婚が「家に入る」というような束縛されるものではなく、もっと個人を尊重した軽やかなものへと変わっているなと思うのである。いい時…
こんばんは、Uターン主婦のネロリです。本日もご訪問いただき、ありがとうございます。ここ数日、ジミ夫に始まり、妹たちや母のことをボコボコに書いてしまいました。よほど、わたしの中にドロドロと鬱屈した思いが溜まっていたのでしょう。自分のことを棚に上げて、随分なヤツだなと反省しています。実家の家族に関しては、色んな思いがあり、また書いてしまいそうな気はするのですが、その都度、自分を省みることは忘れないよう...