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東辻󠄀賢治郎さんをピアノへに向かわせた坂本龍一とサティの名曲

©GettyImages

 ある時期からピアノへの憧れを抱くようになった。おそらく、その当時に習っていた原則的には旋律楽器である弦楽器では弾きようのない和音が弾けるからだった。と同時に、指先から離れたところで弦を叩く鍵盤の機構に、ある種の爽快さを覚えるからだった。どうも自分は身体の間近なところで、心臓に近い場所で振動する楽器は苦手だった(これは自分の歌声も同じだ)。私にとって、横目で眺めるピアノはテクノロジカルな楽器であり音楽のための器械だったのだ。

 弾こうとしたのは坂本龍一の「Dear Liz」とサティのジムノペディ第1番だった。この2曲には坂本のアルバム『メディア・バーン・ライヴ』で同時に触れた(と思う)。商店街の2階の、狭い店にぎっしりと新譜や中古盤を詰め込んだCD屋で買ったこのCDを延々と聴き、坂本のピアノ譜と高橋アキ校訂のサティの楽譜を手に入れて、たどたどしい独習のようなことをしていた。とりあえずはこの2曲が最後まで弾ければ当時の私は——たぶん現在の私も——満足していただろうと思う。

 和声やコードへの意識のはじまりをたどると、おそらく音楽的な記憶のはじまりのころにある1本のカセットテープに行き着く。我が家にはビートルズの60年代の代表曲を収録した白いテープがあって、小学生ごろ(?)の私は兄といっしょにそれを飽きることなく繰り返し聴いていた。もちろんいくつかの単語を除けば歌詞などはわからずに聴いているのだが、そのうちに、1曲の終わりから次の曲へのつながりを耳が覚えるようになっていた。つまりある曲の終わりの音から、しばしの無音の時間があって、その後に訪れる次の曲の頭の音のかたまりへの移行が頭に刻まれていた。

 たしか15歳のころに赤盤・青盤がCD化され、それも含めていろいろ聴くうちに音のつながりの記憶はかなり曖昧にはなったが、今でもかろうじてそのテープ全曲の順番を再現することはできる。いささかこじつけ気味にいえば、あのとき無音の曲間で次の音を聴こうとそばだてていた耳に届くもの、それがまだよくは知らないコードに近い何かだった気がする(その後、武満徹がビートルズの和声をほめているという話を聞くか読むかしたときに、そういうものかと思った記憶がある)。

 やや脱線するが、おそらく80年代を謳歌するには少し遅れて生を受けた地方都市の子である私は、音楽を意識的に聴くようになった時期には何人かの音楽家を、同時代からは多かれ少なかれ遡りながら「発見」していた。それはたとえば先のビートルズであったり、あるいは坂本龍一の周辺の人びとであったり、あるいはデヴィッド・ボウイであったりした。だいたい兄か自分が何かのきっかけで見つけてきた人びとだった。少なくとも18歳で上京するまでは、そうした数名の音楽家から伸びる音と人(と、場合によっては言葉)の脈をたどることに没頭している時間が長かった。いってみれば孤独に音楽を聴いていたことが幸福だったのか不幸だったのかはわからないが、少なくともそこで出会っていたのが他ならぬ彼らだったこと、つまり過去と未来に幾重もの根や葉を伸ばした音楽家たちだったことはとても幸運だったと思う。

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