「オカルト板」に入り浸っていた学生時代
――『ネット怪談の民俗学』はネット発祥の怖い話=ネット怪談の全体像を、1990年代から2020年代までの歴史をたどりながら記した一冊です。こういう本を待っていました。
読者の皆さんでも「くねくね」や「きさらぎ駅」などの有名なネット怪談は知っていても、全体を把握している方は少ないでしょうね。ネット怪談の研究自体はこれまでも数多くなされているのですが、2ちゃんねるのオカルト板から現代のTikTokまで、ネット怪談の四半世紀にわたる歴史を俯瞰的に記した本はまだなかったので、書く意義があるんじゃないかなと思いました。
――民俗学というと山村に住んでいる人に聞き取り調査をする、というイメージが強いですが、ネット空間との相性は?
そもそも民俗学というのは、後世に名前が残らないような人々の日常生活を研究する学問です。口伝えでその土地に伝わっているものを調査するためにフィールドワークに行っていたんですね。妖怪とか怪異も多くは公的な記録に残らないので、民俗学の研究対象となります。とするならば、ネット怪談はまさに民俗学が取り上げるべき対象になるんです。有名な作家ではない、どこかの誰かが投稿した怪談が、同じく匿名の人々によって拡散されていく。しかも文学作品のように「定本」が存在せず、いくつものサイトに転載されるうちに、内容が少しずつ書き換えられていくというあたりも、民俗学的だなと思います。
――なるほど。そもそも廣田さんがネット怪談に興味を持たれた経緯は?
日本でインターネットが広まったのはWindows95が発売された1995年の11月と言われていますが、僕はその翌年からネットを使い始めて神話伝説、妖怪などのサイトを覗いていました。中学生の頃ですね。その後大学に入ったあたりで匿名掲示板の2ちゃんねるが話題になり、僕も「オカルト板」という掲示板に入り浸っていました。怪談を投稿する側ではなく懐疑派だったんですけど、ある意味ではネット怪談の盛り上がりに一役買っていたのかもしれません。「くねくね」や「ニンゲン」のスレッドには、当時の僕の書き込みが残っているはずです(笑)。
――まさにネット怪談直撃世代なわけですね。
そうですね。大学では文化人類学を専攻していたのですが、民俗学と同じで基本的にはフィールドワークが求められるんです。しかし僕は人と話すのがあまり得意ではなくて、もともと妖怪や怪異が好きだったこともあり、当時進行中だった「コトリバコ」というネット怪談を卒論で取り上げることにしました。その後大学院に進んで、やっぱりちゃんとフィールドワークをしなきゃ駄目かなということで、トルコで調査などをやっていたんですが、30歳前後の頃に方向転換しまして、伝統的な妖怪の研究をするようになり、5、6年前から原点回帰じゃないですけど、またネット怪談を集中的に研究するようになったという流れです。
「因習の村」から「異世界系」へ変化
――旧来の怪談にはない、ネット怪談ならではの特色というと?
いくつかあげられると思います。まず拡散する速度ですよね。ネットに上げられた情報は、原理的には一瞬で世界中に広がることになります。実際は日本語圏がほとんどだと思うんですが、いずれにせよ村落共同体の中で妖怪が語り継がれていたという時代とは大きな違いがあります。それから画像や動画、音声などさまざまな形式にまたがって広がっていくこと。画像が先にあって、後から怪談がつけ加えられていくというケースもままあります。3つめは実況型怪談の存在。「きさらぎ駅」が典型的ですが、体験者がリアルタイムで怪異を報告するという怪談は、ネットの普及によって初めて存在が可能になったものです。掲示板を見ていれば、投稿者にレスを送ることもできるし、その結果、話の流れが変化することもある。そうなると語り手の輪郭が曖昧になるわけで、ますます民俗学の対象っぽくなってきます。
――ネット怪談といえば旧家に伝わる呪いの小箱が登場する「コトリバコ」のように、田舎の因習を扱ったものが多いというイメージがありますが。
「コトリバコ」などが登場した2000年代は、確かにそういう話が多かったですね。これには色々理由があるのですが、利用者の多くが都市住民であると見なされていた当時の2ちゃんねるにおいて、ネットはヤバい田舎の暗部を覗くことができる特殊な空間だ、という共通認識があったような気がするんです。それで田舎の怖さを誇張したようなネット怪談が数多く生まれた。ただそれも一時期の流行ではあるんですね。さらにネットが普及して、日本全国の人がアクセスするようになると、田舎を描いた怪談のリアリティが薄れていった。2020年代の今日では、因習村はもはやネタでしかありませんよね。2000年代まではネットユーザーが田舎に「他者性」を感じ、真剣に怖がることのできた時代だったのかなと思います。
――因習系に続いて流行ったのは、異世界を扱ったネット怪談。電車で見知らぬ世界に迷いこんでしまう「きさらぎ駅」がその代表です。
因習系から異世界系へ、という大きな流れがあると本にも書きましたが、これは個人的な願望でもあるんです。しばしば指摘されるように、因習系怪談には田舎に対する差別や偏見が絡みついているので、それを無批判に楽しむのは、現在の状況ではちょっと厳しいだろうという気がするんですね。異世界系のネット怪談は、オルタナティブな世界の存在を提示する、ある意味SF的な発想の怪談ですから、そちらが流行る方が今の社会にとってもいいのではないかと。
――しかしネット上の情報はどんどん流れていきすし、消えるものもありますよね。学術的な調査は大変では。
大変は大変ですが、ひたすらパソコンの前に座っていればいいので苦ではありません。検索にあたっては2000年代の自分の記憶にかなり助けられています。こういうサイトが確かあったよね、リンク集はこのへんだよね、という土地勘みたいなものが残っているので。しかしすべてがネット上に保存されているわけではないので、調査が及ばない場合もあります。ネット怪談にはパソコン通信起源のものもあるようなのですが、そこまでは辿ることができませんでしたね。
――インターネットの過去を知る、いわゆる「インターネット老人会」が、今後は村の古老のような役割を果たすという指摘には笑ってしまいました。
ネット上のアーカイブはこの先増える一方でしょうが、そのため目当ての情報に到達するのが難しくなっていきます。そういう時に頼りになるのは、リアルタイムでその話題に接していた人たちの知見だと思うんです。この本では自分の記憶を頼りに調査しましたが、機会があればもっと上の世代のネットユーザーにもインタビューして、どういうものが話題になっていたかを調査してみるのも面白いかなと思います。
TikTok、VR……新たな怪談が生まれる場に
――ネット怪談は2000年代が最盛期で、その後ブームは落ち着いていったとされるのが一般的ですが、廣田さんのお考えは異なるようですね。
そうですね。僕はむしろ2010年代から現在にかけてが、ネット怪談の最盛期だと考えています。たとえば「コトリバコ」が投稿されたのは2000年代ですが、当時よりも今の方がはるかに多くの人が「コトリバコ」の存在を認識していますし、関連したコンテンツも激増している。本の中ではこれをネット怪談の「昔話化」と表現したんですが、昔話の桃太郎や浦島太郎のように、誰でもなんとなくストーリーだけは知っている、という状況になっているんですね。民俗学的にはどれだけ広く語られているかが重要になりますし、「きさらぎ駅」などのネット怪談が相次いで映画化されている現在こそ、ネット怪談の最盛期と呼んでいいんじゃないでしょうか。
――本の後半ではネット怪談の新たな潮流として、不穏さとノスタルジーを感じさせる多くの画像・動画を取り上げています。黄色い部屋を写した「バックルーム」などです。因習系から異世界系、そして不穏系へと進化してきたネット怪談は、今後どうなっていくとお考えですか。
どうなるか分からないというのが正直なところですが、AIを使った怪談は確実に増えていくだろうと思います。またVRチャットとかメタバースの世界でも、すでに怪談が生まれているらしいので、この本の印税でヘッドセットを購入して(笑)、リサーチしたいと思っています。それと中国からの留学生に聞くと、今向こうでは「きさらぎ駅」が大人気らしいんです。今後ますます海外と日本とのコンテンツの壁がなくなって、日本のネット怪談も海外に広まっていくんじゃないでしょうか。
――『ネット怪談の民俗学』刊行を契機に、ネット怪談の研究もますます盛んになりそうですね。
そうなると嬉しいですよね。先日この本に関するオンライン研究会を開催した際にも、ネット怪談で卒論を書いているという学生が何人も参加してくれて、頼もしく感じました。ネット怪談の世界は広大で、ゲーム実況やVtuberなど僕もあまり詳しくない分野があるので、そのあたりを若い世代には補完してもらえたらと思います。個々のネット怪談に関する分析も、これからさらに深められていくでしょうね。僕自身はネット怪談はこれで一区切りにして、また伝統的な妖怪の研究に戻るつもりでいます。次に予定しているのは、狐と狸に関する本なんですよ。
――基本的にはおばけ好きなんですね。
それはもちろんです。生まれた時からおばけ好きですよ(笑)。このインタビューに登場される方は、みんなそう答えるんじゃないですか。全世界の妖怪を集めた事典を作るのが、人生の野望というか夢ですね。