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「治安維持法」施行100年を前にして治安維持法の悪法性を考える――平凡社新書『検証 治安維持法』(荻野富士夫著)

記事:平凡社

1925年のメーデーで「治安維持法撤廃」の幟を掲げて行進する学生たち
1925年のメーデーで「治安維持法撤廃」の幟を掲げて行進する学生たち

2024年12月13日刊、平凡社新書『検証 治安維持法――なぜ「法の暴力」が蔓延したのか』(荻野富士夫著)
2024年12月13日刊、平凡社新書『検証 治安維持法――なぜ「法の暴力」が蔓延したのか』(荻野富士夫著)

「新しい戦前」の出現

 2018年に刊行した拙著『よみがえる戦時体制――治安体制の歴史と現在』の帯には「あたらしい戦前 「戦争ができる警察国家」の誕生」とあった。これは編集者が付けてくれたものだが、私自身も「今、新たな戦時体制がよみがえりつつあります」と記していた。「新しい戦前」という言葉は2022年末のタモリ氏による発言に触発されて注目されるようになったが、それは多くの人々が漠然と感じ、もやもやしていたものを的確に表現してくれたからであろう。

 前掲拙著で「第二次・第三次安倍政権は「戦後レジームからの脱却」を掲げて、特定秘密保護法の制定から安保関連法の制定へ、そして共謀罪法へと、新たな戦時体制の構築に向けて一挙に加速しました」と記したが、これらは2013年から17年にかけてなされた。安倍政権に代わった菅義偉政権の下でおこった20年の日本学術会議委員の任命拒否問題もその発端は前政権時代にあったが、天皇機関説事件から河合栄治郎事件・津田左右吉事件へとつづく戦前の国家による学問・思想への介入と統制を連想させるのに十分だった。

 第一次安倍政権がまず着手した2006年の教育基本法「改正」をも視野に入れると、「戦後レジームからの脱却」の内実には社会の隅々におよぶ監視と統制を進行させ、異端とみなす存在をあぶり出そうとする巧妙な仕組みの構築があった。こうして文字通りの「新しい戦前」が出現した。

「悪法もまた法なり」

 悪法論について法理学的にみた場合、「悪法は法にあらず」とする自然法論と「悪法もまた法なり」とする法実証主義が対立するという。田中成明『法理学講義』(1994年)によれば、19世紀を境に「実定法に対する高次の法として、実定法の妥当根拠ならびにその正・不正の識別規準を提供する自然法が存在する」という考え方はすたれ、次第に「自然法の法的資格を否認し、実定法だけが法であるとする実定法一元論が支配的」となった。すなわち、「悪法は法にあらず」から「悪法もまた法なり」への大きな転換があった。

 現在に至るまで、政府の立場はこの「悪法もまた法なり」で一貫している。2005年7月の共謀罪法案の国会審議(法務委員会)における南野知恵子法相の「治安維持法は、戦前の特殊な社会情勢の中で、国の体制を変革することを目的として結社を組織することなどを取り締まるために、これを処罰の対象としていたもの」という発言は、この「悪法もまた法なり」という立場を前提としている。

 それをさらに一歩進めたのが、安倍政権下の17年6月の衆議院法務委員会における金田勝年法相の「治安維持法は、当時適法に制定されたものでありますので、同法違反の罪に係ります勾留・拘禁は適法でありまして、また、同法違反の罪に係る刑の執行も、適法に構成された裁判所によって言い渡された有罪判決に基づいて適法に行われたものであって、違法があったとは認められません」という発言である。謝罪や実態調査の必要も否定する。合法性を強調し、悪法であったという認識さえ拒否しているといってよい。

 それでも社会的に共有されている治安維持法を悪法とする評価を無視することができないため、特別秘密保護法や共謀罪法の審議においてそれらが「現代の治安維持法」とされることを極力否定した。しかし、「現代の治安維持法」出現というアピールは多くの人に届き、政府が予想した以上の反対運動を昂揚させた結果、ともに強行採決という手段をとることを余儀なくされた。

治安維持法の「いわれいんねんの、いちぶしじゅう」の解明をめざして

 数年前、あらためて治安維持法と向き合おうとしたときに出合ったのが、能勢克男の「国家と道徳」(『人民の法律 現代史のながれの中で』1948年)である。京都の人民戦線の一角をなす週刊『土曜日』刊行に深くかかわった弁護士の能勢は、38年6月に治安維持法違反で検挙され、懲役2年・執行猶予2年を科された経験をもつ。戦後、弁護士に復活した際、「悪法もまた法である」として治安維持法を合理化しようとする気配を敏感に感じとり、「私たちはぜったいに、ていさいのいいことに、だまされるわけにいかない……そういう法律が、どうして、どんなにして、つくられたか。どんなに法律としての力をふるって、人民を苦しめたか。――そのいわれいんねんの、いちぶしじゅうを、みなもとにさかのぼって、私たち人民が知りぬき、考えぬいていないということは、危険きわまることだ」と記した。

 廃止された特高警察に代わって警備公安警察が整備拡充され、思想検事に代わり公安検事・労働検事が配置されて、復活したばかりの社会運動や民衆運動を再び封じ込めようとする事態に、能勢は「そういうことは、何度でも、まきかえし、くりかえし、おこって来る」と強い警鐘を鳴らした。これを能勢が書いたときには「もう一度、そういうことが何かにまぎれて、おこって来」つつあったのである。戦後民主化への反動の波のなかで、49年4月のポツダム政令である団体等規正令と50年10月の占領目的阻害行為処罰令を経て、講和条約発効後には破壊活動防止法が52年7月に成立していく。

 能勢が警鐘を鳴らしたこの前後の時期、治安維持法の「いわれいんねんの、いちぶしじゅう」を明らかにする絶好の機会だったが、それは果されないままとなった。「新しい戦前」に直面する今日、遅ればせではあるが、その「いわれいんねんの、いちぶしじゅう」を知りぬくことは100年を経ていよいよ重要性を増している。

 治安維持法研究の古典といってよい奥平康弘による『治安維持法小史』の刊行からまもなく半世紀となる。奥平は「なによりも悪法だという評価を確実に成立させるためには、治安維持法とはなんであったのかという、事実の認識にかんする作業を、大いにおこなう必要がある」としてその実践を試みたわけだが、「本格的な、少なくとも「小」という限定を取り外した仕事」への発展を晩年まで期していた。

 本書は能勢や奥平の思いを引き継ぎ、治安維持法が「どうして、どんなにして、つくられたか。どんなに法律としての力をふるって、人民を苦しめたか」についてできるだけ具体的に明らかにすることをめざしている。

 治安維持法の悪法性を考えることは、私にとっては「悪法は法にあらず」という観点を貫くことにほかならない。

(構成=平凡社新書編集部)

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