ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-12-23(Mon)

 今朝は「ふるさと公園」へと歩いた。このところ外に出ると寒さが身に沁みるようになったので、この日はもうちょっと暖かいセーターを着た。
 この日はウチの前にスズメたちの姿は見かけなかった。空は雲ひとつない青空で、きれいに半分になった月が浮かんでいた。この天気なら、今日も「地球影」が見られるんじゃないだろうか。

     

 「ふるさと公園」に着いて公園の中を歩いていると、芝生の真ん中の大きな鉄塔にユリカモメがとまっているのを見た。
 とうとうやって来ましたね。手賀沼の東の方ではもっと早い時期から飛来して来ているようだけれども、この「ふるさと公園」でわたしが見るのは毎年12月になってからだ。先日も1羽だけ公園の池の上を飛んでいるのを見たけれど、この日は5羽のユリカモメが来ていた。

     

 芝生の上でカメラを取り出すと、またたくさんのハトたちが「この人、食べものをくれるんだ!」と勘違いして、わたしのまわりに集まってきたのだが、その中にユリカモメも2羽ぐらい紛れ込んでいた。ユリカモメも食い意地の張った鳥なので、「ハトについて行けば食べものにありつけるのかも?」と思ってハトと行動を共にするのだろう。
 わたしとの距離も1メートルもなかったので、どアップで写真を撮ってあげようとカメラを向けたのだけれども、シャッターを押そうとしたときに近くで何か大きな音がしたもので、ハトもユリカモメも飛び立って逃げて行ってしまった。撮った写真には、飛び立つユリカモメの尾っぽだけが写っていた。

     

 歩いているといっしゅん、葦原の向こうの手賀沼コブハクチョウが泳いで行く姿が見えたけれども、すぐにまた葦原の陰に隠れて見えなくなってしまった。
 手前の池には、オオバンばかりが泳いでいた。正面から見るとこうやって、クチバシとおでこが真っ白なのである。

     

 オオバンが泳いでいた先に一羽のコサギがいて、どうやら水中のエサを漁っているようだった。見ていると、歩んでいくのとは別にときどき足を動かして自分の足元の泥をかきまぜ、それで泥のなかの魚だとか小動物が飛び出してくるのを捕まえて食べているようだった。捕食している姿を見るのは珍しい。

     

 「ふるさと公園」を出て、この日はニェネントくんが健康診断を受けた動物病院に立ち寄って、その血液検査の結果を先生に聞いてきた。電話で聞いた通り「すべて問題なし」という話だったが、その検査結果の報告書をもらって帰った。
 ウチにはわたしが受けた血液検査の結果報告書もあるので、人間とネコとの検査とは違うところもあるのかと見比べてみたけれども、検査項目は人間とネコとはまるで同じで、ただその「基準値」だけが、人間とネコとで異なるところがあるみたいだ。
 帰りに駅前のスーパーへ寄り、「牡蠣のしぐれ煮」という何だか美味しそうな缶詰が100円で売られていたので、試しに2個買ってみた。

 世の中いろいろと物騒になってきていて、昨日も千葉県で2件の強盗事件が連続して起きたのだけれども、そのうちの1件はけっこうウチの近くというか、「ふるさと公園」から南東に3キロぐらいのところだった。その前には殺人・放火事件も起きている。さらにその前にはすぐ近くで火事もあったし、けっこうこのあたりも気をつけないといけなくなったか。

 この日も『国家はなぜ衰退するのか』を読み継いだが、「大航海時代」以後、ヨーロッパの国々がいかにアフリカ、東南アジアを蹂躙し、その地の歴史を大きく変化させてしまったかというのを読んで、「人間はそこまで非道なことが行えるのか」と暗鬱な気分になってしまった。
 アフリカの奴隷貿易がどれだけアフリカに打撃を与えたのかは、ある程度は知っているつもりだったけれども、ヨーロッパが「奴隷貿易」を取りやめたあと、アフリカ各地の指導者は「奴隷狩り」以外に自分たちの産業も持たず、以後も自分たちで「奴隷狩り」を継続するしかなかった。アフリカで近代産業が根付かなかった大きな理由なのだ。
 東南アジアでは特に「オランダ東インド会社」の行った残虐行為がひどい。インドネシアの小さな島々がナツメグなど香辛料の産地だったのだが、彼らはその香辛料の栽培も自分たちの手で行おうと、その島々の何千人もの住民をほぼ皆殺しにし、香辛料を独占したのだった。読んでいて気分が悪くなる。
 

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