今日はおだやかな天気だったようだけれども、わたしは部屋にこもって「引きこもり」の生活だった。ただこの日は新年初めての「燃えないゴミ」の収集日だったので、朝早くに収集場所にゴミを出しに行ったが。
わたしはこの収集日は二週間に一回の「空きビンや空き缶」も出せるのだと思っていて、いっしょにビンや缶も持って部屋を出たのだったけれども、この日はそういうものは収集してくれない日だったようで、そんな空きビン、空き缶用の袋も出されてなかったのだった。先週はゴミ収集がなかったので、そのまま一週間、収集日がズレたようだ。
そういうわけでほとんど外出しなかったので、昨日、動物病院の近くの祠で出会ったネコたちの話を書くことにする。
祠に近づくと、祠の前の草むらにネコの姿があって、「やあ、久しぶりだねえ」と思いながら、わたしはそのネコに近づいて行った。
この日いたネコは、「サビーネ」くんだった。ちょうど一ヶ月ぶりの出会い。とても元気そうだったが、わたしがなでてあげようとしたらわたしを避けるのだった。わたしのことを警戒している。
そのうちに、祠の外からもう一匹のネコがやってきた。このコは「ビビ」ちゃんである。
「ビビ」に出会ったのは三ヶ月ぶりになる。「ビビ」はけっこう人馴れしていて、わたしのすぐそばまで寄って来るし、ちょびっと頭もなでさせてもらえた。「サビーネ」も「ビビ」も、美猫である。
ネコたちとお別れしての帰り、先日「すべり台」が撤去されたのを見た児童公園のそばのゴミ収集所で、ハシブトガラスがゴミを荒らして「食べられるモノ」を漁っている「犯行現場」を目撃した。
ハシブトガラスは最近はウチの前のゴミ収集所にもときどき現れて、ゴミを散らかして行ったりする。まあどうしても「野鳥の悪玉」と見られてしまう鳥だ。デカいし、クロいしね。
カラスにはもう一種、ハシボソガラスというのがいるのだけれども、この二種は共生はせず、しっかり「棲み分け」をしている。今、町なかでゴミを漁るのはハシブトガラスの方で、ハシボソガラスはもっと川沿いの土地とか農耕地の近くにいる。ウチのあたりでも、「ふるさと公園」の近くにはハシボソガラスの姿がけっこう見られる。わたしはハシボソガラスは外見もスマートだし、悪さをしないから、ちょっと好きである。ま、ハシブトもハシボソもどちらも頭のいい鳥ではある。
先日、「カラスを食べてみた」という記事をネットで読んだけれども、ハシボソガラスの肉は焼いてみてけっこう美味だが、ハシブトガラスの方は相当に味が落ちるらしい。どっちにせよ、その姿を思い浮かべるとあまり食指は伸びないけれども。
今日は午後から、スタンリー・キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』を観た。むか~し観たっきりでほとんど内容も記憶していなかったけれども、いろいろな先入観が邪魔をしてまた観ることを阻んできていた。
この日観てみると、けっこう記憶していた場面もいろいろあったけれども、この映画の本質は「人の神経をも支配するディストピア社会をめぐるSF」だったのだな。そういうことはまったく記憶も想像もしていなかったので、「そうだったのか」という気もちで観た。
海のお隣の大韓民国もなんだかトンデモないSF映画みたいになって来ているけれども、この日は尹錫悦大統領に対する拘束令状を執行することに失敗したと報じられた。どういうことなのかというと、「大統領警護庁(PPS)」のメンバーが「人間の壁」をつくり、尹大統領の逮捕を阻止しているというのだ。
これはおかしな話で、尹大統領はすでに大統領権限を剥奪されているわけで、今は崔相穆(チェ・サンモク)氏が大統領の権限を代行している。だったら「PPS」は尹氏の傭兵のような行動をやめ、大統領権限代行の崔氏に従うべきだろう。それをやらない「PPS」は、もはや「国家反逆罪」に問われるべきではないのか。ここには「法治国家」とは言えない野蛮行為がまかり通っているのか(これは大韓民国が「親・中国」「親・北朝鮮」になればいいということではなく、単に国としての「法の支配」の問題なのだ)。
日本で「ヤフーニュース」の大韓民国関連のニュースを見ると、そのコメント欄は皆がこぞって尹大統領を支持している。さすがに「ヤフコメ」と呼ばれるだけのことはある。
そんなヤフコメ諸氏が尹大統領拘束に反対する理由が面白い。「自分たちで選んだ大統領を自分たちで辞めさせるなんておかしいじゃないか」と、いくつものヤフコメで語られている。反論するのもバカバカしい、意見以前の問題である。こ~んな「いろは」の「い」の字もわからないで書き込みをする、それが「ヤフコメ諸氏」なのだ。