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三元論を基軸とした論理学探求の旅路へ

論考:ズルファルハン・オスマン・ズルカルナインの殺人 

※偶然、この事件を取り上げた海外のショート動画を目にし、社会正義の在り方に関連する重要な出来事であると感じたので、その経緯や結末、それに対する分析と評価を簡潔に記しておこうと思う。事件の関連事項についてはCNA(シンガポール国営メディア)及び中華系ニュースサイトを参考にしている。なお、事件内容についてはいじめに関する陰鬱で凄惨な要素が強いため、注意が必要。

 

<Murder of Zulfarhan Osman Zulkarnain(ズルファルハン・オスマン・ズルカルナインの殺人>

 

①概要

2017年6月1日、マレーシア国防大学(UPNM)の海軍士官候補生であったズルファルハン・オスマン・ズルカルナイン(1996年11月29日生まれ、2017年6月1日死亡)は、大学の宿舎で同級生たちに激しく拷問され、アイロンで火傷を負わされて死に至った。この事件は、盗まれたノートパソコンを巡るもので、最終的に彼はセルダン病院で死亡した。逮捕されたのは18人の学生全員男性で、そのうち6人は殺人および傷害で起訴され、残りの12人は傷害で起訴された。

 

②いじめ殺人と逮捕

2017年6月1日、ズルファルハン・オスマン・ズルカルナイン(当時20歳)は、火傷などの暴行のために入院中にセルダン病院で死亡しまた。彼はマレーシア国防大学の3年生で海軍士官候補生であった。家族の4人兄妹の長男である。事件の詳細が警察に伝えられた際、その死は殺人として分類され、警察は彼の学校およびユニバーシティ・テナガ・ナショナル(UNITEN)の学生36人を取り調べた。国防大臣ダト・スリ・ヒシャムディン・トゥン・フセインはズルファルハンの死を受け、マレーシア軍と大学に対して調査を行うよう指示をした。解剖が終了した後、ズルファルハンはジョホールバルのケブン・テ・ムスリム墓地に埋葬された。

 

初期の調査により、ズルファルハンは学校で激しいいじめを受けており、2017年5月21日から22日の間に、大学の寮で数名の学生によって2日間にわたって拷問されていたことが明らかになった。今回の事件の発端となったのは、加害者たちの一人の持っていたノートパソコンが紛失した出来事であった。学生たちはその犯人がズルファルハンであると決めつけたのだ。ズルファルハンは盗んだことを否定したが、彼の同級生たちがその否定を信じず、拷問を続けた。最終的にズルファルハンはアイロンで火傷を負わされ(後に90箇所以上の重度の火傷痕が確認されている)、治療の甲斐なく絶命した。

 

これに関与したの20〜30人の学生であり、そのうち19人が実際にズルファルハンの虐待から殺害に至った容疑者に認定された。2017年6月14日、19人の逮捕された学生のうち6人が殺人で起訴された。

 

殺人で起訴された学生のうち、ムハンマド・アクマル・ズハイリ・アズマル、ムハンマド・アザムディン・マッド・ソフィ、ムハンマド・ナジブ・モハド・ラジ、ムハンマド・アフィフ・ナジムディン・アザハット、モハマド・ショビリン・サブリの5人は刑法第302条に基づいてズルファルハンを直接殺害したとして起訴され、死刑が義務付けられた。6人目のアブドル・ハキーム・モハド・アリは刑法第109条に基づき、殺人の幇助で起訴された。さらに13人の学生は刑法第330条に基づき、ズルファルハンに傷害を与えて自白を強要したとして起訴された。(※マレーシアの司法制度は世界でも群を抜くほど厳格に運営されている。)

 

③裁判の始まり

裁判では、彼が受けた激しい拷問の詳細が焦点となった。弁護側は6人の主要な被告は関与を認めたものの、殺意はなかったと否定した。あmた、彼らの中には衝動的に行動したと主張する者や、他の人々に影響されて行動したとする者もいた。弁護側は、あくまでも暴行行動が殺人には相当しないと反論した。

 

④世論と政府

- 国民の怒り:ズルファルハンの殺人事件は、その残虐性と、軍事大学の学生たちが関与していたことから、全国的な義憤を引き起こした。この事件は、マレーシアの学校や大学におけるいじめの問題に光を当て、いじめを防ぐための強化された措置を求める声が上がった。

 

- 政府と教育機関の反応:マレーシア政府と市民団体は、いじめを防ぐための法律強化や、いじめ問題に対するより良い対策を求めた。事件が発生したUPNM(マレーシア国防大学)は、学内でのいじめ問題を取り扱うための改革を求められた。

 

- 家族の悲しみと正義の追求:ズルファルハンの家族は、息子の死による深い悲しみを表明し、その人間とは思えない残虐な暴力行為に対して相応の正義が果たされるよう強く求めた。世論の大半はこの正義の訴えを支援した。

 

⑤高等裁判所の結果は「過失致死罪」

2021年11月、クアラルンプール高等裁判所は、6人の主要な被告に過失致死罪で有罪を言い渡し、各々に18年の懲役刑を科した。この高等裁判所において6人の罪状が殺人罪(刑法第302条)ではなく過失致死罪(刑法第304条(a))になったのは、マレーシアの判例に基づく判断である。

 

マレーシアでは殺人罪で有罪判決を出すためには「殺害につながった最も重大な傷害」を特定しなければならず、そこに「死に至らしめる意図があったこと」を確実に証明しなければならない。しかし、今回の場合は殺害の責任が複数人に分散されており、ズルファルハンが負った90箇所以上の火傷のどれが命を奪ったのか特定することができなかった。

 

過失致死罪と殺人罪の意味は大きく異なる。この事件が過失致死罪であるとすれば、分別のある年齢の複数人の人間が、無抵抗の者の身体に90回以上も200度近い鉄の板を押し当てながら、「まさか相手が死ぬとは思わなかった」と考えていたことになる。そのようなことが有り得るだろうか。当然、世論はこの判決に激怒した。

 

裁判結果を不服とした原告が控訴を行い、再審理を求めた。これにより、裁判は控訴裁判所に進んだ。

 

⑥控訴裁判所が高等裁判所の判決を覆した

控訴裁判所で事件が動いた。控訴裁判所は高等裁判所の決定が誤りであるとし、刑法第300条(c)は、検察が被告人が身体に傷害を与える意図を持っていたことを証明すればよく、検察が被告人に死亡を引き起こすような傷害を与える意図があったことを証明する必要はないと指摘した。控訴裁判所は、6人のうち5人に殺人罪を適用し、有罪であるとした。マレーシアにおける殺人罪の適用はそのまま死刑判決を意味する。

 

控訴裁判所は法医学専門家の見解に基づき、特定の傷害ではなく、「重度の火傷」がズルファルハンの命を奪ったと判定した。また、控訴裁判所は、殺人罪が適用された被告5名側の「アイロンを集中的に押し当てた回数が合計で8回、1回1秒ずつであった」とする証言を虚偽であると判定した。残る1名については過失致死ではなく「殺人の幇助」で起訴された。これは刑法第109条と第302条を併用したものであった。そして、控訴裁判所はこの人物も実質的には殺人罪に問われるべきだと明言した。

 

こうして2024年7月、控訴裁判所は過失致死罪の有罪判決を覆し、6人を殺人罪で有罪とし、死刑を宣告した。裁判所は、行為が極端に残虐であり、ズルファルハンの死亡に至るほどの傷害を与える意図があったと認定したのである。(マレーシアでは2018年以降、死刑廃止論が強まっているが、その時流を控訴裁判所が敢えて突き抜けたということになる。)

 

⑦世論:賛同と批判

この死刑宣告は、マレーシア司法がいじめ犯罪を許さないという強いメッセージを発したことになる。ただ、死刑宣告についてはいくつかの批判的意見も示された。

 

まず、MADPET(反死刑団体)が、ズルファルハン事件の犯人6人に対する死刑判決を批判した。この団体は死刑に反対する立場を表明し、被告の権利が尊重されるべきだと主張した。また、正義は慈悲と同情によって和らげられるべきであり、6人には殺人罪で30年から40年の懲役刑が与えられるべきだと述べ、死刑は過剰であり、他の共犯者12人に下された4年の刑罰との格差が大きすぎると主張した。

 

続けて、スハカム(マレーシア人権委員会)はズルファルハンの家族に深い哀悼の意を表明しつつ、死刑に反対する立場を改めて示した。この団体は、死刑が更生の余地を奪う取り返しのつかない刑罰であると述べ、より人道的で公正な結末を求めた。人権団体アムネスティ・インターナショナルも同様に控訴裁判所の決定を批判し、犯罪の根本原因に取り組むことが厳罰よりも優先されるべきだと訴えた。

 

一方、ズルファルハンの母親は2024年1月に、息子の死をいまだに忘れられず、彼を殺害した犯人たちが彼が亡くなる前に受けた苦しみと同じ苦しみを味わうことを願っていると述べていたので、この判決には安堵をした。世論の大半もこれを支持して、この判決を公正で妥当なものであると評価した。

 

マレー・メールに寄稿したある評論家は、死刑が法の支配の下で合法的に執行されたと述べ、インド最高裁判所が40年以上前に確立した「最も稀なケース」の原則を引き合いに出した。この原則は、極めて残虐で計画的な殺人事件にのみ死刑が適用されるべきであると定めている。この評論家は、控訴裁判所の判決も「最も稀なケース」に該当するとした。

 

マレーシア犯罪予防財団(MCPF)も控訴裁判所の死刑判決を支持し、ズルファルハンの冷酷な殺害に対する適切で公正な判決だと述べた。また、スハカムの死刑反対意見を批判し、マレーシアの裁判官には死刑または30~40年の懲役刑を選択する権利があると強調した。さらに、ズルファルハン事件で見られた拷問行為を厳しく非難し、教育を受けた人々による拷問は許されるべきではないと示した。

 

PAS学者会議も死刑を支持し、重大犯罪に対して依然として有効であると述た。同会議を代表するアフマド・ヤハヤ博士は、死刑が社会を浄化し、重大犯罪を抑止するための手段であると説明した。人権弁護士ディネシュ・ムサル氏は、個人的には死刑に反対しているものの、裁判所の決定には理解を示し、いじめや拷問を繰り返す者への警告として妥当だと述べた。

 

<三元論に基づく分析>

  1. 規範(生存欲求の制御)

- 観点: 規範は社会の秩序を維持し、生命の尊厳を守るために必要である。殺人やいじめを防ぐための法的枠組みは、社会全体の生存欲求を調和させる役割を果たす。

- 評価: ズルファルハンの死は、規範の欠如が招いた必然的な結果だと言える。いじめと暴力が常態化し、軍事大学という特定の環境で規範が機能していなかったことが事件の背景にある。死刑判決は、規範を再強化し、暴力行為を抑止する効果を期待されるものだ。ただし、過剰な罰則が新たな問題を引き起こすリスクも考慮するべきである。

 

  1. 良識(知的欲求の制御)

- 観点: 良識は事実や倫理を冷静に判断し、行動の是非を分別する力を示している。この事件では、被告らが拷問行為の残虐性や結果を認識していたかどうかが重要な争点となる。

- 評価: 被告たちの行動は、良識の欠如を如実に示している。拷問による重大な傷害が死に至る可能性を理解しつつ行動を続けた点で、死刑判決が適用されたことは一定の妥当性を持つと考えられる。ただし、教育を通じて良識を育む機会が十分でなかった社会的背景も無視できない。死刑は良識の欠如への最終的な対処策として、強いメッセージ性を持つ一方、更生の余地を排除してしまう。

 

  1. 美徳(関係欲求の制御)

- 観点: 美徳は人間関係や社会の調和を保つために必要な要素である。この事件では、いじめという関係欲求の暴走が主因となり、被害者の命を奪った。

- 評価: 美徳の欠如が生んだこの悲劇に対し、被告に死刑を科すことは社会の調和を取り戻すための厳格な手段だ。しかし、関係欲求を暴走させた背景には、加害者らが置かれていた競争的かつ閉鎖的な環境が影響している可能性もある。この点を改善せずして死刑を科すだけでは、根本的な解決には至らない。

 

<死刑反対論者の見解>

この学生たちによるいじめを通じた殺人事件は、明らかに規範・良識・美徳の全要素の適正範囲を著しく逸脱している。よって私個人としては、今回の事件で死刑判決を含めた厳罰が適用されることは、社会の規範・良識・美徳の適正を維持・改善ために例外的に妥当な措置であったと考える。この判決は僅かなりとも被害者の尊厳を回復させることができたし、多くの市民がこの世に社会正義が存在することを感じられただろう。「公平な社会=規範・良識・美徳が適度に保たれた社会」を実現する上で、極端に凶悪な犯罪には相当の重い罰を課すべきである。

 

この私の考えは多数の世論と合致しているが、死刑判決に反対の意を唱える論者の声も多数あった。当然ながら、彼らの意見にも十分に耳を傾ける必要がある。

 

①規範的な理由

「誤判のリスク」

- 死刑は取り返しのつかない刑罰であり、誤判が存在する可能性を排除できないことが最大の問題である。この事件では加害者の行為が残虐であることは明白だが、集団で行われた行為において責任がどの程度個々に帰属するかについては議論の余地がある。

- 裁判制度における人為的ミスや偏見による不公正が命を奪う決定を導くリスクは常にある。

 

「法の公平性の欠如」

- 他の関与者たち(12人)に比較的軽い刑罰が課されている中で、死刑判決が突出していることは法の公平性を欠くと考える。同じ事件で異なる刑罰が課されることが、司法制度の一貫性に疑問を抱かせると指摘する。

 

②良識的な理由

「更生の可能性」

- どのような罪を犯した人間でも、教育や反省の機会を与えることで更生し、社会に貢献できる可能性があると主張する。死刑はその可能性を完全に否定するものだと考える。

- 特に若年層である被告人たちは、衝動や環境に影響されて行動した可能性が高く、更生の余地があると見られる。

 

「犯罪抑止効果の疑問」

- 死刑が犯罪抑止に効果があるかどうかには議論がある。一部の研究では、死刑が他の厳罰と比べて特段の抑止力を持たないことが示されている。この事件においても、死刑判決がいじめや暴力の抑止につながる保証はないという立場である。

 

「社会環境の責任」

- この事件の背景には、競争的かつ閉鎖的な軍事大学の環境や、いじめが容認される文化的な要因があると指摘する。加害者個人だけを罰するのではなく、社会全体の責任として問題の根本原因に取り組むべきだと主張する。

 

③美徳的な理由

「非復讐主義」

- 死刑は復讐に過ぎず、正義ではないとする考え方である。被害者が残虐な方法で命を奪われたとしても、加害者を殺すことは同じ過ちを繰り返す行為だと捉える。

 

- 正義は復讐ではなく、加害者の更生や被害者遺族への支援、社会の改善を通じて達成されるべきと主張する。

 

「生命の不可侵性」

- どのような犯罪であれ、国家や司法が人間の生命を奪う権利はないという立場である。命の価値は犯罪の重さや社会的な要請に関わらず平等であると考える。

 

「非人道的な刑罰」

- 死刑は残虐で非人道的な刑罰であり、基本的人権に反すると主張する。どのような状況であれ、国家が人命を奪う行為は非倫理的だとされる。

 

「被害者遺族への配慮」

- 死刑が遺族に心理的な安らぎを与えるかどうかは議論が分かれる。一部の遺族は、加害者の処刑がさらなる苦しみや憎しみを引き起こすだけで、真の癒しにはならないと考えることがある。

- 遺族支援やカウンセリングを通じて、死刑以外の方法で正義を達成するべきだと訴える意見もある。

 

④総括

死刑反対論者は、死刑が倫理的(美徳的)に間違っているだけでなく、社会的(良識的)にも非生産的であり、法的(規範的)にも不具合(冤罪)を誘発するリスクがあるため、問題の根本解決にはならないと主張する。この事件においても、彼らは加害者への厳罰が必要である一方、教育や社会環境の改善を通じて、いじめや暴力の再発防止に重点を置くべきだという立場を貫いている。

 

作品紹介

 

著作紹介("佑中字"名義作品)
呑気好亭 華南夢録

呑気好亭 華南夢録

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