頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

鬼滅の刃 柱稽古編 最終話『柱・結集』 感想・考察

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

いよいよ最終話となりました、『鬼滅の刃 柱稽古編』です。

 

 

👇これまでの鬼滅の刃についてのものたち👇

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永遠

鬼舞辻無惨さんが産屋敷邸を訪問し、当主であり鬼殺隊の長である産屋敷輝哉さんと対峙します。

 

ここでは互いの願いを話し合うわけですが【永遠】を願う鬼舞辻無惨さんへ、産屋敷輝哉さんが【永遠】という言葉の意味を説きます。

 

【永遠】の本当の意味は『願い』である。

 

 

産屋敷輝哉さんの意見に対し、鬼舞辻無惨さんは「わたしには何の天罰も下っていない。何百何千という人間を殺しても、わたしは許されている。この千年、神も仏も見たことがない」と主張をします。

 

しかし、産屋敷輝哉さんは返します。

「この千年間、鬼殺隊はなくならなかった。けしてなくならなかった」

 

《鬼殺隊が千年続いている》ということは『鬼殺隊士たちが許していない』ということです。

その強い想いが千年も続いていて、その想いがあったからこそ鬼舞辻無惨さんが生きている。

つまり「神や仏が赦したから生きている」のではなく「神や仏が赦していないから生きている」ということなのです。

 

この入れ子構造というか、本当の理由みたいなところは素晴らしいですね。

 

内実を知った鬼舞辻無惨さんとしては腹立たしくて仕方ないのではないでしょうか。

 

鬼舞辻無惨さんからしたら「思い上がんなよ。」と言われたのと同義でしょうからね。

しかも『〈見下していた存在〉が居たから自分は生きている』という真理を突きつけられたのですから。

そもそも鬼は人間を喰らうわけですが、その『人間』がいないと生きてもいけないわけですしね(この『食べるものに生かされている』というのは人間含め全ての生物がそうです。なので、日々感謝をして決して見下したりせず生きないといけませんね)。

 

 

また産屋敷輝哉さんは「わたしを殺したところで、痛くもかゆくもない。わたし自身は、それほど重要ではないんだ」と話します。

ここも良いです。

「それほど」と言っていて、組織の原動力となっているのは『人の願い』であるということが示されます。

 

そして産屋敷輝哉さんが「君は、君たちは、君が死ねば全ての鬼が滅ぶんだろう?」と鬼舞辻無惨さんの図星をつきます。

 

頭がいなくなったら崩壊するようなものは【永遠】ではない。

これまた真理でありますし、組織を動かすものは『人の願い』であることの証明になります。

 

現実世界で、虐待をしていた親がいなくなれば虐待行為はなくなるでしょう。

それは〈虐待行為は『人の願うこと』ではない〉からだと思われます。

しかし、実際のところそんなに単純なものでもないとは思いますけれどね。

でも、決して『虐待されることが世界への存在理由』だなんてことはないんですよ。

 

 

ところで、産屋敷家一族は病弱であるがゆえに短命、齢三十程度までしか生きることができないとのことです。

産屋敷邸を訪問した鬼舞辻無惨さんですが、「二十代半ばから後半」の容姿をしています。

 

鬼舞辻無惨さんは自身の容姿を自由に変えることができますが、劇中で妙齢になったり老人になったりしていません。

これって、潜在的に死を徹底的に恐怖している、そして元々は産屋敷一族の分派である自身により『産屋敷家一族は短命』という要素が無意識にあり、若い姿に執着しているのではないか?と感じました。

 

 

孤独

産屋敷輝哉さんは鬼舞辻無惨さんに対して「ありがとう」と言います。

この時に感じたのですが、もしかしたら鬼舞辻無惨さんは『ありがとう』と言われたことがない、あるいは少ないのではないでしょうか。

 

鬼舞辻無惨さんの出自では不満の多い性格だったように描かれていました。

これは憶測ですが、周りからもあまり好かれてはいなかったのではないか、と感じます。

 

 

また産屋敷邸を訪問した際、鬼舞辻無惨さんは『奇妙な感覺』として《安堵》を感じます。

これは唯一の「血縁」である産屋敷輝哉さんと対峙したからこそ感じた感情ではないのか、と考えます。

 

 

それらから考えると、鬼舞辻無惨さんは永い間、強い孤独を感じていたのではないか。と感じました。

むしろ激しい孤独を感じていたからこそ、鬼という同類を増やしていったのではないか、と思います。

《無限城》というお城を作ってまで配下をすぐそばに抱えているのは、抱えている強い孤独を薄めるため。

 

しかし、これはわたしの感覺ですが『想い』や『願い』でできた繋がりでない限り、寂しさは癒えないと思います。

現実世界で言えば、お金で繋がっている状況と近いでしょう。

お金があるから、食事代を出してくれるから交流を持っていただけで、その人のお金がなくなってしまえば、交流していた人は去っていきます。

 

鬼舞辻無惨さんは暴力で支配していたわけで、そんな支配関係で相手から『想い』や『願い』が生まれるわけがありません(「あなたのためを思って」などの理由での暴力は詭弁でしかないので履き違えないでくださいね)。

 

 

鬼舞辻無惨さんは怒りますが、それもまぁさもありなんという感じですね。

何故ならば『自分の生き方を否定されたから』です。

 

鬼舞辻無惨さんは多くの配下を産んだわけですが、本当に慕っている人はいないでしょう。

ということは、鬼舞辻無惨さんは実際のところ独りで生きてきたわけです。

 

案外多くいるように感じるのですが、『自分は一人で生きてきた』と思っている方は、その人生が辛いものだったとしても生きてこれた分、その生き方に少なからず自負を持っているように思います。

しかし、その『自負を持っている生き方』を否定されると、それはつまり《その人のこれまでの人生》を否定していることにもなりかねません。

 

またこれもわたしの所感ですが、『自分は一人で生きてきた』という感覺が強い人ほど否定されたと思ってしまう確率が高くなると感じています(自分自身にそのきらいがあるので知った感覺)。

鬼舞辻無惨さんは千年も独りで生きていたので、産屋敷輝哉さんと鬼殺隊の理念に拒否反応を示してしまうのは仕方ないのかなぁ、と思います。

 

 

願い

爆発した産屋敷邸。

 

わたしはこの時「え、なんで?」と思ったのですが、どうやら産屋敷輝哉さん自身の罠だったようです。

 

 

ところで産屋敷邸に各柱が向かっている際、水柱の富岡義勇さんの余裕のない声が聴けますが、新鮮でした。

いつも基本的に冷静で淡々としている性格でしたからね。

しかし、炭治郎くんのセラピーがあったからこそ、富岡義勇さんが感情を出せるようになったのかも、とも思います。

 

 

罠に嵌められた鬼舞辻無惨さんは産屋敷輝哉さんに対して『腹黒』と形容しますが、誰が何を言っているんだ、と思います。

がしかし、言わば『自決をしたが隊士には「鬼舞辻無惨が手を下した」と思わせることができる』ので、そういった策士な部分を取れば、『腹黒』とは言わないまでもやり手だとは感じます。

とはいえ、武士の世界でも責任をとって切腹するという考え方があるので、別に定石であるとも取れますね。

 

 

珠世さん自ら鬼舞辻無惨さんに一矢報い、〈鬼を人間に戻す藥〉を吸収させます。

鬼の鬼舞辻無惨さんからすれば部下からの謀反以外の何物でもないわけですが、謀反を『逆恨み』と形容します。

 

鬼舞辻無惨さんは「お前の家族を殺したのはわたしではなく、お前自身であろう。その後も何人も人狩りを愉しんでいた」と珠世さんを責めますが、珠世さんが鬼になった理由は『我が子が大人になるまで見届けたい』という《願い》が理由でした。

 

 

しかも、鬼舞辻無惨さんが鬼に勧誘する際の語口は、どうやら「まだ死にたくないか?」的なことだったようです。

「死にたくないなら鬼にならないか?鬼になればこれこれこうで…」と説明するのではなく、良い側面だけ説明したのではないかと感じますが、このやり方って詐欺師の手法ですよね。

ますます鬼舞辻無惨さんが嫌いになりますね。卑怯者です。

 

 

「病で死にたくないと言ったのは、子どもが大人になるのを見届けたかったからだ!」と涙ながらに発言する珠世さんですが、これまでのお話で初めて鬼の表情になります。

これはさすがにわたしの深読みだと思いますが、子煩悩の由来となった(と以前聞いた)鬼子母神と重ねての演出なのだとしたら、ちょっと感服するしただごとじゃないですよ。

 

珠世さんが鬼になった時代のことは描かれておりませんが、少なくとも現代日本のような飽食で緩んだ時代ではなかったため『子どもが大人になるまで見届けたい』という願いは相当に切実なものだったのでしょう。

 

その想い・願いを利用して踏みにじった鬼舞辻無惨さん。

許せませんね。はよくたばれ。

 

 

無限城

『願い』によって動きを封じられた鬼舞辻無惨さん。

その場に全ての柱と炭治郎くんが集います。

 

渾身の想いを込め、一斉に斬りかかった隊士ですが、鬼舞辻無惨さんが不敵な笑みを浮かべると琵琶の音色が響き、隊士の足元に障子が出現します。

 

こうやって無限城編へつながっていくんですね〜。

 

悲鳴嶼行冥さんが鬼舞辻無惨さんの頸を討った時、「え?頸なくなったけど?無限城は?」と思っていたのですが、そうなるのですね。

 

 

しかし、鳴女さんの障子がいろんな場所に生じているのは理屈がわかりませんね。今後のお話で説明がなされるのでしょうか。

 

 

無限城入りした各隊士が、楼閣内を移動します。

しかし無限城は映画で映えそうですね〜。

実際に無限城編は劇場版三部作だそうです。

 

隊士が突然の無限城入りに戸惑っていますが、伊之助さんや善逸さんなどの主要人物はすぐさま状況を飲み込んでいますね。

この臨機応変に対応できる力こそが階級を上がることができる隊士の特徴ということでしょうか。

 

ところで栗花落カナヲさんが他の隊士へ「しっかり捕まって!」と声をかけている場面はいいですね〜。

初登場時は自分の氣持ちを外に出さなかったのに…。。と、その成長に対して勝手に感慨に沁みております。

 

 

 

 

悲鳴嶼行冥さんが「お館様は常に相手が一番欲しがっている言葉をかけてくださる」と考えておりました。

その場面を見て、わたしは「あぁ、それでいいのか」と思いました。

 

よくよく「相手はこんな言葉が欲しいのかしら」なんて思ったりすることはありますが、「とは言えそれって自分にとっては嘘だしなぁ」と感じていたんですね。

しかし、たとえそれが嘘でも相手が前を向いて生きれるのならば、別に良いのかと思った次第です。

それこそ『あなたには生きていてほしい』という《願い》が生んだ言葉なら、問題ない、というよりも、願ったことが本心なのであれば、その表現、表面的なものは嘘や真は関係ないというような。

 

 

 

夢幻

そ、し、て、エンディングですが、ちょっと素晴らしすぎませんか?

 

 

わたしは『鬼滅の刃』は原作を読んでおらず、これから先の内容も原画展にて仕入れた知識しか知らないため、物語の仔細は存じません。

よって、オープニングの曲もなんとなくで聴いていました。

「わーHYDEさんだー。VAMPSをやってたからかしら?」程度です。

 

しかし、この『鬼滅の刃 柱稽古編』の最終話でオープニング曲の『夢幻』が流れた時、心底驚きました(この驚きは『魔法少女まどか☆マギカ』のそれに匹敵します)。

 

もう思わず歌詞を検索してしまいました。

産屋敷輝哉さんが鬼舞辻無惨さんに対して歌った曲だったんですね。

 

 

曲の題名は『夢幻』ですが、同じ音で『無限』があります。

【無限】は【永遠】と近い言葉ですが、『夢幻』と題したのは「鬼舞辻無惨さんの考えていることは実体のない夢まぼろしだ」という考えからですよね。

 

同じ音だけど、意味が真逆となる。

これは本当に日本語の妙であり、素晴らしく、美しいところです。

 

西洋の言葉も音が似た言葉はありますが、「LとR」や「SとCとTH」などの文字・子音自体が違うので、日本語のように子音も文字も一緒なのに意味がまったく違うというのはかなり特殊な言語(素晴らしい文化)だと本当に思います。

 

そしてこの『夢幻』には英語が一切使われていない部分も、作品にあっていて良いと感じます。

 

 

個人的に歌詞で好きなところは「夢幻を他人に託した弱き人」と「この身に宿る万物で終いよ」です。

特に後者は先の闘いで命を落とした煉獄杏寿郎さんの考えを引用しているので特に好きです。

 

また「嵐に種を撒いていく」の部分も『失意の最中にある "子どもたち" に、生きていくための種』を撒くということだと考えられますし、種は芽吹いて花となり、花はやがて身をつけて種になります。

 

『お花』という愛の循環こそが無限であり永遠である、ということです。は〜〜〜素晴らしい。

 


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傑作

再三言っておりますが、やっぱり『鬼滅の刃』は一線を画した傑作ですね。

悲しいことにきっと「過去の作品」にはなってしまうのでしょうが、この作品に込められた想い・願いは不滅であろうと思いますし、わたし自身この先を生きるとしたらば折に触れて思い出す作品だと思います。

 

この類の願いは、それこそお花のように必要な時に必要な人へかければ良いものですからね。

そうすればいずれは詠み人知らずとなって恒久的な作品になるでしょう。

 

 

 

はぁ、五千文字超えてしまった。

やっぱり愛を語るのは文字が必要になります。

 

この『鬼滅の刃 柱稽古編』の感想・考察をお読みいただいているかたがいらっしゃったなら、誠に有難うございました。

 

 

無限城編の感想・考察にまたお会いできるようであれば、お会いしましょう。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

 

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