50才からどこまでいける?

32年ぶりに走る50才が.楽しく本気でどこまでいけるかの挑戦記です。10月で52才になりました。ぜひ、応援してください!

父さん、皆んな元気です

ふじひろです。


朝起きると、
雪で真っ白に染まっていると思っていましたが、大丈夫でした。

すごく冷え込んでいて凍てついていますが。


今日と明日はお休みです。


朝から色々と用事を済ませて、ロングジョグへ出発。

雪予報なのに奇跡の晴れ。

しかし寒い…(;ω;)


いつもの海岸線へ。


思ってはいたけど、やっぱり風が凄く強い。

前に進まない。
ホント坂道を登っているみたいです。

坂の練習で、風に強くなるのもうなずけます。


向かい風、追い風、
交互にやってきて、足の力がどんどん削りとられる感じ。
エネルギーの消耗が激しい。

そんでもって寒い。

ニット帽の中を風がスースー通り抜けて頭が寒い冷たい。

マスクを被ってニット帽にすればよかった…


おおーー

自衛隊の船が帰ってきた!

ち、近い‼️

で、デカい‼️

写真だとあんまりその迫力が伝わらないな…



強い風のおかげか、
あまり汗をかかなかったので、シャツが汗で濡れて汗冷えせずに済んだのはよかった。


30キロ
Shokzで音楽を聴いていたので気が紛れましたが、

私にとってはまだまだ辛い…(T . T)


「サクッと30キロ、走ってきました‼️」

なんて生意気なことを言える日が来るといいなぁ〜




なんの変哲もない道。

右の柵内は自衛隊 舞鶴教育隊。

この辺り、家まであと3キロくらいの所です。

杏里の〝悲しみがとまらない〟が流れてきました。

高校の頃の記憶がよみがえりました。

そういえば
この辺りで親父が応援してくれたよな…


〝読売新聞杯 舞鶴市民駅伝〟

という名称だった?と記憶しています。


高校1年生のとき、

私の高校 陸上部は2チームエントリーして、私は〝Aチームのアンカー〟に抜擢されました。

A 、Aチーム?
もの凄く嬉しかったのを今でも覚えています。


写真の道は、
40年前、アンカーの私が走ったコースです。

このあたりで、
隣りを走るトラックから

「がんばれーー がんばれーー‼️」

と声が。

オヤジが、トロトロとトラックを走らせながら大声で私を応援してくれた。


は、恥ずかしーー
やめてくれーー


ソレがすぐに思ったことだった。


トラックは走り去ったが、


写真の正面、空きスペース
分かります??


正面のそこそこ。


そこにトラックを止めて、またもや大声で

「がんばれーー がんばれーー‼️」

と応援された。


今思えば、

あんなに大声でオヤジに応援されたのは、後にも先にもこの時だけだよな。

もの凄く嬉しかった。

でもね、

16歳の小僧には、嬉しいどころか恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。


このあと、
オヤジの応援があったからなのか、先頭を抜かして優勝しました🏆


そんなことを思い出しながら走っていて…


「父さん、あれから40年経ったのに、またこの道を走っているよオレ。」

「父さん、母さんもまりちゃんも孫たちも皆んな元気にしているよ。」



オヤジを思い出しながら走る30キロでした。










『明日、雪が積もっていなかったら閾値走の予定です。』

2025年北海道マラソンに向けて

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