1975年「別冊少女コミック」9月号~11月号
もしかしたら萩尾作品で最も有名なタイトルなのではないでしょうか。
自分の記憶的に。
少女マンガSFという惹句になるのだろうが私的にはSFというよりはたまたま未来が舞台のミステリーという感覚で読みたい気がする。
ネタバレします。
様々な要素が絡まりながら構成される。
私がもっとも惹かれたのはタダが幼い頃この船「白号」に乗っていた記憶が脳内にかすめた時と戻った場面だ。
ガンガを危険な状態にしてしまい手術した後に話し合いガンガから一つのキーワードが発せられる。
「数がかぎられる」
ガンガはまったく別の話をしていたのにタダの記憶はその言葉に危険信号を感じるのだ。
そして船内にはびこる電動ヅタの資料を調べた時にその記憶は完全に蘇った。
「この船に・・・いたんだよ」
自分がこの船に乗っておりその時にパンデミックが起こったのだがワクチンの「数がかぎられる」ことから5歳以下のこどもだけにしかワクチンを与えることができなかった。
その伝染病「デル赤ハン病」は空気感染・・・これは近年そして今も消滅してはいないコロナ感染を思わせる。
本作のような閉じられた船内でのことではなく全世界での出来事であったがそれでも最初対処ができず恐怖に陥ったことはまだ誰しも覚えているだろう。
あの恐怖が大学試験の中で起きたら、という作品になってしまったと今では言える。
ここでの対処法はなんとガンガだった。ガンガはデル赤ハン病に感染するが幼い時に受けていたクロレラによって症状は軽く治りかけていた。
彼の身体からワクチンが取れることになったのだ。(どういうわけかわからんが)
わけはわからないがこの話に一番痺れてしまった。
第二はどうしてもフロルだろう。
というか性問題というべきか。
歴史がどうなっていくかはわからないが本作での一番の謎は11人いる問題より以上に「なぜ大学の試験を受けているのが男性ばかりなのか」ということではないか。
この答えはフロルの「この試験に合格すれば男になれる」という希望をより明確にするためだけからきている、はずである。
当時現実に大学にも女性は普通に合格し通っていたわけで「女性が大学に行くなんて」という発想自体おかしいのだがさらに未来(?)にもかかわらず萩尾氏がなぜこの設定にしたのかはフロルが「男になりたい」問題を際立たせたいだけだったのではなかろうか。
事実『続・11人いる!』からは当たり前のように女子がいっぱい登場しており、いったいなんだったんだあの「女性が最終テストに?」「いやしかし優秀なら女性でも」発言は???となってしまう。
むしろ『続』では女子が多いのである。
読者が皆『続』まで読んでくれればいいが本作のみだと「萩尾氏はかなりの男尊女卑思想だ」と思われるに違いない、と懸念される。
今でなら男女半々の中でフロルの男女具有を論じてもいいとなるはずでこの点だけは「誤ったかなあ」と思わされる。
第三は「なぜ11人か?」にしないといけないがこの中ではそれが大問題になるのは冒頭だけで後に王様が怒り爆発させるのも「11人目は誰か」より「ワクチンない問題と暑さ」のせいだ。
11人目がわかった時もさほどの衝撃はないだろう。
ただ「常に異端の十一人目が存在するようなものだ」というのはかっこいい。
むろんこの意味での試験なのだ。充分な納得である。
第四は次第に暑くなっていく問題。
船の軌道がずれて太陽に近づいてしまうからなのだが高くなる温度が皆の苛立ちを加速させていく。
しかし三十三度で王様が爆発しているが現在の夏の気温は三十三度は当たり前だ。この頃はもっと涼しかったのだろうか。
そしてキャラクター問題。
これまでの萩尾作品でも「可愛くてみんなを翻弄するヒロイン」が鉄板であるためのフロル。
そしてタダトスレーンの造形はやはり横山光輝のバビル2世からきていると私は思う。ヘアスタイルからしても。
萩尾氏は対談で手塚先生から『11人いる!』を評価されていたが手塚先生は自分のSF作品からではなく横山先生のバビル2世からタダが作られていると感じ取っていたのではないかと案じられる。
やはり超能力と言えばバビル2世だからねえ。
手塚先生は「ガンガが好き」と言われていたがそれは私も賛成。
萩尾氏の魅力はガンガが描けるところなのだ。