2024年 09月 06日
☆20年・墓参・自分との対話☆
いつ来ても心洗われる思いの場所
と、いつも書いている気がする。
鳥居への階段のふもとにあるホオノキ。
この田んぼはちいさな田だけれど、皇室にも献上しているお米。
秋になりましたね。と稲穂が揃っています。
鳥居をくぐって、墓所迄の道。
あらら、みんなで、会話しているかのようなキノコたち。
↓
だいじょうぶ。踏まずに気をつけて歩きます。
キノコ、ここ、多いのです。
↓
これもキノコ
(ベニナギナタタケ?)
↓
この、駅の風景。
遠いところに旅に来たような気持ち。
たまたま、誰もこの辺にいなくて。
↓
お供えの花は父の好きだったリンドウと、吾亦紅があったので
薄紅色がかったカーネーションと共に。
墓石の文字と、父以前の墓碑の文字は父の書で
なんだか落ち着きます。
昔、ここにお墓を建てた際、父は、
調べて調べて、お骨がなくとも、文書で記録を入れて納めたりしました。
戦争のあった時代で、色々なことがあったのです。
血のつながりはなくとも、家族としてすごしたかたや、
昔、ここにお墓を建てた際、父は、
調べて調べて、お骨がなくとも、文書で記録を入れて納めたりしました。
戦争のあった時代で、色々なことがあったのです。
血のつながりはなくとも、家族としてすごしたかたや、
一度もあった事のない兄弟まで。
ここには、そんな気持ちと、心、があります。
9月2日は父の二十年祭の日でした。
(神道で20年目)
(神道で20年目)
父の帰幽の際に、私も連れてって、とつぶやいた母は
そこから20年、頑張っていてくれたわけでした。
神職様へお願いしての形はとれなかったけれど、
早朝からの仕事を終えてからお参りに。
父との対話、母との対話、とも言えるけれど、
自分との対話、ですね。
ネットで、ああ…ナイヤガラ(ブドウ)が出て来ているかな
と見ていたら、この日の帰りに立ち寄った荻窪の八百屋さんに入荷していました。
大好きな、これだけが好き、というくらい大好きなブドウですが
もう、傷まないように気にしながら、母に送らなくていいんだな、
と、ちょっと、つまらない気持ちになりました。
3つだけ買い求めてきて楽しんでいます。
いつも、これが最後になるかもしれないと、思っているの。と
何か美味しいものをいただくたび
私と会うたび、
言い聞かせるようにつぶやいていた母ですが
ほんとうに、いつか、その、この時が最後、というのは来るわけで、
昨年、信用できるサイトから送って、
とてもいい状態で、味もよいと、とても喜んでくれた
北海道のナイヤガラ、それが、母のラスト、ナイヤガラとなりました。
★今日の雑貨屋(店舗)**おやすみです★
【ただいまのBGM】君を好きな理由 / wacci
↓↓↓Today's Runkは?★1日ワンクリック!ありがとうございます
フリーページ作りました。
↓
by gaya-san
| 2024-09-06 06:33
| おでかけ・来訪
|
Comments(2)