伝統文化と生きる町
”半島は半分、島である”
日本で唯一の島マガジン「島へ。」の表紙で使われたキャッチコピー。何を当たり前なと思うかもしれないが、半島に対してこれほど核心を突いた言葉を他に知らない。半島とは、文字通りに半分島であり多分に島の要素を含んでいるのだ。
丹後半島の先端に位置する京都府与謝群伊根町の伊根浦集落はその例に漏れず”半分、島”な場所だ。
伊根浦集落といえば伊根の舟屋群。海面スレスレの位置に家が立ち並ぶ不思議な光景で有名な場所。日本全国探しても他にはない景色は”半分、島”な要素で溢れている。
離島へ行ったことのある者なら何となく分かると思うが、島というものは同じ日本なのにどこか違和感を覚える部分がある。そこに島の魅力が秘められているのだが、伊根浦集落でも同じ印象を抱く。その理由は歴史背景を知ることで分かってくる。
ガラパゴス化という言葉もある通り、島という場所は陸と遮断されている関係で独特な風土や文化が育まれており、本土とズレが生じる。
集落は山に囲まれた陸の”孤島”だった。道路が十分に整備されず、住民にとって船は漁業に必要なだけでなく交通手段としても重要な役割を担っていた。そういった意味でも島に限りなく近い環境にあった。
家の正面は海、背後には山が迫る。
似た風景こそあれど、ここまで近い場所は他にない。集落では一家に一艘、船を持っていたとされ、そのために海岸沿いに船屋が並ぶ。その数なんと230軒。
現在の町並みが形成されたのは昭和に入ってからとされ、ブリ漁によって景気が良くなり建て替えが進んだという背景だ。そのため似たような外観が多く統一感が生まれた。歴史としては戦国時代から船屋群はあったと伝えられている。建て替え前は今のような二階建て建築ではなくあくまでただの船屋だった模様。
船屋の前には住宅が建ち、目の前の船屋に対して母屋になっているのが一般的ということ。船屋の2階部分は作業場にしたり客間にしたり二世帯住宅にしたりと様々。
こんな海面スレスレに家を建てて大丈夫なのかと心配になるが伊根湾に浮かぶ青島が天然の防波堤。そのため伊根湾は非常に穏やかで干満差が少ない環境。こうした自然環境は水と接する船屋にとっては好条件となる。
船屋は漁船のガレージみたいなもの。
木造の漁船など水に浸かったままでは腐ってしまうため、引き上げて乾燥させる必要があった。現在では漁船の大型化や水に強い素材で作られている関係で船屋としてはほとんど使われていない。
以上が簡単な伊根の舟屋の概要。
歴史を知ることで伊根浦集落の独自性が見えてきた。その要因は島に似た環境があってこその部分があるはずだ。2005年には「伊根町伊根浦伝統的建造物群保存地区」の名称で、漁村集落として初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に認定されている。
集落は陸の孤島として生まれ、他と違った風土で今も生き続ける町となった。
・・・とまとめてみたものの、言いたいことが伝わるのか不安になる文章だ。なんで”半分、島”を持ってきたんでしょうね。
そして伊根の舟屋の概要なんて今更触れなくとも調べればいくらでも記事が出てくる。まっ、たまにはカッコつけさせて下さいな。
最後に集落の景色をチラッと。
一見すると陸側からだと一般的な漁村風景にしか見えない。
しかし、ふとした景色にここが「特別」なんだと気付かされる。
高台から見るのも一興。
時が止まったかのような景色に溢れるノスタルジアが止まらない。
左に見えるのは1754年創業の酒造。江戸時代から続く町並みは伊達ではない。
かつて銀行だった洋風建築も残る。
青鷺。
エンジェルポーズ。
惜しくもブレまくり。サムネならバレないかな?
最後に大事なことを。
伊根浦集落は観光地として整備されているがあくまで生活の場であることを忘れてはいけない。
昨今、話題のオーバーツーリズムに悩まされている現状もある。
分かりやすく私有地のロープが張られている場所もあればそうでない場所もある。船屋景色をしっかり撮りたい場合はツアーの申し込みや船屋を利用した宿に泊まることをオススメしたい。
2回ほど伺ったが、住民の方が周りに聞こえる声で観光客の悪口を言っているのを聞いたり、朝早くからやっている某食堂でぞんざいな扱いを受けたりと住民のフラストレーションはかなり高そうな様子。モヤっとした心を抱えたのも事実だが、私みたいにカメラをぶら下げて住宅地を練り歩く人間がとやかく言えることではない。本当に申し訳ありませんね!