ヒルネクロコップの日記

ペルーに2年ほど住んでいたスペイン語学習者です。 読書や旅行の記録、ラテンアメリカのニュースについて書いていきたいと思います。2023年秋からメキシコに来ました。

古代メキシコの蛇の神々

明けましておめでとうございます。

今年はヘビ年ということで、ご利益にあずかろうと去年メキシコで出会った蛇の神々を紹介したいと思います。

 

古代メキシコと蛇

古代メキシコには本当に蛇に関連した神が多く、ナワトル語で蛇を意味する「コアトル」が名前に入っているものが多い。

メソアメリカ(メキシコ+中米)では蛇は古くから神聖な生き物とされていて、オルメカ文化(紀元前1200頃~前400頃)の時代にすでに崇拝の対象となっていた。

二元論的な世界観では、鷲が天空や昼、男性性を司るのに対し、蛇は大地や夜、女性性を象徴する生き物であったとされる。

生態系の中では、鷲やジャガーとともに蛇は高位の捕食者であり、力の源泉だと認識されていたと想像される。

 

1、羽根の生えた蛇神(ケツァルコアトル、ククルカン)

テオティワカン遺跡の羽の生えた蛇神(メキシコ国立人類学博物館のレプリカ)

「羽根の生えた蛇」の神はアステカではケツァルコアトル、マヤではククルカンやグクマッツと呼ばれていた。おそらくメソアメリカで最も広く信仰されていた神。アステカ神話ではテスカトリポカとともに世界を創造したとされる。人間に最初に主食(トウモロコシ)を与えてくれた恵みの神でもある。蛇の体にケツァル鳥の羽が生えているという架空の生き物なのに、なぜこれほど地域・時代を超えて信仰が広まったのかはちょっと謎。基本的にメキシコのどんな遺跡に行っても一つは羽根の生えた蛇神の装飾を見つけられる。特に有名なのはテオティワカン遺跡の「羽根の生えた蛇神のピラミッド」とチチェン・イッツァ遺跡の「ククルカンの神殿」だろう。

チチェン・イッツァ遺跡「ククルカンの神殿」。二匹の蛇が頂上から降りてきている。

 

2、大地の神 コアトリクエ

コアトリクエの石彫(メキシコ国立人類学博物館)。「蛇の丘」の神話を再現した「テンプロ・マヨール(大神殿)」の頂上にこの石彫があったとされている。

見た目が怖すぎて初見では引いてしまうが、実はアステカ王国で広く信仰されていた豊穣を司る大地の女神。アステカの最高神ウィチロポチトリの母親にあたる。頭部は2匹の蛇が向かい合っている。肩の部分も蛇の頭。スカートも大量のヘビで構成されている。名前のコアトリクエとは「蛇のスカート」という意味。

アステカ神話では、コアトリクエは蛇の丘(コアテペック)という場所で最高神ウィチロポチトリを身ごもる。それを知った娘のコヨルシャウキは、母の不貞許すまじとしてコアトリクエを殺しに来る。だが完全武装した姿でウィチロポチトリが誕生し、逆にコヨルシャウキを返り討ちに。バラバラ死体にして蛇の丘から投げ捨てる。この「蛇の丘」のストーリーを再現したものがテノチティトラン(メキシコシティ)中心部にあったテンプロ・マヨール(大神殿)だと言われる。

コアトリクエから生まれたウィチロポチトリ。手に持っているのは「火の蛇(シウコアトル)」と呼ばれる武器。この蛇の武器を使って姉のコヨルシャウキを八つ裂きにした。

殺された姉のコヨルシャウキの石彫(テンプロ・マヨール博物館)。 首や手足が裂けてバラバラになっている。 よく見ると腰や手足には、不幸の象徴とされた「双頭の蛇」がまとわりついている。

 

3、火の蛇  シウコアトル

シウコアトルの石彫(メキシコ国立人類学博物館)

神ではないが「火の蛇」という意味の神話上の動物。ウィチロポチトリが姉のコヨルシャウキを殺すために武器として用いた。シウコアトルは戦争の象徴であり、最強の武器でもあった。そのため、現在メキシコ軍が使用するライフルの名前にもなっている。

ちなみに、かの有名な「太陽の石(アステカカレンダー)」の最外側を取り囲んでいる二匹の蛇もこのシウコアトルだ。なぜ二匹のシウコアトルが彫刻されているかというと、

1、アステカの信仰では、世界の最果ては二匹の大蛇が取り囲んでいるとされていた。

2、右側の蛇が太陽、左側の蛇が夜を表しており、昼と夜の二元論的な「戦争」を表現している。

という2つの理由で説明されている。

「太陽の石」(メキシコ国立人類学博物館)。円盤の一番外側を囲んでいるのが二匹のシウコアトル。時計の6時の位置に顔が向き合っている。

よく見ると、蛇の口からは人の顔がのぞいている。左側は夜を司る神「シウテクトリ」、右側は太陽の神「トナティウ」で、昼と夜の争いを描いているとされる。

 

4、トウモロコシの神  チコメコアトル

チコメコアトル(東京国立博物館「古代メキシコ展」より)

トウモロコシの女神。メソアメリカにとって欠かすことのできない主食の神で、太古から存在していたと言われる。作物の豊作と人間の多産を司る。ナワトル語で「チコメコアトル」とは「七匹の蛇」の意味。七匹の蛇とは古代メキシコではトウモロコシを意味する隠語であったという。七は「種」や「豊饒さ」を表す数字であり、蛇も「大地」「豊饒さ」「生命力」などを連想させる生き物であったことが由来らしい。蛇の脱皮とトウモロコシの皮がむける様子はともに「死と再生」を象徴していたと思われる。

チコメコアトルの別の姿。切断された頭から7匹の蛇が飛び出している。(ハラパ人類学博物館)

メキシコでは2月にタマル(すりつぶしたトウモロコシを蒸した食べ物)の祭りが各地で開かれる。その一つを訪ねると、入り口には「チコメコアトル様、どうかあなたの畑の豊かさが各テーブルに満ち溢れますように」と書かれていた。

 

5、狩猟の神  ミシュコアトル

 

アステカ王国の狩猟の神であり、天の川を司る神でもある。直接的に蛇と関係する神ではないが、ミシュコアトルという名前は「雲の蛇」という意味。雲の蛇とは天の川のことだったと言われている。もともとはアステカより数世紀前、西暦900年頃にメキシコ北部からメキシコ盆地(メキシコシティとその周辺)に南下してきたチチメカ人の首長だったとされる。この一派は狩猟採集民で、ミシュコアトルは狩りに長けていたため、狩猟の神、あるいは狩猟民の守り神として崇められるようになった。実際に絵文書に描かれているミシュコアトル神は弓矢を携え、赤と白のボディペイントでかなり強そうに見える。ただ狩猟神がなぜ天の川と関係しているのかはよくわからない。

メキシコシティ南西部には狩猟神ミシュコアトルを祭った遺跡があり、その周辺は現在も「ミスコアック」という地名が付けられている。道路の標識には語源である雲と蛇が描かれている。

 

書籍『蛇の神』について

去年11月、小島 瓔禮著『蛇の神 蛇信仰とその源泉』という本が出版された。

本屋でパラパラ立ち読みをしてみて、内容は非常に面白そうだと感じたものの、古代メキシコの蛇の神については触れられていなかった。

個人的には、メソアメリカも入れてくれたら世界各地の蛇信仰と比較しながら読めて嬉しかったのに…、と少し残念な気持ちだ。

 

 

おわりに

メキシコ政府のウェブサイトによると、メキシコには322種類の蛇が生息していて、世界の蛇の2割にあたるという。

https://www.gob.mx/semarnat/articulos/dia-mundial-de-la-serpiente?idiom=es

きっとメキシコは蛇の生息に適した環境なのだろう。

 

現在のメキシコ国旗にも鷲にくわえられた蛇が描かれている。

これはアステカ族が定住の地を探し旅をしている途中、「サボテンの上にとまって蛇を食べる鷲」を見て、ウィチロポチトリから託宣と考えて首都テノチティトランを建設したことに由来している。

 

メキシコの街を歩くとき、少しだけ蛇を意識しながら歩けば、きっと楽しさが増すことに違いない。

メキシコシティの路上に突如あらわれるアステカ期の蛇の頭。テンプロ・マヨールに造られた200の蛇頭の一つがこうして植民地期の建物に埋め込まれて残っている。

 

※情報の主な出典は、メキシコ国立自治大学での講義とメキシコ各地の博物館の説明書きです。また「太陽の石」の記述は以下の本も参照しました。

Paseador Piedra del sol | Ediciones Punto Fijo

 

hirunecrocop.hateblo.jp

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