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投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ルソーは、18世紀のフランスの思想家である。その「自然に帰れ」という根本思想は、私の理想とする考えであり、ルソーの思想を完全に理解していると言えないものの敬愛する思想家の一人である。というもののルソーの著作は、「人間不平等起源論」一冊しか読んだ事がなく、偉そうな事は言えない。本書は、ルソーの思想の集大成という評判を見て、読みたくなった次第である。
本書は、エミールという孤児に対する教育を通じて、人間のあるべき姿、思考、行動を律した教育に形を変えた思想書である。エミールという人間の生を受けてから、結婚までの教育論で綴られている。上巻では、エミールの15歳までの記述である。
まず、「序」において本書のありようを述べる。すなわち、決して思想を押しつけるものでは無く、自分の確信する考えを綴ったものであると。こういう考え方は好きである。誰とでも対話においては、自分の考えを述べているのであるが、それを相手に押し付けようとする人がいる。そうでは無く、あくまでも自分の考えを述べているという立場でいる事が大切だと思う。
「生きる事」とは、呼吸する事では無い。活動する事だ。私達の器官、感官、能力を、私達に存在感をあたえる体のあらゆる部分を用いる事だ。戦後の日本の思想では、「生きる」事を絶対的是として教育を受けている。では、「生きる」とは、どういう意味か?という教育が為されていない。ここでは、その意味を述べている。
「都市は人類の堕落の淵だ」と述べる。「堕落から甦らせるのは、常に田舎だ。」とも述べる。すなわち、都市は、人知の結集の場所、田舎は自然溢れる場所である。私も常々、自然から力を貰っている。私の実体験からもこれは正しいと思う。しかし、都市という人知の結集にも私は希望を見出す。人類の善の可能性を信じているからだ。
「本当の幸福への道はどこにあるか?」それは、欲望を減らす事ではなく、能力に等しい欲望を持つ事だとする。自然は、本来、そういう姿に人間を作っている。自然の人間の姿に想像力という余計、しかし、人間の根幹のものが間違った方向に働いた時、不幸は、近づいてくる。
「自由」の本質についても述べる。ほんとうに自由な人間は自分が出来る事だけを欲し、自分の気に入ったことをする。この事を、全く良く理解出来る。私は、本当の「自由」を理解し、実践してると思う。
我が国において、早くから子供に英語を教育しようという風潮が見られる。それはある意味正しい事であろうが、ルソーは「国語は一つである。」と言っている。たとえ、何カ国語を話そうが、頭の中では、一つの国語が支配している。これもまた正しい考えだと思う。大切なのは、充分な思考が可能なだけの一つの国語を自分のものにする事だと思う。バイリンガルは、その次に重要な事と思う次第である。
「判断する事」これを止めれば、失敗をする事は無い。しかし、これを止める事は、「学ぶ事」を止める事である。すなわち、人間である事を止める事である。私は、私に課せられた「判断」は、リスクを覚悟の上で、きっちりこなして行きたい。
エミールは、わずかの知識しか持たない。しかし。大切な事は、知識を獲得する能力において、普遍的な精神を持っている事である。私もエンジニアでありながら仕事において知識不足を痛感する。しかし、不足している知識を吸収する普遍的能力は有していると思っている。これは、私の誇れることである。
「エミール」は教育の書と言われるものの、その内容は多岐に渡っている。dog earを付した箇所を列挙して、私の考えを記したが、なかなか深い内容の書である事が、上巻を読んだだけで分かる。これから中巻、下巻といよいよ、人間が人間として社会との係りを含めて本質を問われる年代の教育が述べられる。これから読み進むのが楽しみである。
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心理学というか、教育関係の勉強をしている人達向けの本ですが。当初は学校の授業で使うので買った本だったんですが、読んでみると面白いです。
昔に書かれた本なのに現代にも投影できるところが多々あります。
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教師になりたいなら読め!って言われてよんだ。まぁ、そこそこ為になるかな、とは思ったけど、正直実践できるかどうかはわからない。綺麗事ばかり並んでる気もするし。なんて、故人に言っても仕方ないんだけど・・・
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上中下巻
素朴な思想です。
山盛りの疑問点とともに読み進めた後が随所にあります。
でもこの「エミール」があって初めてフランス革命時に「教育は人が学校を卒業するその瞬間に、彼らを見捨ててしまってはならないと言うこと。教育は全ての年齢にわたって行われるべきであると言うこと」といわれるようになったのです。今でいう「生涯学習理論」の源流が生まれた端緒の作品。
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「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」という冒頭の言葉が示すように、ルソー(1712‐78)一流の自然礼讃、人為排斥の哲学を教育論として展開した書。ある教師がエミールという一人の平凡な人間を、誕生から結婚まで、自然という偉大な教師の指示に従って、いかに導いてゆくかを小説の形式で述べてゆく。
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前の日に「いい子で心配」症候群について書きました。
このことを書いてあと,思い出したことがあります。
ルソーの「エミール」です。うろ覚えの中で書いています。間違いは指摘してください。
「エミール」はだいぶ昔に読んだか,中途で放り出してしまったかです。ぼくの勝手な解釈もだいぶ入ります。
ルソーはフランスの啓蒙思想家。教育についても書いています。私生活の評判はよくないのですが。
彼は「自然に帰れ!」と唱えました。
そして,空想の中でエミールを育てます。エミールは子どもの名前です。
この中のテーマは,自然のままに育てればそのままいい子,いい人間になる,とうものです。悪い子に育っていくのは,親やまわりの大人の育て方が悪いからです。子どもの中にはいい芽があり,それを阻害しないように自分で育っていくのを見守ることが大切なのだとルソーは言います。
例えば,子どもの中には知的好奇心というのがはじめから備わっている。それを刺激しながら学習を行えば,その子は学ぶことを好きになり,さらに学ぶようになる。内発的動機付けですね。勉強が嫌いになるのは,分からないままに前に前に進む,他の子と比較する,無理な競争をさせるからなのです。
性格においてもそうです。その子の中にある芽を自然に出させる。その芽を素直に育てていけば「いい子」になり,「いい青年」「いい大人」になっていく。あくまでも自然のままに育てることが大切。周りの大人はその子が育っていくのを見守るのです。そしてその子が必要としているのを与える。植物に水や光,肥料が必要なように,子どもには愛情,適切な栄養ある食べ物,衣類が必要です。
無理にしつけるということをしなくても,その子の中のものをうまく出させることができればいいように育っていくのです。下手にしつけようとするから悪い子になってしまうのです。
このようにすべてうまくいくかどうかは,疑問です。
うまくいくケースもあるでしょう。その子を見守っていくと「いい子」のままで育っていく。でも,「いい子は危ない」と言われて,「いい子で心配」症候群になってしまう。
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3年くらい昔に買ったのに いまだに読み終わらない…
200年も昔に書かれた教育書なのに、現代にも使えそう。
これを読みはじめてから子どもがほしくてしょうがないのです!
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ジャン・ジャック・ルソーの書いた名作。彼は理想主義者であるが一部の彼の発言には今の我々が共感すべきところがある。
エミールという少年が学校には行かず家庭教師と一緒に生活しそこから人間のありのままの道徳を教えられていく物語である。
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『エミール(上)』(ジャン・ジャック・ルソー、1962年、岩波文庫)
原典のタイトルは"Emile ou de l'éducation"すなわち『エミールまたは教育について』である。理想主義者ルソーの思い描く教育論。
教育論の読み物としては良いのだが、書かれていることをそのまま現代の教育に適用することはできないであろう。
長いのが致命的な気がしますね。4ヶ月かかってやっと上を読み終えました。
(2009年11月8日)
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内容(「BOOK」データベースより)
「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」という冒頭の言葉が示すように、ルソー(1712‐78)一流の自然礼讃、人為排斥の哲学を教育論として展開した書。ある教師がエミールという一人の平凡な人間を、誕生から結婚まで、自然という偉大な教師の指示に従って、いかに導いてゆくかを小説の形式で述べてゆく。
目次
序
第一編
第二編
第三編
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4年前、右も左も上も下もわからないで入学した教員養成系大学での初めての講義で、初めて読まされた本。当時は「消極教育」「不徳と誤謬から守るための教育云々」くらいしか理解できなかったが、卒業してしばらくして読み返してみると「お~」「なるほど~」と自分の成長が実感できた。…ような。…気がする。
更に4年後に読んでみたら、また違った観点、尺度で読めるんじゃないかと思う。上巻だけでかなりのウエイトがあるので、元気があれば中も下もいきたい。
自分に子どもができたらまた読めるかなとも。いつのことやら。
我が家の掘り出し物。掘り出し物なので今更レビュー。
とにかく教育原理のマスターピースってことで。(2010/06/09)
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自然に育てるのが一番、であるとルソーはいっている。
若い時から、断片的な教養や知識、子どもからすれば「いつ使うのだろうか」と思ってしまうのも当然だ。若干中二病のような毛もする作品ではあるが・・。
確かに子供は自然な存在だ。本当にモノを理解してもらうには、部屋にこもって本ばかり読んでいるより、実際に体験するほうがいいに決まっている。また食に関しても、「肉食するための肉は、目の前にいる牛や馬を殺し、捌き、切り裂いている状況を目の前から覆いさっている結果であるともいえる。そんなものを目の当たりにすれば、とても食べられるものではない。自然に反する味覚、偽装である。」というのようなことをいっている。かなり極端であるが、そう云われればそうである。
これはあくまでも一例に過ぎない。冒頭でも解説で述べているとおり、訳者の解説にも、「すぐに応用することは難しい。」と。ただし概ね、当たっているような気がするのだ。
余談ではあるが、かのイマニュエル・カントは異常なまでに規則ただしい生活で知られた男であったが、ただ一度だけ時間を忘れて読みふけった本がある。それがこれだ。その時は周りの人間は大いに騒いだようである。
とはいえ、かなり難解で退屈ともいえなくもない・・・読み通すのに時間がかかった作品でもある。
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書物に対する評価とかを超えている、200年間読み継がれてきた本。
読みづらいですが、読み終えると、自分の子供対する教育姿勢に変化が見られます。底流する教育の本質のようなものがあるのでしょうね。
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このエミールという教育論は、カバーにも書かれている通り自然礼賛の教育論だという事が言えるのは分かるが、そういう割には人為的な事柄が多いように感じた。自然礼賛・人為排斥というカバーの表記は言い過ぎのように思う。エミールを自然に育てるために教育者は一般以上の人為的な行為で教育しているように見える。
この教育論を全面的に支持する気は毛頭ないが、それぞれに書かれていることに結構納得させられた。教え込む教育が批判されているが、それについてはある程度必要だと思うが、基本的には教育は待つことで行われるのがいいと思う。
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「エミール」は、副題にもあるのですが、教育論といった作品で、ルソーの息子(実在するのかは?)としてエミールを設定し、エミールを育てて行く過程を教育論として説いていくものです。
さて、内容ですが、上巻がエミールの幼年・少年時代についての教育論、中巻がエミールの思春期から青年期、下巻がエミールの青年期から恋愛・結婚についての教育論をまとめたものになっており、すべての教育の基礎には自然があるとの大定義のうえに論述が組み立てられています。