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(01)
日本の登山の近代に、文学の力で少なからぬ影響を与えた「日本百名山」であるが、その「百名山」を著した深田久弥の生を綴ったのが本書である。
彼の生は、もちろんひとりではなかった。大きな存在として二人の女性が彼の前に登場する。彼女らとの関係や距離が、山と関係と同様に、深田の生にとって決定的であった。「贖罪」という言葉が本書の著者によって拾われてもいる。山や女性は、深田にとって単に逃避先であったというわけではない。おそらく、深田と二人の女性と百以上の山々という三者の関係は、三角関係のように緊張感をもって現れていたと本書から感じとることができる。
出版の社会や文学の世界は、二次的に深田の生にゆらぎを与えている。深田にとっての社会とは何か、それは山行として実践された反社会性あるいは対社会性(*02)を考えることによって見えてくる。
本の収集癖、酒癖などの悪癖と、積極的な意味での清貧とが深田に同居しているのも興味深い。だらしなさと潔さの両立という点で、近世以前から山にまつわる生態として注目されていた修験や乞食の伝統とも接続している。
(02)
井上靖、小林秀雄、井伏鱒二、太宰治、中村光夫、串田孫一、高田宏、近藤信行ら文学の面々との交流から、深田のポジションを探るのも本書の愉しみのひとつである。
また、戦後のスポーツ登山やしごきや遭難の問題への深田の言及は、今後の大衆登山の趨勢を捉える上で、ある視座を与えてくれるメルクマールともなるようにも感じる。
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本書のタイトルそのまま、私は深田久弥に対して「百名山の人」
としか知識がなかった。代表作であり山岳紀行の古典的名著
『日本百名山』は一時期、繰り返し読んだのだもの。
おおらかで豪快。そんなイメージだったんだよな。確かにそうで
はあるのだけれど、私生活では「ダメな人」だったとは。
作品と人柄は別物。分かってはいる。谷潤こと谷崎潤一郎がそう
なのだ。作品は大好きなのだが、人としてはどうかも思うもの。
戦前に発表された深田久弥の小説を読んだことはない。抒情的な
恋愛小説なのだそうだ。『日本百名山』しか読んだことがないので
あまりにも意外だった。
だが、その小説のたたき台になったのは前妻であった北畠美代が
執筆したものを、深田がリライトしていただけって。
しかも脊椎カリエスを患って病床に就くことが多かった美代がいるに
も係わらず、以前に憧れの人だった女性に再会し子供までもうけて
しまっている。
そりゃ、離婚後、美代さんが「実は深田の作品は私が書いたもの」って
暴露するわなぁ。
この頃の深田は鎌倉文士の仲間だったのだが、川端康成などはこの
「二人三脚」を見抜いていたようだ。さすがに深田本人には気づいてい
ることは告げてはいないが、あのギョロリとした目で見られたら怖い
かも。
私はこの時点で「ダメな人」認定しちゃったんだかが、小説家としては
ダメでも登山家としては優れた人だったのだと思う。
運動全般は苦手だし、登山なんてとんでもないのだけれど『日本百名
山』を読んでいると、こんな私でも「この山、登ってみたい」と思う山が
多くあった。
スポーツとしての登山には批判的で、大学山岳部が訓練として行って
いるような「しごき」は大嫌いだったという点には共感するし、山岳関係
の書籍収拾への情熱も理解出来る。
山が好きで好きで、しょうがなかった人なんだね。でも、それは実生活
からの逃避ってことはなかったのだろうか。なんて思ってみた。
1971年に茅ヶ岳登山中に脳卒中で亡くなるまで。生い立ちのみならず
交友関係までを丹念に追った良書だ。
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深田久弥とはこんな人だったのか。百名山選んだ人としてしか知らなかった深田久弥の伝記。深田に関わった周囲の人間の声がとても多く、丹念に取材のされた読み応えのある一冊だと思う。深田が言った「自由な精神こそ登山の根本であろう。山へ行きその虜となってしまうような人たちは、世間の常識はずれであるのが当然である。登山者はスポーツマンにはなったが、本当の山好きでは無くなったようである。」って言葉は今にも通じるし、共感する。日本百名山以外にも深田の本を読んでみよう。