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主人公が人妻と道ならぬ恋に堕ちる、というあらすじそのものはありふれたものだけれど、この作品の背景には絶えず「戦争」という非日常が影を落としている。破滅の先を見てみたいという取り憑かれたような衝動、破壊を目にする時の高揚感、「子ども」というレッテルと自身の内側の感情とのギャップ。エロスとタナトスの甘美さを味わうのは、優れた小説の中だけでいい。強いて言うなら、マルトの最期のエピソードにもう少し余韻が欲しかった。新潮文庫版も読んでみようと思う。
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ありきたりな内容のはずなのに、結局引きこまれて最期まで読んでしまった。
それが古典というものが持つ力なのかな、と思わされた。
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お話の内容は単純でした。でも主人公の感情が痛いほど伝わってきて、その単純さをいい意味でぶち壊した。ラディゲが私と同じくらいの歳でこの小説を書いたなんてとても思えない…。深すぎます。
こんなにすごい小説久しぶりに読んだ気がします。次はもう少し大人になってからまたこの本を手に取りたいです。
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ラディゲって10代でこの小説を書き上げたんですよね。
恐るべし…
ストーリーライン自体は、ありふれたものなのですが。
作者の深い洞察にかかると、とんでもない傑作に昇華してしまうんですね。
「悲しいのは、命に別れを告げることではない。命に意味をあたえてくれるものと別れることだ。愛こそが命なら、一緒に生きることと一緒に死ぬことのあいだに、どんな違いがあるというのだろう?」
ちょっと胸を動かされました。
肉欲に溺れていく男女であるが、100%の純度の肉欲は逆に美しく見えてしまうのはなぜでしょうか。それにしても、一方では愛を求めながらも、その一方で小狡い企みをする主人公の僕が痛い。
でも余の男性だって思い当たる節がたくさんあるでしょう。
あの頃の恋愛が懐かしい……(遠い目で)
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夭逝したラディゲの自伝的小説と言われている作品。
現代の日本では、同じような状況設定にはならないだろうけど、若さ故の未熟さや、主人公たちの気持ちは現代と変わらない。
著者が18歳でこれだけの作品を書いたということに驚いた。この年齢でここまで自分の気持ちを突き放して観察できるものなのか。。
訳者のあとがきにもあったが、このタイトルにしてエロティックなシーンはなくひたすら心理描写で読ませ、それゆえにエロティシズムを感じさせる、技術的にも高度な小説だった。
たまたま図書館で出会ったのがこの版だったのだが、原文が古いことを思わせながらも翻訳文が読みやすく、翻訳者の技術にも感心した。
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三島が憧れていたと知り、手にとった。
単純な筋ながら、引き込まれた。
最後の一節が特に印象深い。
ただ、新訳だからか、少し言葉が軽い感じがした。
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二十歳で夭折した20世紀フランスの小説家レイモン・ラディゲ(1903-1923)による、自伝的要素を含んだ処女小説、1923年。
本作品の舞台が戦時下であると語るところから、物語は始まる。
「僕はさまざまな非難を受けることになるだろう。でも、どうすればいい? 戦争の始まる何か月か前に十二歳だったことが、僕の落ち度だとでもいうのだろうか?」
第一次大戦という、深甚な虚無に否応もなく曝された少年。時代が少年にも強いる精神の屈折。無邪気で在ることを許さない、屈折。
それでもこの少年は、子どもじみた万能感から、自分が子どもであることを否定して成熟した大人であろうと、心理に於いても行動に於いても演じていくのか、演じさせられていくのか。そして、女を愛し所有しようとするその振舞それ自体がどうしようもなく幼稚でしかない少年、その幼稚さの残酷さが戦争と云う時代の雰囲気の中で詩情の顔をして剥き出しになった物語。
「これまでは、欲しいものはすべて、子供だからといって諦めなければならなかった。そのうえ、人がくれた玩具は、お礼をいわなければならないという義務感で楽しさが損なわれた。そんな子供にとって、自分から進んでやって来る玩具は、どれほど貴重なものに見えたことだろう! 僕は情熱に酔っていた。マルトは僕のものだ。僕がそういったのではない。マルトがそういったのだ。・・・。『いいわ、噛んでちょうだい。わたしにしるしをつけて。みんなに知らせたいの』」
若さ、というよりも、幼さと云っていいエゴイズム、臆病なエゴイズム。そこに発する愛情と支配欲、嫉妬と憎悪、desperate な情熱、野蛮な激情、それら感情の極端な振幅。そして複雑に錯綜する自省。そこには、虚無に浸された頽廃した諦念とともにある暗く透明な影、「無」へ、消えてしまえばいい。「社会」も「道徳」も「政治」も「宗教」も、この少年の内に入り込む余地は無い。
「僕の心はまだ未来のことなんか考えない年齢だった。そうだ、僕がマルトのために望んでいたのはすべてを消してくれる無だ。いつの日かまた一緒になれるもうひとつの世界なんかじゃない」
この科白は虚無の中に在る「愛」の言葉の極北だろう。
□
「もし愚かな青春があるとすれば、怠惰だったことのない青春だろう。・・・。はたから見れば空っぽに見えるこの長い日々ほど、僕が多くを学んだことはかつてなかった。・・・、僕はこの長い日々、自分の未完成の心をじっと見つめていたのだ」
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フランス文学は読みにくくわかりにくい、という偏見がありました。
コクトーとか、ちょっと苦手で。
でも、この本はすごく読みやすく、共感もでき、面白かった。
若いな、と。
向こう見ずで、刹那的で、疑い方も愛し方もまっすぐで。
おなかに子供ができたと知って、男は逃げ出すのかと思った。
そうでないところに真剣さを感じた。
時をおいて、もう一度よみかえしてみたい。
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P189「御者は三度のキスを見たと思っただろうが、最初のキスが続いていたのだ。」
残酷な愛。
この未熟な精神と行動を、冷酷に分析し直して書いている姿を思い浮かべると不気味な感じがする、、、それともあえて客観的なのかしら。
さすが光文社文庫は翻訳がうまいと思う。
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★3.5。
こんな若者が人間の内面、つまり行きつくところの自己中心主義をメロドラマに乗せて抉り出すとは。
あくまで主人公の内面にのみ焦点を当てることで、読者にマルトはじめとした他の登場人物の内面を考えさせる構図もこの作品では成功しているのでは。
マルトは当然ながら父親が凄く気になる、彼は息子を通して何を見ていたのだろう?
共犯者なのか、無関心なのか、愉快犯なのか、考えれば考えるほど色んな妄想が膨らみますな。
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悪魔の姿を忠実に描いている。愛し合っているはずなのに、男性になぜ裏切られたのかわからない人はスウェーデン人の娘のエピソードを読めば腑に落ちるだろう。
ふと冷静になればマルタについてもまた悪魔を飼って命を投げ出したようなものかもしれない。
人は無心で悪魔と共に生きる。
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【本の内容】
第一次大戦下のフランス。
パリの学校に通う15歳の「僕」は、ある日、19歳の美しい人妻マルトと出会う。
二人は年齢の差を超えて愛し合い、マルトの新居でともに過ごすようになる。
やがてマルトの妊娠が判明したことから、二人の愛は破滅に向かって進んでいく…。
[ 目次 ]
[ POP ]
作家が若いときでないと書けない物語があるように、読者もまた若いときでないと感じ得ない衝撃があると僕は思う。
そういった意味で、『肉体の悪魔』は10代の頃に読んでいたらもっとぶっ飛んでいただろうなと悔やまれる一冊だ。
これでもかというほど一人称で書かれていて、景色はあまり意味をなさない。
傷つけたのが自分なら、傷を癒すのも自分でなければならない。
すべては愛するがゆえ。
もっと上手い方法があるのに、そうすることができない。
若さというのは後悔でさえ勘定の内なのだ。
粗削りとさえ感じるが、それこそがこの小説の魅力であり、心に突き刺さる。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
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読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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2015/1/17読了。
思春期に読んでいたら影響されていたような物語だった。影響というよりは共感か?太宰治の人間失格を読んだ時も同じような感想を抱いたような気がする。
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幸福はエゴイストなんだ!と言い切れる若さゆえの自分本位。勝手な男の子だなぁと主人公のことを思いながらも、私もこんな身勝手さに見覚えがあるなと、人間の本質を見事に丸裸にしてしまう文章におもわずうなずいてしまう。
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少年の愛と性欲に翻弄され葛藤しながらもがく心理状態がすばらしく描写されている。そのなかに時に恐ろしい冷酷さも入ってきて、人間の底知れぬ怖いものも垣間見える。
コクトーといいラディゲといいこの時期のフランス文学いいですね。