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読み始めて、大昔に読んだ事を思い出した。当時どれだけの理解であったのだろうか?今でこそ共感出来るポイントや心理描写であって、大学生当時ではただ単にダラダラと続く若い男女の痴話としか感じられなかったのではないだろうか?
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ラディゲと言われても良く知らない。コクトーと言われると「オルフェ」を思い出す。その程度の知識で読んでみた。
物語自体は刹那的で破滅的なひたすら身勝手な若者の恋愛悲劇で、正直、だから何?的なものではある。だがしかし、一人称の語りが一貫して第三者的であり、なおかつ詩的で、この小説を単なる恋愛悲劇と呼ばせない文学的な厚みを持たせている。実際、その表現力は実に的確で、詩的だ。
「猫だって一生軽いコルクに悩まされるより、ひと月だけ重い鍋を引きずるほうがましだと思うにちがいない。」
「この残忍な愚弄は、愛が情熱に成長するときの声変わりだった。」
「妻を亡くし、これほど誇り高く絶望を克服する男を見て、いつかは世の中の秩序が自然に回復していくことを悟った。」
肉体の悪魔というタイトルだが、悪魔は出てこない。ここにあるのは、永遠に刹那的には生きられない人間の運命と、実態としての肉体をもって続いていく人間の血縁と、その檻に囚われて叫び声をあげる人間の精神なのだと思った。
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話の展開はそんなにないものの、独特で美しい比喩表現があちこちにあって言葉選びに感心してしまった。
第一次世界大戦中で、夫不在の家が多かったとはいえ、不倫に対して双方の家族の対応が甘すぎる気もしたけれど、当時このようなことはよくあったのか。
早熟だけど未熟な15歳の心理表現がすごい巧みだった。
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フランス文学。
第一次世界大戦の時期にも重なってくる約100年前にラディゲが著した。
結末にショックを受ける。
誰にとっても救われない淋しく切ない恋の物語。
戦争というのは直接的なだけでなく、間接的にこんな不幸の爪痕も残すのか。
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三年半ほど前、
高校生のときに古書店で古い文庫を買って積んだまま
読まずに〈引っ越し処分〉していたことを思い出し、
反省しつつ光文社古典新訳文庫を購入。
早熟・夭折の天才と言われる
レーモン・ラディゲの(短めの)長編小説。
作者の分身と思しい語り手〈僕〉の思い出。
分けても15歳からの激動の日々について。
第一次世界大戦下のフランス。
〈僕〉は四つ年上の画学生マルト・グランジエと出会い、
興味を募らせていったが、
彼女には婚約者ジャック・ラコンブがいた。
しかし、彼女が予定通り結婚した後も
互いに秋波を送り続け、
ジャックが戦線に送られた不在のうちに、
当然のように一線を超えてしまった――。
20世紀不倫小説の古典、但し、
当事者が十代なので相当に青臭い。
結末は2パターンのいずれかであろうと
予想しつつ読み進めた。
1.ジャックが戦死し、
マルトは晴れて〈僕〉と再婚。
2.マルトと〈僕〉は
白い目で見られる不倫に倦んで関係を清算。
が、どちらでもなく、
しかも、1・2よりもっとひどいエンディングだった。
そもそも〈僕〉は周囲を見下す鼻持ちならないヤツで、
マルトが彼のどこに惹かれたのか、よくわからない。
ジャックに問題があったとすれば、
マルトが絵を嗜むのを快く思っていないらしい点ぐらいだし。
彼女も若かったので、スリルを求めていたということか。
もう一つ考えられるのは、下品な穿鑿で恐縮だが、
マルトにとって性的な相性が
ジャックより〈僕〉の方がよかったから、かも……とかね。
とはいえ、独白の中でしばしば愛を口にする〈僕〉は
女を嫌いではないし、
その気になればセックスも充分に出来ます、というだけで、
本当に女性を――マルトを――愛しているとは受け取れず、
これはホモソーシャル小説の変形ではないのか?
と疑ってしまった。
女性との性的接触を汚らわしいが避けて通れない道と考える
高慢な男子が、一人の女の人生を踏み躙ってしまう、
といった筋書きの。
タイトル"Le Diable au corps"(カラダの悪魔) とは
《胎児》ではないのかな。
それが宿ったがためにマルトと〈僕〉は破局を迎えた、
という。
いや、不倫なんだから避妊しなさいよって話で。
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なかなかここまで不快に感じる不倫小説も珍しいな、と思い、いや、それこそ感情移入してるのではないか。出兵している旦那がいるのに未成年と関係を持つ女。見た目外見ともに記述が皆無で、ただの空っぽな女という印象。対する少年も、この状況に飲み込まれているだけで、女性を愛する苦悩などが伝わらず。女が妊娠するも、自分の子供と確信するくせに責任とるのは絶対ありえない、周りも醜聞を恐れ何もしない。この表題の意味がわからなかった。戦争に対する刹那的な感傷なのかな?ちょっとこの本はないなー。
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1923年ラディゲ20歳のときの作品。ラディゲはその年、腸チフスで死去。
主人公の僕の12歳から16歳までのお話。
人が恋をしたときに感じる不安や疑心暗鬼、心理描写なんかが繊細に描かれてる。
手にしても、手にできなくても何かしらの引っ掛かり。
僕のお父さんは、なんでマルトの肖像画もってたのかな?マルトの家と僕の家はどんな関係にあったのかな。
ドルジェル伯の舞踏会、借りてたの返却したけど、やっぱり読もうと思う。
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引用。
僕はマルトにキスをした自分の大胆さに呆然としていたが、本当は、僕が彼女に顔を寄せたとき、僕の頭を抱いて唇にひき寄せたのはマルトのほうだった。彼女の両手が僕の首に絡みついていた。遭難者の手だってこれほど激しく絡みつくことはないだろう。彼女は僕に救助してもらいたいのか、それとも一緒に溺れてほしいのか、僕には分からなかった。
平静に死を直視できるのは、ひとりで死と向かいあったときだけだ。二人で死ぬことはもはや死ではない。疑り深い人だってそう思うだろう。悲しいのは、命に別れを告げることではない。命に意味をあたえてくれるものと別れることだ。愛こそが命なら、一緒に生きることと一緒に死ぬことのあいだに、どんな違いがあるというのだろう?
精神的な類似は身体にまで及ぶことがある。目つきに、歩き方。しばしば知らない人がマルトと僕を姉弟だと思いこんだ。僕たちのなかにあった類似の芽を愛が育んだのだ。
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本文に描かれる恋愛観が、私のものととても似ていた。
そのため、「僕」の持つ嫉妬心や残酷さが表出するたびに、私自身の本性を暴かれているような気分になった。
ラディゲは約100年前のフランス人だというのに、現代の日本にも通じる「人を捉える力」を持っていたのだろう。
男の内面に向き合える本。
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15歳と19歳の人妻の不倫の話。現代でもそんな話があったらセンセーショナルなのに、第一次世界大戦の時代にはさらにセンセーショナルだっただろう。しかもこの小説は作者が16歳の頃に書き始めたという。私が忘れつつある青春の感情がたくさん詰まった本だなと思ったが、実際に体験している「今」を描いているのなら納得だ。
作者は20歳で亡くなってしまったらしい。第一次世界大戦という普段とは違う状況が、夫の長期不在という状況を作り出し、そこに普段とは違う状況が生まれる。では戦後長生きしていたらどんな作品を生み出してくれたのだろうと推測してしまう。
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青い麦と違い、あまりにも自堕落なストーリー。こちらは16歳の少年と19歳の人妻の物語だけど、なかなか16歳少年が狂っている。まさにフランス文学!あまりにも面白くいつもや読まない巻末の解説を読んでしまった。
少年だけではなく、周りの家族もおかしくそんな馬鹿な!って思ったが、この物語、ほぼほぼラディゲの体験談そのものと知り二度びっくり。
人妻との禁断の恋というのは何もフランス文学だけでなく、日本でも甘美な色物としてよくある話なんだけども、主人公のへその曲がった性格がこの物語の主軸となり関係するすべての人間関係を狂った方向へ導いてしまった。エンタメ要素は少ないながら結末をワクワクしながら読めた。やっぱりたまには海外純文学を読まないとだめだなぁと思う。
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意図的に入りこまないで読んでしまったのは反省。態度の問題。
心身がどうにもならない恋愛をしているとき、またその記憶が新しいときに読んだらすごいのだろうなと思った。そういう意味では時期も悪かった。この主人公の当事者感というのは当事者として感じれたらほんとうによかったのに。そういう意味ではサガンは読みやすいな。あと出てくる人物が身体的というよりは、精神の動きだけが全面に押し出されていたのも、この主人公なり人妻を誰かとしてイメージできるとつよいが、普通に読もうとするとどうしても文章が流れる。でもやっぱり態度の問題。反省。
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訳者中条省平さんの解説から引くと、筋書きは、
早熟な少年が、人妻に恋をし、その夫が戦争に行っているのをいいことに肉体関係を続け、彼女の生活をめちゃめちゃにしてしまう、
というもの。
作者の実体験に基づいて、16〜18歳のときに執筆されている、というのが、まず驚き。
ヒロインであるマルトの人格がよく分からないというか共感し難いのだけど、古典新訳の対象として選ばれたのは何となく理解できるような。
『カフェ古典新訳文庫』で思い入れのあるひとの文章を先に読んだからかもしれないが。
少なくとも100年前の小説には思えなかった。
三島由紀夫が惚れ込んだ作者と作品らしい。
赤ちゃんの父親が誰か、という点で、終盤くるんと一回転して、元に戻る辺りは、してやられた感がある。
お昼のメロドラマ的な安っぽい作品とも言えるし、夭逝した天才作家の傑作とも言えるし、出版社の腕の見せ所のある作品か。
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富野由悠季さんの自伝に「ラディゲは『肉体と悪魔』を16歳で書いた。」という一文があって、その一文を読んだだけで気になってしまい、手に取りました。
私にとって初めてのフランス心理小説でした。いかに自分が今まで表面だけでしか活字を追っていなかったか、これでもかというくらい思い知らされました。
少年時代の思春期における複雑な心理描写を、年上との不倫に絡めてとても綿密に表現しきっている。という事だけは理解しました。今の私にはこれが精一杯です。
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人妻に恋をした少年の倒錯的かつ不安定になるほどの情熱に身を焦がしていく心理が見事で、愛しさだったり憎らしかったり、人間味溢れた情動に加えて不倫という禁忌的な関係にスリルさ・破滅しか待っていないであろう未来への不安・2人だけの特別で確かに幸せを感じられた時間など心にダイレクトアタックしてくるのがたまらない。
また、エロくないようでエロさを感じさせる表現も素晴らしく、思春期の少年が経験するには早熟過ぎる肉欲やマルトが妊娠してしまってからの後戻りできない片道切符、夫の愛に背いた果ての結末に魂奪われました。