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いかに今の日本人が文化的しきたりを忘れているかもしくは、間違った解釈をしているのかよく分かり考えさせられた。
しきたりというものは古臭い物なのだろうか?
あるものは形は変えても現代に残り、あるものは形も意味も変わっているが残っている、またあるものは一切消滅してしまった。
いったい何を持って受け継がれたと解釈できるのだろうかもっと勉強する余地はある分野だろう。
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おみくじ護符であるので吉がでたら財布に入れるか神棚に納めるかして1年間のお守りにする。凶がでたら逆手(利き手でないほうの手)で枝に結ぶ。結びにくいことで「行」とし身を祓い再びおみくじを引くのだそうだ。本来は禊をするなり荒行で身を祓うのに代えて逆手で結ぶことで代替する。作法の「縮小化」である。
宗教にあらざる「信心」というもので、私ども日本人は、それで代々が「安気」に暮らしてきた
こうした「信心」に根ざす「作法」は地域ごと家ごとに伝承されてきた。地域や家というものが崩れてくる中でしきたり本などが生まれてきたが、「なんのためにそうするのか」をとかないまま作法はかくあるべし断定するのはいかがなものか。
「なんのためにそうするのか」「原初のかたちはどんなものだったか」ということを中心に私・家・共・生・死をめぐる作法の原義と各地での作法の違いを丁寧に説明し、そんな作法のあり方を通して日本文化とは何かを考えさせられる本である。
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一般家庭で行われているしきたりについて、もっと触れられていると思ったが、総論、概論が多いような気がした。
研究書にしては浅く、読み物としてはつまらない。
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注連縄が縄の逆巻きなのは、制作作業が難しくそれ自体が「行」になるから773
桃の節句の白酒は、女子に呑みやすいから作られたのではない。この頃は冬季のシケで廻船が中断しがちなのだ、下り酒の入手が困難。そこで少量の酒に酒粕とみりんを混ぜたのが由来1245