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ヴォネガットによる、新しいノアの箱舟。
軽妙な文体で、皮肉たっぷりに描かれた人間の愚かさが、もどかしくもアホ臭い。
ただ、ちょっと落ちが弱い気がしてならないなぁ…。
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SF。しかし哲学的で、むしろそれが主軸なのだ。文体はスタイリッシュ。シニカルでユーモアに満ちた表現が多い。世界を憂いながらも、著者は希望を捨てていないと思う。
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久しぶりに読んだ SF。途中で先が読めてしまうので、最後の方は少し冗長な感じだったが、奇抜な設定と着想が楽しい。
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1980年代当時のヴォネガットが、いかに人類に
絶望していたかがわかります。
どうしたってなくならない大量殺戮兵器。
どうしたってなくならない戦争。
どうしたってなくならない貧困や格差。
それらすべては巨大脳のせいだ、これは自然淘汰なんだ。
そう結論付けて笑い飛ばすしかない。
だってそれ以外に思いつく理由がどう考えたって見つからないもの。
広島や長崎も、ベトナムも、すべては百万年後の
新人類への進化のための布石だったのだと思うしかない。
そうにちがいない。(ヒロシマは「にこ毛」のための布石なのだ!)
……痛烈です。
しかし、ユーモアもたっぷりあります。そこがいいところ。
ヴォネガットの読者であれば、この百万年の年月を俯瞰して
語った人物が誰なのかは、おそらく読んでいるうちに
察しがついたことでしょう。私自身も察しがつきました。
ラストで、スウェーデン人医師に尋ねられたことで
号泣してしまうくだりにほろっときてしまいました。
本編にはあまり関係ないけれど。
それから、これまた本編には関係がないけれど、
キルゴア・トラウトはいつ死んだことになっているのだろう?
その他いろいろ。
わたしが読んだのは、ハードカバー版ですが、
95年に文庫化された際に、訳文に手を入れているそうです。
「カンガルーに出会ったころ」の『ガラパゴスの箱舟』に
その旨が書いてありました。
もしかしたらちょっと雰囲気が違うのかなぁ。
どうちがうのだろうか。
やっぱ文庫版も読まなきゃいけないかしら。
現在、正規で入手可能な数少ないヴォネガットの著書のひとつです。
読んだあとに、じわりじわりときます。
これこそ、まさにヴォネガットだなぁ…と再認識しました。
人類必読の一冊なのではないかと、あれから20年がたった今、
改めて思います。
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爆笑問題太田光が大絶賛するSF小説家カート・ヴォネガットが1985年に発表した長編作品です。
太田光によれば、「世の中で起こっている事実を彼が言うだけで悲劇ですらコメディーになる」とか。そして、「生きていることなんてたいしたことない。たいしたことないことは悲しむべきじゃないという考えを知って気が楽になった」。天才は「今、この時点が幸福」と表現できる人。などと、べたぼめです。
ヴォネガットは昨年7月に亡くなりましたが、作者自身、この「ガラパゴスの箱舟」は自信作だったらしく、エッセイ集でも「これまでに書いた最高の本」と語っているそうです。
すべては冒頭の、アンネ・フランクが遺した「いろんなことはありましたが、それでもわたしはだれも心底は善人だと信じています」という言葉に詰まっています。
「巨大脳が人間生活を耐えられないものにしている」。そのことが滑稽に、悲愴に、嬉々と描かれています。
他の作品を早くよみたくなりました。
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人類に絶望していた人がツラツラと物語を綴っています
(↑だと、勝手に決めつけてしまいましたが実際は違うのかも)
1年後とか2年後とかに ふと 再読するんだろうな、と、思った。
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序盤から、死亡者が強調して明示してある。100万年後の人間の視点に書かれている。 今読んでいるところ。。。
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独自の進化をしたガラパゴス諸島の歴史をなぞるように、生き残った人間たちの苦悩やおかしな進化を描いた作品。
「巨大脳」を人間の進化で悪と捉えた感覚が面白い。
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さすがはカート ボネガット、すごく面白かった。
ガラパゴスを舞台に起こる人間の進化(あるいは衰退)。
ガラパゴスの自然環境にしろ、動物の生態にしろ、サイエンスに忠実で、科学的な裏付けがあったり、かなり練り込まれて作られたようだ。かなり読み応えあり、皮肉たっぷり、笑いあり、涙?あり。
要約すると、
箱舟に乗ってやってきた人類は、ガラパゴス諸島で、独自の進化を遂げます。巨大脳は必要なくなり、云々、、、。
物語自体はそんなにハッピーではないけれど、悲惨さの中にもどこかユーモラスな雰囲気もして、それがやっぱり読み手を飽きさせないところなのかもしれない。
登場人物はいたってまじめに悲惨な状況に陥っているのに、なぜか笑えてくる光景だったりする。
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やはり楽しい
大好きなカート・ヴォネガットの作品。
本書「ガラパゴスの箱舟」は100万年前から現在を見るという視点が面白く視点人物として幽霊を使っている。また、謎解きなんてクソくらえってな感じでどしどし全体像を出していくあたり、物語に自信があるか馬鹿なのか・・・。
とにかく彼の人類に対する皮肉っぽく力強い物語が好きである。このテーマは、すべての作品についていえると思う。どんどん他の作品を読みたくなるなぁ。
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ダーウィンの進化論をテーマにしたSF小説。
戦争、経済、人生、男女など現代の問題に対して、進化した人間の脳がいかに当てにならないかを皮肉とユーモアたっぷりに書いている。
ガラパゴス諸島の環境が、大きな脳を不要にするという発想もおもしろい。
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爆笑問題の太田がすすめていたので、購入。
結果から言うと前衛的すぎて、、、よくわかりませんでした。
ちょっと経験値積んだら読み直したい・・・読みなおすのかなぁ
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あぁ、大好きだなあ。愛すべき作風。
しかしこの語りは真似できないレベル。100万年後から振り返って100万年前の登場人物を描きながら、いきなり今場面に登場している彼らの最期の様子を語り、今度はまだ生まれてもない赤ん坊のそのまた子どもを描いたり。自由自在に思えて、情報量をなんだかんだで配分してる気もする。一度分析してみたい。
まあそんな上手さとかより、ヴォネガットの作品はこの中毒性に引っかかった時点で全作読みたくなっている。
テキトーにくすくす笑いながら読んでるだけですべて良し。
そしてヴォネガットがこの言葉をエピグラフに持ってくるのが、皮肉でいながら泣けそうになる何か。
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語り手はキルゴアトラウトの息子!
物語ほとんど関係ないのにヴォネガットファンとしてはたまらないラスト
青いトンネルを通る描写も欲しかったなぁ
まもなく死ぬ人物の名前の前には*をつけるとかユニークな方法が使われてる
100万年後の人類は脳の小さい漁師になってそれなりに幸せに暮らすけど、果たしてこれがユートピアなのだかどうなんだか
巨大な脳の持ち主にはいまいち分かりません
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ヒトは生物の頂点に君臨すると、一応は考えられている。その根拠はいろいろ考えられるが、ひとつには脳の大きさがあるだろう。生物は進化するにつれて、脳が大きくなっていった。脳が大きければ大きいほど賢いことは、観察からもある程度わかる。例えば、犬はお手や伏せを覚えるので、ウサギよりも賢い。チンパンジーは簡単な記号も扱えるので、犬よりも賢い。脳の大きさと知能に一定の関係があるとすると、脳の大きさが最大であるヒトは、生物の中でもっとも賢い。
しかし、もっとよく観察してみると、小さな脳の持ち主たちも凄いことをやっている。ファーブルの著書で有名なスカラベは、ヒツジや馬などの糞を丸めて玉を作るが、彼らは雪だるまのように転がして丸めているのではない。頭と前肢だけを使って完全な球形を作るのだ。誰に教わることもなく。人間に道具を使わずにこんな芸当ができるだろうか。
彼らは考えてやっているわけではなく、あくまでも本能に従って行動している。ヒトは本能から離陸して理性を獲得したわけだが、生物を観察していると、昆虫や動物が本能で苦もなくやってのけることを、人間は頭で必死に考えて下手糞に真似ているとしか思えないことが、しばしばある。一体、人間と動物と、どちらが賢いのか。
本書は、人間の脳が大きくなりすぎた欠陥品で、しかも危険きわまりない邪悪な機械である、という洞察のもとに書かれたサイエンス・フィクションである。私はこの本を大学生のときに知り、以来作者のファンとなった。
ご存じのようにヴォネガットは、未来をカリカチュア的に誇張して描くことで、現在の世界の歪みを浮き彫りにする手法をしばしば用いる。本作もその好例で、ホモ・サピエンスの脳の大きさは実際には一五〇〇グラム程度だが、この小説ではそれがさらに進化し、三キログラムという設定になっている。そして人類は、脳が大きくなりすぎたがゆえに、破滅の道を歩み始める。
彼一流のユーモアに溢れた表現をいくつか紹介しよう。
「当時の人間のおとなの大部分が、三キログラムもの重さの脳を持っていたのだ! それほどふくれあがった思考機械が想像し実行できる邪悪な計画には、およそ限界というものがなかった。」
「いくら人間がふえたといっても、この惑星にはまだすべての人間にたっぷりいきわたるだけの食料や燃料などがあったが、いまや何百万人もの人びとが飢えで死にかけていた。」
「そして、この飢饉は、ベートーヴェンの第九交響曲とおなじく、純然たる巨大脳の産物だった。」
「だから、こういうしかない。当時の人間の脳は、生命をどこまで粗末に扱えるかについて、ひどく口数の多い、無責任な発案者になっていたため、未来の世代の利益のために行動することまでが、ちょうど限られた範囲の愛好家がたのしむゲームのように扱われた──たとえば、ポーカーや、ポロや、証券市場や、SF小説の執筆のようなゲームのように。」
いかがだろうか。本作は構成の緻密さという点でもヴォネガットの作品群の中でとりわけ優れた部類に入るが、作品のいたるところに散りばめられたこうした痛烈な批判の数々を眺めるだけでも一読の価値がある。
ところで、この物語では人類は絶滅してしまうわけではない。しかし、ある意味ではそれよりももっと皮肉な結末と言える。過酷な自然選択の法則は、大きすぎる脳を無用だと宣告し、人類からそれを取り上げ、彼らは小さな流線型の頭とひれを持ち、和毛に覆われた体へと「進化」して、ガラパゴス諸島の片隅にあるサンタ・ロサリア島という架空の楽園でひっそりと暮らしていくのだ。
この物語における現在、つまり、いまから百万年後の人類には、もはやベートーヴェンの第九は書けない。だが、そんなものが何になる? 巨大な脳を持つことが、そんなにも偉いのか? ここで筆者は再び、冒頭の考察に戻る。はたして人間は本当に賢いのだろうか、と。