いつものエッセイではなく
2022/12/21 19:21
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
土屋先生のいつものエッセイではなく、ちゃんとした哲学の入門書であった。哲学というと非日常的な単語を並べてやたらと難解さを競う というイメージがあったが、少なくとも本書は日常的な単語を用いて書かれていることは間違いがない。しかし書かれている内容は、哲学を飛躍や省略なく説明しているので、回りくどくもあれば面白みにもかける。
いつもの土屋先生の本だと思うとがっかりする。
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これまで読んできた哲学に関する入門書は、ほとんどのものがチンプンカンプンな内容でした。入門書のくせにエラソーにして、難しすぎるのです。でも、本書はお茶の水女子大学の初心者向け講義を文書化したものなので、専門用語も一切使用されず、とても読みやすいものでした。また、これまで漠然と思い描いていた哲学というもののイメージを覆すような内容で、とても興味深く読み進むことができました。
哲学的な難問は、そもそも問題自体に間違いがあって、その間違いは言葉の使い方、誤解から生じているものなんだそうです。この言葉から受ける誤解を取り除きさえすれば、難解な問題そのものが消滅してしまうという解決方法は、現在の哲学界において主流になっているそうですが、こういった考え方は、実はアリストテレスの時代にすでにあったものなんだそうです。とはいえ、そうか言葉の使い方の間違いに気づきさえすれば悩みは解決するのか。言葉に惑わされなければ、人生はハッピー。怖いものなどなんにもない。どこからでもかかってきなさい!というわけには、なかなかまいりません。やはりこの世は不可思議。人生は苦難に満ちているのです。ふむぅ。
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哲学って言葉遊びなんだ…!
関連の「哲学講義」もおもしろいです。
土屋先生って本当に哲学者だったんですね(笑)
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【哲学的な専門知識はゼロでOK! 土屋先生と考えよう!】「夢の中の百万円の札束がなぜ百万円とわかるのか」「人生は無意味か」など、哲学ではどのように解決するのか? 実践する哲学入門!
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独特な切り口により、哲学的な思考とは?
ということを語っておられる
文調がやや口語的で繰り返しもあったりで
はじめは読みづらいかもしれない
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人生をつまらない、と考える人と、人生はハラハラドキドキの連続だ!とポジティブに考えられる人との違いなのでしょう。p156
「朝起きて電車にゆられて」とつならない側面だけをとりだして「人生は生きるに値しない」といっているようなものです。
「よく見れば なずな花咲く 垣根かな」
雑草みたいな目立たない花が咲いていたということが、芭蕉の俳句になるのほど重要なことなのです。
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いつものツチヤ節が前回のエッセイかと思ったら真面目な哲学の本でした。
期待ははずされましたが、その期待を大きく上回るくらい興味深く面白い内容でした。
哲学って面白い。そして土屋賢二はすごい。
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問題そのものが成立しているかというところを丁寧に説明している本。
そもそもの言葉の使い方や基準(定義とも言うべきか)から議論する。
当たり前と思われることを説明する難しさを感じた。
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著者がお茶の水女子大学でおこなった哲学入門の講義をもとにした本です。
哲学入門とはいっても、哲学者の思想を紹介するのではなく、哲学の問題に対する著者自身の考えが語られています。それも、ウィトゲンシュタインが『哲学探究』で語ったような、「ハエにハエとり壺から出口を示してやること」、つまり哲学的な問題と思われているものが、じつはことばの使い方を誤っていたために生じた疑似問題にすぎないことを明らかにするという試みがなされています。
ユーモア・エッセイではなくまじめな哲学の議論が展開されていますが、それでも随所にくすっと笑ってしまうようなギャグが散りばめられていて、楽しく読むことができました。
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あとがきで、哲学の問題は問題としては間違っている、と書いてある。こうした方略でかかれた本であり、さらに大学生に教えたということからほんにしているのでとても分かりやすい本になっていると思われる。
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ウィトゲンシュタインの論理哲学の核心に触れられます。そもそも、それは問題として間違っている、問いの立て方を間違えていることによる無用の悩みがスッキリしました。例えば、どうせ死ぬのに生きる意味があるのか、というような問い。
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哲学が文学部に属していることを初めて知った!
『あたらしい哲学入門 なぜ人間は八本足か?』 土屋賢二 (文春文庫)
面白かったなぁ。
想像していたのと全然違った。
“ことば”に始まり“ことば”に終わる超文系。
脳みそをぐるんとひっくり返したような、今までに出会ったことのない考え方がすごく新鮮だった。
読み終わった今も、狐につままれたようで、何だか騙されているような気がする(笑)
著者の土屋賢二さんは、お茶の水女子大学名誉教授で哲学者である。
しかしキャラはゆるい(笑)
この本は、土屋先生の、大学での実際の講義を文章にしたものだ。
哲学というのは、永遠に答えの出ない問題を、それこそ人類が滅亡するまで延々と考え続ける学問だと今まで私は思っていた。
しかし土屋先生は、哲学はクリアだと言い切る。
それが本来の哲学の基本姿勢なのだそうだ。
「ぼくは哲学にはちゃんとした答えがあると思っています。もしも答えることができないのなら、なぜ答えることができないのかという根拠があると思うんです。哲学には、答えの出ていない問題も多数ありますけど、それでもやがてはちゃんとした答えが見つかるはずだとぼくは思っています。その“ちゃんとした答え”とぼくが考えるものをこの授業でご説明したいと思います。」
しかも
「この授業では、みなさんに100パーセント理解して納得してもらうことを目指しています。」
と宣言していてすごい。
サブタイトルに「なぜ人間は八本足か?」とある。
この謎かけのような文、これが実は哲学の問題のすべてを包括していたのだということが、読み終わるとわかる。
哲学の問題を解決する方法としていちばん大きな柱は、「哲学の問題はどれも問題として間違っている」というもの。
これじゃあ身もふたもないじゃないかと思ってしまうが、ほとんどの問題はこれで解決するというのだから驚きだ。
二十世紀以降は、哲学の問題が、言語的誤解、言語の誤用から発生していると考える哲学者が増えてきたそうだ。
古代ギリシアのアリストテレスもそういう考え方をしていたんだって。
さて、「なぜ人間は八本足か?」
これは明らかに誰が見ても、問題そのものが間違っていることがわかる。
ではこれはどうか。
「ロウソクの火は消えるとどこへ行くのか?」
一見するとどこも間違っていないように見える。
それどころか、何やら哲学的な深い意味があるようにさえ思える。
でも実は、この文も問題として間違っているんだよね。
なんでか分かります?
えっ、そんなんでいいの?と思ってしまうほどクリアな解釈には目からウロコだ。
ゼノンの「飛ぶ矢は飛ばない」というパラドックスを、アリストテレスがあっさり解決したという話が面白かった。
これも物理的な問題ではなく、“ことばの誤解”からくる問題なのである。
二つ目の柱��「基準」。
A型インフルエンザであることの基準。
気温が23度であることの基準。
“基準”はいわば“ものさし”だ。
では「時間」はどうか。
時間を計るということはどういうことか。
空間を計っているだけではないのか。
時間と空間は相容れないのではないか。
いやいやこれも、「基準」を使って解決できるんですねぇ。すっきりと。
最後の柱は「二つの意味」。
私たちは、普段の生活の中で“客観的事実”と“個人的態度”を混同して使ってしまっているという。
例として、「人生は無意味か」という、何とも哲学っぽい問題があげられている。
これには思わず笑ってしまったんだけど、「人生はつまらない」という人は、人生を客観的に記述、描写しているわけじゃなく、単に、自分はつまらないんだよという、個人の態度を表明しているだけなんだそうだ。
肩の力、抜けまくりますよねぇ。
「決める」と「知る」は両立しない、というのも面白かったな。
「夢に出てきた裸の看護婦さんが、なぜ看護婦さんだとわかったのか?」という例文が何とも……
「理解とは何か」
「存在とは何か」
「本当の自分とは何か」
これらはきっと、ずっとずっと昔の古代ギリシア時代から続いている哲学の問題なのだろう。
しかし人は、これらのことに言語的誤解があることに気付かずに、誤った人生観を持ったり苦しんだりすることがあるのだと、土屋先生は言う。
その誤解を解く、という作業は、これまでも、そしてこれからも続いていく。
ああ、やっぱり延々と続くんじゃないの……
と、思ったその先に、“哲学”が見えた気がした。
なんとなく。
人がより良く生きるために。
そういう学問なんだね。
読む前の予想を裏切る読後感。
なぜかとても清々しい。