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キューバ危機
ー緊迫した状況の中でのアメリカ首脳の競技は、激しく意見が対立し、意見が紛糾した。怒りが爆発し、感情的なぶつかり合いも起こった。冷静を求められれる指導的立場の人間であっても、恐怖と緊張が極限に達すると、自勢力を失い、安易な道を選択したり、戦争という誘惑に負けてしまうことがあるものだ。それは”恐怖の均衡”が戦争を抑止するといういわゆる核抑止論が、いかに根拠薄弱なものであるかを示して余りある。ー
ーいかに文明が進歩しようとも、いかに時代が変わろうとも、最後に問われるのは「人間」自身である。人間の決断が、自らの運命を、そして世界の運命を決定づけていく。”キューバ危機”は改めてこの当たり前のことを実感させたといえまいか。ー
米物理化学しゃライナス・ポーリング博士
ー「世界には軍事力や核爆弾という悪の力よりも更に偉大な力がある。善の力、道徳や、ヒューマニズムの力である」(『ノー・モア・ウォー』)ー
ー仏法者の平和への戦いは、強盛な祈りから始まる。そして祈りは決意となり、智恵をわかせ、勇敢なる信念の行動となる。ー
ー仏法は、一切衆生が皆、仏であると教えている。万人に仏性があり、自分も相手も仏の生命を具えていると説く、仏法の生命哲学こそ、人間の尊厳を裏付ける大思想です。その教えが流布されるならば、必ずや、戦争を防ぐ最大の力となります。ー
ーこのころ山本伸一の身辺はにわかに慌しくなっていた。”キューバ危機”を経て間もなく、アメリカのケネディ大統領から、会見を申し込まれたのである。ある著名な民間人が伸一を訪ね、ケネディとの会見の意向を打診したのだ。ー
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第7巻読了。
「文化の華」「萌芽」「早春」「操舵」の4章。
それぞれの人間ドラマに感動と学びがある。
「文化の華」の章は、いわゆる「キューバ危機」における第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディのリーダーシップが描かれている。東西の軍事競争が進む中、アメリカと海を隔てた隣国であるキューバに、ソ連のミサイル基地建設が秘密裏に進められていたことから、ケネディとフルシチョフによる政治的交渉が緊迫化し、一触即発の状態となる。
現トランプ大統領が第45代で、ケネディからちょうど10代目にあたるが、現在の情勢は、本質的なところで全く当時と変わっていないなという感想をもったものだ。
軍事力による威嚇で国力を誇示しようとする危険な発想、国家間の争いが、何の関係もない民衆の平和を脅かし、恐怖に陥れる構造、そこに求められる国家的リーダーの判断力。
幸いにもケネディの判断力が、戦争を回避させ、結果として多くの人々の命を救った。その判断力を称えるストーリーになっていたと思う。
本書の主人公・山本伸一もまた、世界の平和を考え、自己の信念のもとに行動する。「萌芽」の章、「早春」の章では、世界にまいた平和の芽が芽吹き始めた様子が描かれている。米国、欧州、中東、マクロの構想を持ちながら、それぞれの地で、細かく丁寧に手作りで人材育成を行い、組織づくりを進める草創期の姿に改めて感動した。
「操舵」の章では、昭和38年のいわゆる「三八豪雪」で列車に閉じ込められた乗客を地元の同志が炊き出しなどで助ける暖かなドラマが描かれていた。
さらには、この章が「操舵」とされている理由が、この章での山本伸一とある大物政治家をめぐるできごとの中に込められていた。権力を笠に着た横暴と誠実との戦いのシーンが鮮烈に描かれていた。
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著者、池田先生(1928~2023)の作品、ブクログ登録は9冊目。(対談集を含む)
で、本作の内容は、次のとおり。
---引用開始
【文化の華】
1962(昭和37)年10月22日、アメリカのケネディ大統領は、キューバにソ連の攻撃用ミサイルの発射基地が建設されていると演説。
米ソ間の緊張は一気に高まり、人類を全面核戦争の瀬戸際に追い込むキューバ危機がぼっ発した。息づまる攻防のなか、28日、米ソ両首脳は破局の回避で合意する。
11月、恩師に誓った300万世帯という平和勢力を達成。そうした時、伸一のもとにケネディ大統領との会見の話がもたらされる。
【萌芽】
1963(昭和38)年1月8日、伸一はアメリカを最初に、欧州・中東・アジアを巡る世界一周の平和旅へ。アメリカではハワイ、ニューヨークに支部が誕生し、ロサンゼルスを加え、3支部へと発展。
生命を削る思いで一人一人の友を激励する伸一に、相呼応して新たな人材群が信心に奮い立つ。目覚ましい成長の姿を示しながら、各地に地涌の若芽が育ちゆく。
【早春】
欧州でも、ヨーロッパ総支部・パリ支部が結成。伸一の間断なき激励行は、スイス、イタリアでも。アジアにも世界広布の流れが着実に広がり、香港で3地区が結成。
1月27日、帰国の途に就く伸一は、飛行機のエンジントラブルのため、予定にはなかった台北(台湾)経由の便に変更。空港には、ひたすら彼の訪問を待ち望んできた友が集い、劇的な出会いが実現した。
【操舵】
1月24日夜、総本山を下山し、新潟駅まで帰る会員約900人が乗る団体列車が豪雪のため、宮内駅で立ち往生してしまう。地元同志は、おにぎりや豚汁など真心の支援を続け、車内の友も懸命に耐え抜く。創価の同志愛が輝きを増すなか、約93時間ぶりに運転が再開される。
4月9日、台湾の台北支部は政府の命令により解散。メンバーは弾圧の嵐にも「冬は必ず春となる」と耐え、27年後、晴れて認可を受ける。
---引用終了
気になった箇所は、
【早春】p260
「レバノンには、まだ学会員は一人もいなかった。」
レバノンでは、キリスト教徒とイスラム教徒が併存しているようです。
さすがに、仏教徒は少数派。
イスラム教徒は、スンナ派、シーア派、ドルーズ派がいるようです。
この中で、ドルーズ派というのは、初めて聞きました。
ちょっと調べておきます。
---引用開始
ドゥルーズ派(ドゥルーズは、アラビア語: الدرزية, al-Durūzīya)は、レバノンを中心に、シリア・イスラエル・ヨルダンなどに存在するイスラム教(イスラーム)系の宗教共同体。レバノン内戦時は、キリスト教徒のマロン派と激しく対立した。
---引用終了
【操舵】p358
「吉田石松の無罪判決に喝采を送った。」
吉田石松さんは、冤罪で投獄され、50年かけて、無罪判決を勝ち取った、「昭和の巌窟王」と言われる方です。
ウィキペディアには、次のように書かれています。
---引用開始
吉田���窟王事件(よしだがんくつおうじけん)は、大正時代に発生した強盗殺人事件。この事件は名古屋の小売商が殺されたものであったが、殺人事件そのものよりも、被疑者の虚偽の供述から吉田石松が警察に主犯として逮捕され、その後、吉田石松が冤罪を訴え続け、事件発生から半世紀後に再審で無罪を勝ち取った事件として紹介されることが多い。有名な冤罪事件の一つである。この事件は冤罪事件として、日本弁護士連合会が支援していた。
---引用終了