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最近娘と話していて私が学校で習ったものと異なるなと感じるものに、古代における歴史の地名等があります。その一つがこの本の題材になっている朝鮮半島に任那という日本の支配地のことで、最近は「加羅」と習っているようですが、それが任那を構成していた一つの国であったとこの本を読んで初めて知りました。
歴史を他の国と共有することは難しいというより不可能だと思われますので、過去に行っていたことの是非を問うよりも、歴史という本来は一つしかない事実はどうであったかをこれから歴史を学習する人には学んでほしいと思います。
以下は気になったポイントです。
・前方後円墳の発祥国は韓国で倭国へ伝えられたという主張が破綻したのは、日本には岩手県から鹿児島県まで広い範囲で見つかっていて、かつ韓国のものよりも古いから(p28)
・沖ノ島は、縄文前期(6000-5000年前)から、ニホンアシカの再生を祈る宗教儀式が始まって以来、5000年に渡って祭祀が営まれ続けてきた。国家祭祀としては、10世紀まで宗像氏の協力を得て行われた(p32)
・朝鮮半島南部には、日本特有の墓制である前方後円墳が14基発見されていて、これは日本の影響力が半島南部に及んでいたことを示す証拠である(p58)
・奴国(福岡市周辺)が2万戸あり、57年に単独で後漢朝に朝貢し、印綬を与えられている。この時、正月の祝いに出かけて行っており、これは暦を理解して行動、また大陸と交渉するだけの文化・人材も備えていることを意味する(p95)
・任那日本府の存在は、早くて西暦200年頃、妥当な線でも370年、確実なのは390年頃からと断言できる(p131)
・541年には欽明天皇が呼びかけることで、百済の聖明王が主催して、7か国の王族が集まって任那復興会議が開かれた(p168)
・任那は532年に滅亡、今では、百済・新羅・大陸の隋や唐も滅亡したが、日本のみ生き続けている(p240)
2013年12月1日作成