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3世紀前半、世界を支配するローマ帝国皇帝のこころを、当時の状況と社会環境のなかで、キリスト教の何があそこまで捉えたのでしょう?
2008/06/25 17:34
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:緑龍館 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ローマ帝国の制度的疲弊が激しくなる3世紀後半、ローマがローマ的でなくなっていく時代の物語です。
284年にローマ皇帝となるディオクレティアヌスは、北方からの蛮族の襲来を防ぎ広大な国境線を死守するため、帝国の領土を四つに分け、それぞれに正帝や副帝をおく「四頭制」を創設します。これにより帝国の平和は守られましたが、兵力は倍増し、かれらを養うため税金の徴収額もうなぎのぼり。また、ほとんどすべての職業に世襲制を敷くことにより、社会の流動性も失われ、ローマ社会はより一層柔軟さと変化に対応する力を無くして行きます。
その一方、ディオクレティアヌスは生前に自ら進んで退位し、鮮やかな退き際を見せますが、引退後の帝国は彼の思惑とはまったく異なる方向に進んでしまいます。四頭制のはずだったのが、あちこちに自称皇帝が乱立していつのまにか「六頭制」となってしまい、帝国はふたたび混乱に陥ります。これを鎮め帝国を統一するのが、キリスト教を公認し、「大帝」と呼ばれることになるコンスタンティヌスです。
彼が招聘した「ニケーア公会議」において、神とイエスは同位ではないとするアリウス派が異端とされ、「三位一体」が確定するのですが、人間の「救済」を象徴するキリストの復活と昇天を認めることにより、キリスト教ははじめて「世界宗教」となる礎をもつことになったという著者の指摘には、フンフンなるほどと頷かされました。「なぜなら人間は、真実への道を説かれただけでは心底から満足せず、それによる救済まで求める生きものだからである。」 そこでフト考えたのですが、だとするならば、他の世界三大宗教となっている仏教とイスラム教が、その理念のなかにもっている、世界宗教としての「力」とは何になるのだろうか。他の宗教が廃れていく中で、なぜこれらの宗教はいまだに世界中の人々のこころを捉えて放さないのでしょう?本書とは関係無いけれど、知りたくなりました。ところでニケーア公会議以前の段階において、キリスト教会は上記の教理解釈などを巡ってかなり分裂していたようで、ここでの決定が無かったら、キリスト教は果ての無い教理論争によって分裂を重ね疲弊して歴史から消えうせていった可能性が高い、という宗教学者の見解もあるそうです。
コンスタンティヌスはまた、自らの名前を付けた「コンスタンティノーブル」(現 イスタンブール)に帝国の都を遷都したことでも知られていますが、にも拘わらず、社会、経済、軍事などのあらゆる方面において、ローマ帝国の衰退は留まるところを知らず進行していきます。塩野は、ローマがそのもてる力を喪失していくありさまを、文化の側面でも「芸術」との関係で一例を紹介していますが、これは興味深いものがありました。建設期間の関係で、過去のあちこちのモニュメントから引き剥がしてきたパーツのいわば寄せ集めとして作られたローマのコンスタンティヌス帝の凱旋門。そこに新しく施された彫刻は、それと並んで外壁を飾る、過去の2世紀頃までの浮彫彫刻に比して、素人目にもその稚拙さが際立っているのです。ひとつの社会における芸術の水準は、国力に影響される -考えてみれば当たり前のことでありますが、鋭いシテキだ。
キリスト教徒に対する最後の大弾圧を強行したディオクレティアヌスに対して、彼の実質的な継承者であるコンスタンティヌスは、なぜ一転してキリスト教を公認し、最後には死の床で帰依までしたのでしょうか?著者は、コンスタンティヌスが自らの帝位を確固としたものにするため、キリスト教を支配の道具として利用したのだ、つまり、以前のローマ市民と元老院から委ねられた皇帝の地位から脱して、一神教である故に絶対神からの権力の行使の委託を受けた存在として不動の帝権を確立するという意図を強調し、そのプラグマティックな側面のみを指摘していますが、これだけではなんとなく納得がいきません。この推測はあくまでも著者の想像であり、具体的なその根拠も提示されていません。また死ぬ直前に洗礼を受けたというコンスタンティヌスの心理解剖は、塩野らしいシニカルな視点からのもので、読んでいてニヤリとさせられるのですが、しかし肝心の、キリスト教の何が彼の心を捉えたのかという点は語られていません。この彼の信仰心と、権力保持の道具としてのキリスト教の利用というマキアベリズムとの乖離も放置されたままです。もちろん言葉を残さず死んでしまったコンスタンティヌスの心中を推し量ることは不可能なことなので、この謎に答えることが出来るのは、歴史学者的視点からのアプローチではなく、小説家の創作しかないのかもしれません。でもそれ故にこそ、どうせなら塩野にはもう一歩踏み込んで想像の翼をはためかして欲しかった。3世紀前半、世界を支配するローマ帝国皇帝のこころを、当時の状況と社会環境のなかで、キリスト教の何があそこまで捉えたのでしょう?ぼくとしては、これは非常に好奇心がそそられる点なのです。この問題に対する塩野の視点は、状況に対するシニカルな解釈に留まっていて、いつもの思い入れと鋭い問題意識が感じられず、ちょっと物足りなさをおぼえました。ひょっとして、自らは信じる宗教を持たないみたいな著者の限界が現れてしまったのかも知れないと言ったら、言葉が過ぎるだろうか。
→緑龍館 Book of Days
なぜローマ帝国はあれほど忌み嫌っていた一神教を選択したか
2005/06/15 11:51
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る
「四頭政」を創始しキリスト教を弾圧したディオクレティアヌスと,その政体を崩壊させて絶対君主となり,同時にキリスト教を公認して中世の扉を開いたコンスタンティヌスの時代。毎年一回このシリーズを読むと遠い昔の世界史の授業を思い出すな。そうでしたそうでしたローマ帝国でキリスト教が公認されたのは「ミラノ勅令」によってでした……。
そうは言うがオレが受けた授業では当時のローマ帝国のコトコマカな事情など全く説明されなかったから(日本の学校教育では当たり前?),1970年代のジャガイモ高校生としては「コンスタンティヌスという皇帝がいきなりキリスト教に帰依して帝国の方針を180度転換し,ついでに首都をコンスタンティノープルに持って行った」てな印象しか残っていなかった。
が,やっぱり全然違うんですね。つか,洋の東西を問わず帝国のトップに立つようなヒトはそんなに単純ではないのであった(あ,たった今,頭の中に現存する例外の顔が浮かんだヒト,私も浮かびましたがとりあえず忘れましょう)。コンスタンティヌスがキリスト教を優遇したのは彼が実現しようとした絶対君主制にとってローマ・オリジンの多神教より一神教であるキリスト教の方が便利だったからだったのだ。
構造的にはこれ,国策として仏教を保護し,政治をホトケの教えで権威づけようとした飛鳥王権(聖徳太子と書いてもいいんだけど,オレはこのヒトの実在を疑う説の支持者なのだ)の同じテグチなわけなのだ。手塚治虫「火の鳥・鳳凰編」および「火の鳥・太陽編」参照,というトコロですな。コレはオレの個人的な飛躍だけど,安土時代に信長がキリスト教に肩入れしたのもこのコンスタンティヌス的思惑によるものだったかも知れぬ。彼も絶対君主を指向していたのでは?
塩野の冷静さに思わず頭がさがる。それにしても思うのだ、もしコンスタンティヌスがキリスト教を認めていなかったら、いまごろ世界はどうなっていたのか、と
2005/03/05 21:14
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投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
巻頭に、この巻の扱う時代を簡単に説明した1頁の「読者に」があって、以下、第一部「ディオクレティアヌスの時代」(紀元284年〜305年)、第二部「コンスタンティヌスの時代」(紀元306年〜337年)、第三部「コンスタンティヌスとキリスト教」と続き、それに年表、参考文献、図版出典一覧という構成。
このシリーズを読み始めて10年以上にもなるので、正直、年代的なことを殆ど忘れている。そんな私に配慮してくれたのか「読者に」では、
「紀元前八世紀からはじまって紀元後五世紀に終わるのがローマ史だとする史観に立つならば、ローマの全史は次のような進み方をしたと言えるだろう。
王政→共和制→初期・中期帝政(元首政)→後期帝政(絶対君主政)→末期
この巻でとりあげるのは、歴史上では「帝政後期」の名称で定着している、絶対君主政体に移行した時期のローマ帝国である。
なぜ、絶対君主政に移行したのか。
その実態は、どのようなものであったのか。
そのどこが元首政とはちがうのか。
そしてそれは、どのような結果につながっていくのか。」
その鍵を握る人物が、第一部で取り上げられるディオクレティアヌス。たしかに、名前は覚えている。しかし、この人は何をやって有名だったのだろう、なにか大きな戦争で劇的な勝利を挙げたとか、あるいは凄い建築物を造ったとか、文化的に寄与したとか、はたまた悲劇のヒーローだったとか。
そう、どれも違う。塩野の「読者に」では、最初からこのディオクレティアヌスが絶対君主政への道をこじ開けたかのような印象だけれど、本文を読めば、まず彼が手をつけたのは、ローマ全土を二人の手で統治する「二頭政」であり、それをさらに「四頭政」にまで拡大していく。
しかし、この巻で印象的なのは組織の肥大化と、それを機能させるための官僚機構、それがもつ非効率への言及である。帝国が大きくなる。ピラミッド型の組織を作る。それを分割する。分割されたピラミッドは、各々が重複する部分を持つ。必然的に官僚の数が増える。そして増税である。税を納める人間より、税で食べる人間が増える。おいおい、これって今の日本だろ。
勿論、塩野のことだ、それを十分に意識している。組織が完成度を高めることは、必ずしも国民の幸せを意味しない。その例がディオクレティアヌスの時代だとすれば、巨大化した国家を延命させるために無駄な努力をする、そのために宗教を利用するというのがコンスタンティヌスの時代だ。
そして重税にあえぐローマ人は、税が免除される官僚になるか、同じく税金を払わなくていいキリスト教のどちらかになろうとする。それがさらなる国家の肥大化と、キリスト教の興隆をもたらす。そして、現在にいたるも止むことのない宗教を旗印にした戦火の発端もここに始まる。
それらを、塩野のこの本ほどに分かりやすく、説得力をもって解き明かした例を私は知らない。見事、である。無論、塩野はキリスト教の問題に深くは踏込もうとはしない。むしろ、その距離感が、たとえば紀元325年に開かれたニケーア公会議での三位一体説採択のもつ意味を、明らかにする。
それにしてもだコンスタンティヌスの死の直前の洗礼を巡って、吉田茂の例をだしながら「だがこうなると、処女作以来一貫して非宗教的な視点に立って歴史を書いてきた私にも、キリスト教的に救済されるには、死の直前に洗礼を受けるという道がまだ残されていることになる。」とは見事の一語につきる。この冷静さなくして、歴史を語る資格はない。「国民のため」などという大げさな謳い文句をつけ、血が頭に上ったような歴史書のレベルの低さと塩野のそれとの差は、決して埋まることはない。
ローマがローマでなくなる
2023/12/01 09:12
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
ローマ帝国という「形」を保とうとする最後の努力が、ディオクレティアヌスとコンスタンティヌスの二人の皇帝にってなされ、ついに「ローマがローマでなくなる」という ローマ的な主体も精神も変質してしまう改革がなされてしまう という巻である。自分たちの「第一人者」としての皇帝を、至高の存在「神」から任命されたもの としなければローマ帝国という「形」は保ち得なかったのか 深く考えさせられる。
ローマ帝国の変質と対照的な二人の皇帝
2004/12/24 12:22
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投稿者:苦楽 - この投稿者のレビュー一覧を見る
相次ぐ異民族の襲撃と治安の悪化という目に見える現象の下、ローマ帝国は衰退の道を歩みつつあったが、それを食い止めようとした二人の皇帝がいた。ディオクレティアヌスとコンスタンティヌスである。
ディオクレティアヌスは当初は二頭、ついで四頭と分割統治によって帝国の防衛線を再構築し、皇帝の権威を高めるために既存の宗教を優遇、キリスト教を弾圧することになる。
対照的に、コンスタンティヌスは分割統治体制を崩壊させ、自らが唯一の独裁君主となることで帝国の再構築を行い、さらにはミラノ勅令でキリスト教を公認、ニケーアの公会議で教義を統一し安定化させ、自らの統治に役立てようとする。どちらも手法は異なれども、創成の頃の皇帝達と比肩できる久しぶりの実力派の皇帝である。
しかし、これらの努力が、守ろうとしたローマ帝国を変質させ、結果として衰退が続いたというのが何とも皮肉な結果であろう。異民族をも同化させ、そして同化されることに魅力を感じたローマ帝国ではなくなったということをつくづく実感できるのがこの巻である。重い税負担、継ぎ接ぎや放置されたインフラ、そして第一人者から君主へと変貌した皇帝、そして、宗教的寛容さの消失。
住民にとって、異民族にとって、そして日本の読者にとっても魅力的であったローマ帝国が変質したということを読むにつれて理解できる。
そして、もう一つ本書を読んで痛感したのが、ディオクレティアヌスの人生の痛ましさである。分割統治によって帝国の防衛を安定させ、東西の正副帝の設置によってそれを制度化し、キリスト教を否定することで従来の宗教を背景にした皇帝の権威を高めようとし、そして存命のうちに皇帝の地位を譲ることで自らのシステムの継続を確認しようとした、その全てが否定されるのを人生の末期において目の当たりにすることになる。
ビジョンも、意欲も、実務能力もあったが、ただその理想故に自らの仕事の成果が全て否定されるのを己が目で見るというのが、どんなものであるのか、私には見当も付かない。
キリスト教の公認によって、ローマ帝国を決定的に変質させるレールを引き、はるか中世や現代に繋がるレールを敷いたコンスタンティヌスより、私はディオクレティアヌスの方が印象に残った。
ローマ帝国存続のための努力と、それによる帝国の変質、やがて訪れる破滅と中世の到来を予感させて本書は幕を閉じる。
歴史上に屹立する二人の皇帝の業績の光と影を描いた本書は、「こうまでして」と作中に引用された歴史家の言葉を自分でも呟きながら、ローマをローマたらしめていたもの、ローマとはなんだったのか、それを深く考えさせてくれる一冊である。