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ロマンスカー・超特急・ゼロ戦と聞くと
やっぱり何だか熱くなってしまうのでございます。
ロマンスカーの速さの秘訣に、
戦時中の航空機製造技術である「振動」「空気抵抗」に関する対策があったり
新幹線の元となる技術が、国鉄からロマンスカーにて実現化され
そこから新幹線にも引き継がれ…
その経緯とその当時の努力?技術の革新?に
読みながら敬意を表しつつ、楽しみました。
ロマンスカーに関する記載は3章からで何とも長い前説ですが、
詳細な、時代背景から用語に関する説明があり
どんどん読者を引き込んでいく感じです。
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■秋葉原にある仕事先へ向かう途中にある書泉グランデに(暑さ対策を兼ねて)立ち寄ったときに『交通新聞社新書』のコーナを見つけてしまい、いくつか欲しい作品があったんだけど、まずはこれだけは読まなきゃって思って即買いしちゃった。
■ 小さい頃は小田急沿線に住んでいたので、SE車とかNSE車あたりに思い入れが強くて(そういえばデビューしたばかりの9000系の編成が入ってくるのを成城学園前あたりで延々と待っていたのは小学校3年生ぐらいだったかなぁ...)、当時は国鉄に乗り入れて145km/hの(狭軌における)世界記録を樹立したことを書いた記事も多くて。その開発裏話が書かれているのが本書なので最初から最後までとても興味深く読むことができた。
■それにしてもこのシリーズはどの作品を読んでも面白そう。暫く続くかも。(笑)
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愛知県のテツ少年にとつて、小田急ロマンスカーは憧れの存在でありました。
わたくしが自分でテツ旅行をする頃は、すでにSE車は一線を退き、短くなつてSSEと呼ばれてゐました。先頭車の風貌も若干変更され、優美さといふ点では後退してしまつた印象であります。
当時のスタアはNSEで、パノラマカーみたいに運転席を2階に上げ、全面展望を充実させたカッコイイ電車であります。
『ウルトラセブン』のワイアール星人登場の話、「緑の恐怖」に登場したのもこの電車。松本朝夫さんが車中で怪物に変身してしまひ、妻役の中真知子さんが驚愕する、あの電車です。
わたくしが初めて乗つたロマンスカーもNSEで、やうやく夢が叶ふのだなあと感激したものです。
この後も小田急では続々とロマンスカーを投入し続けますが、SEとNSEで完成された編成美を凌駕することは出来なかつたと愚考してゐます。
個人的な話はこのくらゐにして、『ゼロ戦から夢の超特急』について。
1957(昭和32)年、小田急SE車が当時の国鉄東海道線上で狭軌鉄道最高速度(145km/h)を樹立したのですが、その実現に至るまでのドキュメントであります。
その偉業を達成したメンバーは「鉄道技術研究所」の面々。ここには、元海軍の航空技術廠でゼロ戦の製造を手がけてゐた俊傑たちが集結してゐたのであります。軍需産業にはもう関りたくない、しかし自分の技術を活かせる仕事をしたい、との思ひでした。
スピードアップは経営効率に繋がると確信した車両設計の山本利三郎氏、「振動」の専門家・松平精氏、「美しいものは速い」が信念で流線型と軽量化に取組んだ三木忠直氏...
彼らが中心となり実現した新記録。小田急は自社路線は高速実験に向かないとして、国鉄線での実験を打診。しかし国鉄はなぜ東海道線に他社の電車を走らせることに同意したのでせうか。それは将来の超特急計画のためのデータが欲しかつたやうです。両者の利害が一致したといふことですな。
即ちこの高速実験の結果が、東海道新幹線の実現に繋がつてゆくわけであります。さう考へると、SE車の成功は、その後の日本、否世界の鉄道界を大きく変へたと申せませう。
それにしても、戦後わづか19年で実現した東海道新幹線。一方リニアモーターカーは、わたくしが子供の頃から実験を続けてゐながら、まだ実現しません。しかも名古屋まででもあと13年かかる。大阪まで開通する頃には、わたくしは死んでゐるかもしれません。淋しいのであります...
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この新書では、ゼロ戦から鉄道開発者の夢でもある「弾丸列車」や「超特急」の解説。戦後の鉄道史など書かれています。