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070828(a 080422)
090811(a 090909)
091110(a 091215)
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わずか160ページでこの内容なのかー、、ヘッセの作品は聖書のようであり、禁書のよう。彼の真理が惜しげもなく、直接的に描かれていて。ヘッセは賢い。シッダールタは賢い。でもそのことは大切な事ではない。めいめいは皆梵である。すべてのものは、人は、愛すべきものだ。結局のところ、無償の愛を持つヘッセを、私も愛しています。
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はじめ言葉の繋がりが慣れず、とても読みにくく感じたが、すぐにぐんぐん先を読めるようになった。シッダールタの思考の流れがするする入ってくる。ヘッセの思うことがシッダールタに仮託されている。読んでいるとシッダールタは聖人だけれど、ただ人(小児人)の人生と同じだと思った。「この道はたわけている。らせん形を描いている。輪を描いているのかもしれない。好きなように進むがよい。自分はその道を行こう。」という下りが好き。
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1回読んだときはまったく理解できなかった。その時はブッダの生涯が読みたかったのに、現実味のないお話で。
だいぶ後になって読み返したら、全然印象が違ってよかった。
ブッダの生涯が知りたいなら手塚治虫の「ブッダ」がいいよ。
これはまた別の話です。
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一つの石を私は愛することが出来る、ゴーヴィンダよ。一本の木や一片の樹皮をも。―それは物だ。物を人は愛することが出来る。だが、言葉を愛することはできない。だから、教えは私には無縁だ。教えは硬さも、柔らかさも、色も、かども、においも、味も持たない。教えは言葉しか持たない。たぶんおん身が平和を見いだすのを妨げているのは、それだ。たぶん言葉の多いことだ。解脱も徳も、輪廻も涅槃も単なる言葉に過ぎないからだ、ゴーヴィンダよ。涅槃であるようなものは存在しない。涅槃という言葉が存在するばかりだ −本分より
釈迦の名前を借り、一人の人間が解脱するまでの苦悩と遍歴を綴った作品。ヘッセ芸術の一つの頂点。独特な文体の美しさはさすが。それにさることながら、そこに記されている人間の心の移り変わり、悟りの内容は、ヘッセ自身の哲学、宗教性の高さを物語っている。文学の素晴らしさを遺憾なく発揮している作品。ヘッセがこれを書き終わるのに長い期間がかかっているのは、シッダールタの開く悟りを表現するに当たっての自身の内面の幼さからだと言う。彼は改めて禁欲などの行にいそしんだということ。その背景のストイックさが現れている。
08/7/10
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高校時代ヘッセにはまる原因となった本といえば「シッダールタ」と「知と愛」。 中高生読書推薦本として読んだもっと有名な「車輪の下」は訳者が高橋 健二氏ではなかったので読み足りず共鳴できず、こんなんだったら町中の本屋駆け回ってでも高橋 健二氏の翻訳を読めばよかったと悔しい思いをした。
この本最初読んだとき最終章読んで鳥肌立ったよ。人生に迷いがある人は読め。
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めちゃくちゃ読みたかった本。
古本屋にて遂に発見。
かなりボロボロだったけど105円だし、そこは我慢。
俺的には最期、シッダールタがゴーウィンダにくちづけさせるくだりで全てぶち壊しだなー。
なんで最期の最期で思いっきりファンタジーしちゃったんかなー・・・。
まー宗教的な話は最期を論理的に上手く〆るのはまず無理だとは思うんだけど。少なくとも俺は読んだ事ない。
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悟りを開くというのは、心理または真理を知ることだと思っていた。
本当の真理とはいったいなんだろうか?
「言葉や思想は重要でない」「物は言葉より好ましい」
「世界を愛しうること、世界をけいべつしないこと、世界と自分を憎まぬこと、世界と自分と万物を愛と畏敬をもって眺めうること」
作中のシッダールタの言葉であるが真に万物を愛せるようになることで悟りの境地に達するということなのだろう。
壮絶な人生における経験を常に学んだが故に行き着いた悟り。
「言葉や思想は重要ではない」という・・・
深い・・・ 味わい深い作品である
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内面を只管(ひたすら)に探求し続ければ、そこには全ての事象が在り、シッダールタもそこにまた在り続ける。
ヘッセという作家の心は囚われる事無く、限りなく自由だったのではないだろうか。
この作品は、善悪を超越した真理の意味を問いかけているように思う。
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within the river...気持ちが穏やかに静やかに、、、思わず世界に想いを馳せてしまうような本。
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久しぶりに一気に読んだ本。
シッダールタの言い回しがとても好き。
他にもヘッセをいろいろ読んでみたいと思った。
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好きな本のひとつです。
`悟り`を追求したヘッセですが、端的にその哲学が語られている本かなと思って。
ヘッセはよく、対局する人物をつかって一方を引き立てるという手法を用いますが、このおはなしもさもあらず、ゴーヴィンダというお友達がそれにあたります。
彼は老いて尚悟りを開けないという切ない設定ですが、
対話者としてシッダールタの思考、言葉を引き出しています。エライ。
多分、シッダールタの思考≒ヘッセの哲学なんだと思うけど、
この哲学をもって実際に現実を生きたヘッセという人物像に興味津々ー。
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ヘッセ…ヘッセ!
なぜ今まで読まなかったのか!でも今だから理解できるのか。
シッダールタ誰?神さま?くらいの知識で読んだ…とても人間くさいお人だった(フィクションだけど)。
人間っておもしろい。
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修行や教えを捨てて、
違う生き方によって徳を求めたシッダールタは、
川の声を聞くことで
全てをありのままに受け入れることが大切だと気付く。
「時間の概念を捨てれば、
万事がひとつのところにある」という考え方は
「過去」の失敗や悲しみとともに
生きていくためのヒントとなる。
25歳女性
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最初は仏陀の伝記的な話かと思ったのだが、同じ名の架空の人間の話だった。
仏陀も登場して主人公と絡むのだけど、それは少なめ。
というか仏陀と袂を分かつ。
そこから主人公が紆余曲折を経て、自分なりの悟りに至るというもの。
西洋人が東洋思想を書いたものだけど、全然違和感がないので日本人には向いているような気がした。
ヘッセは文章が詩的だけど、この作品は特にそれが光っていたと思う。
東洋思想は詩的な要素も強めだし(反面、西洋思想は理系的というのだろうか・・・上手い表現が見つからない)。
ネタバレになるのだが、主人公は愛こそ至上のものだという悟りを得る。
これは仏教では単なる煩悩であると解釈されているが、ヘッセは東洋思想を通過して、西洋的・キリスト教的な愛を東洋的に表現したかったのではないだろうかと感じた。
仏教とキリスト教のいいとこ取りというか。
思想的にはシンプルだけど、シンプルなものこそ表現するのが難しいと思う。
やはりヘッセの筆力が圧倒的なんだろう。