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フェミニズムに関する、著者が影響を受けた著作の数々を紹介していく本。
サイードの「オリエンタリズム」の章で、オリエンタリズムがジェンダーと同じ構造であるというのが面白かった。オリエンタリズムというのは、支配者である西洋が審美的に東洋をまなざす視点であって、支配者としての男性が被支配者の女性を審美的に見る視点と重なる。次のセジウィックの「男同士の絆」では、異性愛規範は一つの制度であって、女を欲望の対象とすることで互いを男と認め合うホモソーシャル・同性愛的な心理を排除するためのホモフォビア・女を徹底的に他者化するミソジニーが一体となって異性愛が自然として受け入れられていることが述べられている。いずれにせよ、女というものは男の他者として存在し、その他者である女を通して男が自己を認識していく、みたいな、男のアイデンティティ確立のための道具として他者としての女が設定されているような感じがした。
異性愛が自然なのではなく、日本でも古代ギリシャでも普通に男色や少年愛はあったし、異性愛が自然であるというのは近代作られた制度であるということか。
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生きた思想、生きた言葉がここにはある。
とりわけ前半の日本の女性を扱った言葉は、間違いなく血が流れている。温かく、痛みを伴って。
後半の海外の理論家の紹介は、切れ味抜群だ。
・富岡多恵子『藤の衣に麻の衾』ヒマつぶしとしての人生
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女性の生きづらさ、不満、喜びを、表現し、他の人々を動かしてきた人たちの紹介。いま、それぞれが自分らしくあるべき、という風潮になっているのは、先人たちのおかげなのだなと。大人向け偉人伝を読む思い。感謝。
●森崎和江
P25 性の交換は、千万の言葉よりもふかく個体の基本的資質を表明するんです。わたしはそこにあらわになるものを男あるいは女の普遍性とこの特殊性とのかねあいとして凝縮させ、そして内的な交換を深めていきたいとうろうろしつづけました。
P29 あなたは誰のものでもない
あなたは ただ あなたのもの
P35 男の思想の単独性とは、自分ひとりの個体のひろがりに限定されるだけなく(個人主義)、自分一人の個体の時間にも限定される(一代主義)まずしさを持っている。
(上野)今日の環境思想=”未来世代との連帯”
●石牟礼道子
P44 (上野)ひとは想い、惑い、考え、経験を言葉にせずにはいられない生きものだ。何のために?ことばという公共の乗り物に載せて、それをまだ見ぬ人へ届けるために。
●田中美津
P81 わかってもらおうと思うのは乞食の心
P81 男に評価されることが、一番の誇りになってしまっている女のその歴史性が、口を開こうとするあたしのなかに視えて、思わず絶句してしまうのだ
P83 このあたしがクズであるはずがないじゃあないか!と立ち上がったのが、あたしのリブであった。
●富岡多恵子 藤の衣に麻の衾ふすま
P105 (梅棹うめさお忠雄)母という切り札を掲げて自分の人生を喪失してまで母の立場に埋没していかねばらならぬ妻たちを、母という城塞の中から、一個の生きた人間としての女を救い出すには、いったいどうしたらいいのか。
P112 性愛ロマンティシズムの対極、性と愛の分離、女性版ニヒリズム
「芻狐(すうく)」性からあらゆる装飾をはぎとって「動物になって生きる希望」を描く
●水田宗子
P129 聖処女、母なるもの、あるいは永遠の娼婦像-それらの女性像は男性の夢の根源であると同時に、女性自身にとっての幻想でもあった。
P141 『男流文学論』
●ミシェル・フーコー
一夫一婦制の誕生
P169 私的領域は公的に作られたものである
P172 『オナニーと日本人』木本至
近現代の日本において性はプライバシーでさえなかった
●エドワード・W・サイード
P185 「東洋人(オリエンタル)」という歴史的役割に自分自身が巻き込まれている
(上野)女性も同様・・・歴史的役割に自分自身が巻き込まれている
P188 女性とは、通例男性的な権力幻想によってつくりだされた生き物なのである。女性たちは限りない官能の魅力を発散し、多少なりとも愚かで、なにはさておき唯々諾々と従うものなのだ。
P198 (上野)コスプレ=覇者が与えた「指定席」の役割を自ら引き受け、それを過剰に演じてみせる
(上野)要約:男の期待通��に動くのは容易だが、一生は続かない。(自分自身ではないから)
●イヴ・セジウィック
P215 (葉隠れ)恋=男と男の情
男は男と認め合った者たちのために、すがる女をふり切って死地に向かう。なぜなら女との性愛より、男との盟約の方が価値が高いから。
●ジョーン・スコット
P247 (上野)radicalに考える=根源的に考える
●ジュディス・バトラー
P284 言語に従属した人間は、同じ言説行為を反復実践することしかできなくなる
ありとあらゆるコミュニケーション行為は、受け手の反応によってはじめてその効果が測定されるような、予想のつかないギャンブルであり、その効果を話し手がコントロールすることができない。そのことが、かえって変革への可能性を与える。
「境界の攪乱」は、既成の秩序をゆるがす変革的な実践であるだけではない。それは既存の秩序を揺るがし、それに亀裂を走らせ、断絶を持ち込む。
その不安と恐怖に最も敏感に反応する者たちは、境界線上に位置する者たち(ホモセクシャルズ等
性差別は、男性の既得権がもはや安泰ではなくなったところで、女性に向かってより暴力的に行使される。(竹村『境界を撹乱する』)
●あとがき
P303 思想とは、経験を言語化・歴史化・理論化することであり、現実と戦う武器である。
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上野先生の血肉となってきた本がどんなものなのか。単なる読書案内には留まらず「だからあなたにも読んでほしい」という情熱の込められた1冊。
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上野千鶴子の「ことば」を形作ったのは、あえて「おんな」として振る舞うことで「おんな」の思想を表した女性たちの「ことば」であった。この本のタイトルがかっこ付き平仮名の「おんな」を用いているのは、「おんな」がつくられた概念であることを端的に示すためである。タイトルの時点で脱構築を表明するとんでもない本。