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英語化は愚民化 施光恒
母国語を捨て、外国語による近代化をはかった国で成功したものなどほとんどない。学問を英語で教えることにより、英語に時間をふんだんに割ける少数の特権階級だけが文化を独占することになってしまい、一般大衆と大きな格差と断絶が生じてしまうだろう。
モルレーは教育とは全世代までの伝統の蓄積にたって行われるべきものであり、まったく新しい基礎の上で成り立つものではない。
教育政策で変えていいものと悪いものがあるが、教育で用いる言語はもっとも変えてはならぬものと述べている。
近代化のプロセスで不可欠だったのが翻訳である。普遍と目された多様な外来の知を翻訳という作業を通じて各社会の既存の言語や文化のなかに適切に位置付ける。つまり、土着化さる。この翻訳と土着化は、言語的翻訳だけではなく、外来事物を解釈し、自分たちになじみやすいように、変容させ、それぞれの言語や文化のなかに適切に 位置付けられる。
日本人が英語が下手なのは。日本が近代化に成功し、英語を用いなくても生きていけるからである。
日本が目指すべき世界秩序は、それぞれの母語で豊かな人生を送る事ができることだ。
創造性は母語で思考する事によって磨かれる。
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中世ヨーロッパ 日常会話は地域の言葉 土着語
カトリックの儀式や礼拝はラテン語 大学の議論や言語もラテン語
中世では教育を受けるとはラテン語を学び使えるようになること 教養のある人はラテン語の読み書きができるということ
ラテン語が庶民を知的世界から排除していた
土着後は日常の話し言葉でしかなく、抽象的で知的な事柄を表現できる語彙もなかった
宗教改革の中で、ラテン語の聖書を各地の土着語に翻訳するという運動が生じた ルターはドイツ語に、ティンダルは英語に、カルバンの従兄弟であるオリヴェタンはフランス語に
宗教改革者たちは、翻訳を通じて、それぞれの土着後に新しい語彙を作り、文法を整備し、正書法を提案していった
デカルト 方法序説 土着語フランス語で書かれた最初の哲学書
森有礼の日本語廃止論
ホイットニーからの返答 まず母国語を豊かにせよ
そして代わりに行われたのが、欧米諸国語からの翻訳を懸命に行い、新しい言葉や観念を土着化、つまり日本語のなかに適切に位置づけるという作業だった
高田宏 大槻文彦の伝記 「言葉の海へ」
一国の言葉は、外に対しては、一民族たることを証し、内にしては、同胞一体なる感覚を固結しせしむるものにて、すなわち、国語の一統は、独立たる基礎にして、独立たる標識なり
改めて考えると、言語面から見た日本の近代化は、全勝で見たヨーロッパの近代化と極めて似ていることがわかるだろう
漱石は、学生の英語力低下は、「日本の教育が正当な順序で発達した結果」で「当然の事」だと断言している
重要なのは、われわれの知性が言語をつくったのではないとうことだ。言語が我々の知性を、いや知性だけでなく完成や世界観を、形作ってきたのだ。日本であれば、日本語が日本人の考え方や感じ方、日本社会のあり方にまで、影響を与えている
出光佐三 日本の道徳の特性 互譲互助 互いに譲り合い、助けあう
鈴木孝夫 日本語のもつタタミゼ効果 フランス語でフランス人が日本かぶれになる、日本びいきになる、日本人ぽく成るという意味
日本語が、日本語使用者にあたえる影響 日本語を学ぶと性格が穏和になる 人との接し方が柔らかくなる
日本語学習者 日本語を学ぶと、柔和になった、一方的な自己主張を控えるようになった、相手を立て、人の話を聞くようになった、自分の非を認め、謝ることができるようになったなどの性格の変容を経験しているそうだ
常識的に考えて、経済力のある国とは、「英語力のある国」ではなく、「自国の言葉をしっかり守り、発展させてきた国」といった方がいいだろう
大学の自然科学系の授業の英語化は、インドや韓国などの国々のほうがはるかに先行している。だが、これらの国の自然科学の研究水準は日本よりもかなり遅れているようだ。英語化すれば学問の水準が上がり、創造性や研究開発力が増すというのは幻想に過ぎない
高度な議論を行うための語彙を備えた国語である日本語が現地語へ退化
繰り返しになるが、母国語での思考こそ、創造性の源泉である
貿易依存度が低く国内に多様な産業をかかえ、日本語や日本の慣習のもので多くの職業に就ける日本は、人々に格差なく多様な人生の選択肢を提供していると言える。さまざまな人生の選択肢にアクセスしやすいということは現代日本の誇るべき点の一つだ
結局、日本が進めているグローバル化とは、アメリカのような国になりたいと強く望んで、その実、フィリピンやインドのような発展途上国に堕ちてしまうことだ
多元的秩序 積極的に学び合う、棲み分け型の多文化共生社会
そもそも人は、ある程度の豊かさと、多様な人生の選択肢や機会が自国内で得られれば、住み慣れた国を離れて、他国にそう簡単に移住を試みたりしない。実際、外国への移民が多いのはきまって貧しい国である
むしろ日本がなすべきは、新興諸国の人々が、母国語で高等教育まで行えるように、そして母語で専門職を含むさまざまな職業に就けるように、翻訳と土着化の国づくりのノウハウを提供し、親身に支援することである
エリートの反逆 グローバル化が本格的に進展すると、エリートたちがどんな振る舞いをするか批判的に書いた本
知人おフィリピン出身で日本に20年以上暮らす方
母国フィリピンの言語状況を次の様に説明し、身を切る用んな言葉で、近年の日本社会の英語化に警鈴を鳴らしている。英語化や英語の公用語化を実施しても、英語を高いレベルでこなせるようになるのは一部のエリートのみであって、しかもそのエリートが国民のことを考えるよりも、外国企業などの手先となってしまうことがあります。フィリピンはもっともグローバル化、つまりアメリカ化してきた国の一つです。日本で英語化を推進するにあたって、フィリピンがどうなってしまったを参考にしていただきたいと思います。
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お客様からの薦めで読了。グローバル化、英語化は是非もなく時代の流れと漠然と受け止めていた自分にとって、気づきを与えてくれる良書だった。言語教育と民主主義との関係性等々、とても示唆に富んだ内容に満足。
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英語はビジネスエリートを中心に大事であることを前提にするとして、別の次元で日本語が日本民族のベースであることをわかりやすく説明している。発展途上国ではない、明治から作り上げて来た日本の民族性を大切にすることの大事さを理解できる。
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英語偏重教育の問題点を指摘してあり興味深く読むことができた。ただ個人としては、英語力をつけなくてはいけないということを強く思い、英語の勉強へのモチベーションが高まった。
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母国語で高等教育を受けられ、高度なことを議論できるということは、非常に重要なことで、それを自ら捨て去るのは良くない。
ただし、嫌だと思っても、子供の将来を考えると、英語のできるできないで就ける職業も異なり、経済的な格差も生まれていくのだと思う。そうであれば、我が子だけには、と考えて英語教育に熱を上げる親が多いのも納得ができる。
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「あとがき」にも書かれているけれど、タイトルがキツすぎて、中身をうまく表現できていないのがとても残念な良書。
まるで反アメリカ思想のナショナリストが書いた本のようだが、内容は言語が政治・文化にどのような影響を与えるかについて論じた真面目な本。
タイトルにある「英語化」とは「日本の公用語が英語になる事態」を示す。
現時点ではそこまでいっていないが、英語を公用語とする企業の出現、スーパーグローバル大学という政策、小学校から英語教育などがすでに生じており、日本国内でありながら「英語を公用語として日本語を禁止する英語特区構想」などが実際に検討されていることなどが取り上げられている。
「英語化」とはそういった傾向を表していて、これについて大きな誤解は生じないだろう。
一方、「愚民化」とは何か。
この言葉がわかりにくい。素直に読むと「英語を使うやつはバカだ」という意味になってしまう。
「愚民化」について本書の主旨をまとめれば、「英語化が進めば、英語を使えない日本人は政治的・文化的・社会的に没落する」ということを指す。
どういうことか。
著者はこれをヨーロッパが中世から近代へと変化していった過程を用いて論じている。
中世ヨーロッパの公用語はラテン語であり、一部の特権階級しか用いることができなかった。
ラテン語を学ぶ余裕のない一般庶民は、政治・文化・学問からも切り離された。
この状況を打破した=近代化の要因となったのが、宗教改革であり、聖書の各国語への翻訳であったという。
翻訳により、生活の言葉で政治や文化を語れるようになったことが「特権階級を廃し、誰でも平等な社会」の基礎を作ったと著者は考える。
実際にフランス語で書かれたデカルトの『方法序説』以降、徐々に各国語で書かれた書物が生まれてきたという。
著者はさらに、明治の日本にもこれを当てはめる。
明治維新の際にも英語公用語化は検討されていたが、外国人の諫言もあり実行されることはなかった。夏目漱石や福沢諭吉も、英語公用語化には反対したという。
そのおかげで日本語は翻訳により、誰でも政治や文化や学問を語れる豊かな言語となった。
そういった歴史を無視してグローバル化を根拠にした「英語化」を進める人々が、言語を「単なるビジネスツール」とみなしている点を著者は批判している。
英語公用語化のいきつく先は、英語を使いこなせるエリート層とそうでない層との断絶であり、エリート層は英語を話せない日本人よりも英語が通じる商売相手との連帯感を重視する。その結果、「国家内の連帯感」は失われ、「国内の豊かな人から貧しい人へ所得を再分配する」という国家福祉のような制度は理念的にも実質的にも崩壊を迎えると警鐘を鳴らす。
つまり「英語化」は「中世化」であり、暗黒の時代に逆行するという政治・文化の歴史観を論じたのが本書だ。
著者は別に反米思想化でもグローバル化や英語学習を否定しているわけでもない。
「グローバル化=英語化(アメリカ化)」という短絡的な思想を批判し、「多様な文化」が保持され、「相互に学び合う」ことが望ましい世界であることを主張している。
本書について弱点があるとすれば、ITについて一切触れていないことだろう。
ITと英語は密接な関係にあるので、英語が使えないデメリットは、その他の言語を使えないデメリットよりも大きいとは言えると思う。
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扇情的な題名だけど、落ちつた語り口で、内容はしっかりしている。英語がすきで、人一倍勉強もしてきたけれど、それと、グローバル化するために社会を英語化するのはちょっと違うんじゃないのと思います。少子化の問題にせよ、英語の普及活動にせよ、それらが英米の国家戦略の一環であることを、推進派の政・官・財の人達は、認識しているのだろうか?
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今政府や財界が進めている社内や大学での英語化は口ではグローバル化を唱えてはいても、実際は世界史の流れに逆行するものであり、国民を一部のエリートと愚民に分割させるものだと言う。というのは、西洋ではかつてラテン語が支配者の言語であり、知識や文化はごく一部のエリートのものであった。ところが、宗教改革によって現地の言葉に聖書が訳され、現地の言葉によって多くの豊かなものが生み出されていった。これはグローバル化と逆の現象である。そこには翻訳があり、幕末から明治にかけて日本人が多くの近代語を生み出したことは、国民を二極に分けずにすみ、それゆえ日本が強くなっていったのだと言う。なによりも、創造性の源泉は、ノーベル賞を取った益川さんのように母語での思考が基礎になっている。第二言語である英語がいくらうまくなっても、そこから豊かな創造性を生み出すことは困難だ。ましてや、英語がうまくなればなるほど、英語母語話者の思考に近づき、日本人らしさが失われていく。著者は言語学者ではなく、政治学者で、それゆえ、より広い観点からグローバル化や英語使用に問題を提起している。ぼくは同僚の中国語の先生から薦められ読んだが、英語習得に励む学生にもぜひ読んでほしい本だ。
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筆者の主張はよく理解した。日本がここまで発展してきた理由、日本人が英語を苦手とする理由、英語化が進むことで考えられうる事態、確かに、って思う。
でも、誰かは英語を勉強しなくちゃいけない。英語を使える日本人がゼロでは困る。
英語教育と日本文化への意識の荒廃は結びつかない。
愚民化は言い過ぎ。面白い本だけど少々極端。
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やや感情論に流されている感もあるが、著者の主張は納得できることも多い。
一冊選ぶなら「英語の害毒」のほうがおすすめ。
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外国語教育政策が財界をはじめ、グローバリストの都合を最優先に作られているのは確かだろう。しかし本書の議論には誤謬や誤解、論理の飛躍があまりに多い。また引用されている文献についても、著者に都合のよいように解釈が歪められているところが散見される。誤った言語観・言語教育観を読者に植え付けかねないトンデモ本である。著者と出版社、また帯にコメントを寄せた識者の良心と見識を疑わざるを得ない。
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英語偏重教育への警鐘をならす一冊。
英語を学びたい人が一生懸命学ぶのも、必要に迫られた人が英語を習得することも、よいことだと思います。
ただ上から「幼少期から英語を学べ」と押しつけてくるのは、この本の著者と同様違和感を覚えるし、疑問も覚えます。
せっかく日本には母国語で高等教育を受ける環境が整い、世界中のマニアックな本まで日本語に翻訳されて図書館や書店に並ぶという恵まれた状況があるのに、なぜそれを壊してしまうようなことを政府は進めたがるのでしょうか。
本で指摘されているように、それは「商売」のためなのでしょう。
しかし一部の人が利益を上げるために、子供にとって重要な「教育」を利用するというのはやめてほしいです。
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他言語を学ぶことはその国の文化を知ること。だからと言って自国の文化や言葉を失っては元も子もない。
「英語化」の前にまずは母語で深く思考すること。そして「政治や経済を論じることば」は、日常の言葉に「翻訳」されなければならないのではないかと痛切に思う。
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英会話や英語学習を否定するものではなく、官庁や大学の受験や業務・授業の英語化、さらにそれに備えた低学年からの英語化学習ラッシュ(英語学習ではない)に警鐘を鳴らす。それは日本人の知性・感性の発達に膨大な負担を与え、長い目で見れば、国際競争力の向上どころか平均的に劣化をもたらすというもの。企業経営者・為政者・教育者には必読の書だと思う。森政稔氏「迷走する民主主義」を読んで、なぜ今のエリートはこんな簡単なことに気づかないんだろうと思わされること多々。その理由はここにもw 巻末「おわりに」だけでも読んでみて!
それにしても、金融危機の国にイチイチ救済条件に英語化を強要するなんて、IMFは胡散臭すぎ…