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投稿者:55555 - この投稿者のレビュー一覧を見る
シェイクスピアの喜劇。
到着を予定していた、船の難破により、ベニスの商人アントニオはユダヤ人のシャイロックに借りた借金を返せなくなってしまう。ユダヤ人のシャイロックは借金をたてにしてアントニオの肉を要求する。そんな中、アントニオはポーシャ機知により救われる。
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子どもの頃、寝っ転がりながら『イワンの馬鹿』と交互に読んでいたためにまるで混同してしまっているみたい。
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『金を貸してやるかわりに、もし返済期間中に金を返せないなら心臓に最も近い体の部分から1ポンドの肉を差し出すこと』という人肉証文が有名です。
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シェイクスピアの劇作
内容も面白いが、これがつくられた当時の時代背景もうかかがえる。
高利貸しのユダヤ人が非常に悪者として、またキリスト教徒が慈悲深く描かれている。また最後に高利貸しがキリスト教徒に改宗させられているのもユダヤ人からしたら非常に屈辱的であろう。
驚きは解説にあった。
この物語はシェイクスピアが考えたものではなく、もともと1300年代にあった3つの話をつなげたような内容らしい。しかし、今でも古典として多くの人に読まれれるのは、劇作として非常に完成しているからであろう。
古典はその内容だけでなく解説部分で多く背景にあるものなどを理解することができるのでこちらも一見の価値あり。
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肉裁判のくだりと、バサーニオが恋人ポーシアに求婚する際の箱選び、そして見事ポーシアを娶る権利を得た後に彼女から貰った指輪のこと、この三つの要素からなっています。シャイロックが悪者として描かれていますが、現代ならばむしろ彼が哀れでならないという解釈もできます。何しろユダヤ人であることだけで「ジュウ」などと悪口を言われていて、さらに金貸しであるために罵られる。復讐のためにアントーニオの肉を取ろうとするも、逆転裁判で借金は帳消しになった上に罰金まで支払わされ、しかもキリスト教に改宗させられる。しかしシェイクスピアは、シャイロックが人肉裁判をするに至ったのはユダヤ人だと差別されたからだという解釈をしています。劇中のどんな悪者にだって、そうなった原因がある。シェイクスピアは16世紀という昔にあって、すでにそれを描いていたのですね。
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大学の経済学史の授業で扱われたので購入。
シャイロックやアントーニオなどでこの頃の経済活動がよくわかる。
また、話の内容ももちろんおもしろい。
特に人肉裁判の下り、シャイロックが自分がいままでキリスト教徒に差別を受けてきた怒りをぶちまける長台詞は一読の価値あり
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図書館で借りて読了。
正義感が強く情に厚いヴェニスの商人、アントーニオは、友人のバッサーニオに頼まれて、悪名高いユダヤ人の高利貸し、シャイロックに1ポンドの己の肉を担保に金を借りる。バッサーニオは意気揚々と莫大な財産を持つ魅力的な貴婦人、ポーシアに求婚に向かうが、アントーニオの商船は難破し、財産をなくしてしまう。嬉々と1ポンドの肉の支払いを迫るシャイロックに、果たして裁判は…。
シャイロックとポーシアが目立っていて、アントーニオやバッサーニオが少々薄かったような。
いくらいけ好かない奴にしてもシャイロックがちょっとかわいそうにも思えるのだけど、これは現代の価値観で見ているからで、当時の常識だと当然の運びかつ痛快な物語なのかな。
とりあえずポーシア無敵。
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あまりにも有名ですね……。でもやっぱり「有名どころ」は傑作です。ポーシャのことを「かっこいい」と思ったことがあったんだなあ、こんな人になりたい、などと。(そのついでに法衣にも憧れた)。こぞの雪いまいずこ。
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ハムレットほどの美しさはなかったけど、話しの展開は面白かった。裁判でのポーシアのくだりは好きだなぁ。よいよい
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戯曲の台本。やはり劇場で観てみたい。
人によって悲劇か喜劇かの評価が180度違うものになると思う。
シャイロックは本当に悪人?商人たちは本当に正義なのか?シェイクスピアの創作意図はわからない。
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この年になって初めてシェークスピアを読んでみる。
演劇として見た方が、その面白さがより伝わるのかもしれない。
発表当時には、テンポの良い展開が面白かったのかなぁと思う。
ユダヤ人vsキリスト系の構図が、話しのベースになっていたことは興味深かった。
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ユダヤ人の商人が、舞台の去り際まで悪役を演じ切る、その様が好きです。時代背景はさておいて、作品の登場人物として、頭から尻まで一貫した立ち位置を保つ彼の姿に心惹かれました。
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喜劇であるためか、導入部分も魔女の予言や亡霊の告白をともなわないのでさいしょは多少たいくつだった。が、三幕あたりからやはりおもしろくなった。金貸しを言い負かすための屁理屈も好きだ。
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そんなに。解説にもあったけれど、俺はユダヤ人を悪役として見れなかったのでかわいそうになった。
箱選び、肉切り裁判、駆け落ち、指輪の紛失。4つの事件からなっていたが、特に感想なし。演劇そのものを観れば、違うのかもしれないが。
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物語というものは、あたかも自律した生命体のように、作者の意図を無視して、勝手に読み手に感銘を与えることがあるらしい。チェーホフは戯曲『桜の園』を喜劇のつもりで書いたが、役者たちはしばしばそれを悲劇と解釈して演じてしまい、作者を苛立たせたという。
『ヴェニスの商人』も、そういう作品のひとつである。シェイクスピアはこれを勧善懲悪の喜劇として書き、観客も当初は喜劇として楽しんだ。キリスト教の神がすべてを支配する中世西欧において、ユダヤ教徒の高利貸しシャイロックが駆逐されるべき「悪」であることは自明であり、ほとんど真理に等しかったのだろう。その「真理」に異議が申し立てられるのは19世紀。被差別民という「悲劇の人」としてシャイロックが解釈され始めたのは、西欧において神の絶対性が否定され始めたのと、ほぼ同時である。そして第二次世界大戦という真の悲劇を経て、受難者としてのシャイロック像は、いっそう現実味を帯びて定着することになる。
とはいえ実際に読んでみると、同情や哀れみの涙を寄せるには、シャイロックというキャラクターはあまりに骨太すぎるように、私には思われる。「嫌いならば殺してしまう、それが人間のすることか?」と問われて「憎けりゃ殺す、それが人間ってもんじゃないのかね?」とすかさず言い返すふてぶてしさも、「罰はこの身で引き受けるまで!」と開きなおる潔いほどの傲岸さも、どこか中世という枠に収まりきらないエネルギーを感じさせる。それは、むしろ近代以降のものであろう。中世のキリスト教的価値観を体現するアントーニオやバッサーニオが、まったくと言っていいほど生彩に欠けるのとは対照的だ。
シェイクスピアは、別に歴史を予感していたわけではないだろう。にも関わらず、その卓越した人間観察力は、結果として正しく「神に刃向かう者」を――ニーチェやマルクス、あるいはカミュなどを連想させる近代的自我を――描写しているようにみえる。ここにいたっては、もう喜劇も悲劇もない。ただ「劇」があるばかりである。作者の手綱を振り切った、生きた物語があるばかりである。