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学校の図書館で借りました。
ある一定の条件で発生する「群集」の特徴や性質などがすっきりと直球で書かれています。
古い本なので、データ的要素が少ない(事例紹介が多い)ですが説得力はあると思います。
集団心理等の分野では、古典的な本みたいですね。
インターネット時代を考える上でもいいような気がします。
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それまでの社会信念の崩壊、科学・産業上の近代的発見により社会全体が大きく変わる中、大きな影響力を持つようになったのが、群衆の活動である。
群衆とは、任意の個人の集合で、以下の性質を持つ。
・任意の元(個々人)の観念・感情がある方向に統一化されている。
・個人の個性が消滅している。
・知能が低下し、感情が変化している(感情≶個々人の感情)
群衆内にいると、集団精神が与えられる。しかし、この群衆に与えられる精神は、たとえ愚者ばかりからなる群衆であろうと天才からなる群衆であろうと、大して差はない。
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1895年にパリで発行された、心理学の古典である。群集とあるが、実際のところ著者が想定しているのは、集会などで一箇所に同時に集まっているような集団ではなく、むしろ民衆というべき大きなものであるような気がする。黎明期に書かれた本だけに、心理学の変遷に関心がなければ、本書はあまり有用ではないだろう。そもそも社会心理学という分野がまだ確立していない時代のモノであるが故に、社会や集団という定義がどのようなものであるかは不明である。著者によれば、群衆は個人よりも知能や理性におとるということである。まるで、退化するかのように、集団にうなった途端に動物のようになってしまうということである。人間が生物であるが故に、そうした資質がもともと埋め込まれており、集団となったときにそれが表出するということなのであろうか。付和雷同などの行動は、社会心理学で同調として取り扱われており、その根本は小魚の群れなどに観察されるやはり生物の集団的な同調同調行動である。
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個人の性格や特性は、ひとたび群衆心理の状態に入れば、それとはぜんぜん別個の性格を帯びる。
よく訓練された海軍の兵士たちでさえ、条件が整えば、木の葉に覆われた海上の木の枝は、筏から助けを求める無数の手と錯覚する。
いかなる立場の人でも逃れることのできない心理状態。
人はいかにしてその心理状態となり、何によって特徴付けられ動かされるのか、をまとめてある1895年の書です。
地震の時に見られた動きも、これに属しますかね。自己防衛の観点から知っておいてもいい内容かと思いました。
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群集の性質をよく分析してる。心理の特徴として、イマージュによる判断が上げられる。暗示や想像力に訴えるのであり、理性に訴えてはダメだと。
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フランスの医学者・心理学者、ル・ボンによる群集心理学についての古典的名著。
書かれたのが100年以上前であるため、さぞ偏見にみちみちた態度で群衆を批判しているのだろうと思っていました。しかし、群衆は犯罪的行為に走ることもあれば、ときとして英雄的であることも指摘し、あくまで著者の態度は客観的で、現在でも全く古びていません。
トクヴィルとならび、人が社会にいかに影響されるかを考えるのに、おススメの一冊。
群衆に興味のある方は、オルテガの『大衆の反逆』よりも、まずこちらを読んだほうが良いと感じました。文章も平易・明快で読みやすいです。しかし、オルテガに比べるとあまり有名でないのは、ヒトラーも影響を受けた著作らしいので、嫌われて禁書扱いにされているのかも・・・。たしかに本書の考察は施政者に利用価値があるし、ル・ボン自身人々をコントロールすることは必要であると感じているのではないかと思われる書きぶりです。
本書の序論では、歴史のあらゆる段階において作用してきた群衆の声が現代において政治を左右するまでに強まり、まさに「群衆の時代」が到来しつつあることを指摘しています。
そして群衆の、理性を働かせずに無意識に支配された心理の分析をしています。分析は多岐の項目にわたりますが、ポイントは群衆の性質として、本能的であること・感染(一定の行動や感情が支配的になる)・被暗示性の三点が挙げられます。
分析の過程で参照される実例も豊富で印象的です。
もっとも危険なのは、"自分は群衆を支配する資格があると思い込む輩"が近代になってからたびたび出現していることです。
中身のある議論をせず、よく考えてみるとなんだかわからないキャッチコピーを連呼しているうちに政治が決まってしまうことは、なにも現代にはじまったわけではないでしょう。
本書はけっして処方箋を提示しません。しかし、ル・ボンの言う『群衆の時代』を生きる我々は、この著作から身近な社会現象を読み解くヒントをたくさん得ることができるだろうと思います。
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群衆は甚だ動揺しやすく、単純であり、極端な思考で、感情が昂ぶりやすい集団精神を持つ。その集団精神は、一種のカリスマ的な指導者が放つ断言と、それを反復することで暗示が与えられ、群衆の中で感染することで形成される、とル・ボンは言っています。
本書における群衆の問題について、ル・ボンが極めて重要であると考えているように思われるのが、種族性の問題です。群衆にはその根底に種族の精神があり種族のもつ理想こそが文明や社会の発展を支えてきた。しかし、進歩が限界を迎える時、一体感を司っていた理想は崩れ去り個の時代が到来する。集団は力を失い、個人がその地位にとってかわるまさにその時、「群衆」が生まれて国家や社会などの共同体を打ち壊すのでしょう。
個人的には、群衆というのは本能で行動する動物のような存在であると思われます。第三者の視点で客観的に群衆を観察した場合、非常に愚かしく哀れに見えます。が、博識で理知的な人間からなる群衆とそうでない群衆でも知能の点では大差ないというのは同感であり、自分にとって本書は戒めの意義が大きいものとなりました。
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国が栄えて一人一人の頭が良くなると個人的な欲求が高まる。ネットの世界とかこの本でいう群衆といえる。恐らく100年たっても古びない内容。
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「すなわち、意識的な個性が消えうせて、あらゆる個人の感情や観念が、同一の方向に向けられるのである。」
言葉を持って人に影響を与えようとするときには、その時期の言葉の意味を考えなければならない。本来の言葉の意味などどうでもよいのだ。言葉は生き物であり、意味が変わるべきものである。それなのに言葉の本来の意味に拘束されるのはただの懐古主義か。
相手に影響を与えるには、言葉の反復が大切である。キーメッセージは何度も相手に伝えなければならない。言葉を変えることなく。
威厳は場の雰囲気を作る。
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とても面白い。SNSなどのもつ匿名性はある種、群衆の特徴を有しており、炎上などの問題を社会心理学的に考察できる。現代にも示唆に富んだ古典的名作。(追記 さらに、指導者と群衆の関係は、身近にはライブのアーティストとオーディエンスの関係で理解できる。ライブのオーディエンスは服従の意志を示し、アーティストが充たす。オーディエンスは皆同じように身体を動かし、誰かが新たなノリ方を始めれば、感染してゆく)
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己の目的を遂げるための、最も有効な手段の一つは「群衆を利用する」ことである。上手く用いれば多大な利益をもたらすが、しかし、それは非常に難しい舵取りを迫られるもので、ほんの僅かな失敗で己を窮地に追いやる劇薬でもある――。
史実から「群集心理」を考察し、その特徴と功罪、そして民主主義・多数決重視を盲信する危うさを分析した心理学・社会学の古典。
訳が比較的読みやすかった。現代の人間から見れば「これはちょっと違うのではないか」と思える分析もあるが、「付和雷同」や「お国柄」など、現代の"集団"の理解にも大いに役立つ点、人は百年以上経ってもその本質はなかなか変えられないのかなと思ってしまう。
古くは関東大震災直後、情報不足と流言飛語により多発した私刑行為(リンチ)。戦時中の各国のプロパガンダと国民の団結力。一人の誤った証言による冤罪。
現代に至っても権威や肩書への盲信や、電子ネットワークによる賛同者募集やデマゴギーの拡散(集団感染/パンデミック)など、著者が分析した通りの現象はあちらこちらで起きている。
最近も日本を含む各国で「民意を無視している」とか「民意を誤導している」とかあるが、政治家も、マスメディアの関係者も、そして群衆を構成している一人一人である我々も、一度これを読み直して群衆の取り扱いについて今一度考えてみてもいいのではないだろうか。
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群衆というものを面白い視点で定義している。というよりこれ以上正しい定義はないのかもしれないが。単に個人の多数集合体は群衆とは呼ばない。集まったことで心理的群衆を構成する個人の観念や感情が一方向に転ずること。つまり早い話が精神的ベクトルが同じ方向を向いた状態を群衆と呼ぶ。だから人は群衆になると闘い、同じ神を崇拝する。よくこういうのを研究しようと思ったものだ。
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群衆は、意識的な個性が消えて、無意識的性質が支配的になったもの。その構成員は思考停止し、ただの機械になる、ということから始まる本です。日本で言えば、戦時中の管理体制があてはまるかなと思いながら読んでいたけれども、現代人にもあてはまるよな、ということに気づきました。思考停止は危険です。人間という生き物は変わらないということなんでしょうか。
これは非常に読みにくかったです。回りくどく、わざわざ難しいことであるような書き方だったので、途中何度か「なんでこんなに難しく書くのーー」と叫びたくなりました。
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ある一定の状況において、人間の集団を構成する各個人の個性は消え、あらゆる個人の感情や観念が同一の方向に向けられ、一つの集団精神が生まれ、心理的群衆となる。本書ではその心理的群衆の精神構造、そして意見や信念を確立させる原因が明らかにされた後、指導者による活用方法が示される。とても刺激された。なぜ人は集団に属すると扇動され易く大胆な行動に出ることがあるのか、なぜ道理が群衆の指導者となり得ないのか、といった疑問への納得できる回答が得られた。また、扇動者に惑わされないための予防策にもなるかもしれない。なると断言できないのは、本書に示された扇動が無意識への働きかけだからである。では、無意識を形成する最も重要な要因は?それは種族性のようだ。日本人の民族性について知りたくなった。
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トランプさんの当選が、あまりに不思議だったので、そのヒントになりそうな本書を読みました。
<群衆の特徴>
・群衆は衝動的で動揺しやすく興奮しやすい
・群衆は真実を渇望しない、むしろ誤謬でも魅力があるならばそれを神のように崇めようとする
・強固な意志を持った人間の言葉に傾聴する
・威厳をもつ(ほぼ経済力)
<群衆を説得する方法>
・断言と反復と感染
・印象的な心象
・人々がそれなくしては生存できない希望と幻想との分け前を与える。
・群衆を活気づけている感情の何であるかを理解して、自分もその感情を共にしているふうを装い、ついで幼稚な連想によって暗示に富んだある種の想像をかきたてて、その感情に変更を加えようと試みる。必要に応じて後戻りし、特に、新たに生まれる感情をたえず見抜く。
...ということで、繰り返されるトランプの「メキシコとの国境に美しい壁を」というメッセージに人々が魅了された理由がよくわかった。
100年以上前に書かれた本であるが、人間の本質を良くとらえている。群衆とは無教養な大勢の人々のことではなく、完全に「私」のことである、と感じる。日々マスコミやSNS・インターネットで流される情報に、衝動的に反応し、動揺しやすく、興奮しやすいことは事実。
おだやかな心で平和に無駄なく生きたいと思うけれど、そのためには、教養という盾をもっと持つべきなのだろう。