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辺境と歴史がテーマの図書を提示しての対談。
高野のあとがきが実に良かった。
教養とはと云う事なのだが
「今自分がいるところ」を把握するには「ここではない何処か」を時間(歴史)と空間(旅もしくは辺境)という二つの軸で追求することが有効な手段で、その体系的な知識と方法論を人は教養と呼ぶのではないか。
全体的に楽しんで読めたが最後のこの文章にはグッと来るものがあった。
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本書はノンフィクション作家の高野秀行氏と中世史家の清水克行氏の読書対談第2弾。高野氏は以前に「間違う力」を手に取って以来、気になる作家ではあったが、まさかこれほどの教養をお持ちになっているとは思わなかった。高野氏の場合は、(あくまで想像だが)経験が先行しその後に読書によって知識を得ることで教養を身に付けていったと思われ、その経験から得られた教養が見事に歴史の事実と一致していることは驚きの一言に尽きる。本書で紹介されている作品は、お二人の対談を読んでいると、本書で紹介されているどの作品も読んでみたくなるが、どれも読みごたえがあって尻込みしてしまう。まずは手軽な「世界史のなかの戦国日本」あたりを読んでみたいと思う。
それにしてもタイトルにある「辺境」というキーワードが、これほど人類の歴史にとって重要なものだとは考えたこともなかった。
・辺境では異なる文化や物資が交錯しますから、経済活動が活発になって富が蓄積されるんです。
・中国人は人材を育成しないっていうんですよ。優秀な人材を見つけてきて、すぐへッドハンティングしちゃうと。そこが農耕民族的ではないと著者のそがぺさんは言うんですよね。要するに、種をまいて辛抱強く育てて刈り入れするという発想ではなくて、遊牧民族的であると。中国では宋の時代で農耕民族的な伝統が途絶えちゃったんだと。
・日本では、室町時代に綿を栽培できるようになるんですけど、大量につくれるようになったのは江戸時代からで、それまでは綿布は輸入する一方でしたからね。それに、秀吉が朝鮮から陶工を連れて帰るまで、日本では磁器も自力ではつくれなかったわけだから。そう考えると、この時期の日本は、やっぱり同時代の中国・朝鮮に比べて出遅れていた感は否めないですね。
・最近は、「銃・病原菌・鉄」とは「サピエンス全史」などのグローバルヒストリーが流行だが、記述が大味なんですよね。もちろん、疫病とか飢饉とか地政学とか人智を超えた要素を歴史叙述の中に組み込んだという功績は大きいし、そこは面白いと思うんたけど。あんまり出来の良くないグローバルヒストリーって、結局、国家間の主導権争いであり、パワーゲームに終始するじゃないですか。だけど、この「世界史のなかの戦国日本」は、そういうのからこぼれ落ちる世界に目を向けているし、そういう歴史のほうが僕はリアルで面白いと思うんです。
・僕が衝撃を受けたのは、その「美の考古学」に書いてあることなんですが、日本列島に限らず、世界各地の土器の造形や文様は、素朴段階、複雑段階、端正段階と三段階で移行していくということですね。
・縄文土器は文様の控えめな素朴段階から、ゴテゴテした複雑段階のものへと変わっていって、弥生土器になるともっと機能的な端正段階の形になりますけど、そういう変化は世界中どこでもおおよそ共通していて、なぜなら、同じホモ・サピエンスがつくるものだからという説明になっていますよね。
・、これって、現代人も縄文・弥生の人も、ホモ・サピエンスとしては変わりがない、だから現代の認知科学を考古学に応用してもいいっていうことです���ね。
・僕は文化や価値観と認知は違うものなのかと思ったんですよね。ホモ・サピエンスの認知は心の深いところにあって、文化や価値観はその上に乗っかっているんじゃないと。仕草は文化だから民族によって異なるけど、笑いや怒りみたいな、より動物的な感情は、時代や空間が違っても変わらないものなんだと。ということは、土器の文様やデザインの根本は、文化じゃないということになりますよね。もちろん個々の土器は文化的なものなんだろうけど、縄文土器と弥生土器の違いは認知レべルの違いだと。
・遠く離れた場所で似たようなモノがつくられるのは、それらの人たちの心の奥底にある、ホモ・サピエンス普遍の認知原理でつながっている何かが発露したからなんですよね。
・、文字から歴史を読み解く場合は、書かれていることがすべて事実だとは考えないんですよね。人はうそをつく生き物だし、何らかの自己主張のために文章を書き残している。たから、あえて書かれていることの裏側を読むとか、主張の背景を探るといった、少しねじくれた、意地の悪い読み方をする傾向があります。古文書を読む研究者の中でも優れた研究者は、むしろ「書かれていないこと」を読むことにエネルギーを注ぐ。そのへんのアプローチが少し違うのかな。
・本文の冒頭にいきなり内藤湖南が出てきますからね。「大体今日の日本を知る為に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、応仁の乱以後の歴史を知つて居つたらそれで沢山です」(内藤湖南「日本文化史研究」)という文章を引用して、「現代日本語の源流についても、約五百年前、すなわち応仁の乱以降の一五・一六世紀の日本語を眺めれば足りる」と野村さんは言い切っている。
・室町期には、流通が発達して、都にいろいろなものが集まってくる、と同時に、都の知識や教養が地方に拡散していった結果、人々が都を目指すようになった。
・従来、江戸時代は儒教の社会だと考えられてきたんですが、どうも違っていたようで。むしろ儒教と神道と仏教をミックスした心学みたいなものによって国民道徳がつくられていったと言われているんですよね。
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日本中世の歴史家と辺境を旅するライター。
セレクトはいかにも〜。政府とか国家とかじゃない歴史、民衆とか民族とか伝承とかの文化人類学寄りなヤツら。
だけど、対話は期待したより、ずっとずっと面白い!飽く迄も課題本自体は話のキッカケ。両人の守備範囲が惜しげも無く披露されてる。しかしまあ、世の中には知らないことって一杯あるなあ。
ナウマンゾウはナウマン博士が発見したから…って、知ってます?お雇いドイツ人だったそう。あと、伊達家の「三濁点」とか。
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"聞いたこともないような本、読んだことがない本について、二人の専門家が語る奥深い本になっている。「謎の国家ソマリランド」を書いたノンフィクション作家の高橋秀行さんと歴史家である清水克行さんがお互い本を紹介し、一方はその本を読んだうえでの対談となっているようだ。
中には全8巻ある大書もあるので、この対談への準備は並大抵のものではなかったはず。地政学、歴史、文化、言語など様々な考察があり好奇心をくすぐられる。
テーマとなっている書物は以下
「ゾミア」ジェームズ・C・スコット
「世界史のなかの戦国日本」村井章介
「大旅行記」全八巻 イブン・バットゥータ
「将門記」作者不明
「ギケイキ」町田康
「ピダハン」ダニエル・L・エベレット
「列島創世記」松木武彦
「日本語スタンダードの歴史」野村剛史"
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クレイジージャーニーにも出ていた、アヘンなどちょっとヤバ目のノンフィクションの多い作家、高野秀行さんと歴史家の清水克行さんが、オススメの本を紹介し合いながら語り合うという内容の本。
紹介されている本は専門的であったり、かなりの長編であったりしてなかなか読む機会はなさそうだが、お二人の対談を読むことでなんとなく概要がつかめるのでありがたい。
はじめに出てくる「ゾミア」という本では文明から離れ、辺境に住んでいる人たちが、文明から取り残されているのではなく、文明から意図的に離れたといった説を話されているが、なんか納得できる。
現代でも多数派であるサラリーマンなどの管理される生き方を嫌い、いろいろな生き方を選択する人たち(ノマドワーカーとか)が話題になることがある。そういう人たちも同じように、都市から離れて村なんか作っていくのかも(もうあるかもしれないが)。
あと紹介されていた本では唯一「ギケイキ」を読んだことがあった。平安時代なのに現代語がバンバン出てくるパンクな世界観が面白かったのだが、まさか歴史家からみても史実に忠実だったとは…。またはじめから読み直したい。
辺境と歴史から現在の世界というものを考えられる、良い本でした。
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こんなにものすごく本を読んでいる人たちがいるんだなぁ、と感心する。将門記とか、大旅行記(いわゆる三大陸周遊記)とか、読みたくなったもの。とりあげられている本を実際に読んでみて、同じかそれ以上の楽しさを味わえるかどうかはわからない。これはやっぱり読書合戦として、著者ふたりの掛け合いが面白いというのも、大きくあるだろうしね。楽しかった。
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非常に面白かった。元々高野秀行さんの著書が面白かったので期待していたが、期待以上だった。選ばれている本がどれも興味深そうな面白そうな選書で、それを紹介するお二人の読み込みの深さ、お持ちの知識の広さから、読書会での内容が広がる広がる。結構選ばれている本は分厚く重い(質量も内容も)ハードは選書なのに、これは読まなければ!と思わされてしまう。
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その人がどんな人であるのかは
その人の本棚を眺めてみると良い
ここに紹介されたのは
八冊の「怪書」「驚書」ですが
そこにいたるまでの
お二人の驚異的な「読んできた本」の
歴史と考察が見事に
お二人の丁々発止の対談に
自ずと現れているのが
なんとも興味深い
「世界の辺境とハードボイルド室町時代」
に優るとも劣らずの秀逸本
やっぱり 第三弾を
期待してしまいます
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以前から気になっていた本。この手の本は好きだな。紹介されている本では、「ゾミア」と「ピダハン」を読んでみたい。
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ノンフィクション作家(高野氏)と日本中世史を専門にする歴史家(清水氏)が、課題図書をテーマに好き放題に対談、そのやり取りを本にするという、不思議な趣向の本。課題図書になっているのは、どれも普通に本屋の本棚を眺めていたら辿り着けないようなものばかり。どう考えたって、一冊で5,000円を超える翻訳ものとか、全8巻(しかも一冊あたり3,000円ぐらいする)の大旅行記なんぞ手に取ろうということにはならんだろう。
課題図書は流石に畑違いの科学や医療、国際政治とかにはいかないものの、文明論や歴史、民俗史、言語と人文系の主だったトピックが網羅されていて、文系のどこかにいた人なら楽しめる場所がいくつかあるハズ。
文明のメリットとデメリット、国家という枠に囚われないことによる自由、子どもを子どもとして扱わない民族の一人のヒトの捉え方、将門と頼朝の違い、世界の首都が港に面した街には成立しにくい理由…。もろもろ挙げるとキリがないぐらい、自由闊達に様々な議論がなされていて、読書一つでここまで世界は広がるものなんだなぁと感心させられる。
対談自体も面白いが、それぞれの発言の中にある専門用語や歴史的出来事、歴史上の人物について簡単な注釈が同ページ内についているのも良い。注釈が巻末にまとめてついてると、見にくいし何度か本文と注釈を往復してるうちに嫌になることもあるので、この体裁は読む側としては楽。注釈で触れられている文学者や研究者の代表作がいくつかついでに書かれているのもマル。読書はその本だけで終わるのではなく、関連するほかの本に渡り歩いていくのが面白いので、次に読みたい本のヒントが散りばめられている。
この本を起点に、課題図書になっている本に手を出してみるのも良し。
注釈にある作家の本に行ってみるのも良し。
それこそ、この本の著者の2人の本に渡ってみるのも良し。
後書きにも書かれているが、「ここではないどこか」を追い求める著者二人の対談によって、時間(歴史)と空間(旅もしくは辺境)を見つめ、「今、自分がどこにいるのか」を理解することができる。自分の立ち位置を見定め、次に何を知りたいか、何を知らないのかを探っていくスタート地点になる良書だと思われる。
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いろいろな怪書、驚書を対談で紹介している。「ゾミア」文明から逃げて文字も歴史も捨てた人々「世界史の中の戦国日本」日本の辺境地の海のネットワーク「大旅行記」イブン・バットュータという変なすごいやつ「将門記」土地を奪うのではなく相手方の生産手段と労働力を喪失させる戦い「ギケイキ」武士とヤクザは一体「ピダハン」数もなく左右もなく抽象概念もなく神もない幸せな人々「列島創成期」認知考古学のホントかよ強引じゃねという解釈「日本語スタンダードの歴史」標準語は室町からできたのだし山の手にスタンダード日本語の人々がやってきて住み着いたーどれもこれも今まで信じていたことがひっくり返される本ばかり。
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ノンフィクション作家高野と歴史学者清水の二人による読書会的な内容。トルコ至宝展に行った後、トルコ又はイスラムに関するものに関心が湧き、イブン・バットゥータ目的で読んだ。
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【「ここではない何処か」を時間(歴史)と空間(旅もしくは辺境)という二つの軸で追求していくことは「ここが今どこなのか」を把握するために最も有力な手段なのだ。その体系的な知識と方法論を人は教養と呼ぶのではなかろうか。】(文中より引用)
それぞれ「周辺」と「中世日本史」に惹かれ続ける2名の碩学が、何冊かの本を手がかりに縦横無尽に議論を試みた作品。著者は、前作の『世界の辺境とハードボイルド室町時代』も話題を読んだ高野秀行と清水克行。
まず読書合戦のために選ばれている著作からしてかなりマニアック。そこからさらにマニアックな話を展開していくわけですから、刺さる人にはたまらない内容になっているかと。気軽に、それでいて重厚に楽しむことのできる(前作に引き続いての)奇書でした。
第3弾が出ても読みます☆5つ
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読んでないのに読んだような気になれるズルくてありがたい本。教養と知識で殴られ続ける感じで面白かった。