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2018年108冊目。⌈続編の意義」というテーマはなかなか盲点で、それをシリーズの続編でやるあたりにメッセージ性の強さが窺える。書き手と読み手双方の視点から多角的に掘り下げているので話に深みが生まれている。エピソードや展開が読書家の心に響くものばかりで、非常に濃厚な読み応え。
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今回もいろいろぶっこんできたね、相沢さん…。
このご時世にこのレーベルから出して、ここまで言わせるか、と。
相変わらず、誰にも感情移入はできはいけれど、悲しくも納得してしまう。
物語を殺すのは読者。
だから、わたしはいつまでも、いつも、誰かにとっての九ノ里でありたいと願う。
小説は好きだし、物語も好き。
できれば手抜きではなく全力で書いたものが読みたいし、全力で書かせてあげられる読者でありたいものです。
与えられた添加物まみれの餌に食いつく飼い犬じゃなく、自ら獲物を探して仕留めるハイエナでいたいものよ。
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※思いの外長く語っており…※
表情を険しくして読んでいたことが多かった。
小説が好きだと思う自分は何なのか、強く突きつけられる作品だったからだ。
小さい頃から読書が好きで、また学生時分の10年以上に渡って趣味で執筆もしていた。
書き手側としても、読み手側としても、抉ってくる内容だった。
自分は物語は娯楽だと思っている。
教養書と違って、楽しむ、ということが大前提だ。(もちろん学ぶことが楽しいと思うこともある)
でもそれは、何かを学ばないというわけでは決してない。
学びを得るのか得ないのか、それはまさしく読者側の問題だ。
逆に小説の中で、作者が「これは絶対に正しい、こう考えて感じて下さい」と意見を押し付けようものなら、一気に興醒めしてしまうだろう。
考える余地、感じる空白、これが能動的読書に必要なものだと個人的に思っている。
でもここしばらくの自分は読者として、一冊一冊と向き合い、自分なりの気づきや学び、感動を得られていただろうか…
心動かされて泣いたり怒ったり笑ったり、そういった反応をすることはある。
けれど大人になってから、沢山の物語を消費できるようになってから、ストーリーの細部が深く記憶に残らなくなってしまったという実感が強くある。
同じ小説を読み返すことも全くない。
次々と消費していくばかり。
自分は、物語を読んでいると言えるんだろうか…
買いすぎてしまうのも問題ではあるんだろう。
やはり社会人となると時間が取れなくてどんどん積まれてしまう本を、とにかく一冊でも早く消費しようとする。
こうやってブクログで感想を残すことも、忙しくて最近はやっていなかった。
するとやはり、内容がすぐに消えていってしまう。
なんて浮かばれない本たち…心を過ぎ去っていくばかり。
確かに楽しんではいるはずなのに。その本に何が返せているんだろうか…
**
けれど自分は秋乃のように、自分が読んでる物語を他人に見られて恥ずかしいと思ったことは一度もない。(そしたらブクログもつけていないし)
絵本、児童文学を経て主にラノベの方へ進んだクチではあるけど、布教こそが読者の使命と信じて、面白かったものは何でも周りに勧めて貸していった。
もちろん作中では性格や幼少期の体験もあってのことなのは読み取れるけれど。
読んでる本を隠してしまう行為は、やはり作品と作者に申し訳が立たない。
大切な宝として刊行された本なのだ。
(趣味としてえっちな本を自分で読むことはないので、それが加わったらまた違うかも知れないけど)
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作中では、近年出版業界で問題などになってることにも触れられている。
海賊版サイトの問題や、流行に乗る作者と読者のことなど。
漫画と小説の価値観や、商業としての執筆など、確かになぁ!と思える部分も多くあった。
近年自分も書店でラノベ売り場を、どれも同じようなタイトル、イラスト、ストーリーばかりで
全く興味を惹かれないなぁと思って見ていた。
そのためか��しラノベ離れも進んでいる気がする。
そうやって離れていく読者がいる一方で、なんかいっぱい積んであるから読んでみようかなと手に取る読者もいて、そしてそれが大多数なんだとした意見に思わず呻る。
内容が面白いかどうかはこの際どうでもいい。
とにかく目について実際に買われるかどうかが大事だからだ。
でも、昔小説を書いていた自分は思ってしまう。
没個性な物語を書くことに作家としての意味はあるのかと。
自分がしたような、泣いたり笑ったり学んだりといった読書体験の出来るような物語を、読者に味わってもらいたい。実際自分ではそれが書けないとわかって自分は創作をやめてしまったけど、でもやはり物語というのはそうあって欲しいと未だに思ってしまう。
けどそうした全霊を込めた物語は、今の人たちにはウケない…
もちろん量産されている流行りの作品に価値はないとは思わないし、その中から得られる体験もあると思う。ただ流行が去った後に、その物語は読者の中にどういった残り方をするんだろうか…
売りたいのか、信念や個性を貫きたいのか
きっと、唯一無二の物語を作りたいと思って作家を目指した人たちは、本当に苦しんでしまうと思う…。
まとまりや主旨がなくなってきたのでとりあえずこの辺りで。
なんだか全部読み切ったあとみたいな熱量で書いてしまったけど
後日下巻を買ってこよう…
ちなみに自分はこれを続刊だとは知らないで買ったけど
現時点で十分面白いので
続刊を書く意義はあると思うよコユルギさん!(そういう意味ではない)
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前作を読んだ頃、物作りに対してナメた考えを持った小童と仕事をさせられていました。そのためか、小説執筆に必死になっている登場人物たちに相当入れ込み、個人的に共感の嵐でした。本作の言葉で言えば「物語に心を動かされ」ました。
その続編である本作は、次の3つの要素が軸になっているのかな、と。
1つは天月彼方の小説に対する姿勢について。
2つ目は海賊版サイト問題。
そして3つ目は、千谷一也と小余綾詩凪の関係がどうなるか。
他にも秋乃と真中さんの関係など、気にしなきゃいけない要素が多数。内容は面白いと思うのですが、私の少ない脳内メモリで全ての情報を処理し切れるか不安を抱きつつ上巻を読了。いろんな意味で、この先が気になるところです。
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“物語は人の心を動かすのか?”
そんな哲学的とも言える章題が並び、さながらゴーギャンの有名な絵画のタイトル「我々はどこから来たのか(略)」を連想させる。その流れで言うならば、本作は「小説はどこに行くのか」を考えさせられる。
高校生作家2人が、小説を書く意味を求めつつ、もがきながら作品を創っていく物語の続編。前巻でひとつの作品を産み出した2人だが、その続編を巡り、あるいは新作を巡り、さらなる「創作の深み」に嵌っていく。
後輩の創作をめぐる傷も絡み、それどういうこと?な引きで上巻終り。続きが気になる!
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またしても感想の書きにくい内容。作家の本音というか綺麗事ではない部分にハッとさせられる。が、自分は図書館ユーザーなのですいません…。
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+++
もう続きは書かないかもしれない。合作小説の続編に挑んでいた売れない高校生作家の一也は、共作相手の小余綾が漏らした言葉の真意を測りかねていた。彼女が求める続刊の意義とは…。その頃、文芸部の後輩成瀬は、物語を綴るきっかけとなった友人と苦い再会を果たす。二人を結びつけた本の力は失われたのか。物語に価値はあるのか?本を愛するあなたのための青春小説。
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読み始める前に、既読の『小説の神様』を上下巻に分けたのかと、ちょっと迷ったのだが、純然たる続編である(ちょっぴり紛らわしい)。時間もほとんど前作と地続きで、小余綾や千谷の抱える悩みもほぼそのままの状態からの続きなので、目新しさはほとんどない。人々にとって小説とは何か、という大きすぎる問題がいつも目の前にあり、自分がどういう姿勢でそれに向かうのかという葛藤から逃れることができずに、何もかもが混沌としているような印象である。この悩みから抜け出すことはできるのだろうか。抜け出せれば、合作小説も目覚ましく進捗するのだろうか。それは本作ではまだわからない。文芸部の成瀬の友人たちに対する心の持ちようにも少しずつ変化が現れ、こちらは少し明るいが、中学時代の友人真中との関係は、なかなか難しいままである。下巻では、これらがすべて解決されるのだろうか。不安要素はたくさんある気がする。ともかく下巻を早く読みたいシリーズである。
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前半、あれ?私(読者)喧嘩売られてる?って思いながら読んでた。お前らどうせ売れる本しか読まないんだろとか、作家にそう思われる悲しさとか、憤りとか。作者的には違うのかもしれないけれど私はそう受け取った。作家さんの立場だと、昨今は自分でプレゼンやら営業なんかまでやらなきゃいけなくなって大変だろうな。そういうのが苦手な才能ある作家を編集はきちんと売ってあげてほしい。読者だって同じような本ばっかりでウンザリしてる部分があるよ。ましてそれが苦手ジャンルだったりするとマジで新しい本に手を出す事が出来なくなるので。
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■小説は、好きですか?
もう続きは書かないかもしれない。合作小説の続編に挑んでいた売れない高校生作家の一也は、共作相手の小余綾が漏らした言葉の真意を測りかねていた。彼女が求める続刊の意義とは……。その頃、文芸部の後輩成瀬は、物語を綴るきっかけとなった友人と苦い再会を果たす。二人を結びつけた本の力は失われたのか。物語に価値はあるのか? 本を愛するあなたのための青春小説。
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千谷、小余綾、成瀬たちの純粋さが眩しすぎて目に染みる。続刊の意義、物語は人の心を動かすのか?など、実際の書き手側ならば、より身近でグッと来るものがあるのかも。書店員の立場から見た万引きや海賊版サイトの問題などが書かれていて、広がりや現代性を感じた。表紙絵の千谷は、クールな感じに見えて、ちょっとイメージと違うなあと最後までギャップを埋められなかったのでした。
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久しぶりに読む続編。間が空いてしまったせいで細かいあらずじを忘れてしまっていたが、相変わらずこの作者の小説に対する眼差しというか、姿勢が好きだ。本当に小説が愛おしくて、たくさん悩んだ結果、生まれた小説なんだな、と思わせてくれる。
自分が読んだ小説にどうしようもない感動や興奮を覚えても、いざ他人のレビューを拝見すると自分とは真逆の感想を抱いている人を見て勝手に落ち込む。でも、いざ本屋さんでその作者がピックアップされていると、なぜか自分のことのように誇らしく思える。それはその小説が自分の一部になった、ということなのかな、とこの小説を読んで思った。
読書には読み手の能動的な協力が必要不可欠、という一文にいろいろ考えさせられた。普段は全く意識せずに本を読んでいるが、言われてみれば確かに、読書はただ受け取るだけの行為ではない。そこには感情移入や解釈など、文章から受け取ったものに自分の想像力を加えるからこそ、小説は色鮮やかに輝くのだろう。
下巻へ続く~
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小余綾と千谷は、小説としての意義・価値が何であるかを模索する。成瀬は、裏切った唯一の友人と再会する。
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年に何百冊も読むような読書家だが、本を買えないのが現実。貢献が少なくてすみません、と呟く。でも、本には意義があり、価値がある。
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映画化すると聞いたので手にとって見たが
こちらはシリーズの続刊のようだ。
上巻を読んだ限りでは、九ノ里がやや良い印象だが
そこまで活躍を見せておらず
共感できるキャラクターがいない為、
淡々と読んでいる。
そんなにも『最近の高校』は未だに漫画を嫌い、
図書委員は漫画や雑誌、ラノベを読むことも許されないのだろうか。
漫画村をモデルにした件にしても、
こんなに最近の高校生はモラルがなく頭が悪いのか?
と疑問に感じた。
好む物語の話でも、同族嫌悪で失敗し成長する主人公を
好きにならないというのも同じく疑問だ。
本当にそんなものなのだろうか。
ただ、確かに
もう物語じゃ人の心は動かせなのかもしれない
というのは自分の時折感じなくもない。
そもそも文章を読めない人が多くなっており、
200文字もあれば『長文』と言い出す。
『世界の行間を読む』という真中の言い方は好きだった。
地の文で同じ言葉の繰り返しが多いのが気になった。
たとえば、『訥々と』。何度も同じように使われるし
話し手が同じなら口癖設定なのかなとも思うが
違う人に変わっても同様だった。
天月彼方の持論は中々興味深い。
・売れている作品は運がいいだけ
・読者は売れている本しか買わない
・運の悪い本は存在すら知られない
・読書好きじゃない普通の人たちは自分で本を探さない
・本気を出さないでうまく手を抜いて書くべき
・届かない相手にはいくら頑張っても届かない
・物語が人を動かすかどうかなんて、読者の力量次第だ。読み解く力がないやつには、何を言っても無駄だ
・真摯に書くのは売れてからでいい
小余綾などは反感を覚えているようだが
間違いとは言い切れない。
彼女が言うように実際天月が売れているから、というだけではなく。
漫画しか読まない人が増え、
読書をする人が少なくなり、
自分で好きな本を選んで行間もきちんと読める人ではなく
テレビで紹介され平台に積んである本だけ気まぐれに手に取るのが
『普通の人たち』。
そんなのは間違っている、と思いたくても
手にとってもらえないなら話が始まらない。
どんなに良い本でも気づかれなければ読まれないし、
読解力の無い人が読んでもつまらない、わけわからないで終わってしまう。
それなら、真剣に書くとしても流行に迎合した
漫画化や実写化しやすい軽くて頭が悪くてもわかる内容を
量産して名前を売ってからでもいい。
これは、そのとおりだ。
物語が本当に好きで、真摯に向き合って
向き合いすぎて書けなくなろうが、血反吐を吐きながらやっとの思いで書こうが
そんなの読者には関係無い。
多分、真摯に物語に向き合うことが正解だと
持っていきたいのではないかと想像するが
ここまで現代日本の読書力低下や
本が売れないという『真実』を書いた後で
どう正解まで持っていってくれるのか下巻を読むのが楽しみだ。
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いつの間にか秋乃と真中さんの話が中心になってきている?
小説を書くことの意義が延々とこうされている感じ。青っぽい議論も悪くない。