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山を仕事場とする猟師や、山里に暮らす人々が実際に遭遇した奇妙な出来事。深い親交を持つ著者だからこそ聞き得た阿仁マタギの体験談をはじめ、時代の流れとともに消えつつある「語り遺産」を丹念に集めた現在形のフィールドワーク。
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ヤマケイ文庫の棚に行くと、つい、何かしら買ってしまう。本書もそんな1冊。
山で起きた不思議な話、怖い話を聞き書きしたもの。取材した著者も『いずれ消える運命にある』と記していたが、今では語る人も少なくなったのだろうか。確かに趣向を凝らしたエンタテインメントではないが、こういう素朴な怪談も面白いと思うのだが、フィールドワーク的に纏める人もなかなかいないだろうなぁ……。
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タイトル通り怖さよりは不思議な話。
その不思議な話は日本昔話感が溢れてどこかほのぼの。
UMA好きには巨大な蛇の話は心躍る。
もうちょっと怖い話を読みたかったかな。
ちょい不思議な体験するために一人で山に入りたくなった。
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うーん、興味深い話がなくて退屈でした。
『おわりに』以降は読まなかった。
シリーズの他の本も読まないと思う。
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聞き取り話。
取材がとても大変だったと思いました。
どの話も、静かにゾッとする感覚で、私好みの怪談でした。続編も読みたいですね。
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山の怖い話というより、タイトルの通り山の怪しいお話し。
昔聞いた民話のような、遠野物語のような、そんな不思議なお話がいくつも書かれている。語り手や場所によって差はあれど、似たような出来事も多く、1話1話も短いため、間を置いて読み返すと「もしかして前に読んだ?」「もしかしてまだ読んでいない?」が繰り返され、何度も読む内に楽しくなってくる。
また、知っている山の話があるとそれだけで楽しい。
全国というわけではなく、ある特定の地域方から聞いた話が多いが、後書きを読むと納得する。
「この本で探し求めていたのは、決して怖い話や体験の類いではない。言い伝えや昔話、そして民話でもない。はっきりとはしないが、何か妙である、または不思議であるという出来事だ」
そうしてそんな話はすぐに聞けるものではなく、著者はまず自分が語ることで呼び水として、この本に集められたような話たちを聞くことが出来たのだそうな。だからこそ特定の地域の人とかかわることでしか聞くことができない話なのだろう。
すごいなぁ。
続編が出ているようなのでまたそれも楽しみ。
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民俗学という見方ではなく、あくまで地元の方から聞いた話が淡々とつづられている。そういうものなんだろうなと、自然とスッと話が胸に入ってくる。最近では「都市伝説」なんて形で都会版不思議な話が語られることがあるけれど、これからもずっと本著のような「山の不思議」が語り継がれるといいなと思う。
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山の話は面白い。古来から、山は日本人の日常でありながら、その厳しさゆえに人を非日常へと簡単に誘うものであった。本書で紹介されるのは、山にまつわる民話の原石となる「怪しい」話である。
山が開かれ、娯楽が充実した現代では、代々口伝で伝わってきた山の話は絶滅寸前だ。民話にならなかった話の数々をテキストに起こした筆者の功績は非常に大きいだろう。
山でよくある話は「狐に化かされる」というものだ。山に慣れた人が集落の近くの何でもないような道で左右を間違え、遭難する。そういった時に、人は「狐に化かされた」と言う。
もちろん、実際にそんなことはないだろう。低山での遭難記録をいくつか読めば、遭難は何でもないようなところで道を一つ間違えるだけで起こることがよく分かる。山は一つ道を間違えるだけで全く違うところに出てしまう世界なのだ。
航空の世界では空間識失調(ヴァーティゴ)というものがある。雲の中などに長くいることや疲れが原因となり、航空機のパイロットが平衡感覚が喪失するものである。しばしば航空機事故の原因ともなる。ヴァーティゴは、パイロットの経験の長さに関係なく起こる。人間の性質上、仕方のないことなのだ。慣れた山道での遭難メカニズムというのは、おおむねヴァーティゴに近いものだろう。
ヴァーティゴでは計器を信じることで墜落を回避できる場合があるが、コンパスや地形図のない時代の山ではそういうわけにはいかない。ゆえに、経験の長いマタギですら迷うこともある。そこで「狐に化かされた」というのは、経験の量を問わず遭難が誰にでも起こりうるゆえに、捜索の労力を当人の責に帰さないための方便である、という解釈がなされる。生活の知恵である。
そんなわけで、大抵の「怪しい」話は論理的に説明できてしまう。しかし、それでも説明できないことが残る。だから面白いのだ。
たとえば幻覚。遭難記録を読むと、遭難者は極度のストレスからよく幻覚を見ることが知られている。私は遭難したことはなくとも、極度のストレスで幻覚を見たことがあるので「人間はけっこう簡単に幻覚を見る位に追い込まれる」という認識がある。
ところが幻覚を見たことがない人間からしたらそれは想像できない。というより、幻覚を見慣れなければ「それが幻覚である」ことには気付けない。ゆえに、山で人は様々なストレスから幻覚を見るが、それが幻覚であることに気付かない。
大抵の「見た」話は幻覚で片付けられる。だが、複数の人間が同じものを見た話はどうだろう。幻覚は似通うのか? それとも本当に何かあるのか?
「説明できるもの」を省いていった先にある「わからないもの」に惹かれるタイプのオカルト好きには是非とも勧めたい一冊である。
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怖い話は苦手だけど、こういう山であった不思議な話系はわくわくした思いすら抱いて読めてしまう不思議。疲労や恐怖心が生み出すものか、動物によるものか、科学で説明できるものか、とかなんだかそれがなんだかよくわからないけど起こる不思議なことってあると思うんですよ。やっぱり山も深くなればなるほど、そこは人間の領域(生活圏)じゃなくなるから、私たちの物差しで測れない出来事も起こるのかなって。今では登山道も整備されて領域が広がってるし、人も山に頼って生きることが少なくなったから、こういう話も生まれにくくなるだろうけど。
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山の中で不思議体験をした方々のお話をまとめた本。怖いというよりも、奇妙なお話が多い。読んでいると、本当にそんなことがあったような気がしてくる。山の奥では今でも狸や狐が人間を化かしているのかもしれない。迷惑だな、ちょっと怖いなと思う一方で、昔話の向こう側の、神様や妖怪の世界と繋がっているような、民俗の絆のような物を自分の中に感じた。
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怖すぎず、でも不思議…ひとつのエピソードもちょうどいい長さです。こういう話を聞いた…と淡々と記してるのが、逆に本当にあったんだろうなと信用できる気がします。2巻、3巻もあるようなのでぜひ訓みたいです。
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民俗学や登山が好きなので、テーマとして魅力的。のめり込めたが、少しサッパリし過ぎかなぁ。もっと深掘りして欲しかった!という感想。
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山に暮らす現代の人たちの不思議な体験談を聴き集めた物語集だ。帯にある通りまさに現代版遠野物語。起きた不思議をそのまま語る。理屈をつけたり、下手に怖がらせようとしないから話の真実味が増している。さらに訛りが入ってて盛り上がる。
猟師や木こりが山で出会うもの、山男を惑わすもの、土地の老人が教えてくれること、山の学校で起きること。
こういう話はいいよねえ。夕飯の後に、田舎の爺ちゃん婆ちゃんやおじさんたちの話を聞くようだ。死霊とか悪魔とかそんな野暮な相手ではない。相手は山の神、狐、狸、蛇…狐火、小豆研ぎ、ベトベトさん…。そして何より何が起きたかわからないような体験談。ほとんどが21世紀の話なのだ。
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狐火があふれる地、マタギの臨死体験、山塊に蠢くもの…。山で働き暮らす人々が実際に遭遇した奇妙な体験を紹介する。現代版遠野物語。書き下ろしの「山怪後日談」を加えて文庫化。
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ホラー映画のように、これでもかとけたたましく人を怖がらせる何かは山に存在しない。そこには、じわじわと湧き起こる恐れがある