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私の一世代上の人生訓、とも言えないような戯言ばかりで。面白くないこともないですがどうでもいい本です。
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共に都立小石川高校から早稲田大に進学。ひとりは、事の本質を寸鉄釘刺す毒っ気溢れるコラムを主戦場に相田みつをを「便所の神様」(まさに言い得て妙)と称し、時に物議を醸す社会風刺の名コラムニスト小田嶋隆、方や電通クリエィティブ部長の席を辞し、部下3名を引き連れ日本初のクリエィティブエージェンシーを立ち上げる。還暦過ぎても、今なお第一線で活躍するクリエィティブディレクター岡康道。
このふたりが五十路から還暦越え街道へと向かう途上に忍び寄る病・仕事・家族…の「諸問題」に対し、どう立ち向かい、どう対処するかを存分に語り合うふたり。そこに進行役の清野女史が、慈愛にあふれた絶妙なツッコミを入れ、独特のグルーブ感を醸し出す。
さて、その対談内容たるや脱線と蛇行の繰り返し。諸問題解決の一助となるノウハウや指南なんてものは皆無。高校の同級生ふたりの噛み合うような噛み合わないような話に、五十路おっさんの哀しきサガを垣間見、そして提示されたのは諦念と覚悟。
「50代の半分ぐらいは鬱状態」。
「一言多い奴は出世できない」。
「男は、皆んな『猿山』に生きている。定年後でさえ、
心中で『俺は猿山の何番目だ』と値踏みしている」。
「劣等感は勝とうと思うから、「自分は劣っている
のではないか?」と疑念が湧く。それが胸の内に定着
してしまう。『負けたっていいじゃないか…』自分を
許す意識設定が必要」。
そう、五十路の諸問題の処方箋なんてものはないのである。プレゼン上達のようなスキルをもって解決しようと思うのがそもそも間違っている。「それって猿山の中の話ですよ」と諭してもらうのが一番いい。
先日五十路を折り返したばかり。80年代なら定年である。
その頃なら「ハッピーリタイアメント」になれる率高かったんだろうなと思ったりしてると、ついついこれまでの来し方を振り返ってしまった。かつて描いた「“なりたかった自分の将来”」と「実際“なれた自分の現在”」について、しばし沈思黙考。そんな時に出会った本書。
私見だけど、五十路にはびこる諸問題の解決には、とりわけ男はとにかく喋ること、できることなら語り合うことが、最も効果の高い解決策だと信じ込んでる。あの知の哲人 ヘーゲルやキュルケゴールでさえ「弁証法」という対話を重視した。眼前の出世には役には立たないが、人生という時間軸で見れば折々に直面する困難な挫折を乗り超えるチカラになるように思う。『男よ、喋れ!さらば、開かれん!』である。
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両氏は僕よりちょっと上ですが、生きてきた時代感はほぼほぼ同じで共感できるエピソード、センテンスが多くありました。「やっぱ、そうだよな〜」と思えて、なんとなく勇気をもらえたような気がします。一方、東京出身者や、さらには早稲田OBの方が読んだらもっと面白いんだろうな、とも。
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残念ながら先日亡くなられてしまいました
CMプランナーの岡康道氏と、人気エッセ
イストの小田嶋氏は高校の同級生なのです。
その二人の対談集です。
でも同級生同士の対談なので、思い出話か
らスポーツネタまで、あっちこっちと話が
飛びますが、二人とも世界を見る洞察力が
非常に高いです。
しかも高校生の頃から世間をナナメに見て
いて、流行に流されるわけでもなく、一人
の世界に入り込むのでもなく、歩むべき
人生を歩んできたのだなあと感じます。
当時還暦も越えたお二人ですが、特に小田
嶋氏にはもっともっとこれからも世間を
ナナメ切りしてほしいと願います。
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ユーミンの流行巻き起こし力、独り電通
って言うのに笑った。
予定すっぽかしまくり小田嶋、
九段下の自転車自損事故で入院
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小田嶋・岡のボケに清野が絶妙なタイミングで入れるツッコミに爆笑、失笑が止まらない。
「入院患者のために書かれた理想的な一冊」とはじめに書かれているが、とんでもない。胃の手術をしたばかりの身なのに腹がよじれる苦行の連続。命の危険を感じたので、二章、三章は早々にスキップして四章に飛ぶ。
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岡康道さんが鬼籍に入られたことが残念だが、「ショーケンの全盛期の短さが天才的だった」ことに通じる思いを抱く。
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前書きにあるように「得るところはそんなにないかもしれないが、失ったものを思い出すためのフックはそこらじゅうに散らばっている。」
微妙に自分とは年代が違っていて、時代的にそこの差が大きいのだけど、人の本質は同じ、年取ったらますます同質化していくのだと。ただ、年取ったらってのが70代かもしれない…人生長いし、まだまだ楽しそうだなと思える本だった